第22話 本当の決着
どうにか立ち上がる。脚が痛むのを、無視するように努める。
その意志力が、痛みを遠ざけていく。
「いったい」僕は狙撃銃の重さを感じながら、ダーカーに問いかけた。「君は今、いつにいるんだ?」
「それは重要じゃないわ。重要なのは、私が今から、戦うということよ」
考えるに、彼女は意識障害が酷くなっていく過程で、決断したんじゃないか。もう引き返せないのなら、ひたすら、オール・イン・ガンを連続起動するのが、あり得る選択肢だ。
起動すればするほど、彼女は様々な時間の中で、生きている形になるのも同然だ。意識だけが、仮想空間の中で生き続ける。
それなら、彼女の意識障害がどんどん酷くなっていくのも、道理だ。
どうしたらいい?
いや、答えは出ている。
「僕は魔弾に勝った」
「そうね。じっくりと見させてもらったから、知っている」
「その代わりに、君は、オール・イン・ガンを忘れる約束だ」
彼女が首を傾げる。
「そういう決め事があるのね。なら、それを今、ちょっとだけ変える」
「僕がそれを受け入れる理由はないな」
そう応じながら、彼女が切り出す内容は、見当がついた。
そもそも、彼女をこの世界から離脱させる方法は、絶対の原則を無視しない限り、一つしかない。
「私を撃墜するしかないわよ、リーン」
その通りだ。
彼女をオール・イン・ガンから追い出す方法。
それは、撃墜するしかない。
「できるわけない」
魔弾を撃墜した今、負傷したとはいえ、僕の実力はダーカーに劣らないのは、判明している。
それでも、できるわけない。
容赦なく、彼女を撃墜するのは、可能なのはわかる。でも、できない。
やりたくない。
「あなたに選択権はないわよ、リーン」
彼女の銃口が僅かに動き、狙いを定め直す。
照準は、僕の胸。
「私だけが、決めることができる。そしてもう決めた。始めるわよ」
反射的に動いていた。
体の力を抜くようなイメージで、体をその場で低くすると、ダーカーの放った銃弾が一瞬前まで僕の胸があった地点を貫通した。
崩れ落ちるような肉体の動きを即座に切り替え、地面を蹴った。際どいところを弾丸が通過する。
河原を転がる体は、大小さまざまな石の上を転がるので、大きすぎるほどの音を上げている。
姿を隠す前に、移動方法を切り替えなくては。
しかし、その余裕はない。眼前に盾のイメージを励起。
眼前で銃弾が二発、三発と爆ぜる。
遮蔽を取らなくてはいけない。河原から川面へ飛び、負傷していない方の足で水面を蹴る。小さな波紋を残して、僕は人間の限界を超えた勢いで跳ねた。
それでもダーカーの銃撃は正確だ。ぴったりと僕を狙って、外すことがない。
撃墜されなかったのは、見えない盾が機能していたからに過ぎない。少しでも集中が乱れて盾が綻んだりすれば、そこで崩れるのが目に見えている。
かろうじて着地した瞬間、脚に痛みが走る。魔弾による銃創が激痛を主張し、恐れていた盾の綻びが生じる。
身をひねる僕の動きを読んで、一発を回避した僕の左肩に、次の銃弾が命中。
衝撃と痛みが一瞬だけ主張。即座に集中力でそれを誤魔化す。
今、僕はダーカーとは川を挟んて、向かい合っていた。
彼女は無傷。僕は片脚と左肩にダメージ。
こうなってしまうと、技量が拮抗していても、有利不利は絶対だ。
ただ、不自然なのは、彼女が今、まさにこの時に畳み込んでこないことだ。
「手加減されて、涙が出そうだ」
僕は右手で狙撃銃を構え、どうにか左手でそれを支えている。スコープを覗き込んでいないのは、左腕が思ったように上がらず、狙撃銃はほとんど腰だめの姿勢だから。
もちろん、ダーカーは揺るぎない姿勢で、こちらに狙撃銃を向け、わずかもブレない。
「どうした? ダーカー。撃たないのか?」
