第9話 別れの予兆
「勘弁してくださいよ、先輩もですか」
引き抜きのことを話すと、ドルーガが心底から嫌そうな顔で、そんなことを言う。
「うちのユニット、どうなっているんですか? ただでさえ、先輩で引き抜かれる人が多すぎて、定員をかなり割っているのに」
「一人卒業して、二人加入して、一人抜ける」
アンナも眉間にしわを寄せている。しかしどこか愉快げな気持ちがあるのは、隠し切れていない。
「つまり、校内最小ユニットの座は、いまだ健在ってことね」
場所は食堂の一角で、僕たち三人はひそひそと顔を突き合わせているところだ。夕食は既に済んでいて、三人とも、話に集中している。
「でもどうして、あんたが引き抜かれるわけ?」
渋面を解いたアンナの率直な疑問に、僕は正直に答えるしかない。
「僕も知らないよ。寝耳に水としか言えない」
「成績も中の中だしね」
図星だった。どうしてアンナが知っているのかは、よくわからない。ちなみに僕はアンナの成績は知らない。特別、知りたくないけど。
「何か課外活動でもして、企業の目に止まったとか?」
首をひねりつつ、ドルーガが言うが、もちろん、僕には自覚はない。
まさに寝耳に水なのだ。
「レイルは課外活動をするような柄じゃないよ、ドルーガ。何か、適性があったんでしょ」
「だとしても、どうやってそれに気づいたんでしょう?」
そのドルーガの言葉に、僕もアンナも答えられず、黙り込んでしまう。
告知を受けて、二日が過ぎている。二日の間に、かなり真剣に自分の行動を思い返したけど、どこかの企業が僕を引っ張る理由は、少しもない。
アンナが言ったように、成績もパッとしないし、課外活動もしていない。勤勉な態度を貫いているけど、成果ははっきり言って、芳しくはない。
つまり、どこにでもいる平凡な、中等科の生徒なのだ。
その僕がなぜ選ばれるんだろう?
もしかしたらどこぞの企業が、シュタイナ魔法学院の全生徒のありとあらゆる情報をふるいにかけて、結果、僕が浮上したのかもしれない。
でも僕なんて、真っ先に落とされそうなものだけど。
「まぁ、こればっかりは、仕方ないわ」
真っ先に気持ちの整理がついたらしいアンナが少し表情を緩めて、微笑む。
「我らがユニット伝統の、例の言葉に行き着くわね」
「そうですね」
どこか苦々しげな表情のドルーガも頷き、アンナと一緒にこちらを見据える。
「「学び舎から羽ばたくものに祝福あれ」」
……いざ、自分が言われてみると、突き放されているようで、かなり嫌だな。
僕たちのユニットに伝わる、卒業生やスカウトされた生徒に贈る言葉である。誰が考えたかは、もう忘れ去られているけど、僕たち三人は今まで、何度もその言葉を口にしてきていた。
「それで、いつが期限だって?」
「五日後だよ。明日には進路相談室に話を聞きに行く」
「じゃあ、早めにユニットのメンバーを招集して、お別れ会をしないとね」
もうアンナは次のことを考えているらしい。
「まだ受けると決めてもいないけど」
「受けなさいよ」
一転、睨みつけるように強い視線で、アンナが僕の瞳を見る。
すごい威圧感……。
「受けない理由はないと思う。これはチャンスなんだから」
「それは……」
そうだけど、とすら僕は言えなかった。
チャンスなのはわかっている。企業に引き抜かれる学生の大半は、出世街道を走っている。僕もそのスタート地点に立つ資格を得たということで、理由や要因がわからなくても、その地点に引っ張りあげられるのは、事実だ。
でも、どこかスッキリしない。
スタート地点に立てる理由がわからなければ、不安しかない。
手元のカップの中身を飲み干すと、空の皿が乗ったお盆を持ち上げて、アンナが立ち上がった。少しだけ、視線は穏やかなものになっている。
「あんたには、まともな判断力があると信じてる。じゃあね、また」
あっさりとアンナは遠ざかっていき、僕は彼女の背中をただ眺めていた。
