第14-3話 練り上げられる知性
「この手は非常に面白いな」
私はコンピュータに話しかけつつ、盤の一つを手元に引き寄せた。
「この変化はどうだろう」
『その変化には、この応じ方が最適かと』
自動で駒が動く。ふむ、悪くない。
「ここで両取りを受けるけど?」
『その十手先まで考えれば、両取りにより隙ができます。どちらを取ってもです』
その通りだった。
しばらく人工知能とやり取りをして、二十局ほどを検証した。
部屋のスピーカーからメロディが流れ、昼食になる。
ドアがノックされ、若い、反乱軍の制服の女性が入ってくる。
「お昼ご飯をお持ちしました」
「ありがとう」
彼女が持ってきたトレイが部屋の隅の机に置かれる。彼女は部屋を出ずに、やはり部屋の隅にある椅子に腰に腰掛けた。
「一局、お願いします」
「よかろう」
私は二人の間に盤と駒を表示させた。コンピュータが先手盤と後手番を決め、私が後手番になった。
ゆっくりと彼女が駒を動かし、私も応じる。
「主任はどうして三次元チェスを?」
そう尋ねられてやっと彼女の名前を思い出す必要に駆られた。
えっと、そう、ミライだ。
「父親に教わってね。ミライくんは?」
「私は公爵の影響ですよ」
そういう彼女はまだ二十代だろう。
公爵の伝説が終わった頃に育ったはずだ。
「すごいですよね、反乱軍で負けなしの公爵」
なんだ、そちらだったか。
ちょっと落胆しつつ、強気に攻めてみる。もちろん、彼女の駒が組んでいる陣形をだ。
「本当の公爵を知っているかい?」
「本当の?」
「人間のだ」
うーん、とミライは首をかしげ、彼女も攻めてくる。当然、私の陣地へ。
「君は生まれていなかったかもな。懐かしい話だ」
攻め合いの中で、隙をついていく。
ふと、それが成立しそうなことに気づき、私はちょっと遊ぶつもりで、その戦法を実行した。
ルークを捨てる。
彼女は何も考えずにそれを取った。
今度はビショップを捨てる。
やっとミライが事態に気づき、こちらを見た。
「わざとやっていますか? 勝ちを譲るとか?」
「これは名前がある戦法だ」
「どんな名前ですか? 投げやり戦法ですか?」
「そんな適当な名前じゃない。ツイン・サクリファイス、だ」
ふーん、というのがミライの反応だった。たぶん、あとで情報ネットワークを検索するだろう。今も詳細な情報はそこに記録されているはずだ。
しばらく考えてから、彼女はビショップを取った。
それからの数手で、私のポーンがクイーンに変わり、ミライはあっさりと詰んだ。
「さすがに娯楽科の三次元チェス担当の主任ですね」
「君のレベルは?」
「四十二です」
そんな相手にツイン・サクリファイスとは、大人気なかったかな。
「主任はご家族は?」
「昔に結婚していたが、今は当然、いない」
「反乱軍に入るために別れたんですか?」
「その前に家庭は破綻していたよ」
どうやら三次元チェスの仕返しをしているらしい。ミライはどこかいたずらをしている雰囲気だ。
「三次元チェスばかりやっていたんでしょう?」
「そうだが、彼女も三次元チェスの愛好家だった。レベルは百を超えていた」
「そうなんですか、お似合いじゃないですか」
それは当時、いろいろな人に言われたことだ。
でも彼女が私を当てにしたのは、自分が三次元チェスを続けながら生きていくためであり、要は私はいい師匠であり、同時に養ってくれる、都合のいい存在にすぎなかった。
当時、妻とのチェスは、私に様々な感慨をもたらしたものだ。
徹底的に叩き潰すことができず、簡単に負けることもできず、手加減が難しかった。
しばらくは彼女もそんな私に気付かず、対局していた。
だが、気づくのは時間の問題であり、彼女は事実に気づくと、私とは対局しなくなった。
同じ家に住みながら、それぞれに人工知能を相手に対局を重ねる。
言い訳のように子どもを作り、彼女は三次元チェスをやめて子どもの面倒を見て、私を恨めしく、憎悪の目で見るようになった。
私は彼女を解放するべきだと思った。
息子を私が引き取っても良かったが、彼女が親権を主張し、私はそれを受け入れた。
