第8話 8月7日
次の日は、特に部の活動を予定していたわけでなかったが、俺はなんとなく部室に行った。学校に行っておけば、勉強したしてないに関わらず、なんとなく罪悪感を抱かずにいられるからだろうか。
十一時前に部室を開け、そこでなんとなくカメラを回したりしながら、ホワイトボードにそれらしい考察なんかを書いていると、ガラッとドアの開く音がした。
振り返ると、姫ちゃんが一人で立っていた。
「あ、蒼馬くん。おはよう」
「もう昼の十二時だよ」
「あ、そっか。じゃあ、こんにちは」
姫ちゃんは満面のスマイルでそう言った。
「姫ちゃんが一人で部室に来るなんて珍しいね。それに今日は特に活動も無いのに」
「ん~、そうなんだけどね、昨日ちーちゃんにリアクターを渡されちゃって、それをここに置きに来ようと思って」
「え、なに、リアクターって千尋が持って返ったんじゃないの?」
「うん、途中まではそうだったんだけど、なんか家に持ち帰るの気味悪いって言うから、結局私が……」
まったくなんて奴なんだか。自分から言い出しておいて、やっぱり嫌になったなんて。そんなワガママが言えるのは女子であってもせいぜい中学生までと相場が決まっているだろう。
「そんな時は突き返しちゃえばいいんだよ。お前が言い出したんだからお前が持って帰れって」
「言えないよ~。それにちーちゃん怖がってるのに、そんなこと言ったら可哀想だよ」
彼女はどこまでお人好しなのだろうか。でも、人の為に自分を犠牲にしすぎるのは良くないということもぜひ学んで欲しい。
「それに、私リアクターちゃんともっと話したかったし」
「そっか。それで、話せたの?」
「ううん。昨日の夜は出てきてくれなかった。バッテリーが勿体無いからかな」
「まあ、そうかもね。俺もどんな仕組みになってるか分からないけどさ」
「でもね、家に置いておいて、ママにリアクターちゃんが人間に変身するところ見られちゃったら大変でしょ。だから部室に置いておこうと思って」
そう言いながら、彼女はバッグからリアクターを取り出して、机に置いた。
「なるほど。確かにタイムカメラ(仮)と違って、目立ちやすいものだしな。部室で保管するほうが安全かもしれない」
「よかった」
姫ちゃんはほっと胸を撫で下ろした。
「それで……、この後姫ちゃんはどうするの?」
「うーん、特には決めてないけど、少し学校で自習していこうかなと思ってる。ほら、明後日模試でしょ」
「あーそうだったっけ。すっかり忘れてた」
「だめだよ~。夏休み中も模試があるから忘れるなって先生も言ってたでしょ」
「そういえばそうだったかも」
「蒼馬くんはこの後どうするの?」
「んー、俺も特には。今日も用があって部室来たわけでもないし」
「そうなんだ」
ここまで話して、会話が途切れた。姫ちゃんとは仲が良くないわけではないが、雰囲気がふんわりし過ぎていて、どんな話を振ればいいのかいつも悩んでしまうのだ。
俺はリアクターで手遊びしながら、顔に笑みを浮かべ、間を埋めようとした。姫ちゃんも、自習室行くとか言えばなんなく立ち去れるはずなのに、なぜか俺と窓を交互にチラチラ見ながら、バツの悪そうな顔をしている。
「あ、あのさ、ちょっと聞くんだけど……」
唐突に姫ちゃんが口を開いた。
「花火大会の日って、ちーちゃんとどうだったのかな?」
いきなり振ってきた話題がそれだとは思わなかった。そして、聞くということはやはりあれは諒太と姫ちゃんの計らいだったのだろう。
でも、どうだったとは、どういう意味だろうか。
「どうだったって、まあ普通に一緒に花火を見に行ったよ」
「それで?」
食い気味に姫ちゃんが聞いてくる。
「えーと、千尋がりんご飴食べたいっていうから、買ってあげたり」
「それでそれで?」
「道路に座って、花火を見た?」
「それでそれでそれで?」
