第7話 8月6日 ③
新宿駅に向かう電車の中で、競馬について少し調べた。
それによると、日本の競馬には中央競馬と地方競馬の大きく分けて二種類があるらしい。俺が馬券を買える場所として知っていた新宿のウインズは、中央競馬の場外馬券場ということだった。
競馬は主に土日で行われ、今日がちょうど土曜日だったことは幸運だった。中央競馬場は全国に十箇所あり、時期ごとに違う競馬場で競馬が行われる。8月のこの時期は、札幌、新潟、小倉の三箇所で行われているらしい。
馬券はレース開始の二分前に発売が締め切られることも分かり、カメラを回す際はその時間とレース時間、そしてレース終了後から結果が発表されるまでの時間を考慮しなくてはならないだろう。
馬券にもいろいろ種類があるらしく、単純に一番になると思う馬を一頭当てる単勝や、選んだ馬が三着までに入ればいい複勝、一着二着の枠番号の組み合わせを当てる枠連など、いろいろ種類があることが分かったが、当たった時の倍率が基本的に一番大きくなりやすいのは、一番当てにくい三連単だ。一着二着三着になると思う馬を順番通りに当てるといいう、3360分の1の確率の馬券だ。
どうせ俺達は、結果を知ってから馬券を買うのだから、せっかくならこの三連単を当てにいきたい。調べたところ、一枚百円の馬券が、百万円や一千万、場合によっては一億円になることもあるらしい。
調べれば調べるほど、スマホを覗き込む顔がニヤけていくのが自分でも分かった。
あとは無事、結果をカメラに映せるかだけだ。
新宿駅の東南口で諒太と落ち合うと、俺はまっさきに言った。
「大人っぽい服装って言ったって、夏に革ジャンはないだろ」
「これしかなかったんですよ」
大人っぽいの意味をどこか勘違いしているようだが、今更着替えさせるわけにもいかないので、まあいいよと笑っておいた。
駅の階段を下り、ウインズ新宿へと向かう。高架下をくぐり、少し進んだところを左に曲がって細い路地に入ると、JRAのマークの入った白っぽい建物が見えてきた。
あれだ。
俺と諒太は特にこれといった会話もせずに、黙々と足を運んだ。さながら、完璧な攻略手段を持ってラスベガスに乗り込むハリウッド映画の主人公のようだ。
しかし残念ながら、俺達の姿はスーツにサングラスではなく、無難なシャツに、かたやマヌケな革ジャンなのだが。
エスカレーターに乗り、二階に上がると、そこはもう馬券場だった。しかし二階の販売場は千円以上からしか馬券が変えないらしく、いくら未来が見えるとは云え、お金のない高校生の俺らは百円から購入できる三階フロアへと上がった。
上がってみるとすぐに、その場の雰囲気に驚いた。いるのはほぼオッサンか爺さん。二、三組カップルらしき姿が見えるが、女性といえば受付の人とそのカップルの彼女達くらいだった。
向かって右手には受付があり、左手には馬券の自動販売所と払戻所があった。フロアの中央には十台のモニターが天井から吊り下がっていて、そこには各競馬場のレース情報が映されている。奥の方にも五台ほどモニターがあり、そこにも何かが映し出されているようだった。
ドラマなんかでよく見る、競馬新聞を片手に何やら書き込んでいる人や、これまた競馬新聞を持ち鉛筆を耳に掛け、じっとモニターを見る人などがたくさんいた。エレベーターを上がってすぐの場所やフロアの奥の方は、馬券の購入をするために書くマークカードの記入場所らしく、自分の予想を他人に見られないよう腕や新聞で手元を隠す人達がいた。
これが馬券場か……。
さすがに漫画みたいに有り金全てを賭けている人などはいないだろうが、例え少額でも金の絡んだゲームには独特の雰囲気がある。
まずはレースの段取りを把握するため、俺達はフロアの中央に行き、真上のモニターを見上げた。
札幌競馬場の第六レースが締め切り一分前と表示されている。ということは、今から約三分後にはレースが始まるということだ。レースが大体どれくらいで終わるか、そして終了後何分くらいで結果が表示されるかを調べる必要がある。
「諒太、この札幌の第六レースの販売が終了してから何分後に馬が走り出すかを測ってくれ。俺はレースの時間を測る。その後、レースが終わってから何分後に着順が表示されるかの計測も頼む」
「分かりました」
まだ馬券も買っていないのに、周りの大人たちと同じように真剣な眼差しでモニターを見つめる。
タイムカメラ(仮)は、驚くべき機能を持ち合わせているが、扱いが難しい。好きな時の未来を自由に撮影できるわけではなく、撮影時間の五倍後というややこしい制約が付いているからだ。
