第17話 多くがかかった戦い

 一週間はあっという間に過ぎた。

 オール・イン・ガンの仮想空間に入り、僕は斜面を登っていく。すぐ目の前の峰を越えれば、例の岩場の舞台に入る。

 今日はダーカーはいない。四日前に起動した時は、ダーカーがどこからともなく現れて、僕に色々とアドバイスをくれた。

 不思議だったのは、ちょっとした齟齬が目立つことだ。

 前に話してくれたことを繰り返したり、聞いたことのない話を僕に伝えた気になっていたりする。

 その度に彼女は顔をしかめて、失敗した、とでも言いたげな顔になっていた。

 でも決して、説明しようとはしない。

「会った時に話す」

 というのが、彼女の最終的な返答だった。

 そんなわけで、この一週間で、僕は新しい技能のとっかかりを実感している。しているけど、それはあくまでとっかかり。崖に張り付いているとすれば、次に踏み出す足場の位置がわかったようなもので、まだその足場を踏んではいないわけだ。

 ただ、僕は今の地点まで崖を登攀してきたわけで、その経験、技術が、味方する可能性は十分にある。

 ある、はず……。

 ついに僕は斜面を通り過ぎ、気負いそうになる自分をなだめて、峰を越えた。

 岩場をゆっくりと降りていく。すぐに、魔弾が設定した岩が見えてくる。彼はそこにいるはずなのだ。

 全神経を注ぎ込んで、その岩の上を精査する。

 わずかに熱がある。

 狙撃銃を今の時点で構えようとかと思った。魔弾はそこまで僕に指定していない。

 先手を取りたかった。

 合図の前に銃を据えておいて、合図と同時に発砲する。

 全力で、可能な限りの高速弾で。

 想像してみたが、すぐに現実味がないとわかった。

 そんな展開を、魔弾が想定しないわけがないじゃないか。まともな思考力の持ち主なら、自分の居場所が相手にわかっていて、しかも先手を取らせるような、そんな圧倒的不利を、想定しないわけがない。

 でも、わからないこともある。

 もし彼があの岩の上にいないのなら、それは約束を破っている。

 彼の方から、自分はあの岩の上にいる、と宣言したのだ。

 実際に、岩の上には人の気配がある。

 狙っていいのか? それとも、あの熱は欺瞞で、そもそも、岩の上にいるという前提さえも嘘なのか?

 僕は迷いながらも、注意を徐々に周囲に向けた。もちろん、岩の上は常に意識の中に置いている。無視するのは、合理的ではない。

 しかし、最善だろうか?

 僕は迷った。魔弾が自分の像を隠しているのは、卑怯じゃないか?

 そう思う一方で、決闘は、公平な条件で始められるべきである、とも考えた。

 ただ、公平という状況に関して言えば、合図を魔弾が発する関係上、僕が一方的に揺さぶられて、それでは公平という要素は破綻している。

 どうすればいい?

 考えているうちに、岩の上の熱源が揺れる。

 来る。

 そう考えた時には、銃声がほとんど連なって三発、轟いた。

 僕の動きは、ほとんど本能だった。九割九分の本能が、反射的に複雑な思考を、同時に、高い集中で駆動させた。

 地面を蹴って、高く跳びつつ、自身の存在を隠蔽する。

 そして空中で、狙撃銃を魔弾がいるであろう岩へ向け、即座に照準。

 照準と言っても、スコープは覗かない。察知している熱源に銃口を滑らせ、両者が直線で並んだ瞬間に、引き金を引く。

 僕の無意識は銃声を消し、熱は一瞬で周囲に拡散させた。

 弾丸の飛んだ先では、何も起こらない。

 外した。

 確認する余地すらない。

 空中で身を捻りつつ、今度は落下。先ほどの銃撃の反動の熱は空中で、そこだけ温度の高い空間、として、今頃、魔弾に察知されている。間違いなく。

 その熱の塊から僕の体は離れつつ、集中を継続、片足で空中を蹴る。

 現実では不可能な、奇跡のような能力。

 それがこの瞬間の僕を救った。虚空を蹴った瞬間、銃弾が何もない空間を貫通した。

 この銃撃も、銃声はない。僕の意識が、弾丸が飛来した方向を徹底的に調べ始める。その間も僕は空中をジグザグに跳んで、距離を取る。

 地上に降りてからも、立ち止まったり岩陰に隠れるようなことはできない。

 空気がかすかな音を立てる。飛来する銃弾を、僕は地面に身を投げて、回避。転がり、素早く起き上がり、走る。

 やっぱり、魔弾には僕が見えている!

