第15話 魔弾

 星空を見上げて、僕は確信した。

 場所はオール・イン・ガンの、仮想空間。僕は森の中を進んでいて、時折、空を見上げる。周囲は月明かりだけで、ぼんやりとした闇に沈んでいる。

 現実世界の研究所で、あの仮想空間の検査はあっという間に終わった。

 星空のことに気づいたのは、仕事が終わって少し経ってからで、慌てて研究所で再検査を申し込み、それが受理されたときは、珍しいことにちょっとだけ興奮した。

 再検査という素振りで、僕は仮想空間の夜空をよくよく見て、方角を確認した。

 これが大きなきっかけになると思ったのは、どうやら正解だった。

 オール・イン・ガンに参加し、夜だとわかると、僕は即座に移動を開始した。僕は現在、運営されている六つの舞台の全てを把握している。そして熟知している。

 その六つの外周の光景と、星空による位置の把握。

 この二つを組み合わせて、僕が検査した仮想空間が、どこに接続されるのか、推測したのだった。

 そして今、僕は山を登っている。この森はいずれ木々がまばらになり、土だけになる。そして峰を越えれば、たぶん、想像通りの舞台に入れるだろう。

 実際、そう推移した。森を抜け、岩が無数に転がる斜面を進む。もちろん、人跡未踏、誰も通っていない道なので、手がかりもない。

 方向を見失わないように注意して、進んでいく。

 そしてついに、峰に立つことができた。

 自分が進んできた森が下に見えるけど、世闇の中では黒い塊だ。

 そして反対側には、岩場が広がっているようだ。

 僕が検査した仮想空間は、やっぱりオール・イン・ガンだったのだ。

 細部を確かめる気になっていた。恐れは、ない。

 一歩、進む。峰を越えて、岩場の方へ降りていく。こちらも誰も通っていないので、砂利に足を取られそうになる。どんなに激しい機動でもこなせるはずなのに、こういう不規則さには、どうも弱い。

 まだまだ、僕も完全ではない。

 技術を磨いても、完全には到達しない。それは、この仮想遊戯で何度も撃墜されていて、身に沁みていた。

 月明かりを頼りに、進む。どこか怯えているような歩調。

 下には岩の陰影が広がり、その向こうは大きい木の生えていない、湿地帯になっているはず。

 ある程度、斜面を下り、人の背丈ほどある大きな岩石の陰に屈み、周囲を索敵する。

 おそらく、プレイヤーはそれほど多くないだろう。

 まだ開放されて間もない舞台だろうし、第一、この舞台に入るには、まだ道らしい道がない。

 峰を越えないと入れない、隠し舞台に近い設定だった。

 索敵の範囲内には、誰もいない。

 そっと岩陰から身を起こす。ずるっと、砂利に足を取られる。

 危うく転びそうになり、岩に手をつく。

 結果的に、この瞬間の僕は、その偶然に救われた。

 どこからか飛来した高速の弾丸が、僕の頭上を掠めて、岩に当たって火花を散らす。

 とっさに伏せていた。狙撃銃を構えつつ、自分の姿を隠蔽するように意識を集中。もちろん、索敵に専念するのは無謀、何せ相手にはこちらが見えていて、こちらには見えない。

 相手に見えていないことを願いつつ、這って、岩陰を出る。

 音を立てないようにするのが難しい。どうしても自分の胸や腹、腕、足が砂利を掻いて、音が発生してしまう。

 這うのは、明らかな間違い。

 判断は一瞬で、跳ね起き、走り出す。今度は音が鳴らない。

 これはダーカーに教わった、水面を走る技術の応用だった。

 僕は砂利を蹴立てることなく、その上を踏んで、一粒の砂利も動かすことなく、走る。

 二発目の銃弾の気配、あまりに速い!