「見終わった後、帰った」
「……そっか」
姫ちゃんはがっかりした様子で俯いた。おそらく諒太と同様、俺と千尋の間に何かあったのか気になっていたのだろう。ここ数日の俺達の様子に特に変わりがないため、痺れを切らして直接聞いてきたというわけだ。
「蒼馬くんは、ちーちゃんのことが好きだと思ってたんだけどな……」
別に何かを飲んでたわけでもないのに、思わず吹き出しそうなった。
これまた突然に、ものすごいセリフをこの娘はぶっ込んでくるものだ。
「いや、もちろん好きではあるだろ。同じ部活で友達なんだし」
一応ここは、鈍感な振りをしてスルーしておくとしよう。
「そういう意味じゃないよ。ラブの意味で好きってことだよ」
今日の姫ちゃんは一味違うらしい。いつもなら「えへへ、そっか。そうだよね」と言って流すようなところなのに、ズバリ質問の意図まで丁寧に説明されてしまった。
「え、えーと……、それはさ、まあいろいろっていうか」
「いろいろの意味が分からないよ」
姫ちゃんは少しムスッとした顔でそう言った。
なぜそこまでムキになるのだろうか。仮に俺が千尋のことが好きだとして、それが姫ちゃんにとってどういう利益があるのだろう。いや、利益云々は関係ないのか?
「蒼馬くん……」
「なに?」
「あのさ、そのカメラがあっても、撮らないと未来は見えないよね」
「そうだね」
「恋愛も一緒だよ。言わないと伝わらないし、分からないよ」
姫ちゃんの目はいつになく真っ直ぐ俺を見つめていた。綿でも鉄でも、同じ1キロであれば同じ重さなのだと気付く。
「それだけ。じゃあ私もう行くね。自習室空いてるかな~」
さっきまでの雰囲気とは打って変わって、いつものふんわりした姫ちゃんに戻り、荷物をまとめて彼女は立ち上がった。
「じゃあ、蒼馬くん、またね~」
姫ちゃんは手を振って、部室を出ていった。俺は、彼女が閉めていったドアに遅れながら手を振る。
彼女はこれを言うためにわざわざ来たのか? それじゃあ千尋にリアクターを預けられたっていうのも嘘か?
リアクターの表面に映る自分の顔を眺めながら小さく呟いた。
「やっぱり俺、千尋のことが好きなのかな」
けれどその問いに呼応したのは、ただセミの鳴き声だけだった。
結局その後、俺は自習室に寄ることなく、途中のコンビニでアイスを買って、それをかじりつつ一時前に家に帰った。
俺の両親は共働きで、夏休みで呑気な俺とは違い、いつも通り働いている。なので、夏休み中の昼ごはんは、自分で作るか、母さんが作っておいたくれたものがあればそれを食べるかだ。
今日はタイミング良く焼きそばが作ってあったので、それを食べることをした。
焼きそばをチンしている間、テレビをつけると甲子園がやっていた。もはや夏の風物詩となった甲子園は、見てる見てないに限らず、リビングにその音が流れているだけで、安心する何かがある。
試合は三回裏、1‐1だった。チンッと音がしたので、焼きそばを取りに行き、それを持ってきてテレビを見ながら食べる。
しばらく見ていると、ふと気付いた。そうか、これもカメラを通せば、結果が分かるのか。スポーツの結果だけ知って何が楽しいのかとも思うが、誰よりも先に未来を知っているという優越感は、得も言われぬ快感がある。
午後一時から始まって、野球は大体二時間くらいだから、今からだと二十分弱回せばいいくらいか。そう考えると、リュックからカメラを出し、テーブルに置いてスイッチを入れた。
ちょうどテレビの画面一杯が映るように、本を積み重ねたりして位置を調節し、ちょうどのところを見つけると録画を開始した。
あとはこのまま十数分待てばいい。
俺は贅沢なカップラーメンを待つ気持ちになりながら、焼きそばを啜った。
十八分くらいが経ったところで、カメラを止め、中身を確認することにした。野球のように終わる時間がはっきりしていないものはあまりこのカメラに向かない種類ではあるが、ものは試しである。
