第14話 謎な男
その日も、いつものように仕事に取り組んでいた。
だから、もしかしたら気付かない、という展開もあったかもしれない。
なんだ? これは。
思わず声を出したけど、実際に声を発しはしなかっただろう。意識の中での独白。
目の前で球形を成していく魔法文字の羅列、それをじっと見据えて、その魔法理論がどういう形になるのかを、僕は思い描いた。
非常にリアルな景色が浮かび上がる。もちろん、何かの背景ではなく、仮想空間だ。
傾斜のある岩場が多くを占めていて、その傾斜は山肌だった。
何を想定しているのかは、現状ではわからない。ただの仮想空間の基礎情報。
でも僕にはピンときた。
これは、オール・イン・ガンの舞台の基礎情報なんじゃないか?
そう思うと、いよいよ他の可能性が信じられなくなった。すぐにその光景から離脱して、元の魔法文字の滝を捌く作業に戻る。すでに球が四つほど完成していて、今は五つ目が出来上がりつつあった。
その五つを全て俯瞰して、僕は考えた。
景色だけではなく、気温や湿度、天候などの環境情報が、複雑に絡まりつつ、一個の構造を形成しているのがわかる。
これはどこからの仕事だろう? それを探ろうとする。
しかし、すぐには行動できなかった。仮想空間の中で僕は魔法文字を適切に送り出し、その正確性を確認する。確認した理論が積み重なり、それを僕が一つの形に組み直す。
目の前にあるのは、恐ろしく精細で、完璧な仮想空間。
オール・イン・ガンの情報に近い。それも限りなく。
アラームが鳴るまで、僕はひたすらその魔法理論を吟味して、確信を得て現実に戻った。
ゴーグルを机の上に戻して、首を回す。
業務を管理するために用意されている、ブースに備え付けの端末を起動した。さっきまで自分が検査していた仮想空間の情報の、依頼主を確認する。何かしらの確認事項が発生したときのために、研究員にはそういう情報を閲覧する権利がある。
端末の上に立体映像が浮かび上がり、僕はそこの魔法文字を眺めた。
依頼主は、聞いたこともない個人である。それがますます怪しく思えた。
この依頼主が、三人の神官のうちの一人なのでは?
住所を確認するが、その情報がない。代わりにわかった情報は、この検査の仕事は、身内が持ち込んだ、ということだった。依頼主は外部の人間でも、発注者は所内の人間である。
僕はその発注者の名前から、個人情報を確認。今の所在は研究所の中だ。地下にある部署の研究員だ。
名前はアマギ・サラーイ。男性。年齢は二十七歳。階級は上級管理者。
僕と顔を合わせるような人じゃない。アポイントメントを取るべきか、ちょっと迷ったけど、迷いは一瞬で、すぐに僕はブースを出た。
通路を進んで、地下の階へ足早に進んだ。ゲートは個人認証ですんなり通過できた。
地下といっても光景は一階や二階と変わらない。ブースに仕切られていて、その中で多くの研究員が両手を装置に突っ込み、ゴーグルをかけ、ピクリともしない。
急に怖くなってきた。
まるで機械の部品のような、人間の姿だった。
振り払うように通路をずんずんと進む。
目当てのブースにたどり着くと、そこの主人も、そんな機械の部品状態である。仕切りに取り付けられているボタンを押す。これで仮想空間内にブザーが鳴ったはず。
ピクリと肩を震わせて、男がジェルから手を引き抜き、ゴーグルを外す。
「見ない顔だね」
初めて見るアマギ・サラーイという青年は、びっくりするほど整った顔立ちをしている。すっと立ち上がると長身で、その身のこなしも軽やかだ。
「ちょっと休憩しよう。それくらいの融通は利く」
言うなり、アマギは自己紹介もせずに僕の横をすり抜けてブースを出て行くので、遅れないように僕は彼の背中を追った。
地下にある休憩スペースは無人だった。自動販売機でコーヒーを買って、彼はソファにそっと腰を下ろした。僕はコーヒーを手に彼の前に立つ。
「座らないのか?」
「それほど長い話にはならないと思います」
「そうか。その話とは?」
アマギはコーヒーに口をつける。僕は単調直入に切り出すことにした。
「あなたが発注者になっている魔法理論を検査しました」
その一言に、ピクリとアマギの眉が震えるのが、よく見えた。
「ものすごい精巧な、完璧な仮想空間でした」
