秘密のお仕事

くまみつ

色の神様

チヨガミさん。そういう名前だそうな。


「本名だとは思えんがみんなそう呼んでいた。」


上司はそう言ってチヨガミさんの話を始めた。僕が会社に入って2年目か3年目あたりのことだ。


チヨガミさんは武庫川の河原に住んでいた。ホームレスというやつだ。

兵庫県の尼崎市と西宮市の境。海からほど近い尼崎市側の武庫川の河原にブルーシートで家を作り、そこに住んでいた。


上司がその話を聞かせてくれたのは展示会の帰りの車の中で、上司はタバコを一口吸って顔をしかめ吸い殻を窓の外へ放った。あの頃は当たり前のように会社でも車の中でもみんなタバコを吸っていた。そういう時代だった。


僕はその頃、大阪にある生地きじの卸を営む会社で営業をやっていた。

生地の仕入れは今後の売れ筋商品の予測が重要になる。生地の種類と色だ。ファッションは移り変わりが激しい。半年先の流行り物を予測して売れる分だけ仕入れる。他の卸よりも早く、未来の流行りを予測できた卸が勝つ。


「色だ。とにかく色を外すな。」

その上司が僕に最初に教えたのがそのことだった。半年後に流行する色を当てる。必ずシーズンを象徴するキーとなる色がある。他人の言葉を当てにするな。予知も予言も存在しない。サイコロを振るな。ヒントは街にある。目を凝らせ。歩け。話せ。色だ。


半年後には、街を歩く人間の半数がその色を身に付けている。

半年後の世界はその色で満たされている。しかし俺たちは、今、その色を知る必要がある。


上司の言葉に素直に従ったというわけではないが、しばらくしてから僕は街を歩き回るようになった。僕は一人で街を歩きまわり、ひたすら半年後の色のヒントを探し続けた。街を歩く人の服を見つめ、靴を凝視し。一人一人の表情を眺め。視線の先を追って当てもなく歩き続けた。


その頃はまだ結婚もしていなければ、付き合っている人もいなかった。それどころか友達も一人もいなかった。僕は仕事が終わってからほぼ毎日、夜中近くまでそうやって当てもない彷徨を続けた。


そんなことを続けるうちに、やがて僕は少しずつではあるけれど、街を覆っている「色を感じ取るコツ」を発見していった。今、この通りを歩いている人たちがなんとなく発している色がある。目の焦点をずらし、思考の焦点をずらし、通り全体を視野に入れながら何にもフォーカスを合わせない。何も見ない。

ゆっくり息を吸って何も考えない。まばたきを忘れ、集中する。そうすることで、通りを歩く無名の人間たちがただ存在することで自然と発する色を見ることができるようになる。


僕はその不思議な能力、新鮮な感触に単純にハマった。人間にはこんな感覚があったのか。

人がたくさんいる通りや店から立ち上る色彩は、煙のように自然と形を変えながら漂っていた。空気の流れとは無関係に。それは美しいものではなかったが、僕はそれを見ることで不思議な安心感を感じるようになっていた。

人は孤独だ。みんな一人だ。それでも無意識にガスのようなもので繋がっている。薄汚い色付きのガスで、人間たちは分かち難く繋がっている。

僕は自分の頭の上を見上げてみる。自分のガスは見えない。


やがて僕は、その感覚で街を見渡し、頭の中に世界の色を再現することで、近い未来に世間から求められる色を言い当てることができるようになった。一度感覚をつかむとそれはそれほど難しいことではなかった。

自然現象と同じ。西から風が吹くとやがて雨が降る。僕がやっていることは天気予報に近い、ただ経験から類推しているだけ。感覚としてはただの当てずっぽうだった。


だけどそれは、当たった。


近い未来というものが、半年後か1年後か、それはわからない。しかし近いうちに重い色の時代が来る。

例えばそのような感触だ。


半年後と思っていたら実際には3ヶ月後だったと言うこともあった。黒と確信していたものが濃い紫色だったこともあった。しかし、街を歩く人や物を見ているうちに未来を確かに感じられるようになったのだ。これは実に不思議な感覚だった。


ごく限られた分野において、僕は予知の能力を身につけていた。


そして自分の能力を訓練により高めることができるということから、一つのことに気付いた。私よりも、圧倒的に鮮明に集合としての方向性を感じ取ることができる天才がこの世には存在するだろうということだ。

人間にこのような能力があり、個人によってその能力に差があるということは圧倒的な天才もまたどこかに存在するということだ。


色という感覚に絞れば、流行する時期と色をピタリと言い当てることができる才能を持った特殊な人間がこの世界のどこかに存在するだろう。漠然とした妙な思いつきではあったが確信があった。それを上司に話したところ驚いた様子で話を聞いていた上司がしばらく僕の顔を無遠慮に眺めた後で、チヨガミさんの話を聞かせてくれた。


昔、一人の天才がいた。


「先に言っておくが。チヨガミさんはもういない。」


ある日、ふっつりと姿を消してしまってそれっきり見たものはいない。

旅に出たというものもいれば、借金取りに連れ去られたという話もあった。電通だか博報堂だかにスカウトされて南麻布の豪邸に住んでると言う噂もあった。真偽のほどはわからない。とにかくいなくなった。


チヨガミさんの住んでいた武庫川の尼崎側の河原には、チヨガミさんが作ったゴミの山が6つ。小ぶりな山脈のように川上から川下へ並べられていた。


それぞれの山は似たような色のゴミが集められ不思議なモザイクのようになっていた。

赤いバケツ。赤いビーチサンダル。オレンジっぽいビニールシート。赤いボールペン。どこから集めてきたのか膨大な量の赤色っぽいゴミが積み上げられて全体で見ると実に不思議なバランスでオレンジがかった赤色が表現されていた。


隣には、黄色がかった白の山。それから鮮やかな青の山が並びそれぞれ同じような高さ2メートルほどのゴミの山が6つ。チヨガミさんは誰に頼まれたわけでもなく、ひたすらゴミで色の山を作り続けていた。


武庫川の界隈ではカラフルなゴミの山と、せっせとゴミの山を作り続けるチヨガミさんのことは、当然のことながら様々な形で噂にはなっていた。

対岸の西宮市側の河原から見ると6つの色がなだらかな連続したグラデーションで続く奇妙な芸術作品のように見えた。ちょうど誕生日会の飾りの折り紙で作ったリボンの帯のように。カラフルで華やかなオブジェに見えた。


尼崎市側の河原で間近に見るとそれは、常軌を逸した執念とこだわりでもって集められ積み上げられた、圧倒的なゴミの山だった。

いずれにしても誰もその意味に気づくことはなかった。当たり前だ。わかるわけがない。


「誰が気付いたのか、気付いたやつが大したもんだよ。」


その30メートルにもなるゴミの山脈は向こう3年間の色の流行を完璧に的中させたものだった。完璧に。

ほぼ半年ごとに、世間はチヨガミさんの作ったゴミの山の色の通りに流行を移行させていった。時期も色合いも完璧だった。


チヨガミさんに話を聞こうとしたやつももちろんいた。業界ではちょっとした有名人になっていた。生きる都市伝説だった。

ただ、チヨガミさんに話を聞いても全くの無駄だった。チヨガミさんは自分が何をしているのか全く理解していなかったのだ。


やがてチヨガミさんは姿を消し、しばらくすると尼崎市がチヨガミさんの残したゴミの山を全て撤去した。

今、チヨガミさんがゴミの山脈を作っていた河原は近隣住民のためのゲートボール場になっている。

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