23-4話 生贄


     ◆


 トニーとは夕食を食べることはできなかった。

 部下の軍曹が報告に来て、トニーが憲兵に拘束されたと聞いた。

「そうか……」

 それ以外に、何も言えなかった。

 すぐに部屋の端末が呼び出し音を発し、受けるとそこには上官の中佐が映っている。俺はまだショックから抜け出せず、黙って見返してしまった。

『大尉、君の身柄を憲兵が欲しがっているが、どうするね?』

「良いでしょう、出向きます」

『不愉快なことだ』

 何が不愉快なんだろう? トニーか、俺か、それとも憲兵か、あるいは帝国だろうか。

 憲兵の詰所へ入ると、取調室ですでに椅子にトニーが縛り付けられ、目隠しをされていた。これから拷問が始まるのだ。

 それを横目に、俺は出迎えた兵士に連れられて、もう一部屋の取調室へ。

 例の憲兵大尉が待っていた。

「形だけですよ。あなたが潔白なのは知っている」

 そう切り出してきた大尉の質問にいくつか答えた。

「あの偽情報は誰が設定したのですか?」

 大尉の質問が終わった頃に、俺は逆に尋ねてみた。大尉が肩をすくめる。

「あれは諜報部門の連中が設定したものだよ。内部に裏切り者がいる、それも野放しでいる、というのは対面が悪いからな。今回の件も、彼らの申告から我々が動くことになった」

