二人だけの国4

 施政府議会議員の定年は他の職業よりも早い。それは公人化処置が議員当人に与える負担のためだ。一人の人間から私的な感情を取り除くことは難しい。そもそも己にとって有利に物事を進めようとする私情というのも、元を辿れば生物の一個体として生き抜くための本能から来るものだ。そんなものを根こそぎ取り除いてしまえば、人は生きることも儘ならなくなる。

 一体どこまで「私」というものを残せば生命維持に支障が出ないのか。研究段階ではマウスからサルに至るまで被検体となった多くの哺乳類が命を落とした。そうした動物たちの犠牲の上で公人化処置は試験導入へと至ったが、やはり最初期の被験者達には障害が多発したという。生命維持に支障が無くとも被験者が本来有していたはずの専門知識が失われる。それどころか生活経験に基づく判断力までもを失い、健康な人間的生活を送れない。

 進歩した技術により、現在の公人たちは国を動かす議会運営を滞りなく行えるようになったが、まだ完全な処置が確立されたとは言えない。議会議員達の退職時期の早さは、その現れだ。彼らの脳は公人化処置として大きく手を加えられることで、正常に機能する寿命が大幅に縮まる。政治を正しく行う公人として、社会的な人間存在として、生命として、彼らの持つ時間は削り取られてしまう。何の障害も伴わない完全な公人化処置の確立、それは未だ見えていない。



 あの夫妻と別れた後、公人について調べてみた。何の制限もなく、手持ちの電子媒体はもちろん、地元の小さな図書館の蔵書でさえ簡単に得られた情報に、しばらく私は呆然とした。一時期、お茶を何となく苦手に思うことがあり、しかし、そんな感覚もいつの間にか忘れていった。

 記憶の中で小さくなっていった夫妻を思い出したのは、自分の子供が遠足のしおりを見せてきた時。親子遠足として保護者も参加する形で行われるそれの行き先こそ、私が出会った夫妻の家、その先にある自然区画だった。

「昔は、特別な許可をもらった人しか自然区画には入れませんでしたが、自然の環境を身近に感じるために、少しずつ、自然に大きな影響のないように気をつけながら、今日のような、遠足や見学会で普通の人も中に入れるようになりました」

 プリント用紙に書き込んだ事前の学習成果を読み上げる生徒の声。子供達と保護者が案内された屋内で、自然区画の説明会が開かれている。

 路線バスの終点から少し先、過去に招き入れられた小さな国は、間取りを変えて小さな集会スペースを併設した管理小屋になっていた。管理人をしているという職員が、子供達の発表をまとめる。

「人間の生活から切り離すことで自然を守るという考えもあれば、そこにどんな自然があるのかを実際に知ることで環境を守る意識へとつながるという考えもあります。どちらが正しいのか、はっきり言うことはできません。その時、その場所によって答えは変わるからです」

 発表会に退屈した生徒が、前に座る背中をつついてふざけ始める。管理人は苦笑いして話を締めくくった。

「考え続けることは難しいことです。ただ、今日の体験から何かに興味を持つきっかけになったら良いと思います」

 それでは外に出て実際に区画の中に入ってみましょう。誘導の声に従って生徒達が流れ出ていく。人が去って行く集会スペースに残るのは、彼らの座っていたパイプ椅子が、たくさん。

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未だ来ぬ 傍井木綿 @yukimomen

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