第8話 不穏な彼女と、困惑の手紙

 シュタイナ魔法学院にも春が訪れつつある。

 この国ではヤポン式と呼ばれる制度が採用されていて、三月末で年度を区切り、四月から新年度になる。

「シャーリー先輩がユニットのリーダーになると、ちょっと時間の流れを感じますね」

 三月末の卒業式が終わってから、恒例のユニットごとのお別れ会の帰りだった。感慨深げにドルーガが呟くのに、僕は苦笑いする。

 この時期は方々でしんみりとした空気が流れるものだしな。

「僕とは三年、ドルーガとは四年も離れているんだよ。そのうちに僕が卒業して、ドルーガがリーダーになったら、どうなるやら」

「考えたくないですよ」

 首を振って、まるで何かを追い払うような素振りのドルーガ。

 僕たちはそれぞれの寮の部屋に戻った。部屋に戻ると時間は十八時過ぎだった。制服を脱いで部屋着に着替えて、椅子に座る。

 右腕を確認。オール・イン・ガンの履歴を確認。

 稼働時間は九十秒ほど。撃墜数は、千を超えた。

 いつかトニーが言った通りだった。僕の技量が上がるにつれて、一回の参加での撃墜数はまさに怒涛の勢いになった。

 もちろん、それだけの努力をしている。毎回、週に二回程度の参加を無駄にしないために、高い緊張、集中、思考、そういうものが発揮されていた。

 僕は右腕に左手を伸ばし、オール・イン・ガンの世界に入った。

 すでに草原、田園の二つの舞台は、物足りない。

 僕が現れたのは、都市の舞台だった。

 半ば朽ちかけた旧世代の都市。風化が進むコンクリートの棟が林立し、どこの壁面も激しく剝落、崩壊している。窓だったところは吹き飛んで、虚のようだ。

 僕が出現した場所はそんな建物の屋上だった。即座に駆け出しつつ、自分の存在を隠蔽する。

 屋上の縁を蹴って、宙に跳んだ。

 適度な緊張と、集中と、そして意識の解放。

 弧を描いて、僕の体は通りを挟んだ建物の壁に空いた穴に突っ込み、床に転がって衝撃を消すのとほぼ同時に起き上がり、さらに走る。

 複数の銃声が響く。

 この舞台にいる連中は、激辛だ。

 背筋の凍る音とともに銃弾が僕の後を追ってくる。

 命中するギリギリで、残っている壁の裏に飛び込む。軌道を変えきれなかった弾丸が三発ほど、壁にめり込み、停止。

 即座に僕は地を蹴り、改めて走り出す。

 恐怖は感じない。どうせ仮想遊戯だし、という思いはもう消えている。

 純粋に、僕の精神は恐怖を支配下に置いている。

 純粋な意識を即座に集中。最大出力のイメージで、練り上げる。

 遮蔽を取り続けて潜んでいると思わせるための熱源をその場に残す。

 僕の本体は通路を風よりも速く走り、階段をほとんど飛び降りる。

 二つほど階を降りるうちに、僕の探索の意思が周囲を走っている。

