第11-3話 底の底

 撮影の予定は四日間で、二日はちょっとした混乱もあったものの、順当に進んだ。

 服装も現地の住民のようにして、カメラは顔の前に構えず、肩からストラップで吊り下げるようにした。

 ものすごくブレるけど、これは後で補正すればいい。

 警官の横暴が日常だということがわかり、時には女性を狙う警官もいた。彼女たちは路地に連れ込まれ、意気揚々と出てくる警官の後に従い、どこかへ逃げるように去った。

 三日目には軍人の集団と遭遇した。

 四人組で、明らかに現地民の男性を二人従えていて、その二人は、真っ青な顔だった。

 しばらくそれとなく観察したが、その二人が軍人をもてなしているようだが、ほとんど財布代わりらしい。

 あまり関わるべきではないので、僕はすぐにその場を離れた。

 三日目の夕飯は、三軒目のホテルのすぐ横にあるデリカテッセンで買うことにした。

 店に入ると主婦が二人、珍しく立ち話をしている。料理が出来上がるのを待っているらしい。

 主婦の一人がこちらを見た。にっこりと笑顔が向けられる。この街で初めて見る笑顔だったかもしれない。

「あなた、旅行者の方?」

「ええ」どう答えようか迷ったが、黙っているわけにもいかない。「報道の仕事です」

 その時、僕は例の腕章をつけていなかったけど、カメラは肩から下がっていた。もちろん、録画されている。姿勢が不自然になるので女性の顔は映らない位置だ。しかし、もしかしたら料理が並んでいるガラスケースに写り込んでいるかもしれない。

「カメラを提げているものね」

 女性がこちらに歩み寄ってきた。

「ロストニアはどうかしら? やっぱり怖い?」

 これもまた、答えに困る質問だった。もう一人の女性も微笑んで、こちらを見ている。

「刺激的ですね。なんというか、こう、独特で」

「言葉を選んでいるわね、お兄さん」

「それが常識と聞きまして」

 彼女が頷いて、そっと僕の手を取った。

「私たち、外の話をほとんど聞かないの。外の話を聞きたいわ」

「外?」

「この惑星では、帝国のことさえ、あまり情報がないのよ」

 僕はそれから十分ほど、彼女に帝国の様子、最近の大きなニュースについて話した。当たり障りがないようにするのに、四苦八苦だ。

 女性二人は料理が出来上がると、やっぱり魅力的な笑みを見せて、去って行った。

「お客さん」

 その時、店員が厨房から顔を出した。

「料理はしばらくかかるよ」

「え? さっき、あのご婦人に出したのでは?」

「他所に行ったほうがいい」

 店員はそっけなく言って、厨房へ戻ろうとする。

 不自然に思いながら、僕は仕方なく、店を出る気になった。やっと店員の口調にある不穏なものに、気づいたのだ。

 しかし、これはやや遅きに失した。

 店から出る前に、二人の警官がやってきた。

「兄さん、両手を上げな」

 言われるままにするしかない。

 拳が腹にめり込んだ。一瞬の激痛が体を走り、足から力が抜けた。

 それからのことは、ほとんど覚えていない。

 警官は、流言飛語を口にした、とか、報道関係者を示す腕章をつけていなかった、などと指摘しつつ、徹底的な暴力で僕を打ちのめした。

 今まで、経験したことのない痛みだった。

 僕は必死に弁明しようとした。

 でも、声を出すのも、息を吸うことすら、できなかった。

 暴力の時間がどれだけ続いたかは、僕にはわからない。

 カメラだけは、と抱えるようにしてそれを守った。

 いつの間にか警官たちはいなくなり、店員が僕を抱え起こした。

「大丈夫かい、兄さん」

「う……」

 口の中は血でいっぱいで、その血を吐き出すと一緒に歯のかけらも転がった。

「医者を呼んでくる。待ってろ」

 店員が店の中に戻り、端末でどこかと連絡を取り始めた。

 少し落ち着いたところで、僕は激しく痛む両手を使って、カメラを確認した。無事なようだ。良かった。 

 やっと店員が戻ってきて、タオルで血を拭ってくれた。

「医者はすぐ来る。で、なんでこんな星に来たんだい?」

 僕はどうにか自制心を聞かせて、

「仕事です」

 と答えた。ただ、声がこもりすぎて、ちゃんと伝わった自信はない。

「俺は元は反乱軍なんだ」

 店員が小さな声で言った。思わず僕は彼の顔を見ていた。

 その表情に苦悩があった。

 人間らしい、表情だ。

「ここを」僕はどうにか声を出した。「脱出できるかもしれない」

「なんだって?」

 彼の苦悩は驚愕に変わった。

「兄さん、おかしくなっちまったのか? どういうことだ?」

 正気を証明したかったわけでもなく、きっと僕は、この優しさを信じたんだろう。

「反乱軍の、協力者が、いる」

 これは絶対に漏らしてはいけない、と言われていた情報だった。

 僕を密かにサポートする要員が、すでにロストニアに潜入していると聞いていたし、いざという時はその誰かを頼るように、と言われていた。

 最悪の可能性として、反乱軍の仲間と露見し、正規のルートで脱出が困難になっても、なんとかする、とヒース少佐が請け負ってくれた。

 その誰かの力を借りれば、この男一人を連れて行くのも、無理ではないだろう。

「協力者? 誰だ?」

 店員の声には、疑いの色しかない。

 それもそうか。こんなところに反乱軍が紛れ込む理由も、方法も、わからないものな。

「名前は、知らない」

 そう、それが問題だった。

 僕もその協力者の存在を知っているだけで、顔も名前も、知らないのだ。

 わかっているのは、僕が本当の危機に陥れば、助けてくれる、ということ。

 そこまで思って、考えが先へ進んだ。

 さっきの警官の暴力をその誰かは知らないのだろうか? それとも、知っていながら、見逃した?

 僕が死なないと考えたのか?

 途端に、協力者のことが疑わしく思えてきた。

 それは、やっと冷静さが戻ってきた、ということだろう。

 僕が黙り込むと、店員も黙って、動かなくなった。

 誰かが店内に入ってくる。

 医者だ。僕は顔を上げた。

「事情を聞かせてもらおうか」

 そこにいたのは、警官だった。さっきの二人とは違う。

 しかし、その表情には愉悦や傲慢はなく、冷徹な色しかない。

「反乱軍の協力者について、聞かせてもらう」

 まだまともに動けない僕を抱え上げ、手錠をかけると、そのまま店の外に停まっていた飛行車両に放り込まれた。

 僕の背中には、さっきの店員が必死に警官に弁明しているのが聞こえたけど、もう、気にならなかった。

 彼は医者なんて、呼んでいなかった。

 傷ついた僕に優しさを見せて、僕の心を暴こうとしたのだ。

 結果、それは成功した。

 僕は、最悪の可能性へと転がり落ちたのだ。




(続く)

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