SS第34話 青空が見える

34-1話 混濁


     ◆


 何も見えない。

 目が覚めていると気づくのにすら時間がかかった。

 時計を見ようにも、自分の腕さえ見えないほどの闇。瞼を閉じると、逆に少し明かりが感じ取れる錯覚。

「生きているようだな」

 声は、誰だったか、名前が思い出せない。

 誰かの呼吸がする、荒い呼吸だ。と思ったら、私だった。

 なぜこんなに呼吸を乱す。突然に左肩から背中にかけて激痛が走り、息が詰まった。

 同時に腹部にも痛み。こちらは鋭い痛みと鈍い痛みが鼓動を打つように、交互に、繰り返しやってくる。

 声が、出ない。何かが口の中をこわばらせている。

 不意に血の匂い、そして味。

「待ってろ、明かりをつける」

 誰かが闇の中で動き、いきなり非常灯の赤い光が灯った。

「結構、やっているな」

 赤い光の中で、うまく像を結ばない。輪郭がぶれ、二重にも三重にも相手が見える。

 若い男だ。片腕に力が入っていない様子で、ブラブラ揺れている。

 その彼がこちらへやってきて、屈み込むと、私の腹に触れる。激痛。思わず呻く。悲鳴をあげたかったが、その体力がすでにない。

「こいつはもう、死を覚悟するべきかもな、大将」

 記憶が蘇った。

 私はボビー・ハニュウ。帝国軍と戦って、船が破壊されたはずだった。 

 しかしまだ生きている。

 喋ろうとしても、声が出ない。まるで呼吸が止まっているような気さえする。荒い息はどこから出ている?

 床を見ると、黒いシミができている。何かと思ったら、血だまりだった。

 何かが喉に引っ掛かり、吐き出すと、血塊がドボッと床に落ちた。

 それを見た時、すっと意識が遠のいた。

 急に世界が塗り替えられ、私は子供になっていた。

 自分に与えられた部屋とドア一枚隔てた向こう、リビングで、両親が怒鳴りあっている。激しい言葉、何か鈍い音と、重いものが床に落ちる音。悲鳴。時には食器が割れる音がする。