 直感を信じて、跳ねる。肩先を弾丸が掠めていく。

 その瞬間に弾丸の発射位置を即座に把握、狙撃銃を振り回しつつ、銃口が弧を描くのを止めることなく、引き金を引く。

 現実世界ではありえない、めちゃくちゃな射撃。

 銃声、銃火、反動、全てをそのままにした。

 夜闇の中に銃火が瞬き、同時に、何もないはずの空中で、火花が散る。

 反動に任せて、僕の体が空中で不自然に移動する。

 砂利に転がり、回転し、さらに回転。

 自然な動作で、先ほどとは別の岩の陰に飛び込む。

 敵の位置を探る。自分を中心に、防御のために索敵範囲を設定。まさか相手が間合いに入ってくることはなくても、銃弾が飛び込んでくるのは把握できるはずだ。

 ただし、把握できたところで、あの高速弾を確実に防いだり避けれるかは、わからない。

 くそ、不利な要素しかない。

 銃声を消さなかったのは、いくつか理由がある。銃声を消す時、僕は大抵、銃身の熱に還元させる。今は夜で、気温が低い。銃身の熱で相手に位置を悟られるのは、避けたかった。

 もう一つは、相手を逃さないため。

 もし僕が、実際には不可能だが、相手の追跡から逃れてしまえば、相手にはこちらを無理に撃墜する理由はなくなる。

 少なくとも、銃声が発生した地点を、おおよそ探ってくるように仕向ける意図は、成立するはずだ。

 その後、僕を探すだろうし、もしくは、すでに位置を把握されている。わざと位置を把握させたような形で、しかし、これは僕には不利である。

 これくらいは、背負わなければいけない、不利だろう。

 強い、相当な使い手が相手なのだから。

 僕はじっと動きを止めて、じわじわを索敵を続ける。視覚的な把握は難しい。熱で探り、音で探り、物体の動きで探る。

 半径は五百メートル。しかし、何も引っかからない。

 精度は落ちるが、もっと広げるしかないか……。

 音は無視する。おおよその熱を探りつつ、動きを中心に、索敵範囲を拡大させる。目を閉じ、集中する。

 半径が、七百メートルまで伸長。

 何もない。どういうことだ? もっと遠くから狙っている? それとも、ピタリと動きを止めている? こちらに把握できないほどの、完璧な隠蔽?

 何度も何度も、七百メートルの中を、確認した。

 いない……。

 いや、いる!

 かすかな動きの気配と同時に、僕の領域に弾丸が突っ込んでくる。

 超高速、そして精確だ!

 伏せた姿勢で、どうにか身をひねる。脇腹を弾丸が貫いた。

 捻った反動で転がり、仰向けになった姿勢で、スコープを覗き込む。

 一瞬で七百メートル先の標的がスコープに映る。

 仮面で顔を隠している。

 それに気づく前に、反射的に発砲し、しかも銃弾に最大の力を付与して、加速させている。

 スコープの中で、相手が倒れる。しかし、姿は消えない。

 撃墜はできなかったようだけど、動かない。ダメージが大きいのか?

 今はよく見えないが、仮面をつけていた。

 しかし、ダーカーではない。彼女の体格、雰囲気ではない。

 僕は他にプレイヤーがいないことを確認して、自身の姿を隠したまま、岩から離れた。

 正体不明の仮面のプレイヤーに向かっていく。脇腹が痛むのは無視する。集中すれば、痛覚も遮断できる。

 そのプレイヤーは、地面に仰向けに倒れていた。表情は仮面の奥で見えない。視線が僕を見上げていた。

 その彼に、僕は銃口を突きつけた。

「なんだ」

 撃とうとしない僕に、そのプレイヤーが声をかけてくる。男性の声。体格は成人男性のそれだ。男なのだ。もちろん、ダーカーとは似ても似つかない。

「甘ちゃんだな。撃てよ」

「訊きたいことがある」

 何も考えていなかったのに、質問していた。

「なぜ仮面をつけている? 僕は仮面をつけたプレイヤーと縁があってね」

「なるほど……お前が、リーンだな」

 意外な言葉だった。僕は返事をせず、銃口を少しだけ動かす。言葉を促す仕草。

 なんで、僕を知っているんだ?

「驚いているようだが、俺も驚いている」

「どういうことだ?」

「お前と俺には、ちょっとした関係がある。仮面はただの偶然だろうが、それもまた共通点だ」

 共通点?

 仮面をつけているプレイヤーは、僕と、ダーカー、そしてこの男しか知らなかった。

 共通点って、なんだ? どういう関係がある?

