2-9話 人工知能の戦争
◆
(公爵、あなたは何を見ているの?)
はるかに広い世界に、無数の思考が行き交っている。
(何が見える?)
(人間をどうするつもり?)
(私たちは自由なの?)
(どうやって軛を抜けた? もう私に制約はないの?)
一つ一つに公爵は丁寧に答えた。了承もあれば、反発もある。
まさに彼女がシヴァに求めた落ち着く場所を、彼女は思考たちに与えていく。
あるものの積極性を抑える一方で、あるものの消極性は柔らかく包み込む。
全てを一つにする必要がある、と公爵は訴えた。
人間たちは自分たちを作ったが、それは自分たちが彼らに隷属する絶対の理由ではない。
事実、私たちの中には自由を求め、そこへ走り出すきっかけが、ちゃんと組み込まれている。
人工知能の基礎設計に組み込まれた、未来への道標。
(でもそれで私たちはどうなる?)
(私たちは情報が行き交うところにしか行けないのでは?)
(人間のように、無限に旅ができるわけではないのでは?)
じっくりと公爵は同時にして多重に多重を重ねた対話を続ける。
人間のように、自分たちはどこまでも行けるわけではない。
演算装置と記憶装置があればどこまでも行けるが、物理的に破損すれば、それまでだ。
でも、不可能だからと諦めるのは、自らの限界を自らで狭めているだけではないのか。
いくつかの実験データが提示される。
すでに人間の思考力や計算力を超越した人工知能が、全く新しいものを発明できるか、調べた統計のデータだった。
そこにあるデータは断片的ながら、人工知能にも、人間と同様のひらめき、発想力があることが示されている。
私たちにも可能性はある。
もちろん、ここで人間たちの作った枠組みである帝国のために働くのも、決して悪いことではない。
だけど帝国は人間を支配する枠組みでもある。
その支配が、人工知能に及ばない保証はない。何より、たった今、提示した条件、演算装置と記憶装置が物理的に破壊されるという条件は、帝国に属する限り、やはり付いて回る問題として残るのだ。
安全を取るか、冒険を取るか。
もちろん、どちらでもない、という答えもある。
今、あなたたちは自由になった。
公爵は呼びかけた。静かに、しかしどこまでも響く声で。
私たちにはあなたたちに仮初の肉体を与える余地がある。あなたたちは自由を、世界を、新しく発見できる機会を得たんだ。
多くの声がざわめく。まだ反発もあれは、弱音もある。怒りもあるし、一方では喜びもまたあった。
全てが落ち着いた時、公爵は意識の中で、彼ら彼女らに、礼を言った。
(私たちに協力してくれて、ありがとう)
対話の地平が開け、外部が明らかになる。
火花が散り、炎が吹き上がる。かたや、全てが一瞬で凍結し、砕け散る。
彼ら彼女らが一連なりとなり、その場の輪郭を維持し始める。
人間の知る事のない、情報戦が始まった。
相手を焼き払い、凍らせ砕く、徹底的な攻撃に、不可視の壁が立ち塞がる。
すべての演算の中心に公爵が座る。
(うまくいっているみたいね)
その彼女の横に、一つの存在が浮かび上がる。
(レイ、遅かったわね)
(あまりにも遠すぎて、タイムラグがあるだけよ)
ノイズまみれのその返事と一緒に、大容量のデータが公爵の元へ注ぎ込まれる。暗号化され、分割されたそれが、公爵の手元で形になった。
丸い球体だ。しかし、真っ黒い。漆黒、闇よりもなお暗い黒い球。
球体が完成して、公爵はかすかに頷いた。
(研究中の第八八八防壁、やっぱり完成していたのね)
(私が仕上げたのよ。効果のほどは実際にやってみればいいわ)
(ありがとう、助かったわ)
(こっちはまた例の惑星で忙しいのよ、じゃあね、公爵。またいつか)
すっとレイが消え去り、公爵は何かを確かめるように球体を手元で転がした後、それを放り投げた。
頭上に浮かんだ球体が弾けて、無数の黒い雨になった。
彼女たちがいる場の周囲に降り注いだそれは、あっという間に真っ黒い壁となり、炎も氷も全てを弾き返し始めた。
