第3話 8月5日 ②
駅に自転車を止めるとお金がかかるため、自転車は学校に止めたまま最寄りの駅まで歩いて行き、そこから電車一本で新宿へと向かった。
新宿駅の東南口から外へ出ると、思わずそこらの建物に逃げ込んでしまいたくなるほど暑かった。意味深な座標への期待で気持ちは十分燃えているのだから、これ以上の熱はもういらない。
新宿御苑に入るためには二百円の入園料がかかるのだが、その座標が示すグラウンドは御苑と隣接してはいるが、敷地ではないようだった。だから入るのにお金はかからないのだが、むしろ敷地内であったほうがありがたかったかもしれない。
というのも、グーグルアースの衛星写真で確認した通りそこはグラウンドだったのだが、しかしそこはすぐ隣の高校のグラウンドだったのである。門のところに高校名の書かれた表札が掲げてあり、門はしっかりと鍵がかけてあった。
「これは困りましたね」
「でも部活がやってなかっただけでも、不幸中の幸いと言えるよ」
さらに厄介なことに、周りに建物が多いためか、ボールが外に出ないようグラウンド全体に四角い蓋を被せたようにネットが張られていて、簡単には入れそうにない。
「学校に電話して、正攻法で入れてもらいますか?」
「正当な理由も無しにグラウンドに入れてくれるとも思えないし、入れそうなとこを探そう」
上空から見ると三角形の形をしているこのグラウンドだが、門は二つあり、そのうちの一つは上にネットが張られていなく、越えられそうだった。
だが、ここは新宿。繁華街の方に比べれば静かだが、人通りがそれなりにある。門を乗り越えようとしていれば、見た人に怪しまれるだろう。
「蒼馬さん、どうします? 今日は諦めて別の日にしますか?」
「いや、そこに何があるのかは分からないけど、もし見つけやすいものなら、誰かに先に見つけられてしまうかもしれない。チャンスは今しかない」
「じゃあ人目を気にせず一気に行きますか?」
「それも得策じゃないだろな。でも俺にちょっとした考えがある」
車屋から車を盗みだす場合、夜中にひっそりと侵入するよりも、店が休みの日の昼間にキャリアカーを店の前につけ、堂々と盗んだ方が成功するなんて話がある。まあ実際は、警報装置とかがあってそんな上手くいくはずはないのだろうけど、要はこの例え話は、悪いことをする時には堂々とやれ、という教訓を云っているわけだ。まあ教訓であれば、悪いことはするもんじゃない、と云うべきだろうから、これを教訓と呼ぶのが正しいかは分からないが、俺達も今回それにならうことにした。
まず二人とも一度その場を離れ、少し時間を置いてから、俺が電話をしてる振りをしながらグラウンドへと近づいていく。
「はい、はい、そうです。グラウンドですよね。今、諒太と二人で向かってます」
などなど適当なことを言いながら門の前まで来る。
「あれ、でも先生、鍵閉まってますよ」
もちろん鍵が閉まっていることはさっきから知っているが、先生に電話で指示されながらグラウンドへ来て初めて、鍵が閉まっていることを知った風を装う。諒太は門の周辺をそれとなく見て、鍵が開いていないことの確認をする振りをしている。
この時点で、俺達の脇を通り過ぎていく人が三、四人いたが、特に怪しむ素振りもない。
そこですかざす俺が少し大きめの声で言う。
「え? 門をよじ登っちゃっていいんですか?」
俺達のちょうど裏を歩いていた男の人がその声に反応してチラリとこっちを見たが、立ち止まりはせず、そのまま通り過ぎていく。
「はい、はい。分かりました。じゃあ鍵を開けずに登っちゃっていいんですね」
そう言うが早いか、諒太が門を登り始め、俺もそれに続く。門を越えながらも電話をしている振りは続け、「今、門を登ってますけど、先生の荷物はどこにあるんでしたっけ?」とか、それらしい理由を道行く人にぎりぎり聞こえるくらいの音量で喋る。
ようやく門を越えたところで、「分かりました。じゃあ荷物を探したら学校に戻りますね」と言って、電話を切る振りをした。
門の隙間から向こうの道を覗くと、特別こちらに関心がある様子の人はいなかった。
「案外上手くいきましたね」
