第19話 与えられたチャンス

 僕は宙ぶらりんな気持ちのまま、週に二回のオール・イン・ガンをこなしていた。

 ダーカーが教えてくれた情報の確度は、まだわからない。

 僕以外のプレイヤーは、同じ時間に生きていない? そんなことがあるのか?

 他のプレイヤーを捕獲して、問い詰めた。彼らは理解できない、という表情で、教えてくれる。

 今日が何月何日か、を。

 答えは、ダーカーの言葉を裏付けている。彼らが告げる日付は、まちまちだ。僕が今生きている十一月に対し、彼らは何かの陰謀のように、てんでバラバラの返事をする。

 悪夢のようだった。

 彼らに年号を訊ねることも不可能ではなかった。

 なかったけど、できなかった。恐怖が先に立っていたし、その次には、諦めがやってきた。

 このオール・イン・ガンという仮想遊戯には、極めて特殊な、そして異質な仕組みが組み込まれている。

 それも公には発表されたり、発想はあっても実用されたこともない、特殊な魔法だ。

 このことを、例えば、報道機関などに打ち明けることは、できない。

 いつかの、現実で僕を襲った電撃は、重大な機密漏洩を起こそうとする僕を、ちょっとシビレさせる程度に済ませるとは思えない。

 僕が相手の立場だったら、どうするだろう。

 限られた特別に必要な存在を、即座に抹殺するかは、微妙だ。手加減するか、あるいはしないか、それはなんとも言えない。

 そして、そんな賭けを、僕はする気にならなかった。

 できることなら、ダーカーと話したかった。

 現実世界で、彼女が過ごしている病室を、僕は毎週末、訪ねていた。

 でも、彼女は大半の時間を、横になって、意識を失った状態で過ごしている。後で知ったけれど、彼女は自分で食事をすることを頼み込み、点滴などで栄養を補給していない。なので、僕が訪ねると大抵、朝食や昼食が、寝台の横の台に置かれて、冷えていた。