 自分を中心にすれば五百メートルが限界だけど、それを歪め、方向を限定して、八百メートル先までを一瞬で把握。そのままぐるっと周囲を巡らせ、五秒で索敵は完了。

 よし、全て、把握した。

 通路から外が見える位置で狙撃銃を構える。

 引き金を引くが、無音。

 と思ったが、銃声が響く。ただし、僕の手元ではない。

 さっき、熱源を残した場所に、僕は音源を移動させた。

 この技は使いこなすのにコツがいる。銃声という、拒否できない現象を、そっくりそのまま別の地点に響かせるわけだから、手順が複雑になる。

 今回は完璧に作動し、僕が即座に放った三発の弾丸は、遠くに銃声を残し、空間を疾った。

 当たったのか外れたのか、確認したいけれど、そんな余裕もない。

 すぐに通路を戻り、階段へ。またも駆け下りていく。

 この都市の舞台は、遮蔽が非常に多く、隠れるのには苦労しない。だけど、この舞台にいるプレイヤーには生半可な隠蔽は意味がない。

 僕が使う索敵と同等か、それ以上の使い手が溢れている。

 だから、その索敵をどう逆手に取るかが、重要ということになる。

 僕の知覚では、先ほどの偽装の熱源に、銃撃が集中しているのがわかる。

 弾丸は直線で飛んでこない。遮蔽を回り込むように、全方位から来るのだ。

 あそこにあのままいれば、僕はその攻撃を凌なかっただろう。

 ただし、今は囮だ。囮の誘導は完了。あとは仕上げだ。

 囮の熱源をを狙っている三人のプレイヤーに、先ほど放った銃弾を遠回りさせ、反転、逆襲させる。

 相手に僕の銃弾が襲いかかると同時に、僕自身は地上に降りていた。

 狙撃銃を即座に構える。スコープの向こうに、背後からの銃弾に、慌てて振り返るプレイヤーがいる。

 迂回させた弾丸は偽装。必殺の威力はない。

 崩し、だ。

 間を置かず、本命の引き金を引く。

 銃声が響く。居場所がバレるのも時間の問題だし、その偽装に意識を集中するくらいなら、攻撃に集中を回したかった。

 甲高い音を残して、空気が焦がされる。

 撃墜の手応え。

 それでも休む暇はない。連続して引き金を引くと、今度は必要以上に大きな銃声が響く。

 ただし、今度もまた僕とは全く別の地点で。

 その地点とは、僕を狙った三人のうち、撃墜されていない二人の、それぞれの位置だ。

 これで彼らも、それぞれの居場所を暴露されたことで、僕にかまう余裕はない。逃げを打つしかないだろう。これで僕も少しは余裕ができる。

 地上をひた走り、建物の脇に放置されている廃車を蹴って、その建物の二階に飛び上がる。

 その中を駆け、隣接する隣の建物へ道路の真上を飛び渡り、移動。突っ切って、窓だった穴から外へ。地上を転がり、淀むことなく駆け出す。そこから人通りのない通路を横断し、路地から路地へ抜けていく。