「アンナ先輩の言う通りですよ」
皿の上に残っているパセリをフォークでつつきつつ、ドルーガが話し始める。
「僕が先輩の立場だったら、今頃、大喜びで、寮の部屋を整理し始めていますよ。僕はあと五年くらい、この学校で燻るのかな、と思うと、ちょっと落ち込みますし。どういう理由だろうと、先輩は選ばれたんです」
「不安になるんだよ、どうにも」
正直に口にして、それから僕は手のひらで自分の額を撫でる。
「何もしていないのに、突然に選ばれてしまうのって、怖くないか?」
「わからなくはないですけど、やっぱり僕は、喜びの方が勝るかな」
小さな音を立てて、フォークがパセリを押し、先が皿を擦る。
「どうしても不安なら、入った先の企業で、調べればいいんじゃ?」
「そんな余裕はないよ。僕の実力は僕が一番知っている。どこに就職しても、必死に勉強しないと、ついていけないだろうね
「必死に勉強していれば、今の悩みなんて、何でもないと思うじゃないかな」
ついにドルーガのフォークがパセリを突き抜け、彼はそれを持ち上げる。
「絶好のチャンスですよ。それだけは間違いない」
パセリを食べたドルーガがお盆を手に立ち上がる。いつもの、明るい表情になっている。
「明日の夕飯、ここでまた食べましょうよ。アンナ先輩も、シャーリー先輩も呼んで」
「シャーリー先輩には言っていないんだよ、まだ」
「え? 何で?」
うーむ、と唸る僕に、ドルーガは苦笑いした。
「今日中に伝えておいてください。それくらいの意気地はありますよね?」
「努力するよ」
「努力じゃなくて、絶対です。じゃあ、また明日です」
強い圧力だけはちゃんとかけて、ドルーガも離れていく。
どうしたものかな。シャーリー先輩には、なぜか、言い出せない。
でも話さないわけにはいかない。シャーリー先輩はユニットの今のリーダーだし、それ以前に、いろいろとお世話になっている。何も言わないのも不可能だ。
右手の袖を少しめくって、魔法通信を起動する。
顔を会わせるのは、どこか後ろめたい。
右腕に左手を滑らせる。
「あら? レイル?」
声に慌てて振り返ると、そこに当の本人がいた。
お盆を手にしたシャーリー先輩が少しの曇りもない笑みで、僕の前の席に腰を下ろす。
「何しているの? もう食べたの?」
「え、ええ、まぁ……」
「はっきりしないわね」
彼女は不思議そうにそう言いつつ、皿の上のパスタをフォークで巻き取り始める。
何をどう言えばいいのか、僕は考えているけど、一向に考えがまとまらない。
参ったな、完全に予想外、想定外だ。
しばらく黙っていると、ふとシャーリー先輩が顔を上げる。
「話があるみたいね。何かしら?」
まっすぐな視線に、どうしても戸惑ってしまう。
「ええ、それが……ちょっと……」
「言っちゃいなさいよ、レイル。何を言われても、別に驚かないから」
そう言われても、なかなかハードルが下がらないなぁ。
「アンナと付き合いたいの?」
「企業から引き抜きを打診されました」
意外に、あっさりと言えた。
反応は、驚くべきものだった。
シャーリー先輩は、ポロリとフォークを取り落としたのだ。しばらく、こちらを見て、目を丸くし、すぐに目を細め、次は笑みに変わる。
「からかっているのね?」
「事実ですけど……。からかっているのは先輩じゃないですか」
「あなたが? 引き抜かれる? 企業に? 本当に?」
……信じてもらえないらしい。
「これが証拠です」
僕は傍らのカバンから、二日前に受け取ったばかりの書類を取り出し、先輩に手渡す。疑わしげに受け取った先輩は封筒の中を確認し、じっと視線を注いでから、こちらに戻してくる。
「信じてもらえました?」
「不承不承」
不承不承とは、我ながら、人徳がない。
ちょっと悲しい。
「あなたが引き抜かれるなんて、我らがユニットには何かが取り憑いているのかも。お祓いが必要かしら」
