第4-4話 復讐

 その日のトドロは快晴だった。

 十八歳のリックは右手の親指の痛みに、心の中で毒づいた。

 鉱物燃料を商っているロット商社に密かに雇われて、どこかに若造を叩きのめして金を奪うはずが、逆にぶちのめされ、しかも親指を折られた。

 そいつが最終的には軍で拷問を受けたというから、今頃は廃人だろうが、ムカつくのは止められない。

 そんなわけで、リックは一緒に高等学校に入り、一緒に退学になった十人で、トドロの空を見ながら、集合住宅の中の一室で、未成年でありながら仲間と飲酒しているのだった。

 ロット商会から依頼される裏の仕事は、あの後も何件かあった。この仕事のおかげで、この部屋を借りることも、飲み食いに困らないことも、女を買うことも、全部できる。

 仲間の一人が床に瓶を叩きつけて割ると、部屋を笑声が満たした。

 同じ集合住宅の住民は、もうリックたちには何も言わない。

 一度、文句を言いに来た、いかにもな頑固親父を、裸にして道に放り出したので、もう関わるものはいない。

 いや、いないはずだった。

 インターホンが鳴ったのは、その時だった。

「なんだぁ?」

 仲間の一人が立ち上がり、ドアに向かう。端末に外の映像が映っている。

 そこにいるのは宅配業者だった。

『ココナッツ様からのお届けものです』

 業者がそう言った。

 ココナッツというのは、リックが頻繁に買っている娼婦の源氏名だ。

 仲間もそれを知っているので、鍵を開けて、扉を開いた。

 荷物を持ったまま、宅配業者が入ってくる。

「おい、なんだ」リックの仲間が慌てて宅配業者を追い出そうとする。「荷物を置いて失せな」

 宅配業者が乱暴に箱を投げ捨て、ドアを閉めて鍵をかけた。

 まったく想定できない展開に十人ともが動けなかった。

「久しぶりだね、チンピラ諸君」

 宅配業者が帽子を取ると、そこには彼らを一人で叩きのめした男が立っていた。

 信じられない。

 帝国軍の拷問を受けて、死んだはずだ。死んでなかったのか? なぜここに?

 彼らはほとんど、亡霊が立っているとしか思えなかった。

 その亡霊は周囲を見回すと、ニヤリと笑った。

「楽しもうぜ」

 その部屋から十人分の死体が発見されるのは、一年近くが過ぎてからだった。

 死体と言っても、綺麗に白骨化している。

 高性能の空気清浄機が臭いを全て吸い取った、などと噂されたが、詳細はわからない。

 何にせよ、この事件の発覚が、事の起こりの翌日なら、事態は全て違ったのだ。


 ロット商会のビルはトドロの首都の中心地にあり、八階建てである。

 今の建築技術ならもっと高層建築にできるが、この建物は八十年前からあり、つまりそれだけの価値がある。

 ロット商会の専務であるリロリ氏はその日も執務室で書類の決裁などをしていた。

 とにかく忙しいのは、この日、社長が無断で欠勤しており、リロリ氏に様々な確認の連絡が来るのだ。

 そんなわけで、あっという間に昼間になり、夕方になった。

 疲れた目元を揉みほぐし、目薬も使い、彼はこの日の仕事を切り上げた。社員はまだ大勢が残っているが、それは彼には関係ない。

 今日は他の企業との会合があるのだ。そこで秘密裏な工作、談合の相談をしなくてはならなかった。

 鉱物燃料は宇宙に広がった人間の生活を支える重要な要素であり、つまり、うまくやればかなりの旨味を手に入れられる。

 建物の外にタクシーが滑り込んでくる。リロリ氏の個人所有の車は今朝、故障していて、使えなかった。秘書にはタクシーを呼ぶように言ってあったので、彼は自然とこのタクシーに乗り込んだ。

 会合場所を伝え、車が走り出す。

 しかし、すぐに目的地ではない方向に走っているのがわかった。

「おい、君」運転手に呼びかける。「方向が違うぞ」

 運転手は、返事をしなかった。

 彼はさすがに異常事態に気付いた。タクシーはいつの間にか、法定速度を超え、かなりの速度で走っており、降りるのは論外だ。反射的に運転手に掴みかかろうとすると、車の真ん中に防犯用のシャッターが下りてきて、遮られた。

 け、警察に連絡を!

 個人用の端末を慌てて取り出したが、電波が遮蔽されているのか、圏外だ。

 首都の真ん中で圏外なわけがあるか!

 タクシーはどこともしれない路地で駐車し、運転手が降りてくると、後部座席のドアを開けようとする。

 リロリ氏はこの瞬間を待ち構えていた。彼は学生時代、レスリングの選手だったのだ。

 逆に襲うつもりだったのだ。

 ドアが開かれる。そこにはタクシー会社の制服の男がいる。

 今だ!

 リロリ氏が突っ込んだ。男の腰を抱え込み、押し倒そうとする。

 だが、そうはならなかった。

 男は微動だにせずにリロリ氏を受け止めると、無言のまま、その首筋に肘打ちを食らわせ、彼を気絶させた。

 目が覚めた時、全く知らない部屋にいた。

 どこかのワンルームだ。猿轡を咬まされ、両手足が縛られている。

 目の前にやっぱり誰かが転がされている。そちらは猿轡はなく、目隠しをされている。

 誰なのかは、すぐにわかった。

 ロット商会の現社長、メリード氏だ。

「気がついたか! 君は誰だ!」

 リロリ氏が体を動かした音に気付いたのだろう、メリード氏が叫ぶが、残念ながら、リロリ氏は喋れず、呻くだけだ。

 メリード氏の横に、男が進み出てきた。

 例のタクシー運転手だ。

「社長、ちょっともう一回、話してくれないかな。惑星レジキャのエレワ社から来た商人を、どうしたか」

「喋る! 喋るから解放してくれ!」

 こうしてリロリ氏の目の前で、メリード氏は彼のやり口を詳細に喋ってしまった。

 商人から密かに金を強奪することもだが、彼らがやっている様々な悪どい商法は、こうして白日の元に晒されることになった。

 話が終わると、タクシー運転手が制帽を外した。

「で、リロリ専務、この顔に見覚えは?」

 そのタクシー運転手は、まさにエレワ社から来た商人だった。

 嘘だ!