あれは何年前だろう。研究所にいた頃だから、もう三十年近く前だ。
私に子どもがいたことなど、誰も覚えていないだろう。
「どうしたんですか? 主任。遠い目をしちゃって」
「ああ、いや」私は席を立って、テーブルの上の簡単な料理を取りに行く。「昔を思い出していただけだ」
「疲れているんじゃないですか?」
どうかな、などと応じつつ、トレイを手に席に戻り、食事を始める。
「公爵、聞こえている?」
ミライの呼びかけにコンピュータが答えた。
『なんですか?』
「昨日の対局で一番白熱した奴を見せて」
『こちらです』
部屋の真ん中に大きく盤が表示され、私はミライの後ろから、その棋譜を眺めた。
先手盤が公爵、後手番は、ハッキネン大尉、という名前だ。
対局はまずは駒組みがあり、公爵から攻めが始まる。
ハッキネン大尉というのは受けを重視していて、終盤までよく守っている。
ただ、悪手が一つあり、それを公爵は見逃さなかった。
最後は攻め合いになったが、公爵が勝った。
「どこが転換点?」
ミライの言葉に対して、公爵は、ハッキネン大尉の悪手の場面を表示した。
「さっぱりわからないわ」
「四・六・五にナイトを移動させる。それが最善だろう」
私が口を挟むと、ミライが胡乱げな目を向けてきた。
「本当だ。間違いない」
断言してみせるが、ミライは信じていない。
「どうなの? 公爵の意見は?」
『主任の言う通りです。その手が最も有望です』
どうだ、と言いたいけど、我慢して、控えめな表情で私は食事を再開した。
「公爵。主任の手の後の変化は?」
『いくつかのパターンをお見せします』
盤が三つに分かれ、それぞれでその後の展開が検証されていく。
「どれでも公爵が勝つように見えるけど?」
『どちらかが勝つのが勝負です』
人工知能の冗談に私は思わず笑ったが、ミライは不服らしい。
少しは私の威厳も見せておくか。
「真ん中の盤で、最初から四手進めてくれ」
私の指示通り、盤上で駒が移動する。
「その次の手を、八・六・三にルークを移動だ」
それはさっき、人工知能が予想した展開とは違う手だった。
『その手には応手があります』
盤上で駒が一つ動く。
私はまた座標を指示して、駒が移動する。
少し指したところで、人工知能が黙ってしまった。
「どうなったんですか? 主任」
「まあ、そうだな、これは引き分けだろうね」
目を見開いて盤上を確認したミライが、もう一度、こちらを見る。
「どうして引き分けだとわかるんですか?」
「そうだな、駒の取り合いになって、詰ませられなくなる、と思う」
「ですから、その理由は?」
「勘だね」
そんないい加減な……、と呟きつつ、ミライはもう一度、盤を見ている。
『主任の発想は正しいと思います』
人工知能がやっと会話を再開した。
『素晴らしい機転です』
「信じられないわね。この先の展開を見せて」
諦めきれないらしいミライの指示に従って、盤上で駒が動き始める。
おおよそは私の予想通りだった。
お互いに駒を取っては取られをしているうちに、駒がみるみる減って、引き分け以外にない状況になった。
ため息を吐いて項垂れてから、ミライがこちらを見る。
「さすがに公爵の管理人ですね。見直しました」
「こういうこともある。たまたまだ」
艦内放送でチャイムが鳴り、これは午後の勤務の予鈴だ。私は食事が終わっていた。
ミライがトレイを受け取り、ドアの間で頭をさげる。
「明日も、よろしくお願いします」
彼女は私の部屋に食事を持ってくることと引き換えに、私の弟子になっているのだった。
無償で教えてもいいと言ったのに、彼女の方から、時間がもったいないこともあるし食事を持ってくる、と言い出したのだ。
『いい弟子ですね、主任』
人工知能の言葉に、私は肩をすくめた。
「弟子というより、まるで友達だ」
私にはあまりに友達が少なかった。
この歳になっても、嬉しいものだ。
(続く)
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