第10話 8月9日

「蒼馬は今日の模試どうだったの?」

 模試が終わり、答え合わせも済んだ生徒が徐々に帰り始めた七時半過ぎ。自己採点が終わったのか、千尋が俺の元にやって来て聞いた。因みに千尋とは同じクラスで、姫ちゃんは別のクラスだ。

「どうって?」

「できたかどうかってこと」

「できたほうなんじゃないかな。結果が出るのが楽しみだ」

「うっそ……。蒼馬、いつも模試の後は灰になったかのように精力尽きて、今回も駄目だったって言うのが常じゃん」

「まあ俺も受験生だし、それなりにはな」

 俺は鼻を人差し指で擦りながら自慢げに言った。

「ふーん。蒼馬も受験生としての自覚が出てきたってわけね」

 そう言いつつも千尋は半信半疑の様子だった。

「じゃあ、自己採点は何点だったの?」

「八百点は超えたとだけ言っておこうかな」

 模試の満点が九百点なので、これは高得点と言っていいレベルだ。それに俺の普段の成績と比較すれば尚更だ。

「信じれない……。かなり勉強したんだね」

 千尋はそう言い残し、ふらふらと自分の席の方に戻っていった。本当ならここでネタばらしをするつもりでいたのだが、あの様子だとしばらくは黙っておいたほうが良さそうだ。

 それにあのカメラをこういう使い方で利用したことは、正直言って褒められたことではない。だからと言って人助けには使えないのだから仕方がないのだが。

 でもこれで、今回の模試の判定は桁違いに良いものになるだろう。東大のA判定が出るほどではないかもしれないが、夏休み明けの進路指導では、担任は大きく軌道修正を図らざるを得なくなっていることだろうし、母さんも安心するはずだ。

 まさに無敵だ。向かう未来敵なしと言ってもいい。

 自己採点の結果が自分が予想していたよりも低い点数だったのだろう、頭を抱える数人の生徒を横目に俺は教室を出た。


 詳細な未来は分からなくても、凄く大規模な未来を人はよく知りたがるし、科学の進歩のおかげで現代人はそれの大体の未来を知っている。

 それは天気だ。

 新聞やテレビの天気予報だけでなく、今ではネットやスマホのアプリで明日の天気くらい確認できる。

 しかしそれはあくまで予報であって、当然ながら外れることもあるわけだが、このカメラを使えばより正確な天気が分かる。が、しかし、このカメラは明日の天気を知るのにはあまり向いていない。それは撮影時間と逆算の関係もさることながら、例えば旅行などで旅行先の天気を知りたい時、実際に現地に行かないと撮影できないからだ。

 なんにせよ、天気に関してこのカメラは天気予報以上に便利とは言い難く、そして天気予報をあまり見ない俺は今夜の空模様を知らなかった。

 つまり何が言いたいかと云うと、下校しようとしたら雨が降っていたということだ。

 雨が降ると何が起こるか、なんて言い方をすると、風が吹けば桶屋が儲かる、ということわざを思い浮かべてしまうが、そこまで複雑な事態は発生せず、起こることと云えば、せいぜいいつもよりもバスが混むということだ。

 うちの高校の生徒は、千尋や姫ちゃんのようにバス通学の生徒も少なくないが、大半は徒歩か自転車通学だ。徒歩で通う生徒は元々家が近いから雨でも構わず歩いて帰るのだろうが、主に駅から自転車通学する生徒は雨が降るとずぶ濡れで帰るハメになってしまうため、その日は仕方なくバスを使う。結果、バスが混むというわけだ。

 しかし今日は、ただバスが混むだけでなく、道も必要以上に混んでいるようだった。さっきから車の列がほとんど進んでなく、そのせいで次のバスの到着が遅れ、バス停はうちの生徒でひしめき合っていた。

 なにか事故でもあったのかと思い、ツイッターで情報を確認しようとスマホを開くと、ネットに繋がらない。機内モードを数回オンオフするが、繋がらない。

「蒼馬!」

 雨音の中、千尋に呼び掛けられ、振り返った。

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたも、さっき先生が言ったんだけど、今、日本各地で信号機のトラブルや電波障害が発生してて、ここらへんの信号も止まっちゃってるんだって。このまま下校するのは危ないから、歩いて帰れる生徒以外は呼び戻して来いって」

