未だ来ぬ

傍井木綿

二人だけの国1

 政治は人のためにあるべきで、人は人である限り私利私欲に代表される「私」というものから逃れられないもので。それなら政治を為すものは公のみに生きよ、と。始まりはそこであったらしい。かつては胸に青い志を抱く者もあれば腹に黒いものを抱えた者もあった政治の場は、現在では人柱が立ち並ぶ一種の祭壇のようである。安定と平和を祈る祭壇。



 スーパーの駐車場で見事に買い物をぶちまけた私に手を差し伸べてくれたのは、落ち着いた印象の初老というにはまだ早いくらいの男性だった。安値に釣られて買い込んだ欲への罰か、袋を食い破った缶詰たちは駐車場を転がって逃げた。彼はそれを追いかけ拾い集めて車に積むまで手伝ってくれた。アスファルトの地面は夏日によく焼かれていたが、私の荷物を拾うために一瞬の迷いも無く生鮮食品が透けて見える彼の荷物は降ろされた。それに私はぎょっとして、それから大安売りに飛びついた自分を少し恥じた。

 固辞する彼にお礼の言葉と共に缶詰を一つ押しつけて一度は別れたが、郵便局に寄って駅前を通りかかった所で再会することになった。再会というか、忘れるには別れてから間もない姿を見かけて私が声を掛けた。

 彼は駅前のバス停に立ち、時刻表を見つめていた。田舎の小さな駅で電車は一時間に一、二本しか来ないような所だからバスも似たようなもので、その貴重なバスとは今しがた近くの交差点ですれ違ったところだった。どうやら彼はそれに乗る予定だったのを逃したらしい。

「どうにも街に住んでいた頃の感覚が抜けないようで」

 そう言って彼は困ったように笑う。バス停に向かう途中で乗る予定のバスに追い抜かれたのは認識していたけれど、それが足を急がせる考えに繋がらなかったのだという。次のバスは一時間後まで無い。どこか喫茶店にでも入って時間を潰します、と言うのでそれなら自分が送っていくと申し出た。やはり彼は辞退しようとしたけれど、熱されたアスファルトに一度降ろさせてしまった彼の荷物のこともあって無理に押し切った。

 家までの道を要所要所で示しながら、本当にすみません、と繰り返す彼にこれ以上恐縮され続けるのが耐えられず、信号待ちの間に別の話題を振る。

「街に住んでたっておっしゃってましたけど、どうして今はこんな田舎に」

 不便でしょう、と地元民特有の自虐染みた田舎批判を交えて尋ねると、彼は苦笑した。

「慣れないと今日みたいなポカもしでかしますけど、静かに暮らすには良い所だと思いますよ」

 信号が青に変わり、私は穏やかな加速を心がけてアクセルペダルにかかった足に力を込める。彼は言う。

「こちらに住むことを決めたのは妻なんですよ」

 妻帯していたのか。ミラー越しにちらと見やると、男性は隣に置いた荷物の様子を見ながら話を続けた。

「私が仕事を引退してすぐに、静かな所で二人で暮らそうと言われまして」

「引退、ってまだ充分お若いと思うんですけど」

 思わず口を挟む。確かに中年というには年嵩には見えるが、まだ定年を迎えるような年には見えない。何か特殊な職にでも就いていたのか。私の言葉を褒め言葉として受け取って彼は、ありがとうございます、と笑う。にこやかな人当たりの良い人だ。前職を引退しても、また他の仕事に就くことだって選べたのではないだろうか。

「国の議会にいたんです」

「国の、って。施政府の議員だったんですか」

 はい、と穏やかに返される答えに、改めてミラーへと目をやる。穏やかに微笑みを浮かべて受け答えする彼の姿は、今では自分の末路を受け入れた人柱のそれのように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る