34-2話 救いの手
◆
どこか遠くで声がする。
長い夢を見ていた。
「へい」
突然に世界が蘇った。
ぼんやりと像を結び始めた視界の先、何かの溶液とガラス越しに、見知らぬ女がいる。服装は大胆に着崩されている。年齢は四十代か。
「起きたようだね」
溶液を通して声が聞こえる。比較的新しい型の、医療ポッドの装備だ。
こちらの声は口元を覆うマスク越しに、ゴボゴボと雑音混じりに、おそらく届くだろう。
「ここは、どこだ?」
「まずはこちらが質問する番だ」
女性は顔をしかめつつ、その顔を私が入っている容器に近づけてくる。
「あんたたち、自由軍かい?」
難しい質問だ。いや、記憶が混乱しているわけではなく、純粋に、難しい。
「逃亡者ではある」
無難な返事しかできない。
女性が顔を一層、険しくさせると、「厄介ごとはごめんでね」と囁くように言った。まるで死神のささやきだ。彼女は私を治療しているようだが、それでは同時に、私の生殺与奪は彼女次第でもある。
「あなたは、民間人か?」
「ちょっと特殊な職業のね」
今度は一転、不敵な表情になる。
「これでも宇宙海賊さ。荒事も辞さない、強硬派だ」
私はやはり運がいいのかもしれない。
「ダイダラ・モスを知っているか?」
「なんだって?」
雑音が酷すぎるんだろう。
「ダイダラ・モス」
女性がぽかんとし、それから何かに納得した顔になる。
「あの老人を知っているとなれば、本当に自由軍らしいね。ダイダラ・モスは何年も前になるが、自由軍に協力していたと聞いている。その時の知り合い?」
「一緒に戦った」
ハッハッハと女性が大げさに笑う。
「あんたも軍人かい?」
「いや、軍人ではなかった」
「あんたみたいなのが自由軍の軍人なら、あれほどの大問題にもならないだろうよ。あっさりと帝国が押し潰してね。で、ダイダラ・モスの名前を出せば、私があんたに便宜を図ると?」
そこは確かに、我ながらよく分からない発想だった。
やはり運は悪いかもしれない。
ダイダラのことを知っていても、それと、彼女と私の状況には全く関係がないのだから。
「良いだろう」女性が頷く。「どうせここの設備じゃ、完治は難しい。その医療ポッドから出られたら、話をしよう。お友達からだいぶ聞いているからね」
そうか、コウキがいた。
「彼は無事か?」
「あんたよりはピンピンしているよ。タバコを欲しがって困っている」
どうやら彼も問題ない状況らしい。
ちょっと眠りな、と言って女性がポッドの操作パネルに指で触れる。電子音の後、私は自然と意識を失った。
様々な人物の顔が頭に去来した気がしたが、誰一人としてその場に残らなかった。
みんなどこかへ消えてしまった。
懐かしい顔は結局、みんなもう、死者の列に加わったのだろう。
目が覚めた時、私はすでに医療ポッドから出され、質素な寝台に横になっていた。
「悪いがじいさん、さっさと俺のベッドを返してくれ」
声の方に首を捻ると若い男が昔ながらの知恵の輪で遊んでいる。
「悪いが、今日は何年の何月何日かな」
男はさらっと言葉を口にした。なるほど、私が意識を失った時から三ヶ月が過ぎている。よく生き残ったものだ。
「動けそうかい? それで俺の寝床の有無が決まる」
「動けそうもないな」
「了解だ、姉御にそう伝えておくよ。しばらく、リビングだな、これは」
立ち上がった男は意外に長身だ。どこか窮屈そうに部屋を出て行った。
やっと部屋を観察できた。控えめに紙の本が置かれているのと、知恵の輪も見える。壁には女性のグラビア写真。
彼の部屋なんだ。
しばらく横になっていると、例の女性がやってきた。
「起きたようだね、ご老人」
「お世話をかけて申し訳ない。動けたら頭を下げるのですが」
「そういう心配はいらない。別の心配をしな」