 二発の弾丸を際どいところで回避。続く一発が肩を掠める。

 逃げ回るだけの僕は、どうしても魔弾の位置を把握できない。

 弾丸が感覚に飛び込んでくると、おおよその位置が分かるはずだった。でも、どう探しても、魔弾はいない。

 考えられるのは、僕の探査能力では、魔弾を発見できない、という展開だ。

 これは極めて重大な事態というしかない。

 相手がいる可能性のある範囲は、ほとんど全方位。

 どんな意志力が現象を捻じ曲げても、全てを制圧するのは無理だ。

 どうすればいい?

 僕は岩の陰に屈んだ。

 極めて危険としか言いようがない。足を止めた瞬間を狙ってくるのは、必然だ。

 それでも策がないわけじゃない。

 僕は背中を岩に当てて、目を閉じ、より一層、意識を高める。

 真正面から弾丸が飛んでくるのがわかった。

 わかったけど、避けない。

 避けないで対処するのが、おそらく、最善。

 目を開けたわけじゃないので、見えはしない。

 僕の目の前で、魔弾の発射した弾丸が、弾けたのが、理解できた。

 そこに僕は、盾をイメージして、ひたすら意志力を注ぎ込む。

 新しい技術の一つだった。

 意志力による、障壁。もちろん、見えはしない。

 ただし、銃弾は今、逸らすことができている。

 背後は岩だから、弾丸は防げる。なら、前方を守っていれば、攻撃は防げるということだ。

 でも障壁は防御の効果しかない。守っているだけでは、勝てないのだ。

 今の状況が続くとも思えないけど、現状は、僕の盾のイメージと、魔弾の弾丸のイメージ、この二つの力比べである。

 こちらとしては、魔弾の攻撃を防ぎ続け、彼が新しい行動、現状を打破する行動に移った時に、勝機があるのではないか、あって欲しい、という願望にすがるしかない。

 もしかしたら、闇討ちをやめるかもしれない。姿を現し、攻め合いに持ち込むかも。

 とにかく、一方的な展開は、避けたかった。

 その後、二発ほど、僕の盾に弾丸が突き刺さった。特に二発目は危なかった。危うく盾を破られそうになり、とにかく集中を傾けた。

 それっきり、銃撃が止んだ。

 どうなった? どう対処する?

 心の中に希望の光が差した時、それは起こった。

 岩がかすかに削れる、違和感のある音。それが間断なく響き始める。まるでどこかの道路工事か何かが始まったような音だ。科学時代の重機の記録映像の音声を連想させる。

 しかし、どこで? なんのために?

 答えはすぐにわかった。

 背中を預けている岩が、かすかに揺れている!

 魔弾の意図がわかった。とんでもない意図だ。

 彼は、銃撃を集中させて、僕が身を隠している岩を崩そうとしている!

 そんなことが可能なのか?

 しかし他の舞台でも、似たようなことはあった。例えば水田地帯の舞台で、僕はぼろ家の引き戸を吹っ飛ばして、実際、引き戸は壊れたまま、それっきりになった。

 つまり、岩が壊れないという理由は、ない。

 混乱が僕の心を揺さぶった。すぐに岩が破壊されることはないにしても、岩が割れたりして、隙間ができれば、そこを弾丸が突き抜けて、僕を背後から襲うだろう。

 ここで岩から飛び出すのは、魔弾の作戦の成功を決定づける。

 一方で、岩から飛び出さなければ、おそらく魔弾が僕を撃墜して、彼の成功。

 何か、別の形に進展していくように、行動しなくては……。

 激しく、怒涛の勢いで銃弾が岩に叩き込まれる中、僕は思考を巡らせる。

 防御を考えるのは、難しい。なら、姿を消して、仕切り直すか。反撃しようにも、魔弾の位置は未だに不明。

 圧倒的な不利。受けに徹する以外の選択肢は見えない。

 慌てるなという方が無理だ……!

