第10話 夜、二人は語り明かした

 オール・イン・ガンを起動すると、大抵、仮想体は昼間の世界に放り込まれる。

 でも稀に、夜のことがあるのだ。

 この仮想遊戯に照明弾のような概念はないし、舞台も大抵は人気がない。つまり明かりを灯す方法が極めて限られるので、夜の舞台に迷い込んでしまうと、長い時間を潰して、夜明けを待つプレイヤーが多い。

 それでも果敢に索敵と攻撃を行うプレイヤーもいるけど、僕はそこまで無謀にはなれない。

 都合が良いことに、進路相談室と夕方の食堂を経た僕は、夜の廃墟に仮想体が出現していた。それでも索敵を怠らずに、集中して移動する。

 向かう先は駅の展望室だ。

 誰の存在も察知できないまま、そしておそらく僕も察知されず、駅舎に着くことができた。

 展望室まで上がると、ダーカーはやっぱり待っていた。

 しんとしていて、静寂そのものの展望室に彼女はいる。

 入っていくのが、躊躇われるほどの、静けさ。

 彼女はいったいいつ、どうやって休憩しているんだろう?

 ちなみに、彼女の起動時間はすでに六分を超えているはずで、つまり、彼女は三百六十回は、誰かしらに撃墜されている。

 撃墜された回数と撃墜した数を比較検討するのが、参加者の力量の指標になりそうだけど、この仮想遊戯にはそういう概念がなかった。

 彼女の日常に疑問を感じる僕に、何か、根本的な齟齬の気配が忍び寄ってくる。

 でもそれをはっきり意識する前に、ダーカーがこちらを振り返った。

 月明かりの中にぼんやりと彼女の仮面が浮かぶ。

 どこか不気味で、見てはいけないものを見ているような気がした。

「どうした?」

 声をかけられて、やっと僕は踏ん切りがついて、一歩一歩、展望室の奥へ進む。

 ダーカーは壊れかけた椅子に器用に腰掛けている。僕も展望室の隅に積み重ねられている崩れかけの椅子を一つ、拝借して、彼女の横に座る。

 視線はまっすぐ、割れたガラスの向こう、廃墟に向けられていた。そんなダーカーの横顔を見て、僕は、次の精神的な壁にぶつかっていた。

 どうやって、切り出せばいいんだろう?

 引き抜きの事を、話したかった。仮想遊戯の中だけど、現実の話をしてはいけないわけじゃない。今までの経験で、それはわかっている。現実で仮想遊戯の事を話せないのに、変な仕様ではある。

 色々と言葉が頭に浮かぶけど、どうもはっきりしない。

「言いたいことがあるなら、なんでも言っていい。聞くよ」

 さりげなく、ダーカーが足を組み、こちらを一瞥した。しかしすぐに視線は外へ向けられる。

 その視線の移動に、少しだけ、気持ちが楽になった。

 見つめられていたら、きっと、言えなかった。些細な仕草で、しかし大きな気遣いだ。

「学校を、辞めることになると思う」

「辞める? 退学か?」

「違うよ」さすがに僕は強い語気で言い返した。「企業にスカウトされた」

 へぇ、とダーカーはつぶやき、手で顎を撫でた。

「スカウト? 君がか? いったい君は何歳なんだ?」

「今年、十五」

 今度はため息が返ってきた。心底から呆れているような、そんな息の吐き方。

「中学生をスカウトする企業とは、また、珍しい。しかし、ないわけでもないのが、微妙なライン。君は、何か特別な才能を持っているのか?」

 この質問は、僕が逆にダーカーに聞きたいと思っていた質問で、僕はその質問をぶつけてみた。

「ダーカーは、僕のどこに目をつけたんだ? 今のダーカーの質問には簡単に答えられる。僕には何の才能もない、と自分自身は思っている。何も際立った成績や成果を上げていないから。それなのに、スカウトされるって、どういうことかな?」