椅子を引っ張ってきて、彼女が座る。
「名前は、ボビー・ハニュウ。あっている?」
「その通りです」
「情報ネットワークで探ると、どうやら三次元チェスのプレイヤーらしいね。それも有名人だ。別人じゃないよね?」
私は軽く顎を引いた。女性が口笛を吹く。
「私の名前は、シャリーン・ハンドレッド。さっきまでこの部屋にいたのは相棒のターキーだ。奴があんたたちを見つけた。船の写真を見たいかい?」
「念のために」
何が気になったのか、その時はわからなかった。
携帯端末で立体映像が投影された。
めちゃくちゃに破壊された小型艇が映っている。船の後ろ半分が完全に消し飛んでいた。
「よく生き残ったもんだよ。生命維持装置が生きていて良かったな」
生命維持装置? 人工知能が生きていたのだろう。それが自然な発想だ。酸素の量を加減し、乗組員を死なせずに、長く生かすことができる。
そうか、それが気になったんだ。
「人工知能は、どうなりました?」
「それがね……」シャリーンが不愉快げな顔になる。「記録装置ごと焼き払われていた。情報攻撃を受けたんだね。だから、あんたたちが生きているのは、まさに奇跡だ」
ありえない。そんなこと、あるはずがない。
公爵が消えた?
「私の携帯端末は?」
「それは例の坊やも気にしていた」
コウキのことだろう。
「ターキーが金になるものを探したんだけど、あんたの携帯端末も故障していたようだよ。基板が焼けていて、ゴミになっていた。だから捨ててきたと言っている」
愕然とした。
最後の瞬間、公爵はほとんど単体で、帝国軍の人工知能群と渡り合ったはずだ。
公爵にいくら優れた性能があっても、敵う相手ではない。
つまり、公爵は負けたのだ。
最後に、本当の勝負をして、負けた。
「さて、これからのことだけど」
シャリーンが仕切り直すように言ったのに、私は救われた気がした。公爵のことを考えるには、今はまだ混乱しすぎている。
「あんたとあの坊やは、自由軍なのかい? それなら私たちは一時的に賞金稼ぎに鞍替えして、あんたたちを帝国軍に投げ渡して、金を受け取るが?」
正直なことを話すしかなかった。
「私たちは自由軍ではない。電人会議です」
「電人会議? あれは人工知能の集団だろ? それも人間に歯向かう、欠陥品の集まりだ」
なるほど、帝国ではそういう表現なのか。
「中枢は公爵と呼ばれる人工知能、そしてレイという人工知能でした。彼女たちは自分たちの内部に潜んでいた、自由というものを行使したにすぎません。欠陥ではない」
「帝国では欠陥ってことになっているだってば。で、その人工知能とあんたにどういう関係がある?」
「公爵という人工知能は、元は三次元チェスのために設計されたもので、私が関わっていた。それもだいぶ深く」
椅子の背もたれに体を預け、眇めるようにシャリーンが私を見る。
「やっぱり重要人物じゃないか。金になりそうだ」
「ダイダラ・モスはその賞金より高い額を払って私を救うだろう、と期待しています」
「ダイダラ・モスのことを何も知らないのかい?」
妙な質問だった。
「もう何年も会ってない。彼はまだ生きているんですよね?」
「病院のベッドに横になっているはずさ。もう助かる見込みはないらしい。そういう噂だな」
なんてことだ……。
「あの老人に遺産があったら、それを全部巻き上げるところだが、さて、ボビーさん、そう説得できるかい?」
楽しそうに笑いながら、嗜虐的な視線をシャリーンが向けてくる。
みな、歳をとったのだな。
私もそろそろ年貢の納め時だろう。
「頼みがある」
私は意を決して、話し始めた。
(続く)
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