撮ったばかりの動画ファイルを再生すると、画面が真っ暗になった。一瞬読み込みエラーか撮影ミスかと思ったが、画面の中央に薄っすらビデオカメラの姿が写り込んでいるのを見つけて、これがテレビ画面の反射だということが分かった。
あぁ……俺はバカだ。この前千尋に偉そうに説明しておいて、自分でそれに引っかかるとは。テレビのようについているかいないかはっきりしないものを撮影すると、こんなふうに残念な結果に終わることがあるのだ。
真っ黒な液晶の映る俺の失敗の結晶を見ながら、自分の愚かさを恥じた。
こんなのが諒太とかに見つかると確実に馬鹿にされるので、慌てて削除する。
まったく……、テレビなどは確実についていると思われる夕食の時間帯とか、親が見る深夜の時間帯を狙わないとダメだな。そう思った時、しかしまたしても俺の頭に一つの考えが浮かんだ。
もし、未来を事前に決めておいたらどうなるのだろう、と。
決まっている結末を無理やり変えようとすると、過程の段階で何が起こるか分からないという危険があった。けれど、最初からそうしようと思っていて、それの未来を見るとどうなるのだろう。
例えば、六時ぴったりにテレビをつけると自分に決めておいて、六時の未来を撮影する。
映っていれば実行できたということだし、映っていなければ実行できなかったということだ。どちらにしても危険性はないはず。
それに、これを使えば見れる未来の幅も拡がるんじゃないか。この思いつきは天啓のように感じられた。
仮にこれを未来の予約と呼ぶとして、そうと決まれば早速実験開始だ。
一度テレビを消し、十分後にテレビをつけるという予約を未来の自分にして、二分間タイムカメラを回す。撮影している間、何度も自分に十分後にテレビをつけると言い聞かしながら。
二分が経ち、撮れたものを見ると……テレビがついていた!
よしっ! 成功だ。とすると、この方法は有効活用できるかもしれない。映すのが難しい未来も、自分や他人に行動を予約しておけば映せるのだから。
例えば、宝くじの当選番号についても、何日の何時にどこで当選番号を見るかを自分に予約しておけば、撮影することができる。もちろんそれを実行できなかった場合は映っていないが、映るまで事前に何度も試行することができるのもこの撮影方法の利点だろう。
さっそく宝くじで試したいところだが、これを使うと非常に簡単に高額当選を果たすことができるので、実行する場合には諒太に一言アドバイスをもらっておいたほうがいいかもしれない。
そう思って諒太にLINEを送ろうとしたところで、俺はふと手を止めた。以前に諒太が言っていたことを思い出したのだ。
未来が分かることが必ずしも僕達を幸せにするとは限らない。
この方法で宝くじを当てて大金を手にしたことで、俺達は幸せになれるのだろうか。そりゃあ、お金はあったほうが絶対いい。けれど、今すぐ必要なものではないかもしれない。
このカメラの能力がいつまで使えるのかは分からないけど、お金を稼ぐことが今やることだとは思えなかった。なんだかもっと、俺達に合った使い方があるのではないか。
もしこの俺らの姿をタイムカメラ(仮)で撮影できていたら、どんな未来を歩んでいたのだろうか。そして、それが最適解なのだろうか。
せっかく未来が見えるようになったというのに、未来が見えるようになった未来について頭を悩ますなんて、結局未来による呪縛から人間は逃れられないのかもしれない。
その日は父さんの帰りが遅く、母さんと二人での夕飯だった。高三の夏休みともなれば、話題はやはり受験のことが多くなり、志望する大学には行けそうなの、明後日の模試は重要なんでしょ、などと聞いてくる。
