第11話 お別れ会

「それでは」

 シャーリー先輩がグラスを掲げる。なみなみと注がれたオレンジジュースが、今にも溢れそうだった。

「私たちの家族、レイル・ハクオウの前途に。乾杯」

「乾杯!」

 僕が属するユニットの面々が、グラスを掲げ、それぞれの飲み物をぐいっと飲んだ。

 途端に何かが解放されて、部屋に活気が満ちた。

 シュタイナ魔法学院の寮の中にあるパーティルームを借りて、そこに総勢十人が揃っていた。音楽が流れ始め、その音に負けまいと、話し始める面々に、しかし入学してユニットに入ったばかりの初等科の一年生二人は、困惑気味だ。

 まず先輩たちが僕のところへやってきて、声をかけてくれる。彼らはやっぱり、生徒が引き抜かれることに慣れているので、余裕がある。ひがみなんて少しも見せず、気持ちよく送り出すつもりだと感じた。

 それでも、どういうコネを使ったんだ? とか、成績の偽造はどうやる? とか、実はものすごい金持ちか? とか、よくあるジョークで満ちている。

 アンナも先輩たちが一段落してから、やってきた。

「たまには連絡を取り合おうか。あんたがいると勉強が捗るから」

「学校の勉強はたぶん、これで中断だけど?」

「そんなことじゃ、先行き不安でしょ? 会社員をやりながら、勉強しなさい。私と一緒にね」

 どうやらアンナ流の励ましらしい。

 正確には会社員ではなく、研究員、になるのだけど。

 企業の中の魔法理論研究所に席を設ける、と聞いている。すでに一回、見学に行ったけど、すごい場所だった。

 新入生の二人が一緒に声をかけてくる様子は、明らかに緊張していて、言葉を探しているのがはっきりとわかった。

「これから先」僕の方から声をかけた。「こういうこともあるだろうけど、まぁ、そのうち慣れるよ」

「あの」

 女子の方が応じる。

「どうしたら、私もレイル先輩みたいになれますか?」

 彼女は上昇志向が強いようだ。でも、残念ながら、僕には明確な答えはない。

 そもそも、僕自身にそれほど上昇志向的な部分がないし。

 スカウトを受けて、手続きや何やら、ここまで話が進んでも、僕には、自分が引き抜かれる理由はわかっていない。

 それはあまり気にしないことにしていた。

 誰かにしか分からない、何かがあるのだ。

 なんにせよ、企業との間の契約も済んで、もう後戻りはできないし。

「友達と必死に勉強をするといいんじゃないかな。アンナと僕みたいに」

 ガツンと肩を殴ってきたのは、近くにいたアンナだ。聞こえていたらしい。

「私の方が成績はいいのに、あんたが先に引き抜かれるとは、納得いかない」

「運の問題じゃない?」

「下級生諸君、こちらの先輩の幸運に預かりたいものは、今すぐ、袋叩きにせよ!」

 わっはっは、と笑いが起こり、アンナが一人で僕の頬を摘まんで捻る。痛い。

 一通りの盛り上がりの後、僕はドルーガの方を伺った。彼は今まで、ほとんど言葉を口にしていない。部屋の隅の方で、一人で飲み物を飲み、食べ物をもそもそ食べている。

 どことなく、というか、はっきりと不機嫌そうだ。

「ドルーガ」

 彼の横に座ると、ちらりと視線が向けられる。やっぱり不機嫌だな。

「何か言うことはないの?」

 訊ねると、ちょっとムッとした雰囲気で、ドルーガがグラスを乱暴に机に置く。

「今、言わせてもらいますけど、僕、先輩を越えようと努力していたのに、こんな仕打ち、ないですよ」

 意外な言葉だった。

 僕を越える?

