34-4話 青空


     ◆


 入院生活一週間で、やっと自力で立つことができた。

 両手に松葉杖をついて、一歩一歩、先へ進む。私を先導するのはコウキで、彼はもう腕を吊っていない。彼も一緒に治療されて、やはり医療技術は便利なものだ。

「ゆっくりでいいよ、大将」

「申し訳ない」

 じわじわと進んで、目的の病室にたどり着いた。ノックも、開けることもコウキに任せる。彼に続いて中に入ると、懐かしい顔があった。

 ベッドで上体を起こしているのは、ダイダラ・モスだ。だいぶほっそりした印象だが、雰囲気はそのままだ。

「久しぶりだな、ボビー」

「こちらこそ、ダイダラ。お互い、難儀なものですね」

 変な冗談を言っている自分がおかしくて、自分で笑ってしまった。ダイダラも控えめに笑っている。

 彼の寝台の横にある椅子に、苦労して腰掛ける。

「どこでそんな重傷を負ったんだ?」

「公爵と一緒に少し冒険になりまして。危うく帝国軍に吹き飛ばされるところだったんです」

「あまりそういうことに向いていない男だと思っていたが、真性の命知らずか?」

 思わず私は笑ってしまった。

「そうかもしれませんね。さすがに今回で懲りました」

 そうしておけ、とダイダラが微笑む。

「それで、ダイダラの病気はその、治らないのですか?」

「治そうと思えば治せるさ。体の部品を全部取り替えればな」

「そうですか……。取り替えない理由が、わかる気がします」

 一部の人間が自然主義などと呼ぶ思想で、医療技術の発展は、内臓や筋肉、皮膚、血管などを自在に生み出せるようになった。それらに体の部品を置き換えれば、かなりの高齢まで生き延びられるが、自然主義者はこの手の処置を拒絶することをモットーとする。

 私はあまり深く考えたことはないが、自然主義には共鳴できる。

 自分の体ではないようなものに入ってまで、長生きするのは、私の主義ではない。

「まあ、いいさ。これもまた運命だ」

「その通りです」

 二人で笑みを交わしていると、コウキが「老人の会話だな」とつぶやく。ほっておいてくれ。

 ここでやっとその話題に入れた。

「私を救ってくれたのはどなたです?」

「うん? そろそろ来ると思うぞ」

 と、ドアがノックされた。

 そっと開いたそこから入ってきた男に、私は心底から驚いた。

「キックスさんじゃないか!」

 どうも、と笑っている背広の男は、間違いなくケルシャー・キックスだった。あの傭兵の機動戦闘艇乗り。

 なんの噂も聞いていなかったが、生きていたのだ。

 彼はかなりスリムになっていて、だが健康そうだ。静かな足音で私の隣に来て、自分で椅子を用意して腰掛けた。

 思わず手を握り合った。

「ご無事で何より、って感じだな」

「まさかあなたとは、想像もしてなかった」

「死んだと思っていただろ?」

 まさにそうだったが、口にするわけにもいかない。躊躇う私をダイダラが笑う。

「それで今は、どのような生活を?」

「変な貴族に出会ってね。軍人貴族だが、面白い奴だ。機動戦闘艇の操縦士訓練学校を経営している。で、無理やりそこに首を突っ込んで、今はそこの講師だよ」

「それはまた……」どう答えればいいのだろう。「よくそんな無理が通りましたね」

 ケルシャーはニヤニヤ笑っている。

「あの貴族はそこが面白い。決まりごとなんて二の次なんだ。優秀な奴、価値のあるもの、そういうものが手に入る時、決まりごとに邪魔されると、すぐに決まりごとをすり抜ける方法を考える。だから俺が傭兵だったことを知りながら、雇ったんだ。それだけ俺に魅力があるんだろうけどな」

 まったく、すごいことだ。

 ケルシャー・キックスという操縦士の戦果を私ははっきりとは知らない。しかし機動戦闘艇だけで百、あるいは百五十は大きく超えているだろう。それだけ帝国軍兵士を殺した人間なのに、今はまるで帝国民のふりをしている。

