第13話 三年後 待ち人こず

 秋の首都の街並みには、紅葉した木々が目立つ。

 シュタイナ魔法学院を出て、すでに三年が過ぎていた。寮を出て、最初こそ研究所の寮に入ったけど、そこも二年前に出た。

 食事も出るし、プライバシーも守られていた。寮にいる社員も、いい人ばかりだった。

 本当に、特に不満はなかったけど、理由を探してみれば、それはつまり、独り立ちしたかった、ということになるのかもしれない。

 朝の街を行き、行きつけのキヨスクで朝食のパンとコーヒーを買う。キヨスクでコーヒーを注いでもらった金属のボトルに口をつけながら、歩いていく。

 集合住宅は街の外れにあって、研究所まで徒歩で十五分。この二年、ほとんど毎日、歩いているので、特に苦痛でもない。

 雑踏というほどではない歩道の人の群れに混ざって、先へ進む。

 学生の時は、街の全てが輝いて見えたような気もするけど、今はもう、何も感じない。

 ボトルに蓋をして、パンをかじりつつ、今日のこれからの予定を考えていた。

 研究所では、魔法理論の稼働テストを受け持っている。様々な企業や個人から、新型の魔法理論や、それが焼き付けられた魔法回路が届けられ、それを分担して、解析する。

 意図に反した作用や、誤作動を防ぐのが目的だけど、そんな欠陥品が持ち込まれることは、滅多にない。

 研究所は二階建てで、小ぢんまりとした新しい建物で、僕は顔は知っている研究者と目礼しつつ、玄関へ入った。

 個人認証の装置の前の列に並び、僕は機械に両手を当てる。

 指紋や掌紋ではない。両手に転写された魔法回路で、個人認証が行われる。

 小さな音ともに緑のランプが光り、ゲートが開く。

 個々に仕切られたブースの一つに入り、荷物を置くと、軽く手の体操をして、仕事を始める気持ちを作る。

 机の上の水中ゴーグルのような装置を取り上げ、目元を覆う。

 次に両手を、ジェル状の物体が詰まった槽に、手首まで沈ませる。

 それを受けて、ゴーグルから見える景色が変化し、無数の魔法文字が飛び始めた。

 三年もやっていても、どこか不安になる光景だ。挫けることなく、両手にかすかな力を入れて、魔法理論を起動する。

 視界が突然に開ける。

 地平線まで広がる、真っ白な世界。僕はゆっくりとその地表に足を下ろし、頭上を見上げた。正確には、見上げるように意識したわけで、現実の僕は今頃、ブースの中で、体の動きを止めていて、意識がないのだが。

 ここは仮想遊戯と同様の、仮想空間だ。

 頭上からスルスルと魔法文字が流れてくる。

 集中すると、その流れがゆっくりになる。良い具合だった。体調が悪いと、これだけでも苦労する。

 落ちてくる魔法文字の列に手を伸ばし、そっと触れると、流れの向きが変わる。

 僕の意識には、魔法文字の流れが示す、魔法理論の効果、結果が、滑り込んでくる。

 その間にも両手はまるで魔法文字を手繰るようにして、一個の球体へと仕上げていく。

 アラームが鳴って、僕はハッとした。

 いつの間にか、僕の頭上には三つの球体が出来上がり、その球体は常に流れ続ける魔法文字の塊だ。そして三つの球体の間を、魔法文字が時折、行き交う。

 強く集中すると、未だ流れ続けている魔法文字の滝が、静止する。

 そう、いつの間にか流れは轟々とした、まさに滝なのだ。

 よく捌けるものだと、自分のことが不思議に感じる。

 とりあえずは、お昼休みだ。

 両手で所定の動きを取ると、目の前が一気に暗くなる。両手を槽から引き抜く。ジェルが手にまとわりつくことはない。そういうジェルなのだ。魔法の産物である。

 ゴーグルを外すと、途端に首と肩が凝っているのがわかった。揉みほぐしつつ、席を立つ。

 研究所には食堂はない。僕と同時に外へ出る研究者が少ないのは、二十四時間、休みなく稼働するため、始業や就業、お昼休み、休憩、そういう全てのスケジュールが複雑に構築されているのだ。

 近くの食堂で食事を食べる。

 フォークとナイフを扱うが、どうにも両手が痛む。ここ一年、よく感じる違和感だ。

 この話は誰にもしていない。

 仕事を、辞めさせるのが怖かった。

 三年前の自分とは、まるで違う発想に、最初は驚いた。

 あれほど学校を出ることを不安に思っていたのに、今では研究所に生きがいを感じている。

 もちろん、別にも生きがいはあるけれど、研究所の仕事は、現実における僕の大黒柱だった。

 食堂の片隅で、立体映像が報道番組を展開している。

 小さな独立国に、同盟に加入している科学主義国のうちの一つが武力侵攻し、紛争が始まっていた。その国はすでに一つの国を併呑していた。

 これを連合は否定し、徹底的な経済制裁を科して、その上で小国に武力支援を行い始めている。一方の同盟は、紛争には直接的な支援はしないものの、解決には消極的な姿勢でいる。

