第14-2話 消え行く光
公爵が大学を卒業後、民間の研究所に入所し、そこで人工知能に三次元チェスを教えている、ということは、すぐに三次元チェス愛好家の中で話題になった。
今から三十年ほど前のことで、人工知能は発達しても、三次元チェスの分析はまだ未開拓な分野である。
人工知能の中には人間に勝つ、プロ棋士に勝つ存在もいたが、それは勝負の話であり、三次元チェスを全て計算の範疇に飲み込むのは、まだ先になるはずだった。
その研究所がデモンストレーションで、公爵と最新の人工知能の対局を行う、というイベントを企画した。
会場は中規模の発展をしている惑星の、その研究所で、この時のことを惑星の住民は何年も語り草にしていた。
「こんな場所にあんな大勢が来たことはなかったね。まるで皇帝陛下の御幸でもあるようだったよ」
会場はファンとマスコミでいっぱいになり、公爵が登場し、席に着いた。
対局は二回行われる。それは先手番と後手番の有利不利をなくすためだった。
まずは公爵が先手番で、対局が始まった。
持ち時間が少ないため、お互いに考慮時間を後に残し、指していく。
人工知能がばっさりとクイーンを捨てた。
ファンの脳裏に、クイーン・サクリファイス、という大昔の伝説が浮かび上がった。
ここで公爵はしばらく考え、クイーンを取った。
このクイーンは取っても不利になり、取らなくても不利になる。
人工知能の読み通り、これは成立し、じわじわと公爵は押し込まれ、投了した。
マスコミは盛んにカメラのシャッターを切り、観客は落胆の声を漏らした。
十五分の休憩の後、二局目が始まる。
驚くべきは、公爵は控え室に戻らなかった。
じっと席に座って、目をつむって、顔を俯けていた。
この時の写真は、様々な新聞に掲載されることになる。公爵の最も有名な写真のうちの一枚だろう。
二局目が始まり、公爵は顔を上げた。
人工知能が先手番で、対局は粛々と進んだ。
すっと、公爵が自然に指した手に、会場が少しざわついた。
ルークを捨てたのだ。人工知能、即座にこれを取る。
公爵の次の一手こそ、観客を混乱に落としれた。
ビショップも、捨てた。
これが後に、ツイン・サクリファイス、と呼ばれる一連の手筋だった。
三次元チェスは終盤になるほど駒の取り合いの結果、自分も相手も駒が減る。駒が減れば、攻めることも難しくなる。
このツイン・サクリファイスは、圧倒的に不利になるはずだった。
人工知能は、ビショップも取った。
それから数手が進んだ時、全員の前に、鮮やかな道筋が示された。
公爵のポーンが、人工知能の陣地の一番奥に到達するのを、人工知能は阻止できない。
そこにポーンが到達すれば、そのポーンはクイーンに成る。
クイーンが生まれれば、人工知能を詰ますことができる。
人工知能の最後のあがきもしのぎ、公爵は二局目を勝利した。
こうしてデモンストレーションは、引き分けで終わった。
自分が所属する研究所だからか、珍しく公爵は対局の後に記者会見を開いた。
「人工知能には、理解できないことがある。彼らと私たちでは、犠牲というものの感覚が違うのでしょう。しかし、今日、私は人工知能の感覚での犠牲を、人工知能にぶつけました。対局に勝ちましたが、それが正しかったか、まだわかりません」
人工知能の感覚での犠牲。
公爵の言葉は、マスコミには理解できなかった。
伝説的なイベントは、その言葉を全世界に発信し、幕を閉じた。
公爵はしばらくの間、アマチュアの世界から姿を消し、最初こそ話題になったが、次第に下火になった。
それを後押ししたのは、公爵が開発に関わっている人工知能の方が、よりメディアを賑わせたからだった。
その人工知能の三次元チェスのレベルは、三百を超えるとされた。
宣伝文句は「公爵の弟子」である。
ユニークな機能としては感想戦での意見交換機能があった。
大抵の三次元チェスプレイヤーが使う、練習用の人工知能は、感想戦を行わない。その代わりに対局の棋譜を振り返り、どこで形勢が決まったか、どれが悪手だったか、どうするのが最適だったか、などを数値で表示する。
しかし公爵が作った人工知能は、会話で感想戦を行う。
これは不合理なようで、別の面で売れ行きに貢献した。
孤独感がないのだ。
端末を前に駒を動かして数字を見て、また駒を動かして数字を見るのが当たり前だったのが、音声で話しながら検証できるわけである。
三次元チェスプレイヤーの友達ができたようなものだ。
この人工知能は売れ行きを徐々に伸ばし、三次元チェスブームに一役買った。
帝国三次元チェス協会が公式で人工知能を売り出すほど、人工知能と三次元チェスを指すのが流行した。
公爵の存在は、実際には姿を見せなくとも、情報ネットワーク上で何度も目撃され、三次元チェスを指すことは頻繁だった。
彼のレベルは四百を超え、アマチュア最強でありながら、プロも敵わない、伝説のプレイヤーとして、もはや誰も疑うものはいなかった。
人工知能との対局から八年後、帝国三次元チェス協会が、公爵と五番勝負をしたい、と言い出したのは、すでに公爵にレベルを与えるのを諦めた、とも言える動きだった。
公爵は最初こそ渋ったものの、これを受け、帝国の中心、帝星で対局は行われた。
結果は、公爵の四勝一敗。
これにより公爵はレベルが五百を突破し、帝国三次元チェス協会は、公爵を、特別なプレイヤーとすると決めた。
彼は、「神代の棋士」、と呼ばれた。
アマチュア大会への参加を禁止とし、公式の対局はプロ棋戦で行うように求められた。
公爵は特に反発もせず、これを受け入れたが、彼は滅多に棋戦には参加しなかった。
プロのタイトルである白金杯に参加し、挑戦者になると、タイトル戦七番勝負を四対一で制して、これが彼に最初にして最後にプロタイトルとなる。
翌年にタイトル戦では、不自然なほどぎこちなく指して、一度も勝てずに四連敗のストレートでタイトルを奪われた。
それ以後、彼は公の場に姿を現さなくなった。
一部のマスコミの報道では、公爵は研究所を辞めた、という話題もあったが、その時には、公爵のことはそれほど話題にならなかった。
あまりに伝説として大きすぎて、リアリティがない。
そして無様な四連敗。
彼の時代は終わったと、ほとんどの人が思っていただろう。
そして公爵のことは忘れ去られて、彼にも彼の家族にも、マスコミは執着しなくなった。
彼が姿を消して数年後、地方の新聞社の発行した電子版の新聞に、こんな記事が上がった。
「三十代男性が行方不明。捜索が続く」
その男性が公爵だということを、誰も考えなかった。
あまりにも帝国が広がりすぎたために、伝説の人の失踪さえも、大量の情報で薄められてしまったのだ。
こうして、公爵は帝国から消えた。
(続く)
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