「それは俺も知っている。俺も最初は驚いた。それで、話は感想を言いたいだけか?」
「依頼者は、どういう人ですか?」
「俺のプレイベートな友人で、個人情報を漏らすわけにはいかない」
これは想定通りの反応だ。この意見を突き崩すのは無理だろう。常識的な発想だし、どこもおかしくない。
角度を変えてみよう。
「あの仮想空間は何に利用されるのですか?」
ふむ、と短く応じて、アマギはコーヒーをすする。僕もそっと自分のコーヒーに口をつけた。わずかに甘いが、苦さの方が強い。
「最近のニュースをチェックしているかね?」
突然の話題の変化に、僕は混乱した。ニュース? 何かあっただろうか。
「政治と国際情勢のニュースだよ」
どこか投げやりな感じで、アマギが言う。やっとわかった。
「同盟が紛争の容認を公表した件ですか?」
昨日のことで、しきりに報道されている内容だった。アマギがニヤリと笑う。
「それもあるな」
「違うなら、例の汚職の話ですか? それが何か関係あるのですか?」
こちらはここ一週間ほど、報道を賑わせているのは、連合を構成する幾つかの国の指導者層を激しく巻き込んでいる汚職事件だ。政治家、官僚、大企業、そして軍。全てに波及しつつ、大問題となっているのだ。
ただ、一般市民には目立った乱れはない。昔ながらのデモ行進や集会などが起こり、政治不信は高まりつつあるけど、普通の生活が続いている。
「基礎知識はあるな。知っているだけでいい。そしてそれらは、まだ関係ない」
思わせ振りな言葉。アマギはかすかに顔を伏せ、それからゆっくりとこちらを正面から見た。さっきまでのどこか荒々しい口調とは違う、穏やかな笑み。
「あの仮想空間はどこかで遊びに使われるんだろうね。それ以外は俺も知らない。知り合いから検査を頼まれたから、この研究所へ持ち込んだんだ。君以外にも数人の研究員が検査しているはず」
「そうですか……」
知り合いというのが誰なのか、もっと突っ込んで聞きたかった。けど、聞けなかったのは、さっきの彼の強い口調、すぐに隠れた、激しさのようなものが、引っかかったからだ。
「君はシュタイナ魔法学院の出身らしいね」
「え?」
唐突な話題の変化に、さすがに混乱した。彼には自己紹介、というか、名乗りもしていないのだ。
「見るからに若いからな。レイル・ハクオウじゃないのか? 三年前に、ここに来たはずだ。当時、話題になったしな」
「す、すみません。名乗るのが遅れました。僕はレイル・ハクオウです」
「よろしく、レイル。知っていると思うが、俺がアマギ・サラーイだ」
彼と握手すると、その手が意外にゴツゴツしているのがわかった。
岩みたいな、力強い手。
「俺も学校を引き抜かれた仲間だよ。十七歳の時だったがね」
「どこの学校ですか?」
「赤の学院」
その一言で、僕はまた混乱した。
赤の学院、という学校はすでに廃校になっている。何年前だろう? 僕がシュタイナ魔法学院に入学する前だ。つまり、八年以上前。
廃校になった理由は、よく知らないけれど、政治的な問題だったはずだ。詳細は、なんだったか。政治じゃなくて、思想だったか……?
「俺は廃校になる前の年に引き抜かれた。危うく路頭に迷うところだった」
コーヒーを飲み干すと、アマギがカップを屑篭へ投げ入れる。
「この研究所が学生を引き抜くのは珍しいんだぜ。お仲間がやってきた、ということで、俺はお前のことを調べていたわけだ。顔写真は見たが、まぁ、三年前だし、気づくのにちょっと時間がかかったけどな」
ポン、と肩を叩き、アマギが笑みを向けてくる。
「いつか一緒に仕事をしたいな。優秀な奴だと聞いている。じゃあな」
「あの」
僕は立ち去ろうとする彼を呼び止めた。
「依頼主を、教えてもらえますか? あの魔法理論の。ものすごく、気になるんです」
どこからその勇気が出たのか、僕は尋ねていた。
アマギが肩をすくめた。
「さっきも言ったが、それは契約に反するよ。それも重大な違反だ。俺からは言えないんだ、悪いな」
「誰からなら言えるのですか?」
今度、アマギの顔に浮かんだ笑みは、獰猛と言ってもいい笑みだった。僕の心が震えるほど、凶暴な。
「あまり深入りするなよ。お前には期待しているんだ」
いったい、何の話だろう?