 あの男は帝国軍の拷問にかけられて、死んだか、再起不能のはずだ!

「というわけで」

 男が手に持っていた小さなレコーダのスイッチを切る。

「この後のことは想像がつくかな」


 トドロの衛星軌道上にある銀河帝国軍の宇宙母艦キャンペリンから、拷問官のギリー大尉は、久しぶりの休暇を過ごすため、故郷に向かう輸送船に乗り込んだところだった。

 小型の輸送船で、彼の他には一人の見知らぬ士官が乗っているだけだ。

 輸送船は格納庫を滑り出て、宇宙に進むと、すぐに亜空間航法を開始した。

 ギリー大尉は席のベルトを外し、読書を始めた。彼の趣味は紙の本の収集なのだ。

 集めるだけではなく実際に読み、内容もだが、その本の状態を眺め、時間の流れを感じるのが、何よりの楽しみだった。

 もう一人の同乗者はアイマスクをして眠っている。いびきさえも聞こえた。

 階級は何だ? とふと気になって、ギリー大尉は確認した。相手も大尉だ。

 どこの誰だ? 全く知らない顔だった。余所者かもしれないな。

 彼は読書に戻った。

 亜空間航法が終わる旨の船内放送がありお、かすかに衝撃が走った。通常空間に戻ったのだ。

 ここから惑星ベッラまでは三十分ほどだろう。

「大尉殿、よろしいですか?」

 いつの間にか起きていた同乗者が、ギリーに話しかけた。

「なんだね?」

「あなたが例の、拷問屋の大尉でしょう?」

 拷問屋、という表現に、さすがにギリーは苦笑した。

「情報部は拷問屋ではないよ」

「そりゃ失礼。やっていることは拷問でしょう?」

「帝国のために、情報を集めるのが仕事だ。情報を集めるための一つの手段だよ」

 なるほど、とその大尉が頷いた。

「大尉殿は、コルダ・マテリアという名前をご存知で?」

 何を言い出すんだ?

 さすがにギリー大尉は困惑した。

「いや、知らない。重要人物かね」

「いえ、もういない人間ですよ」

 船が大気圏に入ることを告げる放送が流れ、二人は話を中断して、シートベルトを締めた。

 機体が揺れ始める頃、話が再開された。

「では、ミクス・トトキという名前はご存知でしょう」

 今度の困惑は、ほとんど混乱に等しかった。

 情報部では伝説的な名前なのだ。

「なぜ、君はその名前を知っている? どこの所属だ! 名を名乗れ!」

「所属は、明確な名前はないが、情報部のようなところですな。名前は、ポーン・クリファス。しかし、あなたには、ライジー・ナンスンとしてお会いしましたな」

「ライジー・ナンスン?」

 ギリー大尉は自分が拷問したものの名前は全て把握している。

 ライドー・ナンスンを拷問したのは彼だ。しかし、こんな顔ではなかった。

「何を言っている? 憲兵を呼ぶぞ!」

 輸送船には一人、護衛の兵士が乗っているのだ。操縦席にいるはずで、壁にある緊急を告げるボタンを押せば、飛び込んでくるだろう。

「呼びたければ、どうぞ、ご自由に」

 ライジーを名乗る男は平然としている。

 ここはギリー大尉も事態を重く見ていた。素早くボタンを押す。

 赤いライトが灯り、実際に憲兵が無反動拳銃を手に飛び込んでくる。

 それが彼の命取りになった。

 ギリー大尉の目の前でライジー・ナンスンは手元で小さなスイッチを押し、次の瞬間、輸送船の客室の壁に穴が空いたのだ。

 憲兵はそこに吸い出され、消えてしまった。

 船内の気圧が異常に下がり、客室に暴風が吹いた。ギリー大尉の目の前に酸素マスクが下がる。彼は反射的にそれを手にした。

 しかし同乗者は違う。

「では、大尉殿、くれぐれも『ゴースト』に気をつけて」

 その声は不思議と、ギリー大尉によく聞こえた。

 正体不明の男はシートベルトを外すと、自らも外へ吸い出されていった。

 全てが一瞬だった。

 輸送船がどうにか着陸した時、ギリー大尉は席を立てなかった。救急隊が入ってきても、彼は座り込んでいた。

 ミクス・トキキ?

 ギリー大尉も名前は知っている。

 帝国軍参謀本部に、情報部から引き抜かれた伝説的な兵士。

 様々な情報を盗み出した彼は、仲間から『ゴースト』と呼ばれていた。

 とある作戦で重傷を負い、死んだはずだった。

 しかし、ギリー大尉は、確信していた。

 彼は、生きている。

 生きて、目の前にいた。

 救急隊に運ばれながら、ギリー大尉は震えを止められなかった。

 神出鬼没のゴーストが自分を狙っていると思うと、どこにいても、安心はできない。

 


 ギリー大尉のその後は、謎に満ちている。

 彼は行方不明となり、それきり、遺体すらも見つかっていない。

 しかし彼の家族の銀行口座には、多額の金が振り込まれていることがわかり、情報部が捜査をしたりもした。

 結局、その金の出処も、わからないままだ。




(第4話 了)

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