「ドルーガは、僕の一年前より、何倍も努力しているし、能力もあると思うけど?」

「それは先輩の評価です。僕による僕自身の評価は、まだまだ不足なんです」

 皿の上のフライドチキンを手に取ると、今度は猛々しいと言ってもいい様子でムシャムシャと食べる。僕はそんな彼をグラスを口に当てつつ、見ていた。

「じゃあ、ドルーガも来年、引き抜かれるか、試してみれば?」

「無理です」

 彼はグラスの中身でチキンを飲み下し、激しくグラスをテーブルに置いた。

「先輩には勝てませんよ。先輩は凄いんですから」

 支離滅裂で、まるでアルコールでも飲んでいるようだけど、そんなこともないだろう。

「それはやってみなくちゃわからない」

 さっき、アンナが僕の肩を殴ったように、僕はドルーガの腕をポンと叩いた。

「やってみればいいよ。一年は時間があるんだから、いくらでも努力できる。僕は一年前から今日まで、身を粉にして努力した、という感じじゃないしね」

「そうですか。自慢ですか」

 僕が注いだジュースとぐっと飲み干したドルーガの頭に、すらりとした手が載せられる。

「あまり未練がましいことは言わないの」

 ドルーガの横に、そう言ったシャーリー先輩が座る。ドルーガが目に見えて、萎縮したのが、どこかおかしい。笑いそうになった。

 言い聞かせるように先輩が静かに話す。

「ドルーガ、あなたがそんな態度を取ると、私の立場がないわ。あなたたちより三年も四年も長く学校にいるのに、誰からもどこからもスカウトされないんだもの」

「それは……、すみません」

「ドルーガ、本当に言いたいことを、ちゃんと言いなさい。レイルを気持ちよく送り出すんでしょ?」

 その言葉に意を決したように、かすかに顎を引いてから、ドルーガがこちらを見た。

 その瞳は、透き通って見えた。

「先輩、すみません、変なことばかり言って。あの……」

 突然に、ドルーガの目が潤み、彼は素早く袖で目元を拭った。

「今まで、ありがとうございました」

「そんな大仰な」僕は笑みを返した。「まるで二度と会えないみたいじゃないか」

「でも、区切りは大事ですから」

 ちょっとだけいつものドルーガが戻ってきたようで、ホッとした。

 会は進んでいき、一時間ほどで解散の時間になった。

 ユニットのそれぞれの生徒が僕に「学び舎から羽ばたくものに祝福あれ」と告げて、部屋を出て行く。アンナはひらひらと手を振り、ドルーガが深く頭を下げ、帰っていく。

 最後には、シャーリー先輩と僕が残った。

「今までありがとうございました」

「こちらこそ。楽しく過ごせたと思っているわ。更に高みを目指すことを、望みます」

「はい。頑張ります」

 そっとシャーリー先輩が僕の手を取ったので、びっくりした。そんな僕に構わず、先輩は僕の手を何かを確かめるように触っていたけど、自然と離した。

 なんだったんだろう?

「また会えるといいわね」

「不吉なことを言わないでください。会えますよ。絶対に連絡しますから」

 そうしてね、と先輩は微笑んだ。

 僕たちは部屋を出て、寮のそれぞれの部屋に戻るために、途中で別れた。

 自分の部屋に入ると、ダンボール箱が目につく。明後日にはここを出て行くので、荷造りが進んでいるのだ。おおよその私物は、箱に入っていた。

 備え付けである椅子に腰を下ろし、フゥっと息を吐く。制服を脱ぐのも惜しんで、ちょっとの時間を、気分の切り替えのために使う。

 でも、今はちょっと難しそうだった。仲間の顔が頭を占めている。

 気まぐれで立体映像を部屋の隅に投射させる。報道番組を眺めた。

「資源開発による貿易摩擦から、同盟の一部国家は小国家を武力併合するのも辞さない姿勢であり、連合としては同盟への経済制裁などの強化や、小国家群への支援など、ありとあらゆる手段を講じ、紛争の回避に努めているのが現状です」

 意識が切り替わってくる。日常の自分が復活した。立体映像を消して、三度ほど、深呼吸する。

 よし。

 右の袖をめくり、そこに左手を滑らせる。

 今日は、ダーカーとの対決の日だった。

 前回の参加時に、僕は彼女と約束していたのだ。

 現実でも区切りなら、仮想遊戯の中でも、区切りの日になる。

 そして僕は、オール・イン・ガンが起動し、周囲の光景が一変する。

 戦いは、もう避けることはできない。


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