 なに……⁉ 電波障害……。

それってこの前の停電の時と同じ状況じゃないか。

「電波障害ってスマホがネットに繋がらないのもそうなのか?」

「多分そうだと思う。電話は繋がるみたいだから、家の人に連絡しておけって」

 そう言ってる間に、正門から生徒や先生がぞろぞろと出てきて、学校に戻るよう呼び掛け始めた。

「部室に行こう」

 そう言って俺は何も考えず千尋の手を引いた。

「えっ? なに、ちょっ」

彼女は俺に遅れる形で一瞬躓きながら後に続く。呼び戻しに来る人々の流れに逆行しながら俺達は昇降口まで走った。

 校舎に入ったところで千尋の手を握っていたことを再認識し、慌てて手を離す。

「なんで部室?」

 正門からダッシュしたため少し息を切らしながら千尋が尋ねた。

「部室にはリアクターがあるだろ。前回の停電の時もあいつが原因だったんだ。今回も何か知ってるかもしれない」

「でも鍵が……。この時間じゃ事務員さん鍵貸してくれないよ」

「大丈夫。ほら行くよ」

 今度は手を握りこそしなかったものの、手で「ついて来て」と合図して走り出した。


 部室の前まで行くと、俺はドアを手のひらで叩き、

「おーい、リアクター。聞こえてるかー? 俺だ、君をグラウンドから持ってきた藤ヶ谷蒼馬だ。今起こってる電波障害について話を聞きたい。鍵を開けてくれない?」と叫んだ。

 内側からだったらば、鍵がなくても開けられる。リアクターが人型になってくれればいいのだが。

 ガチャッ。

 幸い中で鍵を開ける音がして、ドアが開いた。そこにはこの前会ったリアクターが立っていた。ただしこの前と違うのは、制服がうちの高校のものになっているところだ。

「ありがとう」

 二人で中に入ると、俺は鍵を閉めた。この場に誰かが入ってきたらややっこしいことになるからだ。いや、もしかしたら鍵を閉めた部室に男女がいることのほうが、見つかったらややっこしいことになるか?

 全員が椅子に座ってもリアクターは黙ったままだったので、俺が話を切り出した。

「今、全国規模で電波障害が起きてるらしいんだけど、リアクター、君は何か知ってるか?」

「……」

 彼女は黙っていた。それがバッテリーを温存するためなのか、返答に困っているだけなのか分からなかった。けれどバッテリーのためならここを開けたりするだろうか。

「それが起きていることは知らない。けれど、起きる可能性については知ってる」

 しばしの沈黙の後、リアクターはそう答えた。

「それはどういう意味だ?」

「メモリーが完全復旧していないため、完璧な説明は不可能。それでも、いい?」

 リアクターはじっと座ったをして言った。

「構わないから続けてくれ」

 俺はリアクターのすり抜けるような透明な声をもっとよく聞こうとぐっとテーブルに身を乗り出した。すると、それに習うかのように千尋も俺と肩が少しぶつかるくらい乗り出してきた。

「リアクターが未来から過去に来た時、その時間帯の時空に干渉点を作ってしまい、その干渉点を中心に四次元的な境界線が時空上に引かれる。その時空境界線の継ぎ目がなんらかの事情で離れそうになった時の初期現象として、この時代の文明レベルであれば電波障害が起きる可能性はある」

 口で説明されると何を言ってるんだかよく分からない。だが、要するにリアクターが来たことが原因であることは間違いないようだ。

「この現象を止める方法はあるのか?」

「ない。けれどじき治まる」

 なんだ……。じゃあそこまで慌てる必要は無かったわけか。

「それはどれくらいだ?」

「一、 二時間くらい」

 いつからこの現象が発生しているかによるが、遅くまで学校に残ることにはならなそうだ。

 俺がほっと胸を撫で下ろしていると、千尋がリアクターに尋ねた。

「ねぇ、その継ぎ目がなんとかって話、今は電波障害だけど、この後もっと酷くなる可能性はあるの?」

「ある」

 安心の「あ」と言う間に心をざわつかせる言葉が聞こえてきた。

「どんなことが起きるの?」

「天候が荒れる。災害が起きる。最悪の場合は、真空崩壊が起きるかもしれない」

 聞いたことのない四字熟語が俺の耳に飛び込んできた。千尋が俺に説明を求めるようにこちらを見てきたが、俺は首を横に振った。

「その真空崩壊って何?」

「ポテンシャルの極小値に停留しているにすぎない、準安定状態で基底状態に至っていない真空が何らかのきっかけでよりエネルギーの少ない真空へと移行すること」

「ちょっと何言ってるか分からない」

 すかさず俺がツッコミを入れる。

 しかしリアクターはそれに答えることなく、光を放って元の正八面体に戻ってしまった。最後の質問に答えないのはバッテリーの問題などではなく、わざとやっているに違いない。やっぱり過去の文明人と馬鹿にしているのだろうか。ご先祖様は敬えと未来では教えてないのかもしれない。

 ただ少なくとも今のところは慌ててどうこうする必要がないことも分かった。このままじっと待っていれば、この電波障害も終わるのだから。

 けれど、その先が問題だ。真空崩壊という、なんだか末恐ろしい現象が起きるかもしれないわけで、それは回避できるのか、起きたらどうなるのかが分からないのだから。

 リアクターは俺達にカメラを与えてくれたが、どうやらそれ以上に面倒なことを未来から持ち込んでしまったらしい。世間一般面倒事というのは過去の禍根から生じるものなはずなのだが。