そのため、欲しい時間帯の未来を手に入れるためには逆算をしなければならない。正確な時間が分かっていれば比較的容易だが、それすらも分からず、また、他のモニターを見たところ着順の発表が長く表示されている様子がない。レース終了後に競馬場の電光掲示板で着順が発表されるが、文字が点滅している間は仮の結果らしく、左上に確定の文字が出て初めて正式な結果となるらしい。
となれば、同じ一瞬であれば、このモニターに着順が正式に発表される瞬間を押さえるほうが確実だ。
横に並んだ十台のモニターのうち、何台かの映像が切り替わり、馬がゲートに入る様子が映し出された。いよいよスタートだ。
運動会のようなよーいドンみたいな合図は無く、ゲートが開く。十何頭の馬が一斉に駆け出す。俺はスマホのストップウィッチのボタンを押した。
「うん、やっぱりほとんど二分ですね」と諒太が報告する。
たくさんの人が想いを掛け、金を賭けた馬が、芝の上を駆けている。なんてことを考えながら、レースの行方を見守った。
馬たちが最初のカーブを曲がったところで、諒太が言った。
「ちなみに蒼馬さんは何番の馬が勝つと思います?」
「え? 特に決めてなかったけど、そうだな……、二番目くらいにオッズが低かった12番かな」
「僕はオッズはあまり低くなかった8番を推しますね」
オッズとはその馬が勝った場合の予想配当率のことで、仮にオッズが2の馬が勝った場合、一枚百円で買った馬券が一枚二百円で払い戻されることになる。人気の高い馬はオッズが低くなり、当たった時の旨味は減るが、それだけ固いということ。逆にオッズの高い馬は、人気は無いが当たればデカいということだ。オッズは一種類ではなく複数あり、三連単が当たると高額払戻になるのも、このオッズが高いからだ。
馬たちが一周を走り終え、最後の直線に入る。言ってしまった手前、自然と12番が気になる。馬が重なりあっていて分からなかったが、よく見るとなんと12番の馬が先頭の方にいるではないか。諒太の言った8番を見てみると、12番よりもさらに後ろにいる。
まだ馬券も買っていないが、息を止めて12番を応援した。しかし、後ろから1番と2番の馬が追い上げてきて――
結局ゴールは、1番の馬が最初に駆け抜け、それと同時に俺はストップウォッチを止める。そこで初めて気付いたのだが、画面の左上にタイムが表示されているではないか。
タイムは二分二秒だった。
「まあ……当たらないわな」
「そりゃオッズだけを見てたらこうなりますよ。当てようとする人はいろんな情報を集めてるんでしょうね」
「レース自体の時間は二分とちょっとだった」
「あとは結果発表までの時間ですね」
三十秒ほど待っていると、奥の方のモニターに人が集まっているのが分かった。人の隙間からあちらを覗くと、画面になにやら数字と金額のようなものが表示されているのが分かった。
「おい、諒太、向こうのモニターではもう出てるぞ」
「え、でもこっちではまだ……」
「もしかして、全部のモニターで一斉に表示されるわけではないのか……?」
さらに一分ほど待ったところで俺らが見上げていた隣のモニターに先程の札幌第六レースの結果と払戻額が表示された。
「あぁ、なるほど」
諒太がそう言って、ぽんと手を打ったので、なにが分かったのか聞いてみた。
「考えてみれば当然のことですよ。これだけモニターがあるんですから、何台かに映せば事足りる。僕達みたいに一台のモニターに固執している必要なんてないんですから」
言われてみれば確かにそうだった。自分の立っている場所から複数台のモニターが確認できるわけだし、そのレースの馬券を買ってない人もたくさんいるのだから、そんなにたくさん映す必要がない。
となれば、せっかく時間を逆算してカメラを回しても、結果が表示されないモニターの可能性もあるってことか……。
「これはさらにややっこしくなってきましたね」
諒太はそう言いながら、その顔には高揚感が滲み出ていた。
そうだ。何事も簡単では面白くない。不測の事態に臨機応変に対処していきながら最適解を見つけていくのが楽しいのだ。
「だが、それでいい」
俺は声を低めてそう言った。
だがしかし、さらに撮影が困難になったのは事実だった。馬券の締切時刻から二分と、レース時間の二分、それに着順発表までの約一分を計算に入れながら、さらに結果が映るモニターを引かなくてはならない。