 そんな全てから私は逃げるために、三次元チェスに集中していた。

 静かにしてくれ。次の手がわからないんだ。

 いつの間にか、オフラインのコンピュータは弱すぎて、自在に調理できる。

 オンラインにするには、両親に許しを得ないといけない。

 でも私は、とても両親にその話をできなかった。

 周囲の住民には自然な、どこにでもいる穏やかな夫婦を演じながら、二人だけになると、彼らの間には怒りと憎しみが吹き荒れる。

 時には私もそれに飲み込まれてしまう。だから、部屋にこもって、世界を閉ざした。

 端末をオンラインにしてくれ、など、とても言えない。

 私はコンピュータ相手に、駒を落として対局を続けた。三次元チェスは、チェスのルールを基本的に踏襲するから、駒を落とすのは、ものすごいハンディになる。

 これでやっと、私はコンピュータに負けることが増え、安堵した。

 まだ私は一人で居られる、世界を守れると、感じたのだ。

 そのうちに私は小学校を卒業した。成績が良かったのと、両親の財力もあり、星立の中学校に進学が決まり、それに合わせて、寮に入ることになった。

 私はあまり寂しいとも、辛いとも感じなかった。

 場所が変わるだけで、やることは変わらないと思ったし、変える必要もない。

 ただ一つ、重要な変化があった。

 中学校に入学すると同時に、携帯端末がオンラインになったのだ。

 オフラインでは、落とす駒の数が三つになっていて、さすがにどれだけ知恵を絞っても勝てない、不利を誤魔化しきれないレベルの不利で遊んでいたからだ。

 これで、やっと一歩、進める。

 こうして私は中学に入学すると同時にオンラインで人工知能を相手に対局を開始した。

 帝国三次元チェス協会の公式人工知能と対局すると、レベルが与えられるのは知っていた。でも、その人工知能は段階を追って強くなる。

 面倒だった。弱い人工知能を何回も倒してレベルを上げていくのは、時間もかかる。

 なのでさっさと民間の人工知能を相手にした。ここならレベルを自在に変えられる。レベルの低いプロ棋士程度にも設定可能。

 驚くべきことに、私はほとんど負けなかった。

 なんでこんなにぬるい手を指すのか、わざと間違えているのか、と思った。

 人工知能は三次元チェスに関しては、トッププロとどうにか引き分けるレベルである。

 なら、その最強の人工知能とやりたい。そう思ったが、もちろん、一般人の中学生にそんな機会はない。

 結局、私は人工知能が弱いのに合わせて、また駒を落としてプレイした。

 一回、中学校の三次元チェス大会に出る気になった。

 本気を出す必要はなく、むしろ手加減しないといけなかった。

 楽々と優勝した時、クラスメイトは「公爵」と私を呼んだ。どこかの本で読んだ、チェスプレイヤーのアダ名らしい。

 高校生になったその時、私は一つの決断をした。

 アマチュア大会への参加だ。彗星杯という大会がちょうどエントリーを受け付けていて、私は溜め込んでいた仕送りの一部で、参加費を払った。

 アマチュア大会の常で、情報通信で参加するプレイヤーが多い。

 私も寮の部屋で、携帯端末を片手に、対局を続けた。

 私はレベルが低いので予選からの参加になる。一日で十局を戦うハードスケジュールだ。しかも予選は早指し形式である。私はそれを難なく、こなした。問題は寮の食事の時間が決まっていることで、さすがに食堂で食事中も三次元チェスを続けられない。具合が悪いと言って、その日は何も食べず、全部の対局が終わり、深夜に少しお菓子を食べた。

 私は本戦に負け無しで進み、二日目も次々と勝ち進んだ。

 この時の会場の様子は伝え聞いただけだが、相当な騒ぎだったらしい。

 何せ私のレベルは十三なのだ。帝国三次元チェス協会の人工知能を一回負かしただけだった。

 そのレベル十三の「公爵」と名乗るプレイヤーの、決勝戦での相手は前回の優勝者で、名前はもう忘れてしまった。

 激しい切り合いの結果、私は詰みを読みきり、勝利した。

 インタビューを受けそうになったけど、私は具合が悪いと言って断った。二日連続で、合わせて二十時間近く、三次元チェスに没頭し、その上、二日目も絶食状態だった。

 端末を情報ネットワークから切り離し、やっと解放された気がした。

 私は寮の部屋のベッドで、宇宙船の乗組員が飲む栄養ゼリーをゆっくりと吸った。あまり多く飲み込むと、戻しそうなほど、本当に具合が悪かった。

 これが本当の対局のプレッシャーか、と実感した。

 初めての大会、ほとんど初めての、本物の実力者との、本当の勝負。

 私はぐったりし、疲れ果てている中で、何かが燃え始めるのも感じていた。

 もっと強くなりたい。もっと強い人と対局したい。

 シャワーを浴びて、走って売店に行って、お菓子を買い込んだ。売店の店員の人型端末が不思議そうな顔をしている気がしたけど、これは、さすがに気のせいだろう

 部屋に戻ると、炭酸ジュースのふたを開け、お菓子の袋も次々と開けた。

 一人きりだけど、打ち上げだ!

 むしゃむしゃとお菓子を食べ、ジュースをグビグビ飲むと、少しずつ気持ちがハイになり、そして落ち着いた。

 ゆっくりとお菓子を摘みながら、私は携帯端末で、プロ棋士の棋譜を確認し始めた。

 いつかここに出ている人たちと戦いたい。

 本気で、容赦なく、必死に。

「生きているかい?」

 声がする。

 携帯端末の中からだろうか?

「くそ、公爵はどこへ行っちまったんだ?」

 また声がする。

 公爵は、ここにいる。

 私が、公爵なんだ。

 声はもう、聞こえなかった。




(続く)

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