 僕は何時間でも待つことができた。

 そんな僕の前で、時間が止まっているように見えたダーカーが、パチリと瞬きする。それが、時間が動き出す合図だ。

 ゆっくりとこちらを見て彼女が微笑む。どこか申し訳なさそうに。

「おはよう、リーン」

「おはよう」

 僕は心が震えるのを感じながら、それを押し隠して笑みを返す。

 彼女が食事を始め、会話も始まる。彼女にはゆっくりと食事をする素振りがないけど、これは意識を取り戻している時間を有効活用したいんだろう。

「仮想遊戯の中で、いくらでも会えるのに」

 彼女は何度か、そう言ったけど、僕は答える言葉がなかった。

 そんな僕を見て、彼女はがっかりしたように、

「冗談よ」

 と、言う。

 きっと、僕の気持ちは、彼女の中にはっきりと伝わってたんだろう。

 現実で会える時間は、限られている。でも、オール・イン・ガンの中に入っていれば、撃墜されなければ、いくらでも一緒に過ごせる。

 ものすごい誘惑に、僕はただ一つの理由で、負けなかった。

 もうダーカーは、オール・イン・ガンをやらない方がいい。週に二回とか言っている余裕もないのが、僕の見立てだ。

 週に一回、月に二回、月に一回ですら、それさえも彼女にはして欲しくなかった。これ以上、あの仮想遊戯に参加すれば、さらに彼女の意識は現実から乖離していく。

 それはどうしても、許せなかった。

 現実世界でも、僕たちの話題の大半は、オール・イン・ガンだった。彼女はいくつかの技能のコツを伝えてくれるけど、実際にその場で試せないので、曖昧な部分が多い。

 それでも話を続けたのは、少しでもダーカーに楽になって欲しかったからだ。実際にオール・イン・ガンに入れないという焦ったさを、少しでも発散できると良いのだけど……。

「僕みたいな例外は、どうやって見分けるの?」

「見分けられないわ、基本的に。ただ、大半の、例外の立場に位置するプレイヤーは、高位の実力を持っているはずよ。そういう仕様なのね」

「その理由がわからない」

 うーん、とダーカーが首を捻る。

「私も伝え聞いたくらいで、よくは知らないの。成立する理屈はある。多くのプレイヤーは、いると思われる管理者の意図か、あるいは自動で不規則に、舞台に招かれる。そのプレイヤーを一つの舞台に集める時に、限られた例外以外のプレイヤーの実力をコントロールすることができる。ここまで来ると、一つの可能性が見える」

「どんな?」

「例外のプレイヤーたちを鍛えることができるわね。考えてみて。あなたたちに最適な敵性のプレイヤーを当てることができるのよ。絶対に敵わない相手、逆に弱すぎる相手、あとは適当な相手、それらを意図的に例外の周りに配置できる。あなたは誰かの観察の中、実力に見合った敵や、ただ仮想遊戯にのめり込ませるための弱い敵、そうでなければ、闘争心をかき立てるような強者と、ひたすら訓練しているのね」

 筋は通っているようだけど、一つ、どうしても不思議な点がある。

「ダーカーは僕を強くしたけど、それも、君じゃない誰かの意志ってこと?」

「そうなるわね。でも、私があなたを見出したのも、鍛えたのも、私の意志だと私は思っている。そこもまた、あの仮想遊戯の謎ね。とにかく、ともすると常識や倫理のようなものが、無視されていると思い知らされる」

 倫理。人間に意識障害を起こすような、仕様。

 平日は仕事が終わると、帰りに図書館に寄ることが増えた。魔法と医療に関する書籍を何冊も読んだ。借りることもあれば、持ち出し禁止のものもある。

 知識が増えていく感覚はなかった。探している言葉が、見つからない。そんな落胆が、図書館を出る頃には忍び寄っていて、ずしりと体を重くさせた。

 意識障害から回復する方法は、見つからない。

 当然だった。そもそもオール・イン・ガンの大半の魔法理論が、現在の一般的な魔法とはかけ離れている、と僕の中では認識されつつある。

 自分の右腕の魔法端末で、魔法理論を暴こうにも、少しの隙もない防御理論が保護していて、違法な手段に訴えても、無理そうだった。

 その点に関しては、ダーカーも僕に念を押した。

「無理に暴こうとすると、何が起こるかわからないわよ。記憶を失う程度で済むとも思えないから、気をつけて」

 従うしかない助言だ。もしかしたら、彼女も試したのかもしれない。

 時間が流れて、十二月になった。街は華やいできた。遥か大昔の偉人の誕生日を祝う習慣は、残っている。昔は聖誕祭とか呼ばれたらしいけど、今はただ、聖者記念日、だ。

 その日の昼間、ダーカーの病室を訪ねたけど、やっぱり彼女は意識を失っていた。

 そっと、寝台の横の台に、小さなケーキを置いておいた。今までにも様々な差し入れをしているので、看護師も何も言わない。そもそも、肉体には何の異常もないのだ。

 結局、彼女が目覚めないまま、僕は病院を出た。一人で表通りを歩いていると、孤独感が僕を包むのがわかった。

 ドルーガやアンナ、シャーリー先輩も、それぞれに過ごしているだろう。みんな友人や知人に囲まれ、笑ったり、はしゃいだりして、過ごしているのかな。

 僕を誘ってくれる人もいる。でも僕は、そんな人たちにどこかぎこちなくなってしまう自分を感じて、身を引いていた。

 僕は知らず知らずのうちに、オール・イン・ガン、そしてダーカーに、支配されつつある。

 誰にも話せない秘密と、その秘密を介して繋がっている一人の女性。

 そしてその秘密は、僕自身も知らない僕の可能性を、どうやら知っているらしい。

 誰にも打ち明けられないのが辛いとはもう思っていない。むしろ、誰にも知られてはならないことを知っている自分が、無関係の人間の中に混ざって、秘密を守り続けることを、諦めて受け入れていた。