 ひときわ激しく背後の岩が揺れた時、僕は恐怖に負けて、動いていた。

 岩から飛び出し、別の岩へと走る。姿は消しているし、身を潜めていた岩の陰にも、熱源を残してある。わずかな可能性として、彼が岩陰の僕を熱で意識しているのなら、効果があるかもしれない。

 でも、そんな希望はあっさりと裏切られた。

 岩に向けられていたひっきりなしの銃撃が、ピタリと止む。

 僕は周囲をすばやく見回した。

 ダーカーに教わった、特別な索敵。実際の視覚を使うことで、見ている、という意識を高め、強力に視野の中を探る手法だった。

 そしてちらりと、それが見える。

 魔弾だった。こちらに拳銃を構えている。

 彼が引き金を引くのが、よく見えた。不思議と、見えるのだ。

 銃弾がまっすぐに向かってくるのも見える一方、僕の体はゆっくりと動く。

 緩慢な世界。

 地面を蹴って、身を投げ出しつつ、狙撃銃を振る。

 狙えるのは一瞬だけと直感が告げる。

 ただし、引き換えに、魔弾の銃弾は僕の体を抉る。

 同士討ちになれば、御の字だ、と理解できた。

 僕はその一点に全てを賭けた。

 狙撃銃の引き金を引く。銃声も熱も、そのまま。代わりに最速の弾丸を送り出す。

 その時、世界の時間の流れが通常に戻った。

 腹を殴り飛ばされたような衝撃を感じた時には、僕の体は回転を始め、その勢いに負けて、無様に砂利の上を転がった。

 どうにか姿勢を取り戻すけど、腹部に激痛。すでに目が霞み、痛みで思考が塗り潰される。

 そんな中でも、僕は自分が狙い撃った相手を、見ていた。

 魔弾はまだ、そこにいる。こちらに拳銃を構えている。

 当たった感触があった。

 僕は完璧なタイミングで、わずかのズレもなく、精確に引き金を引いた。

 でも、魔弾は撃墜されていない。

 どうなっている? その疑問が遅れてやってきた時、あっさりとタネが暴露された。

 ゆらり、と魔弾の姿が歪み、そして、消えた。

 あれは、幻か。本物と見分けのつかない、完全な幻像。

 やられた。

 完全に、負けた。

 カチリと撃鉄の上がる音は、背後から。振り返る気力も今の僕にはなかった。

「まだまだ、お前には色々と足りないよ」

 また講釈か、と言い返したかった。でもそれさえも口にできない。

 ずっしりと、体が重い。今までにない集中を経て、さらに重いダメージを負っている。余裕は微塵も残されていない。

「勉強し直せ」

 銃声が鳴り響き、僕は頭部に衝撃を感じ、反射的に目を閉じた。

 瞼を開くと、目の前には、僕の部屋の天井が見えた。

 負けた。完膚なきまでに。

 完全な敗北だった。

 息を吐いて、やっと頭が働きだしたようだった。どうやらダーカーにはいい報告はできそうにない。彼女の指導は、ほとんど活かせなかった。

 重たい気持ちに包まれながら寝台から起き上がろうとすると、わずかに体のバランスを失ってしまった。どうにか立ち上がると、いつかのように、汗がこめかみを伝う。服が体に張り付くほどの汗が、どっと吹き出てきた。

 くそ、こんなはずじゃなかったのに……。

 シャワーを浴びてまた寝室に戻る頃には、少しだけ冷静になれた。

 魔弾には負けた。でも、オール・イン・ガンがこれで終わるわけじゃない。まだまだ先はある。意識するべきことは、焦って仮想遊戯に打ち込んで、節度を忘れてしまわないことだ。

 トニーのことをこういう時、思い出す。彼のようにならないために、僕は今まで、週に二回のペスを崩していなかった。

 その原則を崩したくなる、そんな敗戦だった。

 それでも、耐えた。

 服を着替えて、高級そうにも安価にも見えない背広の自分を姿見で確認する。それから、例の空色のコートを取り出し、袖を通した。

 もう一度、姿見を見る。

 一人の青年が、そこにいる。服装はともかく、表情はどこか沈んでいる。

 こんなことでは、ダーカーは僕を見た瞬間、僕が魔弾に負けたことを、即座に理解するだろうな。

 情けないが、しかし、事実だ。受け入れよう。

 それにしても、このコートはやっぱり、派手だ。

 時間を確認すると、十三時だった。どこかで軽く食事をしてから、公園に行くつもりでいる。

 食事の約束をするべきだったかな。いや、現実では初対面だし、いきなり食事というのも、ハードルが高いのか?

 でも、ダーカーと僕は、もう長い間、一緒にいるんだけど。

 現実と仮想のちぐはぐさを呪いつつ、僕は部屋を出た。

 さっきまでの落胆が、徐々に消えていく。ダーカーと会えるのだ。魔弾との決闘はマイナスでも、彼女と会えるということは、そのマイナスを無視できる、大きなプラスだ。

 僕は気づくと軽い足取りで、首都の通りを歩いていた。

 いつの間にか秋も深まり、風はひんやりとしていた。


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