こうなっては、会話以外、やることはなかった。
どちらが負けるかは、はっきりしている。もうその展開が、逆転する理由はない。
絶対に、ダーカーが勝つ。
「僕を撃墜しろ。僕が君を撃墜することは、できないんだ」
「引き金を引けばいいわ」
言葉の冷酷さとは裏腹に、彼女の声は穏やかだ。
「それができない。僕は、君を撃墜したくないんだ」
本音が、一気に溢れ出した。
「君と次、いつ会えるのか、僕にはわからない。君は何度もこの世界に入って、過去の僕や未来の僕と一緒に戦ったり、あるいは対立したりするんだろう。でもそんな君は、僕の知っている君ではない。今の君のことすら、僕は知らないんだ。もう、僕が知っている君は、僕には認識できない」
じっと、僕たちは動きを止めた。
「君を撃墜することが、あるいはできたかもしれない。君は僕の知らない君だし、こちらこそ手加減する理由はないはずだった。でも、そうじゃない。僕は、君を失うのが怖い。僕が例え知らなくても、ダーカーというプレイヤーは一人だ。そしてダーカーは、オール・イン・ガンの中にしかいない」
「でも、私に、オール・イン・ガンを捨てるように、持ちかけた」
「それが君のためだから!」
わずかに自分の狙撃銃が震えた。その隙を、ダーカーは無視した。
「君がこの世界で必死の努力をして、いくつもの修羅場をくぐって、戦ってきたのは僕がよく知っている。でも、いつか君が言ったように、この仮想遊戯は、現実じゃない。君が僕の背中を押したように、今度は、僕が君の背中をそっと押す番なんだ」
「余計なお世話、とは言えないわね」
どこか、こちらを受け入れる気配。それとは真逆の、揺るがない銃口。
「私からオール・イン・ガンを取り上げても、意味はないわ。きっと私はいつまでも、この世界であなたの前に現れる。そうなったら、あなたはどうする? あなたと一緒に時間を過ごせないけれど、私とあなたにあるつながりは、特別なはずよ。あなたに、この世界で出会う私に何か言うことができる?」
「わかっているさ、そういうことは。本心は、言えない。それでも、僕はもう心を決めた」
左肩の痛みを和らげ、腕に力を取り戻させていく。
ゆっくりと銃口が上がっていく。
ダーカーは、撃たなかった。
「君は、現実に戻るべきだ」
「……私自身、それが揺るがない事実とはわかっているの」
かすかに語尾が震えても、彼女は少しも動じた素振りを見せない。
「でも、私は現実では、あなたのことを忘れてしまう。それが、心残りだわ」
「また会いに行くよ」
「何もかも、忘れていると思うけど」
僕は頷いた。
「それでも会いに行く」
答えは、出たようだ。
ダーカーの両手は、銃を下さなかった。
「最後は、あなたに撃墜されたいというのが、今の希望」
彼女が引き金を引くのが、事前に察知できた。
直感がそう告げていて、僕も引き金を引いた。
二人の中間、川の真上で火花が散った。
銃弾同士の衝突。
刹那で気持ちが切り替わる。今までにない高い集中が、左肩の負傷を無意味に変えた。
僕の両腕が狙撃銃を持ち上げ、ピタリと構えた。自然と、スコープを覗き込み、その向こうにダーカーが見えた。
彼女も、こちらに銃口を向けている。
彼女を撃墜する。
まさに彼女に引導を渡す弾丸を、僕は冷静に送り出した。
この一発が全てというのはわかっている。銃声も反動も、制御しない。
スコープがわずかに上に向く。
上向いた視界が黒くなったと思った時、頭部に衝撃を感じる。
何度も経験した、銃弾が頭を貫く衝撃だった。
はっと目を見開くと、そこは生活している部屋の寝室で、視界には天井しかない。
すぐに考えがまとまらなかった。
今はいったい、何月何日、何時何分なんだ?
