二人だけの国2



 国の政治を行う施政府。かつて、その議会議員は立候補した者から国民の投票によって選ばれていた。今は違う。

 汚職、国民の意に沿わない政治、いつの時代にも見られたそれらは政治の場にとってありふれたものだった。それでも、もしそれらを限りなく生じることのないようにできるとしたら。人の心は縛れないとよく言われてきたが、発展を続けてきた各分野の学問はそれを否定してみせた。人の内から私情を消しさり、ただ公のみを考慮して生きる者にする。そんな馬鹿げた技術を、発展し過ぎた末に人類は生み出した。

 汚職をはたらくのは富や名誉、個人的事情を優先する私情があるから。民意を離れ理由を述べもしない議員への不信は、彼の持つ私情が来す可能性と、それへの危惧が人々の心の内のどこかにあるから。だったら、その「私」を取り除けてしまえばいい。発展し続けてきた人類にはそれをするだけの技術がある。そうして政治家は、国のために働く議員の席に就くにあたり己と己に関わるものへの情を失くし、ただ国民への奉仕と言う名で同じ国に生きる全ての者に平等に愛を捧げ生きる公人となり果てた。

 初めは内密に行われたその処置は、結果を現し始めてから国民に知らされた。処置を受けた者たちは皆同意の上で、国民にとっても悪いことではなく、戸惑いながら時間と共にそれは受け入れられていった。「私」すなわち己を捨ててまで国に、国民に尽くそうとするのは青い志を胸に抱いた者たち。腹に黒いものを抱える者は皆、私企業に流れて益を上げる方が割の良いやり方だと悟り、政治の場を離れた。



 よく手入れされた庭のある家を示されて、すぐ近くの路肩に車を止めた。隣接する自然区画にきわめて近い、居住区画の外れに位置するこのあたりには、彼と彼の妻が二人で住んでいるという家の他に住宅は見当たらない。道路脇はすぐに草むらへと変わり、その先は茂みとなって人の手が加えられている様子もない。

「自然区画への人の立ち入りが少なくなるように、基本的には居住区画は自然区画と隣り合わないように配置されているんですが、防災や交通の都合でどうしても隣接せざるをえない場合があります」

 車を降りて周囲の見晴らしの良さに溜息をついていたら、かつてこの国の運営に携わっていたという男性が説明してくれた。

「そういった場合には、こうして居住区画と自然区画の間に緩衝地帯を設けるんです」

 ずっとこの居住区で暮らしてきて、子供の頃には学校の遠足だ何だで自然区画の見学にこのあたりを通ったこともあったはずだけれど、その時はたぶんこのあたりから自然区画が始まっているのだと思っていた。いくら人口も建物も密度の低い田舎居住区の、それも自然区画の傍とはいえ、こんな原野が広がるばかりの土地が居住区の内であるとは思わなかった。遠く緑の地平線のあたりに建物の影がぽつぽつと見える。

「驚きました。車でほんの三、四十分でこんな景色になるなんて」

 あの寂れた駅前からここまでの距離は、私の自宅から仕事先までの距離とほとんど変わらない。ちょっと思い立てばすぐに来られる距離なのに。

 そう呟いたら、彼は笑って答えた。

「だから緩衝地帯なんです。このあたりに足を伸ばしにくいように計画して居住区が作られてるんですよ」

 自然区画は観光開発を成されない。観光用には観光用の、狩猟用には狩猟用の自然公園が設けられている。そもそも自然区画へ一般市民が立ち入ることは許されていない。

 自然区画の周辺は生活環境としては不便なもので、不便であるがゆえに緩衝地帯の人払いになるのだと彼は言う。

「バスは一応この近くまで走っていますが、まずもって終点まで乗る人はいません。終点で降りたところで向かう先がありませんから。それでも路線を維持するのは、路面の維持点検も兼ねているからです。住民の利用がなくとも、国として環境調査や保安活動を行う際に区画間を行き来する道路自体は必要なので」

 そこまで説明された時、庭の奥に建つ小さな家の方から女性が出てきた。

「あなた、帰ってきたのなら早く荷物をしまわないと。この日の下じゃ傷んで」

 言いかけて彼女は彼の傍らに立つ私に気づいた。この女性が彼の妻なのだろう。男性と同じか少し下くらいの歳だろうが、中年女性にしては若い印象を受けた。

「バスを逃してしまったのを、ここまで送ってくださったんだよ」

 男性がそう言うと、あらそれは、と女性は大人しい色味のこざっぱりした服装を慌てて整えて私に軽く頭を下げる。

「夫がお世話になりまして」

「いえ、こちらこそスーパーの駐車場で困っていたところを助けていただいたので、そのお礼代わりに」

 元はそう、私が欲張った末の失敗の始末を手伝ってもらったせいで彼はバスに乗り遅れたのだから、元凶の私が礼を言われるようなことではない。

 それでも、ここまで来ていただいたのだから、お茶でも飲んでいってください。そう言って招かれ私は彼らの、二人だけの家に足を踏み入れた。

「少し散らかっていますけど」

 そう言って恥ずかしそうに笑ってみせる女性。

 突然の来客にも関わらず愛想の良い顔で挨拶してみせた彼女だったが、ほんの一瞬で取り繕ったものの、彼の隣に私を見つけた瞬間、確かに何か怯えるように顔を強張らせたことが気にかかった。

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