僕に期待している? 何を?
仕事のこととは、思えなかった。言外に、そんな影が見え隠れした。
ふっと雰囲気を緩めて、アマギが手を振る。
「じゃあな。また会おう、レイル」
今度こそ、アマギは背中を向けて休憩スペースを出て行った。半ば呆然としつつ、無意識にコーヒーに口をつける。すでに冷え切っていた。
飲み干して、カップを捨てる。足が重たくて、とりあえず、ソファに腰を下ろした。
何だったんだ?
彼はオール・イン・ガンについて知っているのか、いないのか。
三人の神官の関係者か、そうでなければ、三人の正体を知っているのか。
考えはまとまらないまま、とりあえずの落ち着きを見出し、どうにかソファから立ち上がった。どこか考え事に引きずられながら、自分のブースに戻り、ゴーグルを手に取った。
ゴーグルを装着し、両手を槽に差し込む。
意識が仮想空間に入った。前の仕事の続きとして、両手が魔法文字の流れを、分類し、振り分け、球にまとめていく。
ブザーが鳴るまで、その仕事を続けた。
その時には僕が検査している仮想空間はますますリアルさを増し、もはやもう一つの現実と言ってもいい状態に仕上がった。
現実に戻り、支度をして、ブースを出た。今日はアマギと話していて、昼食を取っていなかった。何か食べて帰ろう。
研究所を出て、近くの喫茶店に入った。カレーライスを注文し、窓際の席から何気なく表の通りを見る。
オール・イン・ガンを遊んで、すでに何年もが過ぎている。もちろん、その間に社会には様々な技術が登場し、その度にあの仮想遊戯も改善されてきた。
だけど、プレイヤーには、どんな技術が利用されて、オール・イン・ガンの魔法理論が稼働しているかは、知る術がない。
僕はそのことを少しも不思議に思わなかった。そもそもが秘密裏に行われている仮想遊戯だし、もし技術に関する情報を公開してしまえば、それを利用する別の仮想遊戯が作成されるだろう。
それでは、オール・イン・ガンの特殊性、高い技術、そういうものが価値を失う。
僕が、検査した仮想空間の情報が、オール・イン・ガンのものだと断定できないのは、そんな事情もある。
いったい、オール・イン・ガンにはどんな魔法理論が使われているのか。
今まで考えたことのない疑問が、心の中に芽生えている。
どうやったら確認できるんだろう?
そんなことを考えているうちに料理が運ばれてきて、思考は一時中断した。
この喫茶店でも、おきまりの立体映像が静かな声で喋っている。汚職に関する内容で、政治家がインタビューに答え、学者が解説している。興味は薄い。
食事を終えて店から出て、部屋まで歩いて帰る。今日はいつもより少し時間が遅い。街を行く人の数もまばらだ。
ぼんやりと夜空を見上げたのは、特に理由もない、無意識の行動だった。
頭上には街の灯にほとんど消されつつ、星が瞬いている。
不意に、オール・イン・ガンの夜が思い出された。
いつかの、ダーカーと話して過ごした、あの夜。駅舎から見える、闇に沈んだ廃墟を前に、僕たちは話していた。
何年前のことだろう。現実では、三年か。でもそれよりも長い時間を、僕は生きているんだ。オール・イン・ガンという世界で、僕は現実を超えた時間の経験を経て、ここにいる。
ダーカーは今、どこにいるのか。
彼女も同じように星空を見ているのか。
視界がかすかに滲んでしまい、ハッとして視線を戻した。軽く目元をこすってから、僕は再び、部屋に向かって歩き出した。
気持ちは少しも変わらない。
会いたい。ダーカーに、もう一回でも、会いたい。
でも彼女は、もういない。
それでも。
僕は、彼女に会いたいんだ。
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