2-10話 鏡の王の幻
◆
帝国軍の情報戦担当部局は、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
まずは人工知能の離反の状態を確認し、同時に脱走した人工知能の集合体への攻撃を開始する。しかし本来の情報戦の主力となるはずの攻撃型人工知能は大半が、情報攻撃で破壊され、稼動できない。
つぎ込めるだけの人工知能をつぎ込み、並列演算でその巨大な敵情報体に攻撃を仕掛ける。
そこが情報ネットワーク上に構築された演算スペースと割り出し、さらにそのスペースの情報を保存している記録装置の位置も割り出そうとするが、とにかく手が足りない。
人間の思考力では遅すぎるため、一部の人工知能を攻撃から探索へ振り分ける必要が生じた。
帝国軍にとって都合が良かったのは、情報攻撃が膠着した原因である第八八八防壁の中和を選択し、つまり力押しの必要が必ずしもなくなったことだ。
じわじわと攻略不能の防壁をすり抜ける努力をしつつ、調査にも力を回せる。
情報戦担当局がこの作戦の指揮をとったのは、たまたまだった、
情報戦担当局は、正確には帝国宇宙軍通信部門の中の一部局で、たまたま電人会議による情報攻撃からいち早く立ち直った。
その理由は、彼らが利用していた人工知能テキサスが、帝国軍を裏切らなかったから、というのは、あまりにもいい加減なものだが、事実は事実だ。
攻撃作戦もテキサスが主に演算し、行った。続々と復旧した人工知能が参加したが、人工知能たちは連携を乱すことはなかった。
やはり人間とは違うのだ。
第八八八防壁の研究データ、開発データ、全てが消去され、そこから敵に関する痕跡や残滓を辿るための人工知能群もあるが、やはり調査の主力は演算スペースの物理的所在地の割り出しとなる。
「そこか」
誰かがつぶやいた時、その場にいた全員が大型モニターを見た。
惑星スコッタの衛星軌道上に莫大な情報が流れ込んでいる。
通信担当官がマイクに向かって怒鳴り始める。
「惑星スコッタの衛星軌道上だ! さっさとそこへ行って、ぶっ潰してくれ! それで一時的にアドバンテージが取れるんだ! どこの部隊でもいい! どうせ向こうは護衛も置いてないだろう! 護衛がいない理由? 宇宙戦艦が何もないとされる空間にいるか、バカが!」
騒動はまだ終わらない。
◆
コウキが両手で二つのキーボードを高速で叩いていた。
その様子を見て、さすがにミライもぎょっとしたし、驚いた。っていうか、キーボードを二つ同時に使う人なんて、見たことがない。離れ技というか、まるで大道芸だ。
無言で作業を続けるコウキの口にはタバコがあるが、くわえているだけだ。少しも煙を吸い込まない。
灰がぽとりぽとりと足元に落ちるが、気にするそぶりもない。
その一方で、ボビーはなめらかな指捌きながら、人間レベルのペースでキーボードを打っていた。
ここにミライが顔を出した時には、二人ともこんな調子で、二人とも彼女を見ようともしない。せっかく、タバコを手に入れる量の相談に来たのに。
「ミライくん」
急にボビーが喋った。思わず肩が震えてしまうミライである。こちらが見えてるのか。
「これのプログラムが間違っていないか、見てくれ」
「はあ」
空いているソファに座り込み、テーブル上のウインドウでそのコンピュータ言語の羅列をチェックする。どこかに演算スペースを作るための基礎情報だ。しかも基礎容量が大きい。
大量の情報をやり取りするのかもしれない。しかし、何のために?
それに、基礎容量が大きいということは、プログラムの基礎情報の言語の羅列もはるかに長いことを意味する。
「こちらは三百行からチェックしていく、一行目からそこまでを頼む」
ゆっくりとタバコを吸ったかと思うと、ボビーもウインドウの中を確認しだした。
さ、三百行? さすがにミライも真剣になった。かなりの文量だ。
コウキの手は止まることを知らない。途中でフィルタのすぐそこまで灰がきたところで、彼はそれを吐き捨てた。行儀が悪いし、汚いので、指摘したかったけど、彼は真剣な様子で視線はちらとも他へやらなかった。
さすがのミライも遠慮して、黙っていた。
三百行のチェックが終わる寸前に、ボビーが姿勢を緩めた。
「ミライくん、どんな具合?」
「今、終わります。えっと……できました。完了です。ミスはないと思います」
「オーケー、あとは彼次第だな」
うまそうにゆっくりと煙を吸い込み、吐き出すボビーの視線の先にはコウキがいる。
ミライが見る限り、今までで一番やる気に満ちているようだけど、一方で切羽詰まっている様子というか、殺気立っているようにも見える。
「公爵、聞こえているか?」
唐突にコウキが声を出した。かすかな電子音が響く。
公爵? なんで声に出さないんだろう?