 リアクターが正八面体に戻って、もう部室に居る特段の理由が無くなったても、お互い教室に戻ろうとはなかなか言い出さなかった。夏と云えど、もう八時前なので部室内はすっかり暗くなっていたが、電気は誰かに見つかる可能性があるためつけられず、俺達は雨音の響く暗い部屋に二人きりとなった。

 千尋はなにも喋らず、ただ窓に当たる雨粒を見つめているようだった。月明かりがほんのり頬に反射しているのが、このあいだの花火大会を連想される。

「競馬」

 しばらく経った頃、闇の中を照らす一筋の光のような言葉が聞こえた。続けて千尋が言う。

「競馬、どうだったの?」

「あぁ……この前のか。けっこう撮影に苦労したけど、うまくいったよ」

「儲かったの?」

「うん。四万円くらい」

「そっか……。良かったね」

 千尋は良いとも悪いとも思っていないような声でそう言った。

 それからまた沈黙が始まる。

 俺は一昨日の似たような状況のことを思い出していた。あの時は姫ちゃんに、千尋が好きなら想いを伝えろとアドバイスされた。そしてその千尋は今目の前にいる。ならばやることは一つだろう。

 無意識に見つめてしまっていたのか、千尋がふと気付いたようにこっちを向いて「なに?」と言った。

「……いや、別に」

 やっぱり無理だ。

 告白という行いは俺の脳みそと相性が悪い。千尋がどんな返事をするかも分からないのに、好きだと伝えるなんて俺にはできない。もし失敗したら今後どういうふうに彼女と接したらいいか分からない。

 思えば千尋とは三年来の付き合いで、部活で一緒になった時から気になっていた。けれど好きだと意識してしまうと、どうしても告白や付き合うということが頭に浮かんでしまうので、なるべくそうなるのを避けてきたのだ。

 けれど、花火大会に一緒に行き、人から指摘され、もう気付かない振りをしているのが難しかった。

 どうすればいい……。

 俺は膝の上で拳をぎゅっと握った。

 落ち着け、そして考えろ。姫ちゃんの言葉を思い出せ。

 カメラがあっても撮らないと未来は見えない。恋愛も同じ。言わないと伝わらないし、分からない。

 当たり前のことだ。宝くじは買わなきゃ当たらないのと同じだ。

 カメラで撮らないと未来は見えない。それは裏を返せば、カメラで撮れば未来が見えるということ。それはもう分かっている。ここ数日で何度もやってきたのだから。

 それと恋愛は同じだという。ということは、告白の答えも撮れば分かるということ……。告白の恐怖の源は分からないということだ。けれどそれをカメラで事前に知っておけば、事後対応も視野に入れた告白ができる。

 そういうことか。

「なあ、千尋」

 俺は彼女に勇気を持って声を掛けた。

「明日、この部室に三時に来てくれ」

「へ?」

 千尋は間の抜けた可愛い声を出した。

「話したいことがある」

 俺がそう言った瞬間、二人のケータイの通知音が鳴った。気まずい空気が流れ、俺も千尋も口を開かないので、お互い自分のケータイを開いた。

 来ていたのは学校からの緊急メールで、信号機のトラブルにより下校時刻が遅れていることを連絡するものだった。メールが届くということは、少なくとも電波障害の方は回復し始めたらしい。

「話したいことって?」

 気まずさを紛らわすようにツイッターを開いていると、千尋が言った。

「そ、それは……、まあ、明日来たら話すよ」

「そう……」

 千尋は大きな瞳で俺に何かを訴えるかのような表情をしていた。そこには期待や不安が見えた気がした。

 それから五分ほどして、下校を始める生徒達の声が聞こえてきたので、俺達はリアクターに鍵を閉めるよう告げると、部室を後にした。

 このまま千尋と二人でバスで帰るのが少し居心地悪いなと思っていたのだが、外に出るとさっきまで降っていた雨がいつの間にか止んでいて、地面に水溜りがなければあれが幻だと言われても信じてしまいそうだった。

 自転車で帰る道すがら、スマホでさっきのトラブルについて調べてみたが、案の定この前の停電の時と同様原因は不明らしい。さすがにこう立て続けに停電やら電波障害が起これば陰謀論も真実味を帯びてくるが、残念ながら米軍の超兵器でもなければ、宇宙人の侵略でもない。ただ新宿に落ちたリアクターという物体のせいなのだ。

 いや、あれがもしかしたら宇宙人の可能性もあるわけで、そう考えると宇宙戦争に突入すると主張する人々のことを笑うわけにもいかないのかもしれない。

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