 しかしまさか、人類に残された狭い土地を巡って、争うこともないだろう。争う理由が理解できない。食堂の中にはそういう空気が確かにある。

 僕もそうだ。争いなんて非現実的で、まるで創作のように思える、何の変哲もない、日常の一コマにちょっとした味付けをする程度の要素だった。

 食事を終えて、歩きながら手を揉みほぐす。痛みは少しずつ、消えていった。

 その日は日が暮れるまで仕事を続けた。アラームが鳴って仮想空間を離れ、現実に戻ると、一日分の疲労を感じる。

 いつもは早く帰りたいと思うけど、今日は事情が違う。

 昔なじみと会う予定がある。僕は研究所を出ると、約束の店に向かった。

 四階建ての建物の四階にある、やや高級な食堂である。入り口で名前を確認され、昔ながらの身分証明カードを提示する。

 案内された席には、すでに二人の先客がいた。

「先輩、お久しぶりです」

 十七歳になったドルーガが立ち上がり、手を差し出してくる。僕はいつの間にか骨ばって、しかし力強い彼の手を握り返す。

 そしてもう一人の馴染みの顔、ますます整って、まさに美貌と呼べる女性の顔を見る。

 向けられる穏やかな笑みは、やっぱり透き通っている。

「お招き、ありがとうございます、シャーリー先輩」

 微笑んだシャーリー先輩が穏やかな仕草で、こちらに手を伸ばすのを、僕はさりげなく握り返す。彼女は今、二十一歳のはず。学生時代よりも、洗練されているのがわかる。

 ドルーガは僕と似たような背広を着ていて、シャーリー先輩はワンピースの上に、古風なボレロを身につけていた。

 僕たち三人は、もう、学生じゃない。

 何度、顔を合わせても、それが不思議に感じる。

 それだけの時間が過ぎたのに、みんなの顔を見ると、嘘みたいだ。

 ドルーガは僕が学校を去ってから二年後、企業のスカウトを受け、学校を出た。僕の年齢より一年遅れたけれど、彼もまた、成功者への道に入ったわけだ。

 シャーリー先輩は普通に学校を卒業し、普通の企業で事務をしている。

 彼女こそ、成功への道をひた走りそうなのに、この三人の中では、一番地味な経歴を選んでいる。

「アンナは忙しいみたいだね」

 三人が席について、飲み物が運ばれてくる。先輩だけ、アルコールだった。

「彼女はユニットのリーダーだし、今頃、就職活動で忙しいのよ。私がそうだったわ」

 微笑みながら、シャーリー先輩が言う。

「男尊女卑って、ありえないと思っていましたけど、僕たちに関しては、そうも言えないですね」

 ドルーガそう言いつつ、テーブルの頬杖をつく。

「それぞれに歩むべき道があるのさ」

 僕の言葉は、自分で言っておきながら、どこか空虚さが含まれている言葉だ。それを察したのか、ドルーガはわずかに顔を伏せ、シャーリー先輩は視線を窓の外に向けた。

 明かりが煌々と灯る首都は、眠ることはない。

 料理が徐々に運ばれてきて、そのためか、空気はやや温かみを取り戻した。

 この三人にアンナを加えた四人は、一ヶ月に一度ほどは一緒に食事をするのが恒例だ。不思議と、この四人の関係は強固で、今回は例外的にアンナが欠席したけど、まるで家族のように付き合っている。

 食事をしながら、ドルーガが自分の仕事の話を始める。彼は魔法を応用した、物質を改変する技術を扱う企業に就職していて、その改変装置のデザインをしている。仮想空間を利用して、図面を引くらしい。

 次に僕が自分の仕事で話せる範囲で、話題を出した。

 この二人にも、アンナにも、体の不調を伝えることは躊躇われた。

 三人とも、それを聞いたら、本当に心配するだろうから。

 それにもうみんな大人で、自分のことは自分で責任を持つべきだろうし。

 僕が話し終わると、シャーリー先輩が、同僚の事務員の笑い話を、迫真の演技で再現する。

「シャーリー先輩は役者になれますね」

 ドルーガがそう言って笑うのに、僕もつられて笑った。そう言われた当人もニコニコしていた。

「仕事って、演じることに近いかもね。特に私みたいな普通の一般職だと」

 それからは、軽い話題に移行していく。昼間に報道で見た紛争や、ここのところ連合の各地で起こっているテロ事件のこと、新型の魔法回路の欠陥の噂、魔法による医療における現在の限界など。