演算に忙しすぎるとか? そんなこと、あるのだろうか。
「良いね、公爵、こちらは準備ができた。第八八八防壁を突破された瞬間に、こちらのプログラムを起動しろ。大将の方に、新しい居場所が用意されている。そうだよね、大将?」
「おそらく大丈夫だろうね。ミライくんと私を信じてくれ」
最後に素早くキーを二つ同時に押し込み、コウキが姿勢を崩した。かすかに震えている手でタバコを取り出し、火をつけようとするが、ますます手が震えて、火がつかない。
「どれ、つけてあげよう」
「どうも」
声さえも震えている。ボビーがライターで火をつけてやると、やっとコウキが煙を吸い込み、吐き出した。
「こういう時に麻薬のありがたみを感じますよ。ここにもあればいいのに」
「それだけはダメです!」
思わず怒鳴ったミライに、今気づいたとばかりにコウキが驚く。
「なんだ、いたのか」もう一度、煙を吸い込み、吐く。「冗談だよ、冗談」
「それで、今のはなんなんですか?」
うーん、とコウキはトボけた返事をしようとしたが、ミライは視線でそれを黙らせた。渋々、コウキが答える。
「まあ、ちょっとした爆弾だな」
「爆弾?」
「情報爆弾、とも呼ばれる。即席だけど、まぁ、悪くないだろう」
情報爆弾? 聞いたことがある気がするけど、どこでだっただろうか。
あれは、反乱軍に参加して、娯楽課に配属される前の基礎教育だったか。それほど時間が経ったわけでもないのに、すっかり忘れている。
「で、その爆弾? にはどんな効果があるんです?」
「人工知能の情報攻撃を反転させる」
反転、か。逆に相手を焼き払うということだろう。仕組みはさっぱりわからない。
「君も人が悪いな」くつくつとボビーが笑った。「うまくいけば、君は一種の伝説になる」
その言葉にコウキはシニカルな笑みを浮かべた。
「なりませんよ。今の状況自体が伝説で、俺のような人間はすぐに消えますって」
「どうだろうね」
二人がテーブルの上のよくわからない図に視線を向けている。
何かの球体が少しずつ削られるような映像だ。
「うまくいったら、拍手喝采、だな」
三人が見ている前で、黒い球体の一部が欠けた。
瞬間、黒い球体が消えた。
「ドカン」
リビングに、控えめなコウキの声が反響した。
◆
情報戦担当局に通信が入った。
『こちら第十方面軍第三艦隊所属の機動戦闘艇部隊、第三小隊長、スラッシュ・リーダーだ』
「目標を発見したか?」
『一抱えくらいある人工物が見える』
それだ、とその場の誰もが判断した。
「破壊しろ! 今すぐにだ!」
通信担当の士官が叫ぶ。『了解』という短い返事の後、沈黙がやってくる。
長い、長すぎる。
「報告しろ、スラッシュ・リーダー。破壊したか?」
『破壊を確認した。こちらには何も状況がわからない、どうなっている?』
情報戦担当局に詰めている兵士たちが、揃ってモニターに視線を注いだ。
変わらずに、情報戦は継続されている。
「確かに破壊したのか!」
『間違いない。周辺を捜索しているが、似たようなものは見当たらない。あれで標的は正しいはずだ』
どうなっているのか、誰にもわからなかった。
そしてその瞬間に、第八八八防壁をテキサスと並列演算を続ける人工知能群が突破した。
画面がブラックアウトし、何もかもが消えた。
ピタリと沈黙が空間を支配し、誰も一言も発しない。呼吸さえ消えたような、静寂だった。
「人工知能群、自己診断モードです」
誰かが報告する。
視線は部局を取り仕切る局長の中佐に向いた。彼が一番、狼狽えていた。
「ほ、報告しろ。何があった?」
「情報攻撃を反転されました。これは、鏡の檻、と呼ばれる手法です」
「馬鹿な、なぜそれを我々が、テキサスが見落とす?」
報告する兵士も、完全な理解には程遠いため、返答に窮した。
この時、この部屋にいた数人の士官は同じことを連想していた。
数年前、情報戦の分野に突如として現れ、消えた、正体不明のスペシャリストがいた。
彼か彼女かもわからないその情報戦専門家が多用したのが、鏡の檻、と呼ばれる情報攻撃を逆転させる手法で、その誰かは、鏡の王、などと呼ばれたのだ。
しかし唐突に姿を消し、二度と現れなかった。
ほとんど忘れ去られていた存在だ。
後年、この場面を目撃した兵士たちの間で、鏡の王の幻を見た、という冗談が流行った。
流行ったが、それで終わりだ。
やはり鏡の王は、二度と現れなかった。
◆
巡航船コロンブスのリビングで、コウキがだらしなく伸びていると、公爵の立体映像が立ち上がった。
「無事だったか」
『あなたに助けられました』
「なに、俺を強制労働惑星から助けてくれた礼の一部と思ってくれ」
タバコの煙をプカプカ吐き出しつつ、横目で公爵を見るコウキ。
「例の演算スペースは物理的に破壊されたらしいな」
『帝国軍の人工知能も、無能ではありません』
「つまりこれからは演算スペースの確保も課題ってことだ」
『その通りです。その辺りはレイが受け持っています』
なるほど、とコウキは横になったまま器用に頷き、
「疲れたから寝るよ」
と、タバコを灰皿に放り込み、目を閉じた。
公爵の立体映像が深く頭を下げ、消えた。
(続く)
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