 自分の体が躍動しているとは思えない、まるで空想のような運動だけど、現実で実際に動かしているのと変わらない実感がある。

 まるで超能力者だな。

 何本かの路地を抜けた先は突き当たりは、駅だった。電車は当然、動いていない。

 ロータリーを小走りで渡って駅舎の中に入り、周囲を索敵して追跡者がいないのを見つつ、移動を続ける。

 一階から二階、二階から三階へと上がり、足早にさらに上へ。

 六階にある比較的、原型をとどめている展望室にそっと入る。

「やっているね」

 そこで待ち構えていたダーカーが肩越しにこちらを振り返る。

 彼女を顔をあわせると、どこか落ち着く。彼女を前にすればほとんどのプレイヤーは歯が立たない、と僕が勝手に思っているからだろう。

 虎の威を借る狐、みたいで嫌だけど、しかし、オール・イン・ガンで、ここまで落ち着ける場所や相手を、僕は知らない。

 僕は彼女の横に立ち、今は巨大な穴になっている、昔は一面のガラス張りだったと連想される壁、大きな四角形の空白から、街を眺める。

 明かりが灯っているわけでもなく、たまにどこかで何かが崩れる音がして、そして銃声も稀に聞こえた。遥か遠くから悲鳴も。

 荒涼として、殺伐とした舞台だった。

「何人、撃墜した?」

 ダーカーがこちらも見ずに、尋ねてくる。

「一人だよ。今日はどうも、手強そうだから」

「私は四人、撃墜した」

 なんだ、僕の獲物がいない理由は、それじゃないか。

「ダーカーがぬるい相手をさっさと撃墜するから、強敵しか残らないんだと思うけど?」

「そんなに差はないわ。それに、弱い相手を選ぶのも撃墜を稼ぐ手法の一つでしょ?」

「弱いものイジメみたいで、僕は好きになれないな」

 あらあら、と仮面越しでもわかる笑みを向けてくるダーカーには、からかう気配。

「何か、こだわりがありそうね、リーンには」

 首を傾げて見せてやる。仮面をつけているので、感情は体の動きで表現するしかない。

「技術を高めたいだけさ」

「もう相当な使い手だと思うけど?」

 そう言いながら、ダーカーが狙撃銃を外へ向けて構える。僕も構えていた。

 一瞬で緊迫した空気が二人を包む。

 お互いに、何の示し合わせもなく、引き金を引く。

 都市の二カ所で、銃声が鳴る。もちろん、駅は無音。

「まだまだ、私の方が有利かしら?」

 僕が覗き込んだスコープの中で、プレイヤーが一人、つんのめるように倒れ、消える。

 僕の銃撃ではない。僕の銃弾より先に、ダーカーの弾丸が命中した。

 彼女の弾丸の方が、速い。

「絶対的に有利でもないね」

 僕はスコープをずらす。三棟隣の建物を見やり、覗き込む。

「互角かもね」

 肩をすくめるダーカーの気配。

 僕が見ている先で、おそらく僕とダーカーが転移させた銃声のせいで、周囲を確認していたプレイヤーが横転する。そして消えた。

 最初の標的を先に取られたとわかった瞬間、僕は弾道を捻じ曲げ、別のプレイヤーを撃墜したのだ。

「悪くないわ。詳細な索敵、熟練の射撃技術、そして機転」

 狙撃銃を下げたダーカーが仮面をこちらに向けた。

「そろそろ、私たちもぶつかり合う頃じゃない?」

 意外な言葉だった。ぶつかり合う?

「本気で、戦うってことよ」

「僕とダーカーが? なんで?」

「何でも何も」

 ゆっくりとダーカーが僕の周りを歩き始める。かすかな足音が、展望室の空気を震わせる。

「オール・イン・ガンには、味方という概念はないのよ。あなたをここまで指導したのは、私の気まぐれ。もちろん、あなたが私を信じた、という要因もあるけど。それでも本質的には、私とあなたは、敵同士」

「それはわかるけど、でも、僕には理由がない」

「私にはある」

 僕の背後で、ピタリと足を止めたダーカーを、僕は振り向かなかった。

 彼女の不穏当な言葉が本音なら、今、まさにこの瞬間に、彼女は僕を撃墜するかもしれない。

 ただ、それをどこかで受け入れている自分がいる。

 もっとも、彼女はぶつかり合うという表現をしたわけで、不意打ちで僕を撃墜する理由はないな。

 彼女の真意が、気になった。

「どういう理由か、詳しく聞きたいな。僕の気持ちも変わるかもしれない」

「私は強いプレイヤーと競いたい」

「僕がそれほど強いかはわからないけど、それは脇に置いておく。ダーカーは、僕を強くするために、僕を鍛えた、って解釈でいいのかな」

 そうね、という言葉とともに、ダーカーが歩みを再開する。

「あなたには素質があると思った。スカウト組だとも思えた。あなたには、私を圧倒して欲しいのよ。容赦なく、私を撃墜して見せて」

「だから、その理由がやっぱり、僕にはわからないよ。もっと強い相手を探せばいいんじゃないか?」

「あなたの理解は求めていない。あなたが理解すべきなのは、私が対決を望んでいることだけ。余談として付け加えるなら、あなたの力量に比肩するプレイヤーはほとんどいない」

 いよいよ剣呑な雰囲気になってきたな。

 それにしても、まさかダーカーがそこまで僕を買っているとは。

 穏当とは言えない気配の震源地のダーカーが僕の眼の前で立ち止まった。

「時間をあげるから、考えておいて。私はいつでも良いから。また会いましょう」

 言うなり、ダーカーは風が時折、吹き込む巨大な穴に歩み寄ると、そこから飛び降りて、僕の視界から消えてしまった。

 やれやれ。どうしたらいいんだ?