俺達にとって競馬は馬を当てるゲームではなく、モニターを当てるゲームとなっていた。
「二、三台のモニターを一気に撮影しておけばいいんじゃないですか?」
諒太がそう言ったので、試しに二台のモニターが映るようなアングルになるよう場所に移動してみる。
二台を映せるくらい離れても数字は確認できそうだったので、とりあえず撮影するモニターは二台にすることにした。
次は計算だ。まずは買うレースを決めなくてはならない。ホームベージで確認したところ、ほとんどのレースが十分刻みで行われていることが分かった。
「小倉第六レースはもうすぐ締切られるので、次の十三時からの新潟第六レースを買うことになりますね」
「そうだな。とりあえず数を試してみないことにはどうにもならないし」
「新潟第六は今が締切八分前なので、結果がモニターに出るまでは、今からだと約十三分後ということになりますね」
「計算は任せた」
「はいはい。撮った時間が長いほど、撮れてる可能性は高いので、できるだけ長くカメラを回したいところですが、その分どんどん先の未来になってしまうので、今からだったら二分間回すのが限界ですね」
そう言いながらカメラを構え、目の前のモニター二台を画面一杯に収める。
「僕達、怪しまれてないですかね?」
夏に革ジャンの時点で不審がられてはいると思うし、結果が出てるわけでもないのにモニターを撮影する俺達を周りの大人達は不思議に思っているだろうが、少なくともフロアの端にいる警備員に声を掛けられるほどではないようだ。
「多分大丈夫。いいから諒太はカメラを回してくれ」
締切六分前になったところで諒太が録画開始のボタンを押した。
「蒼馬さん、映ってた場合に備えてマークシートを一枚持ってきておいてください」
そう言われ、奥の方の記入場所へマークシートを取りに行く。赤、青、緑の三種類のマークシートがあったのだが、壁に張られた説明を読み、緑のマークシートが普通のだということが分かったので、それを一枚持ってくる。
「これでもし映ってたら、俺達大金持ちだぞ!」
マークシートを握りしめながら俺はテンションが上がっていたのだが、諒太は至って冷静だった。
「いや、大金持ちは無理だと思いますよ。さっきの札幌第六レースの三連単の払戻金見ました? 6900円ですよ? まあ仮に十枚買ったとしても六万九千円。僕達高校生にとっては大金ですが、大金持ちってほどじゃあ……」
「それでも、それをずっと続けていけば一生遊んで暮らしていけるだろ?」
「まあそれはそうですけど、今すぐにそれは無理ですよ。あまりに当て続ければ怪しまれて僕達の年がバレますし、カメラの存在にだって気付かれます。万が一カメラの能力がバレたりしたら、全額返金しなきゃいけなくなるかもしれませんし、世界中が大混乱ですよ」
と諒太は声を潜めて言った。
「そうなりそうになったら、このタイムカメラ(仮)で未来を見といて、回避すればって……あ、そっか……これはそういうのができるやつじゃないのか」
「見えた時点で確定事項ですからね。それよりなんですか? タイムカメラ(仮)って」
「だってほら、このカメラ正式な名前がないだろ。だからそれが決まるまでの名前ってことで」
「どうせアニメの影響でしょ」
諒太はピシャリと言い放った。と同時にカメラの録画を終了させた。諒太が俺をチラッと見てくる。俺は目で、「再生してくれ」と合図する。
まず映ったのは別のレースの情報だった。それぞれの馬の単勝オッズや複勝オッズ、性別や年齢、騎手の名前などなど。よくモニターに表示されているやつだ。その映像がしばらく続き、途中映像が別の競馬場のパドックの様子などに切り替わったが着順が表示される様子がない。
そのまま結果が映ることは無く、二分間の映像は終わってしまった。
「映ってないか……」
気を落としてそう言った。
「残念ですね……。時間の計算を間違ったでしょうか?」
「いや、それは大丈夫だと思う。きっと別のモニターに表示されてたか、結果表示が遅れる事態か何かがあったんだよ」
「なんにせよ、十分後には分かりますね」
実際は十分待たずして、レース終了後すぐにカメラに映らなかった理由が分かった。なんでも、最後の直線コースで走行妨害があったとかで、着順確定までに裁決の時間が挟まったからだった。
「たまたまそういうレースを引いてしまうなんて、運がないですね」
諒太は苦笑いしながらそう言った。
「でも一回で諦めるわけにはいきませんから。次行きましょう」