 まったく、とりとめもなく話をしていると、どんどん学生時代を少し思い出しそうだ。

 でも、どうしてか、まるで見えない壁があるのか、気持ちが鎖でも繋がれているのか、思い出す寸前で霧散してしまう。

 結局、現実に引き戻されるのだ。

 それが切なく、寂しい。

 店の閉店時間になって、僕たちは店を出た。

 路上で、ドルーガが少し足元のおぼつかないシャーリー先輩を、家まで送ると言い出す。先輩はたまにこんな状態になるので、僕もドルーガも慣れている。意外な一面だ。

 僕は二人を見送り、一人で夜に包まれた首都を歩いていった。通りには人の数も少ない。車道を時折、自動車が走り抜けていった。

 歩道の隅に倒れこんでいる酔っ払いを見ないふりをして、先へ進む。

 集合住宅の部屋に戻って、扉を閉めると自動で鍵がかかり、明かりも自動で点灯する。

 二部屋しかない間取りで、一方を寝室、一方を居間にしている。居間の方には台所が付属していた。

 寝室に入り、服を脱ぐ。給料を使う場面がそれほどないので、現実の、本物の背広を何着か買った。しかし、それに気づく人も少ない。

 もう、学生時代のように、ぞろ長の服を着ることもない。

 部屋着に着替えて、寝台に横になる。

 右腕を伸ばし、そこに表示される数字を眺めた。

 僕はまだオール・イン・ガンで遊んでいる。稼働時間はとうの昔に五分を超え、十分に至るのも見えてきた。撃墜数はもはや途方も無い数字だ。

 それでも、無敵では無い。不敗では無い。

 必ず、どこかの誰かが、僕を撃墜する。いつの間にか、撃墜されても悔しくなくなった。事故のようなものだ、と思うようになっているのだ。

 それでは面白味が無いような気がするけど、そこは重要な要素では無い。

 僕は仮想遊戯の中で、一人の存在を探し続けていた。

 ダーカーを、僕は探している。

 彼女は、僕と対決して、撃墜されて以来、僕の前に姿を現さない。

 事前に設定していた待ち合わせ場所には、何度も行った。半日でも、一日でも、そこで待ち続けたりした。

 でも彼女は現れない。

 いつも僕は根負けしてその場を去る。鬱憤を晴らすように、手当たり次第に他のプレイヤーを撃墜し、最後は逆に撃墜される。

 週に二回、僕はずっと、オール・イン・ガンのさまざまな舞台を彷徨い歩き、ただ一人を追い求めて、今に至る。

 長い長い時間だ。記憶も薄れるほど、僕は歩き続けた。

 あの仮想世界の全てを知るほど、僕は歩いたんだ。

 勝ち負けは、いつの間に、意識から消えた。

 今日も僕は、オール・イン・ガンを起動する。

 自分の存在が、仮想遊戯の中に移動する。

 見慣れた草原地帯。最初に戦った舞台。草をかき分けながら、歩いていく。手元には狙撃銃がある。慣れた重さ、馴染んだ重さだ。

 感覚が一瞬で広がり、両手が全くの無駄なく、狙撃銃を構える。

 スコープを覗かずに、狙いは定められる。

 発砲。銃声はない。銃口がブレることもない。

 ただ、銃弾がまるで光のように対象に突き刺さった。

 これで一人、撃墜。こちらを狙っていたようだけど、遅すぎる。

 僕は今、姿を隠蔽していない。

 もしかしたらダーカーの方から、姿を現わすかもしれない。

 僕の姿が見えれば、無視できないはずだ。

 わずかな可能性、願望にしか過ぎない想像でも、そんなものにも頼りたかった。

 一人で先へ進み、撃たれる前に、撃つ。それをひたすら繰り返す。

 相手がどれだけ離れていても、どれだけ気配を消していても、僕には問題ない。

 必殺の弾丸は、正確に、相手に向かっていく。

 その万全の集中、万全の姿勢が乱れるまでに、半日以上の時間がかかる。意識の均衡が破れ、わずかに自身のコントロールが乱れた時、やっと僕は撃墜される。

 意識が、集合住宅の中の一室、その寝室に戻り、僕はベッドの上で体を弛緩させる。

 今日も会えなかった。

 いったい、いつになったら、会えるのか。

 僕は目元を手で覆う。歯を噛み締め、少しの間、そうしていた。

 ピリッと両手が痛み、やっと現実に戻ったことを、はっきりと確信できた。

 シャワーを浴びよう。そして、早く寝る。

 明日も仕事がある。

 十分に休めば、体調の不良も治るかもしれない。

 のろのろと体を起こし、寝台から降りた。

 酔っているわけではないのに、足元が少し揺れている気もした。

 足に力を込めて、僕はゆっくりと歩を進ませた。

 手の痺れが、蘇る。

 無視。

 考えるな。

 足が一歩、踏み出す。



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