「まあ、こんなもんだよ」
スマホアプリ版のグーグルアースだと、座標からの検索が出来ないため、諒太が持ってきたノートパソコンとモバイルルーターを使って、PC版のグーグルアースを再度開く。例の数字を打ち込み、詳しい場所を確認する。
「グラウンドの真ん中辺りですね。多少の誤差もあるでしょうから、手分けして探しましょう」
炎天下のグラウンドで、大きさも形も、そしてその存在すらも不明な何かを探すのは、体力的にも、精神的にもキツかった。第一、メールに記載されていたのはあくまで座標だけであって、そこに何かがあってそれを見つけて欲しいのか、その場所に行くこと自体に意味があるのかも分からなかったからだ。
けれど一応、そこに何かがあるはずだと仮定し、「それ」が小さかった場合に備えて、俺達は四つん這いで探すことにした。グーグルアース上から座標地点までズームするのには限界があり、ある程度の広さを捜索範囲としなければならなかった。
ズボンの膝が汚れているのを見て、制服のまま来たことを若干後悔しながら、地表の砂を手で払い続けた。汗をかいているため、砂埃が身体中に付着しやすく、余計に不快だった。
俺達二人しかいないグラウンドは、セミの声も、新宿の音も聞こえない、でも時折空を飛ぶ人工物の音が聞こえる、妙に疎外感を抱く空間だった。俺らを捕らえたかのように周囲に張られたネットが、そのことをより感じさせる。
今このグラウンドがまるごと、世界から消滅しても誰も気付かないのではないか。
なぜかそんな気がした。
「何か見つかりましたー?」
十メートルくらい離れたところにいる諒太が声を掛けてきた。
「まだ何もー」
あるのは砂と小石だけ。これらの中の一つが「それ」であるというなら、俺は即行帰らせてもらうとしよう。
幾度と無く汗を拭った白いワイシャツの右肩が、砂で茶色く汚れていた。そのシャツの汚れをよく見ようと少し布を引っ張った時、肩越しに地面が見えた。そしてその地面に、五百円玉くらいの穴が空いているのに気付いた。
なんだこれ……?
さっきまでここらへんを見ていた時にはまるで気付かなかった穴がそこにあった。
恐る恐る人差し指をその穴に突っ込んでみると、第一関節くらいまでがすっぽり収まり、爪の先が何か硬いものに触れたのを感じた。
「諒太! 諒太! ここに何かあるかもしれない!」
この空間を切り裂くように声が響いた。
「分かりました。今そっちに行きます」
「ついでにカメラも回して、カメラも」
諒太は慌てた様子でリュックからビデオカメラを取り出すと、それを構えた。
「ほら、ここ。指が入るくらい穴が空いてて、その先に何かあるっぽいんだよ」
「ちょっと貸してください」
そう言うと、俺のやったように諒太もその穴に指を入れた。
「ほんとだ。何か埋まってますね」
「これは掘り出す価値があるだろ。シャベル持ってきてたよな」
「はい」
まずはシャベルをその穴に軽く突き刺し、回転させ、その穴を広げて、スマホのライトで照らしてみた。しかし穴の大きさと深さのせいで、何が埋まってるかまでは確認できない。
でもこうなれば話は簡単で、その穴の周りからガンガン掘っていく。グラウンドのため多少掘るのには力がいるが、人差し指の長さほどを掘るのにそう時間は掛からなかった。
「それ」の外堀を掘り終え、まだ土に埋まっている分があるようだったので、「それ」を掴みながら周りを丁寧に掘っていくと、ようやく「それ」が地面から抜けた。
「諒太、撮ってるか?」
「はい、撮ってますよ」
地中から掘り出した「それ」は、半透明の青色をした正八面体の物体だった。
「なんだこれ……?」
「宝石ですかね」
ただ宝石と云うには、手のひらサイズのこれはいささか大きすぎるように思い、仮にこれが世界最大のブルーダイヤやらサファイヤで、あのメールはそれを裏で取引するためのものだったということなら一応の説明はつくが、しかし、俺はこのサイズの宝石を持ったことはないが、宝石にしては少し軽すぎるような気がした。タマゴ一個分といったところだろうか。
「とりあえず、これどうしようか」