 秘密を守るために、誰とも繋がらない。

 そうすれば、何も感じずに、秘密を守り通せる。

 部屋に戻って、いつの間にか痺れを感じていた右手を、左手で揉んでほぐした。

 服を脱ぎ、シャワーを浴びて、軽く食べ物を口にして寝室に移動する。寝台に寝転がり、右手を確認する。

 オール・イン・ガンの戦績は尋常ではない。エース・オブ・エースの称号も色褪せる、大戦果がそこに数字で表れていた。

 僕は仮想遊戯を起動して、一瞬で仮想空間の中にいた。場所は一番初めに自分が踏み込んだ、草原だ。

 姿を隠すことは、無意識に出来る。索敵も、無意識に近い。

 自分自身に伸び代がまだあるのか、わからなかった。ただひたすら、戦うだけだった。

「酷い顔だぞ。顔は見えないが」

 どれくらいが経ったのか、廃墟の一角で、その声を聞いた。狙っていたプレイヤーが撃ってもいないのに、倒れる。

 無意識に覗いていたスコープからゆっくりと顔を離し、僕はすぐ横を見た。

 拳銃を片手で握った男が、こちらを見ている。仮面で顔は隠されている。

「俺に負けたのが相当、堪えたと見える」

「かもね」

 僕は姿勢を変えて、床にあぐらをかいた。あからさまな戦闘の放棄。

 それにはさすがの彼、魔弾も少し驚いたようだった。

「なんだ、本当に気力が萎えているな」

「色々あってね」

「俺を撃墜したいと思ってないな。阿呆め」

 カチリと、拳銃が僕に向けられる。でも、抵抗できなかった。

 早く誰かに撃墜して欲しかった。早く、現実に戻りたい。でも、どうしてもオール・イン・ガンに入ってしまう。

 もしかしたら、ダーカーと会えるかも、しれないから。

 矛盾している。チグハグだ。それはわかっている。わかっているけど……。

「やめだ」

 魔弾は荒っぽい口調でそういうと、拳銃を下げた。

「あいつから、事情を聞かされたんだな? 例の事情を」

「時間の連続性のこと?」

「そうだ。この遊びで、最も際どい、馬鹿げた仕組みだ」

 どかりと、僕のすぐ横に魔弾が腰を下ろした。

 どうやら話をするつもりらしい。拳銃は手から離れて置かれている。

「撃墜せずにおしゃべりするのは甘ちゃんじゃないのか?」

「たまには誰もが甘ちゃんになるもんさ」

 そういうことらしい。

 魔弾が話し始めた。

「俺もよく調べたよ。特に時間の連続性と、そんなめちゃくちゃな魔法理論の開発についてな。ある程度の状況証拠はあるし、それを公表したくなった時もある。しかし、隙はない。情報管理は完璧だ」

 首筋を撫でながら、魔弾が続ける。 

「連中が何を狙っているのかは、不明のままだ。しかし、この仮想遊戯の趣旨からは外れないんだろうな。時間の連続性のは破綻なんて」

 趣旨?

「殺し合いさ。戦いの訓練だ。そう思うだろう?」

 言われてみれば、オール・イン・ガンは、戦うのが主旨で、実際、戦い方を鍛えている側面はある。

「不自然なのは、オール・イン・ガンの世界は、現実とはかけ離れている。現実では、一部の超級の魔法使いならともかく、一般人は、意志力で身体能力や感覚を強化したり、姿を消したりはできない。そんな訓練をして、いったい、何に役立つのか。そこがわからない」