次に撮影することにしたのは、札幌第七レースだった。十三時十分発走のため、締切まであと三分となっていたので、一分ちょっとだけ撮影することにした。
結果はさっき以上に残念な結果になった。撮れたのは、馬たちが最後の直線に入ったシーンで、映像としては盛り上がる場面で面白かったが、俺達としては面白くないものだった。というのも、ホームページをよく確認したところ、札幌の第七レースは2400メートルのレースで、これまで見てきたレースが2000メートルのものだったため、レース時間が三十秒ほど違ったのだった。競馬の距離は全部同じだと思っていた、知識不足が招いた失敗だった。
撮影はうまくいかないし、馬と数字しかない空間に多くの人々と篭っているのも辛くなってきたので、俺達は一旦お昼を買いに外へ出ることにした。
二度の失敗から学んだことはいくつかある。まずは時間に余裕を持って、できるだけ長い時間撮ること。そして、レースの距離も計算に入れること。
レースと次のレースの間は十分しかないため、これもあれもと欲張ると、どうしても逆算が雑になってしまう。その日のレースの馬券は発走の何十分前でも買えるので、締切まで時間のないレースを焦って撮ることはないのだ。
コンビニでおにぎりと菓子パンを買い、諒太はサンドウィッチとからあげを買って、二人でウインズの前で食べた。お互い何かを考えながら一言も話さず食べ続けたので、さながら張り込み中の刑事のようだった。
食事を終え、再度ウインズへと戻ると、札幌第八レースの締切五分前といったところだった。とりあえずこれは見送ることにし、俺達は十四時発走の新潟第八レースに的を絞った。
「新潟第八は1600メートルのレースですから、これまでのよりもレース時間が短くなりますね」
「具体的に何分になるかとか分かるか?」
「ネットで調べたところ、競走馬は200メートルを十二秒で走るのが目安らしいですから、それを元にすれば一分半ちょっとということになりますね」
「とすれば、レースが十四時からで、結果が出るのはそこから二、三分後ってかんじか」
「今が十三時四十分ですから、四分間は回せます」
「あとはモニター選びの運に賭けるしかないか」
さっきまで撮っていたモニターと別のモニターにして後悔するのが嫌だったので、カメラで撮るモニターは変えないことにした。
十三時四十一分頃からカメラを回し始め、途中周りのおじさん達にいぶかしそうな表情で見られながらも、なんとか四分間を撮り終えた。
「映ってるといいですけどね……」
諒太が祈るように言った。
「再生を頼む」
諒太がビデオカメラの再生ボタンを押すと、カメラの液晶にモニターが映し出された。まず撮れていたのは。いつもの競馬情報だった。その後一分ほど流すと、別の競馬場の情報に切り替わり、さらに一分ほど経つとその競馬場のパドックの様子が映し出された。それがそのまま続き、映像は終わった。
「またですね……」
「モニター運に恵まれなかったか……」
「考えてみれば、モニターは十台あって、そのうちの数台が切り替わるだけですから、競馬より勝率はいいにしても、難しいですよ」
「あ~当てたいなぁー。もういっそのこと馬券全部買って、当てるだけ当てるか」
「それじゃあただ損するだけですよ……」諒太は冷静にツッコミを入れた。
だが次の瞬間、
「あっ、蒼馬さん、それですよ!」
諒太は突然飛びつくように叫んだ。
「全部買っちゃえばいいんですよ」
「いや、お前バカだろ。自分でも言ってたじゃん、ただ損するだけって。それに俺達別に競馬を楽しみにきたわけじゃ……」
「違いますよ。馬じゃなくて、モニターを全部映しちゃえばいいんですよ」
「はぁ? そんなことしたって、モニターの数字が見えなきゃ意味ないだろ」
「フロアのモニター全部を映して、それを見て結果が映されるモニターを特定する。その後にそのモニターを映せばいいんですよ。そうすれば時間の逆算もさらに精度が上がって、ほぼ確実に映せます」
「なるほど! お前賢いな!」
「初めからこの方法に気付ければもっと良かったんですけどね」
諒太はそう言って、苦笑いをした。
俺達は早速次なるターゲットを決めることにした。今回は今までと違い、モニターの未来と馬の未来の二つを撮影しなくてはならないため、より時間の余裕が必要となる。
そのため、次の的となるレースは、十四時三十五分発走の新潟第九レースに決まった。