「ただのおもちゃかもしれませんけど、メールの座標の場所に何かが埋まっているというのは、偶然じゃ済まされないような気がしますね」
その通りだった。これは偶然なんかじゃない。絶対に意味がある。
その時、背後からサァーッと影が迫ってきて、グラウンド全体が影に覆われた。慌てて空を見上げると、いつの間に現れたのか、濃い灰色の雲が空一杯に拡がっていて、今にも雨を降らすぞと俺達を脅しているようだった。
「やばい、雷雨がくる」
そう言い終えた時に、右手の甲にポツンと一滴雨が落ちた。あっ、と思った時には、ポツポツと身体全体に雨が落ちてきて、十秒もしないうちに全身びっしょりになった。
俺はその正八面体をリュックに入れ、諒太もカメラをいち早くしまうと、二人でグラウンドから逃げ出した。
グラウンドの穴を埋めずにそのままにしてきてしまったことと、シャベルを置き忘れてきたことに気付いたのは、近くのコンビニに駆け込んでからのことだった。
雷雨だからすぐに止むだろうとは思っていたのだが、5分経っても止まないため、コンビニに長居しているのが気まずくなり、五百円でビニール傘を買い、外に出た。
「カメラ壊れてないか?」
「はい、大丈夫です。電源入りますんで」
「そっか……」
向かいのコーヒーショップの店先に並ぶ商品にはもうビニールが掛けられていた。
「学校戻るか」
疲れた足取りで新宿駅へと歩き始めたが、駅に着く前に雨はあがった。
部室に戻ると、服を脱ぎ、濡れた服をハンガーにかけて、窓の縁に引っ掛けた。
さっきグラウンドで回収してきた謎の正八面体は、長テーブルの上に置いてある。
雨が降ったせいで部屋の中は凄い蒸し暑さで、俺達はエアコンをガンガンにかけながら、パンツ一丁で涼んだ。男同士とはいえ、流石に全裸はマズイと思い、パンツを干すのはやめておいた。夏らしいと云えばそうなのかもしれないが、この光景は夏らしさを通り越して、ただのマヌケであろう。
「服、飛ばされないですかね」
窓の外でゆらゆらと揺れる服を心配して、諒太が言った。
「飛ばされたら飛ばされたで、お前が取ってくるだけだよ」
「えー、蒼馬さんそれは酷いですよ」
「大丈夫、そんな簡単に飛ばされないから」
そう言いながら、左右に踊るTシャツがいつ視界から消えるか、気が気でなかった。
気になるのはなにも干してある服だけではない。と言うかむしろ、それ以上に気になるものがある。
この正八面体だ。
「これ、なんだと思う?」
俺がそう聞くと、諒太はそれをひょいと持ち、見回した。
「見た目の割に軽いですから、宝石とかではないと思いますね。アクリルみたいですけど、地面に埋まってたのに表面に一切傷がないところを見ると、それではないでしょうね」
「じゃあおもちゃではないってことか」
「違うと思います。すごく特殊な材質で作られたものですよ、きっと」
諒太は正八面体をあらゆる面から眺めていたが、さっぱりだ、という様子でそれをテーブルに戻した。
不思議なことがいくつかあった。まずは、この物体の形や重さ。何かの部品にはみえないし、ましてやグラウンドに埋まっているようなものでもない。半透明な為、中が透けて見えるが、中身は空っぽ。カプセルのようなつなぎ目も特に無い。それどころか、製造元を示す刻印も無いのだ。
そして、埋まっていた場所に穴が空いていたこと。
突然、ガラッとドアの開く音がしたかと思ったら、キャーッっと悲鳴が上がった。
「ちょっとー、あなたらなに全裸になってんの?」
声の主は千尋で、開かれた扉の前に、水着の上からタオルを羽織った姿で仁王立ちしていた。その裏には頭だけをひょっこり出した姫ちゃんもいた。
「おい、急に開けんなよ。それに全裸じゃない」
「全裸と変わらないじゃない。それに、こんなとこに裸人がいると思わないでしょ」
「それを言うなら、朝の僕だって、運動部でもないのに部室で着替えてる人がいるなんて思わなかったですよ」
諒太が負けじと言い返す。
「ま、まあそれはそうだけど……」と千尋がぼやく。
「とりあえず、私たち着替えるから男子はさっさと服着て外出てて」
「へいへい」
俺と諒太はそう言いながら干していた服を取り込み、着始める。さすが夏の太陽。まだ三十分と干していないのに、着ても気持ち悪くないほどには乾いている。