正直なことを言えば、このカメラを手にした今、ものすごく勉強して難しい研究をしている学者よりも凄い人に俺はなっているわけだが、そんな話をしても母さんは信じないだろうし、証拠を見せれば信じさせられるが、なにより他言無用というルールを設けたのは俺自身だ。
それに競馬や宝くじを延々と繰り返していれば、基本的にお金が足りなくなることはないはずで、もはや大学受験や就職といった将来への悩みからは開放された身なのだが、そんなことを言っても仕方がないというものだ。お金があるなら就職はしなくてもいいかもしれないが、大学は行って損することはないのだから。
予備校に通いたいならそう言ってね、ということでこの話は終わった。大体いつもそうだ。母さんとして夏休みになってもまともに勉強している様子のない息子が心配なのだろう。
せめて明後日の模試は、勉強していつもより良い成績を収めるとするか。
競馬や宝くじで儲けたお金を渡すよりも、こっちのほうが母さんは喜んでくれそうだった。
模試というのは模擬試験の略で、その名の通り、試験を模したテストのことだ。一般に模試と云えばセンター試験の模擬テストのことを指すが、その他にも特定の大学の試験を模した、例えば東大模試などがあったりする。
明後日八月九日に行われる模試は一般的なセンター試験の模擬試験で、ほぼ丸一日を掛けて行われる上、夏休み中だというのに学校へ強制登校させられるため、生徒によっては親の敵のように恨んでいる奴もいるだろう。
俺も貴重な夏休みの一日を模試なんかで潰されることには納得していない。確かにうちの高校は進学校に属するらしいが、あんなものは希望者だけでやっていればいいのだ。
そんな反発もあってか、模試に対する勉強を今日まで全くやってきていなかったのだが、母さんがあまりに心配しているようなので、俺は今、仕方なしに数学を勉強していた。
と云うのも、城南高校では二年生になる時に理系か文系かのコース選択をし、特に理由がなければ三年生でもそのコースが継続されるのだが、俺は理系コースを選択したため数学は授業でも受験でも重要な科目であり、しかしその重要さとは反比例するように俺は数学が苦手だからだ。
模試の日程としては、朝の九時から英語がスタートをし、次に国語、お昼休みを挟んだ後は数学で、その後理科、社会で終了だ。全てのテストが終わるのは夜の七時近くで、模試の日だけは夏休み中だが五時下校ではなく、いつも通り八時まで学校に残っていることができる。
できるだけであって、一日中テストを受けた後にさらに学校に残ろうなんて奴はいないだろうと思うかもしれないが、それが案外いる。
それは、模試の答え合わせをするからだ。最後の教科のテストが終わった後、先生が今日の模試の解答を配る。模試の結果が出るのは二、三ヶ月後になるため、終わってすぐに自己採点ができるようにだ。もちろん家でやってもいいのだが、友達と当たった外れたを言い合いながらやるのは少し楽しいもので、かなりの生徒が学校に残り答え合わせをしていく。
そのため結局学校を出るのは八時となり、朝八時半に登校してから半日以上に渡ってテストを受けるのが模試というものだ。
考えるだけで憂鬱になってきたので、一度シャーペンを置き、景気づけにサイダーを一口飲むと、その炭酸で脳が刺激されたおかげなのが、この模試を乗り切る名案を思いついてしまった。
計画に誤りがないか頭の中で確認し、問題が無いと分かると、俺の顔はつい緩んだ。俺は今、世界征服目前の悪の組織のボスのような顔になっているに違いない。もしこの方法が上手くいけば、もしかしたら本番の受験でも使えるかもしれないのだから。
こうなるともう勉強なんか手につくはずもなく、俺はノートを閉じ、その名案の実行のための準備を開始した――
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