カーテンを見る。いや、その前に部屋が薄暗いのは、カーテン越しの明かりのせいだと気付いた。日光ではない、月光のようだ。
寝台から起き上がれずに、僕は壁のカレンダーを見る。
丸で囲まれた日付を見て、そうか、今朝、その日に丸をつけたな、と、記憶がスルスルと蘇ってくる。
ダーカーの病室で約束をしたのは、昨日。
ものすごく長い一日だと、遅れて認識できた。全く隔絶された、昨日と、今日。
そこまで至って、オール・イン・ガンの最後の光景が、思い浮かんだ。
僕はダーカーを撃墜したのか?
僕はスコープを撃ち抜かれて、撃墜された。最後の瞬間は、周りが全く見えていなかった。
その一方で、引き金を引いた指先には、かすかな手応えがある。
相手を撃墜したという、気配。
すぐに確認することは難しい。
あの一瞬に、僕たちは同時に発砲し、銃弾はすれ違い、お互いを撃破したのかも知れない。
オール・イン・ガンを長く遊んできたけど、相打ちは、経験したことがない。
「ああ……」
無意識に声が漏れた。
僕はダーカーを倒してしまった。
それが、無性に悲しい。
その悲しみは、いつからかずっと心の中にあって、今までは無視していた感情だった。
僕が明日にでも彼女の病室を訪ねれば、全てがはっきりする。
もし、彼女が僕と魔弾の決闘、彼女との決闘の結果どころか、仮想遊戯のこと、僕との出会い、そういう全てを忘れていれば、彼女はオール・イン・ガンを捨てている。
それでも、オール・イン・ガンを捨てるこの瞬間までに、彼女は何度もあの仮想空間に意識を飛ばしただろう。
彼女というプレイヤーは僕の未来に繰り返し現れることは、確信がある。
恐ろしい仮想遊戯だと、背筋が震えた。
再会でありながら、ずれている二人。
それを再会と言えるのか? 僕は彼女たちに、どう声をかければいい?
記憶と時間、それらが複雑に絡み合い、僕にはもう解きほぐせそうにない。
じっと寝台に横になって、冷静になろうとした。考えれば何か、答えが見つかるかとも思ったけど、そんな希望的観測は、あっさりと打ち砕かれる。
なんの救いもない現実。
僕がこれから会うダーカーは、現実では僕との記憶を全て失い、仮想遊戯の中では過去の存在にすぎない。
何を知っていても、過去の彼女たちは、いつか、決定的に僕とはズレていくだろう。
未来は変えられるのか?
それとも変えられないのか?
オール・イン・ガンの中では、その中での未来を知ることができる。
ただし、現実世界の、まさに自分が生きる未来ことを知ることはできない。
そうか、それが、この複雑極まる仮想遊戯の、重大な仕様。
無関係な人間に、オール・イン・ガンの存在を打ち明けられないわけだ。
未来を知っている人間が大勢いるなんて、そんなことになれば、全てが破綻する。
計算されているんだ。それも、緻密に、強力に。
繰り返し過去と現在、未来を行き交う、多くのプレイヤーは、それだけ全てを知る機会に恵まれる。ただし、度が過ぎれば意識障害が起こり、その末に、記憶を失う。
管理は行き届いている。
少しの隙もない、そして情け容赦ない、安全管理。
でも、いったい、誰があの仮想遊戯を運営している? 目的はなんだ?
未来を知らせてまで、何をしたいんだ?
何に利用されて、僕とダーカーは引き裂かれたのか。
考えは自分でも信じられないどす黒い憎悪を引き連れて、進んでいく。
最終的には、答えを諦め、ただ憎しみを持て余して、僕は再び目を閉じた。
明日にでも、ダーカーを訪ねる。
そうしなくては、彼女は僕のことを忘れて、どこかに消えてしまう気がした。
目を閉じても、眠りはやってこなかった。
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