 もちろん当局が知れば、誰もがただじゃすまない。ケルシャー自身も、その貴族もだ。

「金は俺のポケットマネーだから、公爵は気にするな。副業もあるんだ」

「ポケットマネー? かなりの額でしょう、よく工面できましたね」

「ビジネスに目覚めた、とでも思っててくれ」

 それから彼は副業について嬉しそうに話した。なんと機動戦闘艇で曲芸飛行をして見せたり、その時の操縦の様子やらを撮影し、その映像も売っているらしい。今はまだ計画段階らしいが、亜空間航法を使わない超長距離航行に挑戦する企画もあるようだ。

「全て、あの貴族の思いつきさ。これからはああいう連中が、面白おかしく、やるんだろうな」

 感慨深げに、ケルシャーがそう言った。

 ダイダラも私も、自然と手元に視線を落としていた。

 これからの時代は、帝国しかない時代になる。私たちのように、体制に牙を剥いて、無茶をして、命を捨てるのも惜しまない、というような生き方をするものは、当分、現れないだろう。

 もしかしたらそれがいいのかもしれない。

 誰もが自分を騙して、全体に従って、全体を維持して、そこをはみ出すことはしない。

 人々の間、組織の間、思想の間に少しの争いもなく、ただ自分の内側でだけ軋みを処理する、そういう世界。

「何のために戦ったのか、もう誰も、覚えていないな」

 ダイダラが呟く。

「俺たちはただ、群れからはぐれただけの、間抜けだったのかもしれない」

 そのダイダラの言葉に、私も、ケルシャーも答えなかった。

「間違っていると思ったんでしょ」

 急にコウキが声を出したので私たち三人は弾かれたように彼を見ていた。

「帝国が間違っていると、俺は思いましたよ。だからそう大声で喚いていたら、捕まった。で、強制労働です。俺は今でも、帝国が絶対に正しいとは、思っちゃいません。そういう連中は大勢いますよ。今は息を潜めているだけで」

 ケルシャーがコウキを指差して私を見る。

「この若造はどこで拾ったんだ?」

「公爵とレイが拾ったんですよ。これでも情報と通信の専門家です」

 どうだとばかりにコウキが胸を反らすと、「悪くないな」とケルシャーが呟く。

「こいつの面倒は俺が見てもいいか。うちの親方に合わせてやりたい」

「良いですよ。もう怪我も治ったようですし」

 私の言葉に、ちょっとちょっと、とコウキが慌てる。

「お、俺は、帝国貴族のために働きたくないですよ、大将」

「良いじゃないか、コウキくん。君は、私の代わりに帝国軍に差し出されることを志願した。その時の気持ちを今、思い出して欲しい」

「そんなぁ」

 唖然とするコウキに、ケルシャーが凄みのある笑みを見せる。

「うちの親方の前であまり帝国を否定するなよ。一応は、帝国貴族だからな」

「俺が一番嫌いな人種です」

「あの人はちょっと違うぜ。おっと」ケルシャーが時計を見る。「あまり長居もできないんだ。忙しくてね」

 立ち上がったケルシャーに私は深く頭を下げた。

「ありがとうございました。感謝します」

「今後のことは、また相談しようや。とりあえずは体を治してくれ」

「はい」

「じゃあな、ダイダラも元気でいろよ。また来る。ほら、若造、いくぞ」

 ケルシャーは慌ただしく、コウキを引きずって部屋を出て行ってしまった。

 私とダイダラはクスクス笑いつつ、二人で同時に窓の外を見た。

 モニターだが、青空が見える。

 亜空間航法の時の例の青空とは違う、本物の青空だ。

「終わりにしては、いい景色じゃないか」

 ダイダラが呟く。

「本当に」

 私もそっと、呟いた。

 終わりとしては、美しすぎる光景だった。

 遠くの空を、宇宙空港へ向かうシャトルが駆け上がっていった。



(SS第34話 了)

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