「十四時から七分間カメラを回せば、レース開始から七分間の映像が撮れます。これだけ撮ればほぼ確実に着順はどこかのモニターに表示されるはずです。僕たちは撮れた映像を確認して、すぐに結果の映るモニターを撮影して、着順を手に入れる……。完璧ですね」
「これで本当に大金持ちだな」
「そうなるといいですけどね」
このフロアにある全てのモニターの画面が映る位置を探したところ、エレベーターの近く辺りからだとちょうど全てのモニターがカメラに収まることを発見した。受付のお姉さんが、馬券も買わずにひたすらにビデオカメラを回す俺達をさきほどから不思議そうにチラチラと見てきているのに気付いたが、構わないことにした。
きっかり十四時から諒太がカメラを回し始めた。エレベーター近くなので、上ってくる人や下りていく人の邪魔にならないよう、しかし画面からモニターが一台でも見切れないよう注意して、時折場所を移動しながら撮影を続けた。途中諒太が手が疲れたというので、俺が代わりにカメラを構えることになった。
比較的新しいカメラなのでそこまで重さはないのだが、アングルが変わらないよう気を付けながら持つというのは思っていた以上に腕がつりそうになる作業で、これまで諒太に任せっきりだったのを少し悪く思った。
ようやく七分間撮り終え、すばやく録画を終了させる。少しでも余分に撮ってしまうと、必要以上に先の未来を映してしまうからだ。
「じゃあ再生しますよ」
諒太はそう言って、撮ったばかりの動画を再生した。
まずはフロアのほとんどのモニターで新潟第九レースの様子が生中継された。そしてレースが終わるとモニターはいつもの競馬情報に切り替わった。それから三十秒ほどした時、フロア中央に吊り下がったモニターの一番奥の台の画面が切り替わったのが映った。
「おい、これ、着順だよな」
「ですね。遠いので数字までは見えませんが、これは確実に着順発表ですよ」
思わず両手でガッツポーズを取りそうになったが、よく考えればまだ馬の番号も分かっていなし、馬券も買っていないのだった。
「モニターが切り替わったのが、動画時間で二分五秒の時なので、あのモニターで着順が発表されるのは十四時三十七分五秒頃ということになります」
「ということは?」
「蒼馬さん、たまには自分で逆算くらいしてもいいんじゃないですか? まあいいですけど。えーと、もう時間が分かっているのでそこまで長く撮る必要は無いと思うので、十四時十五分から四分間撮影しましょう。そしたら絶対に映ります!」
諒太は力強く言った。
その時、一つ頭に浮かんだことがあった。この結論に達することも、既に決まっていたことなのだろうか、ということだ。もし、初めからこのアイデアが浮かんでいて、ここに来てすぐにフロアを撮影していたら、俺達があれこれ試行錯誤するところが映し出されていたのだろうか。
しかしそれでは、映った未来は変えられないというリアクターの言った原則に反する。
となれば、この未来はどうやって作られたものなのだろうか。今となっては確かめようのないことだが、もしリアクターとまた話せる機会があったら聞いてみてもいいかもしれない。
俺達は未来を知るために、自分たちの失敗という過去から学び、このアイデアに辿り着いた。けれど最初から未来を知っておいて、それに則って行動すれば、より合理的に未来へ行けるのではないだろうか……。
「……さん、蒼馬さん」
「あ……ごめん。ちょっと考え事してた」
「もう答えは出てるのに考えることもないでしょう。次の撮影行きますよ」
動画で着順を映ったモニターの下まで行き、諒太が周りの人に気を使って肩をすぼませながらカメラを構える。
いよいよだ……。これで確実に着順を手に入れられる。
俺はポケットに入れたマークシートを軽く握りしめ、思った。
四分間カメラを回し終え、諒太がスッとカメラを持っていた手を下げた。そのままそーっとモニターから離れ、フロアの奥の方へと移動して行った。諒太を追いかけて歩いていくと、彼が言った。
「いいですか? 結果が映っていても騒がず慌てず、落ち着いてマークシートに記入してください」
「分かった」
「じゃあ、いきますよ」
そう言って、諒太は動画を再生した。
映ったのは、まずはレースの中継映像。さっきと同じ未来を映しているのだから当然だ。そのレースが終わり、競馬場の電光掲示板が映し出される。数字が点滅しているため、これは仮の着順だ。これだけでも十分な収穫だが、狙いは確定着順だ。三十秒ほど見ていると、モニターの画面が切り替わり、ついに待ちに待った着順が表示された。
…………。