「前にも話したが」

 そっとダーカーが足を組み替え、膝に肘をつくようにして、頬杖をついた。

「君はこのオール・イン・ガンの中では、特別な参加の仕方をした。それがきっかけといえばきっかけだった。ただ、今はもう二つ、理由が出来ている」

 なんか、前にもこんな話をしたな。まぁ、いいか。

「その理由は?」

「一つは、君の成長速度だよ。稼働時間が四分程度で、その技量は、なかなか発揮できるものではない。極めて特殊な、優秀なプレイヤーだよ」

「え? まだ二分にも達してないけど」

 妙な勘違いをされたので、反射的に訂正していた。ダーカーは少しも動じない。

「間違えた。しかし、攻撃、索敵、隠蔽、妨害、様々な要素が、満遍なく高められていて、隙が見当たらない」

 びっくりするほどの、べた褒めだ。

 少し恥ずかしい。

 そんな僕に構わずダーカーが続けるのを、黙って聞く。

「もちろん、まだ成長の余地がある。この伸び代は、きっと、自分ではわからないんだろうな。私は、自分自身がこの先、どこまでいけるか、よくわかっていない。頭打ちなのか、それともまだ階段は続くのか」

 彼女はそう言って、口をつぐんだ。

 僕から見て、ダーカーというプレイヤーの力量は、驚異的だ。彼女が僕を高く評価しているらしいのと同時に、僕の彼女への評価は絶対的に高い。

 僕は誰かに撃墜される時、一瞬だけ、いつも考えるのだ。

 もしダーカーだったら、逆転できたんじゃないか。

 撃墜された後の悔しさが、そんな気持ちをすぐに塗りつぶすけど。

「もう一つの理由は、実に私的なんだけど」

 頬杖を解いて、ダーカーがこちらを向いた。

 仮面の奥の瞳が、見据えてくるのがわかる。

「私の師匠を、君に破ってほしい」

「ダーカーの師匠って?」

「魔弾だよ」

 とっさに言葉を口にできなかった。魔弾だって? あの、魔弾か?

「聞き間違えじゃなければ、魔弾って聞こえたけど、あの魔弾?」

「そうだ。彼が私を導き、高め、そして捨てた。私の一つの目標は、彼を撃墜することだ」

「魔弾を撃墜するのに、僕を育てるのが、どう関係するの?」

 ふっと息を抜いて、ダーカーが首をかしげる。

「手探りなのよ。私が君を育てる理由がはっきりしないように、魔弾が私を育てた理由ははっきりしない。でも、魔弾に追いつくためには、魔弾と同じ道をとりあえずは選ぶしかない」

 私的というか、身勝手な発想だな……。

「育ててみて、何かわかった?」

「わかったよ。それだけ君の抜きん出た技能は、私に強い刺激になった。自分に足りないもの、弱い部分、そういうのが、理解できた気がする」

 そう言って、ダーカーは再び、視線を前に向けた。

「わかったかな。君には私を驚かせ、かつ、成長させる、そういう力があったわけだ。それがきっと、中学生を引き抜く酔狂な企業には、見えたんじゃないのかな」

 その後には沈黙が続いた。

 僕が何かを言わなくてはいけない。だから、必死に考えた。考えて、考えて、結局は、とりとめもないことを口にしていた。

「僕は、どうも、現実より、仮想遊戯の方が、居心地がいいんです」

 かすかにダーカーが顎を引いた気がした。

「この世界にいれば、僕は、現実には持ち合わせていない、強い力を発揮できる。現実では敵わない相手にも、この世界では勝てる気がする。だから、仮想遊戯の中の方が、居心地がいい、そう感じるんです」

「それで?」

「学生でいる間は、授業とこの仮想遊戯を往復できる」

 答えながら、おもわず笑ってしまった。

 自分で言っておきながら、これは現実逃避以外の何物でもないじゃないか。

「見るべきもの、受け入れるべきものから、逃げているのはわかります。でも、僕は現実というものに、そこまで自信を持てない。これから自信がついていくのか、自信がつくと思い込もうとしても、根拠が薄弱で、迷ってしまう。だから、仮想遊戯の中にいると、楽しいというか、とにかく、楽な気持ちでいられる」

「わかっているじゃないか」

 そう言って、ダーカーが椅子に立てかけていた狙撃銃を手にすると、こちらを照準する。

「本当に逃げている奴は、全てから逃げる。でも今、リーンという一人の少年は、自分が何から逃げているかを、知っているんだ。あとは、それに背を向けるか、逆に立ち向かうかだけだ」

 ピタリと構えられた狙撃銃が、ひらりと銃口を翻す。

「仮想遊戯は、あくまで遊びだよ。その中の結果や実績は、大抵、現実には何の作用もないだろう。でも、現実を生きるプレイヤーを、どこかで支えることもある」

 唐突に立ち上がり、ダーカーが僕に歩み寄ると肩に手を置いた。

「仮想遊戯で何かに挑戦するのもいいだろう。だけど、現実において、何かに挑戦するのも、また面白いはずだ。現実における挑戦とその成果は、仮想遊戯のそれよりも、君を強くさせるはずだから」