 ちなみに、この駅舎が僕とダーカーのいつもの待ち合わせ場所で、ここを悟られないように、可能な限り、駅舎とその周辺では戦いを起こさないようにしている。

 誰かが近づいてきたら、その時は二人で協力して撃墜するけど。

 もちろん、そうとわからない、持って回った暗殺じみた手法で。

 僕は少し廃墟の街を眺めて考えてから、身を翻して、展望室を出た。通路を早足で進み、適当な部屋にある穴から外へ出て、僕はその都市の一角を、周囲を警戒して移動していく。

 その日はその後に九人のプレイヤーを撃墜し、最後はわずかの差で、僕の方が早く撃墜されることになった。

 意識が部屋に戻る。反射的に時計を確認する。やっぱり一秒しか過ぎていない。

 椅子にもたれかかり、息を吐く。

 ダーカーと対決する?

 全く魅力を感じない、断りたい打診だった。

 どうしたら良いんだろう。僕にそんな力があるだろうか。彼女に追いつけたなんて、思ったこともなかった。

 少しの間、考えていたけど、答えは出そうにない。

 深呼吸して、立ち上がった。すでに春休みの課題は全部終わっている。入学式は四月一日で、それまであと数日がある。

 何はともあれ、今日はやらなくちゃいけないことはない。

 ちょっとだけ読書していると、ドアが誰かにノックされた。横になっていた寝台から立ち上がり、ドアの覗き穴を見る。

 ドルーガでも来たのかと思うと、シュタイナ魔法学院の、事務員の制服を着た女性だった。

 何だろう?

 ドアを開けると、すっと封筒が差し出される。

「学院の進路相談室からです」

「あ、どうも」

 進路相談室? まだ僕とは縁がないはずだ。

 一礼する事務員に頭を下げ、ドアを閉める。寝台に腰掛けて、封筒を確認。外からでは何の特徴もない。

 封を適当に切って、中を検める。

「これは……」

 自分の察しの悪さに、やっと気づいた。

 書類は、企業からの入社要請書の提出があった旨を告知するものだった。

 入社要請書は、様々な企業が、生徒を引き抜くときに学校に提出してくる。この書類が提出されると、対象の生徒にこの告知が来るのだった。

 噂でしか知らなかったけど、本当にあるんだな。

 まるで他人事のように感じつつ、書類を読んでいく。

 どうやら、僕は、首都に事務所を構える、魔法技術を取り扱う会社からスカウトされたらしい。でも、まるで実感がない。どこで僕の情報を手に入れたんだろう?

 いやいや、情報は学校から情報を提供してもらったとして、なんで僕なんだ?

 告知の書類を何回も読み直し、事態を確認する。

 進路相談室の職員との面談がまず行われ、その後に企業の担当者と面談するようだ。

 日取りは、一週間後。新年度の一週目になっている。

 なんとも、慌ただしい。年度末で区切ればいいのに、何か理由があるのだろうか。

 書類を封筒に戻し、投げて机の上に滑らせる。

 今夜は、いろいろと考えることのある夜だな、と思いつつ、寝台に横になった。

 仮想遊戯と、現実の進路、この二つを同じように考えるのはどこか違うような気がする。

 でも、僕の中では、どちらも同じ重さに感じる。

 しばらく横になり、起き上がって寝台に座って考えて、次にまた寝台に寝転がった。

 まったく、どうしたらいいんだろう? あれも、これも。

 横になっているうちにウトウトしていて、気づくと深夜だった。

 シャワーを浴びようかと思ったけど、眠れなくなりそうなので、その日は結局、布団に入って、目を閉じた。

 考えることが山積で、選択に悩んでいるとは思えないほど、僕はあっさりと眠ってしまった。


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