 なるほど。まさに自浄作用というしかない。

「見ていくか?」

 急に言われて、何の話かわからなかった。

「気分は悪いというのは想像できるが、ご友人の様子を見なくていいか?」

「ああ」俺はまだぼんやりしているらしい。「では、少し」

 取調室を出て横の控え室に行くと、今まさに、トニーが拷問されていた。

 声を出す自由は与えられているが、控え室までは声が漏れてこない。防音ガラスなのだろう。しかし彼が絶叫しているのは様子でわかる。グロテスクな光景だった。

 無音の悲鳴、慟哭、怨嗟が、押し寄せてくる。

 どれだけそこにいたか、気づくと俺の横に立つ大尉に、兵士の一人が耳打ちしていた。

「精神スキャンをしろ、か……」ひとりごちた大尉が、指示を飛ばす。「精神スキャンの準備をしろ。手短に済ませよう」

「精神スキャン?」

 思わず俺は声を上げていた。

「奴に精神スキャンを施すのですか? 本当に?」

「事態は重大なんだよ、大尉。仲良しこよしな段階じゃない」

 食いさがることもできないまま、俺はトニーの頭にやや大ぶりのヘルメットが装着されていくのを見ていた。目隠しが外され、一瞬、俺と視線があった気がした。

 ヘルメットが固定され、コードが小さな装置に接続される。

 頭を振ってヘルメットを弾き飛ばそうとするトニーの努力は、薬物の注射で無意味になった。トニーの体が弛緩し、もう動かなくなる。

 死んでしまったかと思った。

「始めます」

 兵士の声に大尉が頷く。

 ビクッと電気でも流れたかのようにトニーの体が震える。

 何かを叫んでいるようだが、無情な防音ガラスを突き抜けることはできなかった。

 激しく体を震わせていたトニーも数秒でただ体を突っ張るだけになる。

「完了しました」

「よし」

 大尉に短い言葉と同時に、トニーの体が再び弛緩して、ぐったりする。

 俺はその光景をじっと見据えているしかできなかった。

 ヘルメットが外され、何の表情もないまま、トニーが首を垂れている。いつの間に待機していたのか、医者が取調室に入り、トニーの検査を始める。

 素人目に見ても、廃人になったのは確実だった。

 非道な装置だと、俺は改めて思い知った。

「手に入った情報を確認するか? 整理には三日はかかると思うがね」

「いや……」

 無意識に頭に手をやっていたが、その手は震えている。

「俺は大丈夫だ。気を使わせて、すまない」

「こちらこそ、やはり見せるべきではなかった。非道な行為だ」

「いや……、いや……。これで、失礼する」

 俺は憲兵の詰所を出て、通路で一度振り返った。トニーがここから飛び出してくることはない。

 仕事部屋に戻る前に、上官の執務室に向かった。

「お前も甘いな」

 中佐の一言に、俺はただ黙って頭を下げた。

「非情さを忘れるなよ、大尉。誰が敵かわからないのだ」

 それにも俺は答えられなかった。

 下がっていい、と言われて、やっと部屋を出る自分が、みっともなかった。

 仕事部屋に入って、椅子に座り込み、俺は少しだけ泣いて、また作業を始めた。

 それから一週間ほどで、帝国軍の諜報員がだいぶ摘発されたようだったが、もちろん、全員ではないし、今も自由軍には志願者が次々とやってくる。

 それは諜報員も手を替え品を替え、忍び寄っているということだ。

 俺は医療ブロックを頻繁に訪ねた。

 そこにはリハビリ施設があり、治療中の兵士が必死で体を取り戻そうとしている。

 その施設の隅にある小部屋で、トニーの精神回復治療が施されていた。

 トニー自身はぼんやりと医者の顔を見るだけで、声は聞こえているようだが、理解しているかは怪しい。

 俺が部屋に入っても、ちらっと視線を向けるだけで、その視線には何の感情もない。

 しばらく様子を見て、休憩になると俺はトニーと並んで、医療ブロックに併設の植物園に行く。

 どこかフラフラとした足取りで、トニーは植物の間を抜ける。元からこういうことに興味がなさそうな男だったがこうなると、今からでも興味を持って欲しかった。

 医者から不用意な発言は禁止されているので、俺はトニーに花や植物について話すが、返事はない。

 結局、三十分ほどを歩いて、部屋に戻る。

 待ち構えていた医者の治療が始まり、見ていられなくなり、俺は外へ出た。

 仕事部屋まで歩きつつ、思考は乱れた。

 精神スキャンの実態については知っていたが、いざ知人がその対象になると、これほど残酷に感じるのか、と驚くばかりだ。

 禁止するべき技術だと、俺ははっきりと確信した。

 今頃、この宇宙のどこかで機動母艦エンタルに乗っていた連中が、トニーと同じ状況になっていると思うと、胸が痛むどころではない。

 非道、まさに非道の極みだ。

 しかも帝国軍に味方を送り出すという行為を、自由軍の一部は意図的に実行した。

 帝国民は帝国軍の所業を知れば、まともな倫理観が残っていれば帝国軍を批判するだろう。

 でもそんな帝国民たちの声で、心を破壊された人間が回復するわけではない。自由軍が差し出した同志の心を破壊したのは帝国軍であり、また自由軍でもある。俺がここでそれを非難しても、誰の心も回復しない。

 自由軍も帝国軍と大差ないのだ、と俺はぼんやり考えた。

 それはトニーのことだけではなく、自由軍さえも仲間を生贄にした時点で、最後の一線を、大きく超えているのだろう。

 それが戦争、という言葉で片付けてはいけない、人間の道を大きく逸脱するやり方だった。

 でも俺には何の力もない。俺はただの一人の諜報部門の一員で、全体の作戦を決めるのは、もっと別の誰かだ。

 もし、俺に白羽の矢が立ったら、どうするか。それも考えるべき点ではある。

 俺自身が帝国に特攻させられる任務を与えられたら、受け入れるのか。

 俺は死ぬのが怖い。トニーの様子を見てしまえば、精神を破壊されるのも恐ろしいことだ。

 そんな恐怖や怯えは、自由軍の方針、自由軍の勝利の前では、無意味、無価値なのか。

 通路を歩きながら、俺は何が正しく、何が間違っているのか、考え続けた。

 少なくとも今、自分が圧倒的な恐怖に怯えているのを自覚しながら。




(第23話 了)

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