 ぐっと肩を握ってから、彼女は自分の椅子に戻った。ゆっくりと腰掛け、足を組んで、遠くを見ている。

 彼女は僕の背中を押してくれた。力強く、励ましてくれている。

「それはそうと」

 そんな彼女がこちらを見た。

「私と対決する気持ちにはなったかな?」

 ……答えづらい質問だな。

「記念だよ」

 ……どんな記念なんだ。

「考えておきます。あと数日で、進路を決めなくちゃいけないんです。それから、対決のことは決めていいですか?」

「じゃあ、そうしようか。次にここで会った時、答えを聞こう」

 やれやれ。ダーカーはやる気満々であるのを、隠すつもりもない。

 その日はポツポツとお互いにオール・イン・ガンの基礎仕様について意見を交換したり、狙撃技術、隠蔽技術の、専門的で濃い話をして夜が明けるのを待った。

 僅かに日が差し始めた時、ダーカーが立ち上がり、背伸びをする。

「長い夜だった。しかし、誰かと過ごせば、退屈もしないね」

「こちらこそ、感謝しています」

 正直にそう言うと、頷いたダーカーが応じる。

「君の現実が、幸福なものになることを願うよ」

「はい」

「躊躇うな、戦え」

 そんな妙なことを言って、彼女は自分の言葉に短く笑うと、堂々と目の前の、ガラスがなくなった巨大な枠に歩み寄る。

「また会おう」

 振り向くこともなく、彼女は虚空に踏み出し、落ちていった。

 何度見ても、投身自殺みたいで、ヒヤヒヤする。僕は同じことをする気になれないので、椅子から立ち上がると、展望室から通路へ出た。

 そろそろ他のプレイヤーたちも活動を始めるはずだ。油断しているわけにはいかない。戦いに、集中しなくては。

 その日は結局、七人の撃墜を果たしたものの、最後は、かなり辛い展開になった。

 かなり強力な相手だったけど、こちらの偽装を全て見抜かれ、その上、攻撃地点へ移動する経路の予測までされた挙句、敵を探して銃を構えているところを、狙い撃たれた。

 回避どころか察知する間もなく、一撃必殺の弾丸が、僕を容赦なく撃墜した、

 現実の、寮の部屋に戻って、僕は少しの間、壁を見ていた。

 あまりに仮想遊戯の中で時間を過ごしすぎて、現実で一秒しか過ぎていないとは思えなかった。遊びの中で一晩を明かしたのだから、仕方ない。

 オール・イン・ガンの中の時間と、現実の時間の流れの齟齬は、魔法によって解消されているようだけど、この齟齬を埋め合わせる魔法が、意識障害の原因になる、と想像できるわけで、まったく、魔法と言っても万能には程遠い。

 そんなことをぼんやり考えていると、何か、違和感が込み上げてきた。

 さっき、いや、一晩前に感じた気がする違和感。

 言葉になりそうなのに、なぜか、ならない。

 何かがおかしい。何だろう?

 少し考えたけど、答えは出なかった。答えを出す前に、魔法通信による通信文の受信が、意識に直接、告げられたからだ。

 文章を意識の中で読むと、それは僕が所属するユニットの、僕の送別会の案内状だった。作成者はドルーガである。

 まだ引き抜きを受けるとは正式に申し込んでいないのに……。

 でも、僕の心はおおよそ決まっていた。

 僕は引き抜きを受ける。ダーカーが言ったように、僕は現実に挑んでみるつもりになった。

 失敗を恐れる気持ち、迷いも、薄らいでいる。

 僕はオール・イン・ガンの中で、百回以上、ミスを犯している。

 ダーカーですら、三百六十回は不覚を取った。

 現実と仮想遊戯は違うけど、どんな人だって、失敗をする場面があるのだ。

 それが少し、力になった。

 挑戦することは、必要なんだ。

 何においても。

 僕は視線を机の上に広げたままの、進路相談室で受け取った書類に移す。

 その書類は企業からの書類で、僕が署名するのを待っている。

 ペンを手にとっても、全く躊躇する気にはならなかった。

 ペン先が紙の上を滑り、僕の署名が出来上がる。

 僕は、この学校を、出て行くんだ。

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