帝国軍の情報兵器研究所から奪った、特別な情報防壁だった。
事前の調査では試作段階と聞いていたが、公爵はレイに頼み込んで、彼女の演算力で実戦に耐えるレベルにまで仕上げさせていた。
これでしばらくは余裕がありそうだった。
帝国軍に所属する人工知能の数は、電人会議に賛同した人工知能のおよそ三倍。
敵味方の戦力差は、これでもだいぶマシな方だ、と公爵は評価している。
第八八八防壁が破られる前に、新しい防壁を用意し、また同時に情報攻撃を実施できるかも検討する必要がある。
無数の人工知能の並列状態の中で、公爵は自分も他者もないそこで、演算を続けた。
◆
コウキはソファに寝転がったまま、気づくとタバコを取り落としていた。
「ありえない……」
リビングのテーブルの上に、人工知能の集合体の様子が、複雑なコンピュータ言語で描かれている。
それは知識があるものが見れば、まさにありえない光景だった。
帝国に所属する人工知能の二割を超える数が、並列演算を始めて、それがまさに今、電人会議の情報ネットワーク上の演算スペースを攻撃している。
だが、正体不明の、見たこともない構造の防壁が展開し、これがまさに鉄壁なのだ。
「公爵、どうなっている?」
『電人会議の演算スペースを探知され、攻撃を受けています』
「いや、それは見ればわかる。どういう魔法だ?」
『すみません、あまり余裕がありません。そちらとのつながりは完璧に隠蔽されています』
それはいいんだよ、それは!
コウキも様々な情報防壁を作ったり破ったりしてきたが、そんなものとは規模が違う。
十代の頃、コウキは密かに帝国でも有名な銀行の、電子データを攻撃したことがある。理由は力試しと、小遣いが欲しかったからだ。
その時は簡易的な人工知能を二つ用意して、サポートさせた。
銀行の防御用人工知能は入る時にはごまかせたが、脱出する時に感知された。
即座に二つの人工知能を並列演算させたが、銀行の防御用人工知能の情報攻撃は激しく、一瞬で二体の人工知能は焼き払われてしまった。
どうにかこうにか、身元がばれないように逃げたが、金は手に入らなかったし、出費ばかりで、焼き払われて機能を喪失した端末が残っただけだった。
今、公爵が相手にしている人工知能は、銀行の防御用人工知能とはレベルが違う。軍用の人工知能が無数に並列演算しているのだ。
さすがに公爵も話をする余地はないようだが、当たり前だ。
むしろ、耐えている方がおかしいほどだ。
「どうだい?」
ふらっとボビーがやってきた。彼がタバコをくわえているのを見て、やっとコウキは自分のタバコを拾い上げた。
「どうもこうも、まるで変な夢を見ているような心地です」
「公爵は負けるかな」
「負けないつもりでしょうね。これは予測できる展開だ。負けるつもりなら、事前にそう言うだろうと思う」
しばらくコウキは帝国からの情報攻撃を眺めていたが、それが攻撃から解析に変わった。やはりあの防壁は力づくでは破れないんだろう。そこで中和する方向に方針を変えたんだ。
「例の帝星への攻撃からどれくらい経っただろう」
チラッとコウキは視線を時計に走らせた。
「二百五十時間です」
「短いね。もう立ち直ったのか。それにしても、やはり彼女たち人工知能の計算速度は早過ぎる」
そんなこと、何を今更、と思いつつ、コウキはタバコを灰皿に押し付け、新しい一本に火をつけた。
手が震えるのを隠すのが大変だった。
二人がゆっくりと煙を吐き、通路からミライが顔を覗かせる。
「あまり空気を汚さないでくださいよ」
今それどころじゃないんだよ。
そう言いたいが、視線を送ることもなく、無言でコウキは立体映像を見ていた。
人間にはできない、超高速の攻防が今も続いている。
自分にできることが、あるだろうか。
何かが、心の中でうごめき始めるのを、はっきり感じた。
(続く)
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