「あいつも、お前のその様子を見れば、嘆くだろうな。さっさと相手を撃墜せず、おしゃべりとは。まったく、本当に甘ちゃんだ」

「答えろ。どういうことだ」

 撃墜せずに喋っているのは、お前も同じじゃないか、と言いたかった。でもあまりに頭の中で熱が膨れ上がり、言葉にならなかった。

 仮面の向こうで、男がニヤリと笑ったのがわかった。

「ダーカーは、俺の弟子だ」

 弟子?

 それはつまり、この男が、魔弾なのか?

「また会おう。今日は俺の勝ちだ」

 こちらの混乱も、織り込み済みだったのだろうか。

 そうだったんだろう。

 彼の手元で、拳銃の引き金が引かれる。

 彼が、狙撃銃ではなく、拳銃を選んでいると、この瞬間まで気づかなかった。彼の銃の存在すら、失念していた。

 無力化していると、思い込んでいた。

 何てバカなんだ、僕は。

 そう思った時には、全てが手遅れだ。

 反撃の僕の狙撃銃の弾丸は、彼のすぐ横の地面で火花を散らす。

 一方、魔弾の放った弾丸は、一発が正確に僕の狙撃銃に命中して射線を逸らし、二発が僕の胸と首に命中した。

 自分の体が後方へ跳ね飛ばされ、首から弾丸が突き抜ける錯覚。

 気づいた時には、集合住宅の部屋の寝台に、僕は横になっていた。

「くそ!」

 思わず声が出た。

 悔しかった。ダーカーの名前を出されて、あんなに動揺するなんて。

 いや、違う。その前に、彼が仮面をつけていることで、余計なことを考えた。

 ダーカーに関する手掛かりになる、と、無意識に判断し、尋問の真似事をしようとした。

 オール・イン・ガンは、撃墜するのが目的だ。手加減なんてする理由はないし、そもそも、会話だって、極論すれば無意味だ。

 それなのに僕は、相手の存在を暴いたものの、結局は撃墜された。

 負けたのだ。

 ダーカーは、魔弾を倒すために戦っていると、いつか、教えてくれた。

 その願いを叶える、千載一遇のチャンスだった。

 僕は片手で髪のかき回して、冷静になるように努力した。程なくして、興奮は消えていき、冷静に記憶を振り返る余地ができる。

 魔弾は僕にわざと存在をバラしたのではないか。

 その事に、ゆっくりと気づいた。

 彼の技量は、あの一瞬でも、抜群だとわかる。全てにおいて僕を上回っていると今でも考えているダーカーよりも、優れているように僕には思える。

 そんな彼が、僕に対して、死んだふりなんて、するだろうか。

 全く解せない、意味不明な行動だ。

 彼の方が、僕と話したかった? でも、どうして?

 理由を想像しようとしたけど、無理だった。僕はすでにエース・オブ・エースの称号を受けたけど、魔弾はそんな称号など無意味に思えるほどの戦果を挙げているはず。

 そんな超高位のプレイヤーが、僕に手加減をする?

 なぜだ?

 答えが出ないまま、僕はしばらく寝台に横になっていた。どれくらい時間が過ぎたのか、諦めをつけるような心地で、起き上がり、シャワーを浴びる。

 一秒しか過ぎていないはずが、ぐっしょりと汗をかいていた。不思議だった。

 それほどの鬼気が宿っていたのだろう。

 シャワーで汗を流して、居間の方へ行き、水をグラスで一杯、飲んだ。

 魔弾は、また会おう、と言っていたな。なら、また戦うつもりなんだ。

 次は三日後に参加するから、それまでに考える時間は十分にある。どのプレイヤーにも規則性や癖はある。魔弾のそれがわかればいいけれど、情報不足。

 基礎的な技術を応用するか、組み合わせて、対抗するか。

 まるでダーカーに勝とうとした時のように、僕は真剣になっていた。そんな自分が不思議に思える一方、久しぶりに燃えているような感覚があった。

 その日は、久しぶりに寝付くのに時間がかかった。

 怒りや憤懣と、期待と高揚が折り重なり、僕の意識を占めていた。

 まるで学生の頃に戻ったみたいじゃないか。

 忘れかけていた、全てを忘れる気持ちいい眠りが、じわりとやってきて、僕を飲み込んだ。


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