俺達を追い出すと、女子達はドアをピシャリと閉め、中から鍵をかける音がした。そうそう、着替えるのなら鍵くらい閉めろって話なのだ。
廊下に座りながら、俺は女子達にいじられないよう持ってきたあの物体を手の中で転がす。確かによく触ってみると表面はツルツルで、細かな傷も付いているようには見えない。
そう思った時、物体の中でゆらゆら揺れている何かがあるのに気が付いた。スノードームを振ったかのように、中で何かが揺らめいている。中心部でくるくると回転しているそれは、英語の文字のように見えた。部室棟は古い造りなので、昼でも薄暗いため、常時蛍光灯が付いている。俺はその蛍光灯に物体を透かし、下から覗き込んだ。
「何してるんですか?」
「いや、なんかこの中に英語の文字みたいのが浮いてるんだよ」
「え、どこですか?」
「ほら、ここの中心部のとこ」
いくつかある文字はバラバラにはなっておらず、横に繋がってはいるのだが、回ってしまっていてよく読めない。
「あー、確かになにかありますね。さっきもこんなのあったかな」
「リ?」
「え? 何ですか?」
「リって英語があると思う。RとEで、リ」
手をずっと上げたままにしているので少し疲れてきたのだが、物体を振らずに持っていたせいか、きもち文字の回転がゆるやかになった気がしたので、我慢する。
「り、あ、あ……あくたー?」
「リアクターですか?」
「多分そう書いてあると思う。諒太、リアクターってどういう意味だ?」
「原子炉とかのことをそう呼ぶことがありますね。化学反応を起こさせる装置のことです」
「え……、いや、まさかこれが原子炉ってことはないよな」
「ありえませんね。こんなスノードームみたいのじゃ。ただのデザインじゃないですか」
「だよなぁ」
「ちょっと貸してください」
諒太も、俺がやっていたように、仮に名前をつけるとすればリアクター、を蛍光灯に透かしてみて、
「これ……、リとアクターの間にコロンがありますね。それに、原子炉とかを表す英単語とスペルが違いますよ」と言った。
「化学反応を起こすほうのリアクターは、ターの部分がtorなんです。でもこれはter。ただのミスかもしれませんけど、何か別の意味があるのかもしれません」
リアクターを返してもらい見てみると、たしかにそこに書かれた文字は、Re:Acterだった。
「そこで何見てんのー?」
制服に着替え終わった千尋が、部室から顔だけ出しながら言った。
「君たちがプールで遊んでる間に、俺達はちゃんと部活動してきたんですー」
「ふーん。で、それを拾ってきたの? どこで?」
「詳しい話は部屋でしましょうよ。もしかしたら今年の文化祭の目玉は、ここ、SF研究部になるかもしれないんですから」
「うっそ、凄いじゃん。まあ諒太がそこまで言うなら、少なくとも去年よりはマシになるだろね」
千尋はそう言いながら俺をチラリと見た。
あぁ、そうですよ、そうですよ。去年のは全て俺の責任ですよ。
「歴代のSF映画やアニメをただ紹介するだけじゃあ、味気ないですもんね」
「それが一番SF研らしいだろ」
「僕は楽しいですけど、一般の人は退屈なだけですよ」
「そうそう。2001年宇宙の旅がどれだけ素晴らしいって話されても、私その映画見たことないもん」
「千尋には今度絶対見せるからな」
「そのうちねー。姫っちもその映画見たことないよね?」
「ううん、私去年の文化祭のあと見たよ。蒼馬くんの言うとおり凄い映画だったよ」
「うっそ……姫っち見たの……」
「姫ちゃんのほうがSF研としての自覚があるようだな」
「うっさい!」
「まあまあ二人とも」
諒太がそう言いながら、部室のドアをガラッと閉めた。そうして部室のホワイトボードの前まで歩いて行くと、
「それじゃあ、僕達が部室で裸になってた理由も含めて、今日何をしていたのか、説明しますね」と宣言した。
エアコンで十分に冷やされた部室の中、四人そろっての部活動が始まった。
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