「僕の幸運を不運みたいに言わないでくださいよ」
パスタを食べる作業を再開した先輩は、何かを考えているようで、僕はその思考の結論を待った。
「仕方ないわね」
そっとフォークを下ろして、にっこりとシャーリー先輩が笑う。
ドキッとする、魅力的な表情だった。
「行きなさい。それが良いと思う」
「なかなか、決められなくて。決心がつかないんです」
「さっきまでの言動からは、そんな雰囲気はなかったけど」
それは先輩の言葉のせいだと思うけど……。
僕が何か言おうとすると、先輩が制服の右袖を少しめくり、腕を眺めた。
「ドルーガからの通信だわ。明日の夕飯を、彼とあなた、アンナと私で食べようって。たった今の話を明日、するつもりなのね?」
「先輩が神出鬼没なんですよ」
「食堂に来るのは普通だけど」
食事を再開した先輩を、僕は黙って見ていた。
そうか、やっと気づいた。不安の一部は、自分が正体不明の何かに見初められたこともあるけど、この学校から出て行くのが、不安でもあるんだ。
食事を終えた先輩は穏やかな雰囲気で、こちらを見た。
「進路相談室にいつ説明を受けに行くの?」
「明日の予定です、決める期限は五日後」
「あまり時間はないのね。私に背中を押してほしい?」
頷いて見せると、先輩が微笑む。
「学び舎から羽ばたくものに祝福あれ」
……僕も何回も口にした言葉だけど、しんどいなぁ。
「ありがとうございます」
ちょっとやつれた気持ちになりつつ、僕はお盆を手に立ち上がった。
「明日までに考えをまとめておきます」
「そうしてね。ゆっくり考えて」
「じゃあ、失礼します」
頭を下げて、僕は盆を持って返却口へ進み、食堂を出る寸前に、シャーリー先輩の方を見た。先輩は僕を視線で追っていたようで、手を振ってくれた。頭を下げて、僕は食堂を出た。
寮の部屋に戻り、椅子に腰掛ける。
カバンの中からもう一回、書類を出して、見た。
間違いなく、僕の名前が記入されている。書類の送付間違いじゃない。
何度も確認しているけど、本当に、信じられない。送付間違いじゃないか、とやっぱり何度も思ってしまう。
書類を机に乗せて、無意識に腕を組んでいた。
「どうしようかな……」
僕が考えていたことは、ダーカーのことだった。
そして、オール・イン・ガンのこと。
いつの間にか、あの仮想遊戯の中が僕の中での第二の現実になりつつある。
ただの仮想遊戯だけど、僕は現実の中の自分より、仮想遊戯の中の自分の方が、自信を持てる。まったく、おかしなことだけど、事実なんだ。
現実の僕は本当に、どこにでもいる、平凡な存在。
それが遊びの中では、少しの自負がある。
自分で自分に呆れつつ、頭を振って、僕は考えを先へ進めた。
現実のことを考える。
ドルーガ、アンナ、そしてシャーリー先輩。
三人ともが僕を送り出そうとしている。きっと三人には、僕自身には見えない、僕の長所、そうでなければ僕の魅力が、見えるのかもしれない。
たぶん、きっと。
そうであって欲しい、なぁ……。
なんにせよ、その三人の気持ちをまるっきり無視するのも、気がひける。
こんな後ろ向きではいけないかもしれないけど、明日、進路相談室に行くのは僕の中で決定事項だ。
後のことは、それから考えよう。
もしかしたら、デタラメな企業からの引き抜きで、説明を聞いただけでうんざりするかもしれないし。
もしそうなったら、正直に三人に話せばいいだろう。
気合を入れて、椅子から立ちがり、僕はシャワーに向かった。
明日の夕方には、またオール・イン・ガンをプレイすることになる。そこで、ダーカーにも打ち明けてみよう。
どうやらまだ、一押しがほしいようだ。
我ながら、諦めが悪いというか……。
それは、違うか……?
うーん。
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