諒太はさっき俺に、騒がず慌てずと忠告してきたが、それは金額がもの凄い額になっていた場合でも浮かれるな、という意味だったのだろう。
しかし現実には、人は衝撃を受けた時、驚きの声を上げるということはほとんどなく、驚きのあまり声が出ないということのほうが多いのだ。
この瞬間もそうだった。俺は声が出なかった。諒太も声が出ないようだった。
二人して石像のように固まったまま、カメラの液晶を覗き込んでいた。
それもそのはずだ。
そこに映っていたものは、三連単、3‐4‐7、3870円だったのだから――
結局のところ競馬は、どこまで行っても運の絡むゲームなのかもしれない。大金を手にするためには、高額な払戻金が発生するレースを当てなくてはならないということだ。もちろん、一枚百円の馬券が四千円近くになるのだから、たくさん買えばそれだけで金儲けはできるが、三連単は一枚何十万になることも珍しくないため、運が無いことには変わりない。
それでも、せっかく苦労して手に入れた未来を有効活用しないのは勿体無いので、三連単3‐4‐7を十枚買うことにした。さすがに一万円の手持ちが無かったのもあるが、あまりに高額な金額を当てると目立つため、今日のところは控えめにしておけ、との諒太の助言に従ったからだ。
「でも、たかが十枚でも四万円だからな。当たったお金を次のレースの資金にすれば、指数関数的に増えていくから、一日で億万長者だぞ」
「そんなことしたらJRAは潰れちゃいますね。まあそれよりも先に、そんな目立つ稼ぎ方をしてたら一発でバレると思いますけどね」
そう言いながら、諒太はフロアの隅を指差した。そこには、おそらく監視カメラであろうものが取り付けられていた。
「今日の僕達の行動も、あのカメラでばっちり押さえられてますよ。これで立て続けに高額配当を手にしようものなら、あそこに立ってる警備員が僕達に話を聞きに来るでしょう」
「じゃあ、どうしろと」
「今日はこれまでにしとくのはさっき言った通りですけど、これをするのは一ヶ月に一度くらいにしておいたほうがいいですね。そして、東京にはいくつもウインズがあるんですから、その都度場所を変える。上手くやれば一生遊んでくらせますよ」
「お前は賢いな」
俺は諒太の肩を叩いて言った。
その後、既に結果がみえているレースを余裕の気持ちで観戦し、自動払戻機から38700円を受け取ると、何食わぬ顔でウインズを去った。
もうそろそろ午後の三時になるという頃で、なんとなく小腹が空いたため、俺達は近くの喫茶店に入った。そこでコーヒーやスイーツを食しながら、今日の出来事や今後のSF研の活動について、そしてカメラをどう保管するかについて話し合い、喫茶店を出た時には今日の儲けから五千円が消えていた。
泡銭は本当に泡のようにどんどん消えていくのかもしれないと感じた。
話し合いで、とりあえずは部長の俺がカメラを預かることに決まったので、俺のリュックにはタイムカメラ(仮)が入っていた。
新宿駅まで一緒に行き、お互い別の電車のため、そこで解散することとなった。帰りの高尾行の中央線に揺られながら、俺はいろんなことで頭を巡らせていた。
もちろん考えることの多くはカメラのことだったが、それ以外に、未来についてや、リアクターについても考えた。
諒太は、カメラを上手く使えば一生遊んで暮らせると言ったが、俺はそうとは思えなかった。それは、カメラに映った確定した未来では無いからだ。競馬の電光掲示板のように、おそらくそうなるだろうという、点滅した未来だからだ。
それにこの現象は、間違いなくあのリアクターが原因だ。リアクターは未来から来たとか、人間だとか言っていたけれど、本当のところは分からない。メモリーが故障しているというのも、俺達に詳しく教えないための言い訳なのかもしれない。どちらにしろ、メモリーが治り、リアクターが現代に来た使命を思い出した時、このカメラの力は失われるかもしれない。
SFではよくある話だ。どこか俺達の知らないところからやってきた存在は、俺達に何らかの変化を与え、元の場所に帰っていく。ETだってそうだった。
カメラを手にしてもまだ、未来は分からないものだった。でも、これをもっと賢く使えるようになれば、もしかしたら未来への不安を払拭できるかもしれないという一抹の希望があった。
その希望の魅力に、俺は徐々に引き寄せられていた。
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