「あなたは」僕は少し考えた。「この仮想遊戯は、戦いの訓練だと、思っている? 兵士を教育するような?」

「そこは揺るがんね、どうしても。しかし、不明な部分も多い、ってことさ。現実では有りえない戦い方を教えても、無駄だしな」

 彼が口を閉じたので、僕はじっくりと考えた。

 彼の理屈は、おおよそではダーカーの理屈と地続きである。ただ、僕には不明な点が多すぎた。もしかしたら、魔弾は、僕よりも先の時代から、今、ここにいるのかもしれない。

 彼が生きている時間を、知りたかった。

 でも、とてもじゃないけど、聞けなかった。

 怖かった。

 どうやってもこの恐怖は克服できそうにない。自分が知らない未来は、もう決まっているのかもしれない。そして魔弾は今、過去の僕を書き換えようとしているのかも。

 そんなことが可能なのかどうか、未来が決まっているとか、過去を変えるとか、荒唐無稽で、無視できそうなものだ。

 無視、できない。

 不気味さが僕を縛り上げている。

 何が信用できるのか。

「あいつを助けるのは、無理だぞ」

 僕の心の動揺、恐怖に支配された心を知っているかのように魔弾が言った。

「ダーカーのこと?」

「あいつはもうダメだろうと思う。きっと、オール・イン・ガンを続けて、次第に、意識を失う時間が増える。そうこうしている間に、一日中、意識を失って、それが二日になり、三日になる。一週間が一ヶ月になり、それがもっと増える。最後は、どうなるんだろうな」

「あなたが師匠だったと聞いている」

 手を伸ばして魔弾の襟首をつかんでいた。

「あなたが、彼女を導けたはずだ!」

「……誰にも間違いはある。俺にも、あいつにも。きっと、お前にもな」

 その返事を聞いて、手から力が抜けた。解放された襟元を直して、魔弾がため息を吐く。

「どうしようもないこともあるのさ」

「僕は……僕が……」

 唐突に、その言葉が口をついた。

「僕が、ダーカーに、オール・イン・ガンをやめさせます」

「無理だ」

 きっぱりとした返事だった。

「あいつは、やめないさ。あいつにとって、この仮想遊戯は、もう一つの現実だ」

「違います。これは遊びだ。命を賭けるほどでは、ない」

 もう魔弾はこの議論に応じなかった。だから僕は即座に宣言した。

「もう一度、僕と戦ってください」

「馬鹿げたことを言うな」魔弾が首を振る。「もう一度も何も、ついさっきだって、俺はやろうと思えばお前を軽く撃墜できた。でかいことをあまり言い過ぎるな」

 そう言われても、僕の決意は揺るがなかった。

「もう一度、お願いします」

 姿勢を正して、深く頭を下げた。魔弾の視線が向けられている気配があった。

「……良いだろう」

 彼はそう言って、すぐに立ち上がった。

「新しい舞台が例の岩場の向こうにできる。そこで待っている。やり方は前と一緒だ。そうだな、川の中州に岩がある。俺はそこで待つ。銃声が三回で、開始だ。良いな? 俺は岩にいる」

 事前の情報が何もないけれど、もう駆け引きは始まっているんだろう。

 前と同じだ。彼が、事前に決められた位置にいるのか、いないのか、そこから始まる。

「こちらに有利かもしれないが、それはお前が申し込んできたんだから、許容してもらうぞ」

「良いですよ。準備ができたら、行きます」

 僕の言葉を受けて、魔弾はすっと立ち上がった。こちらを一瞥して、背を向ける。

「楽しませてくれよ」

 そう背中を向けたまま言って、彼は離れていく。滲むように、その姿が完全に消えた。

 徐々に闘争心が蘇ってくる。ただ魔弾を倒したいという希望だけじゃない。もう一つ、心に決めていることがある。

 それは、ダーカーをオール・イン・ガンから離れさせるという、決意。

 そのことを、ダーカーに伝える方法、言葉を、僕は仮想空間の廃墟の中で、じっと考えていた。


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