第7話 仮想遊戯と現実と青い花束
トニーから教えてもらった技術を、僕はひたすら練習した。
銃声を消すこと、それと、直感的な索敵がまずは課題だった。
この二つがあれば、僕の撃墜数が跳ね上がることはわかっている。相手に存在を明かさず、かつ、相手の存在を暴くことができる。
このオール・イン・ガンという仮想遊戯は、かくれんぼのような要素もあるのだ。
僕はボロ屋に直行することは無くなり、森林地帯の縁あたりで時間を過ごすことが増えた。
もし木立の中ではない、水田のど真ん中から始まってしまった時は、もう一つ、努力している技術を試すことになる。
それは、姿を消すことだ。
透明人間になるのだけど、実際には僕が透明になるわけではない。
ただ、一心に、自分の存在というものが、誰にも感知されない、と念じる。
嘘のような手法だけど、これが不思議とうまくいく。
一回、二回と、あっさりと撃墜されたものの、それ以降はどういうわけか僕に銃弾が飛んでくることはない。
抜き足差し足で、木立の中へ移動し、一息ついて、僕は狙撃銃を構える。
目を閉じ、周囲を意識しようと、これもまた念じるのだ。
念じていると周囲のことがぼんやりと意識され、それが徐々に明確な輪郭を持ち始める。
最初は半径二百メートルほどの、それもまだまだ不鮮明な、しかし新鮮な知覚だった。
それが回を重ねるごとに、徐々に範囲が広がり、鮮明になった。
今では半径五百メートルが、僕の感知できる範囲だ。この範囲内にいる他のプレイヤーは、僕にはしっかりと、手に取るようにわかる。
狙った相手を射線に入れ、安定した姿勢で、銃を構え直す。
照準は、スコープを覗くまでもない。
まっすぐな線をイメージして、引き金を引く。
この時、同時に、静寂をイメージする。
微かな引き金が軋む音だけで、銃口が跳ね上がる。無音の発砲。
一直線に走った弾丸は、一撃で相手の頭を撃ち抜いている。
撃墜。
銃声はほとんどしないが、しかし、どうやら銃身はうっすらと煙を上げている。これもトニーから聞いていた通りだ。
すべての現象を精神力で制御できるけど、その反動を完全に消し去ること、無にすることはできない。
銃声は消せても、その代りに熱が生まれるし、反動も強いように感じる。トニーが言うには、もっと色々なことができるけど、その代わり、反動を制御する必要も生じるらしい。
念じることが大事なのに、一つのことを念じるだけではない。
同時にいくつものことを念じる。
果たしてそんなことが可能なのか、僕にはわからなかった。
周囲に潜んでいる他のプレイヤーを四人ほど撃墜し、僕は誰にも姿を見られない自分を意識して、ボロ屋へ移動する。未だに緊張するけれど、撃たれなかったので、ほっとする。
修復されることのない引き戸のせいで、ボロ屋の玄関は素通しだ。
中に入る前に、そこにダーカーが待っているのはわかった。
「どこで知ったのかしらないけど」
すぐに声をかけてくる。
「調子が良いみたいだね」
「別のコーチがいるから」
「それも良いでしょう。私に何か、聞きたいことは?」
僕は銃声を消す時の反動、反作用をどう処理しているのか、質問した。
「弾丸を撃ち出す反動とぶつけて、相殺させているよ」
……ものすごい返事だった。
「つまり、ダーカーは……」
細部まで想像するのに時間が必要だった。
「銃声を消すように意識しつつ、それで生じる熱と反発を、本来の反発にぶつけている?」
「そういうこと」
「それって、三つのことを意識しているってこと? それとも二つ?」
少しダーカーも考えたようだった。
「あまり考えていないけど、二つだね、たぶん。無音を意識して、反作用を意識する」
「反作用を操作して、本来の反動にぶつける時、どうやって釣り合いを取るの?」
「それは、まぁ、釣り合いが取れることをイメージする」
……二つじゃない。三つじゃないか。
しかも、めちゃくちゃな理屈だ。
「他に質問は?」
僕は姿の隠し方について質問した。こちらはおおよそ、僕が練習しているのと同じ手法だ。ただし、ダーカーの方が細部を詰めているのがわかる。
彼女は姿が消える以外に、音が消えること、熱が消えること、この二つも意識しているらしい。この三つは僕でも同時に考えられそうな気がした。
やってみないとわからないけど。
「そのコーチとやらに」ダーカーが首を傾げる。「私も会えるかしら?」
「無理だと思いますけど、何か理由があるんですか?」
「手合わせ願いたいかな」
変なジョークのような返事だった。
その日はダーカーと一緒に、遠くに見える街まで、偵察に行った。途中で舞台が区切られていて、そこを越えると、市街地が舞台になるらしい。その境界線に立って、僕たちは今後について話をした。
市街地と言っても、廃墟だった。建物は全部、ボロボロだ。それを見ながら、話しているのは、どこか妙だけど、何が妙かはわからない。
ダーカーはまだ僕には市街地エリアは早いと見ているようだ。僕には理由はわからないけど、どうやら強敵が多いらしい。
「ダーカーでも苦戦するくらいの?」
「私が自分の心配をするわけがないでしょう。君があっさり撃墜されるかも、って危惧しているわけ」
彼女がそう言った次の瞬間、何度も耳にしている異音が響く。
空気が不自然に切り裂かれる音。
即座にダーカーが僕を引きずり倒す。一瞬前に僕が立っていた場所を弾丸が掠めて飛び、舞い上がり、急降下。
でもその時にはダーカーも銃を構えている。地面で体を半回転、うつ伏せから仰向けになる過程で、銃はピタリと固定された。
発砲。
銃声。
どうやらダーカーも焦ると銃声を消せないとわかった。
それはともかく、頭上を肩越しに見ていた僕の視界で、激しく火花が散り、何かが砕ける。
「逃げましょう」
僕の腕を掴んで、中腰でダーカーが市街地に背を向けて走る。僕は引きずられ、すぐにどうにか自力で駆け出す。
「さっきのは一体、何ですか?」
「有名なプレイヤーなのよ。魔弾、とも呼ばれるけど」
僕は周囲を確認する。
「あ」
意識を集中する間もなかった。
ただ、いつものようにダーカーの声だけが、聞こえた。
気づくといつもの寮の部屋だ。頭を振って、意識をはっきりさせる。
机の上のカレンダーを見て、今日の日付のマスに「お見舞い」と書いてあるのを眺めた。さっきまでのオール・イン・ガンの世界にいた時は感じなかった不安が、ひたひたと近づいてくる。
時計を見ると、朝食の直後なので、まだ八時過ぎだ。
まだ夏休みだけど、すでに終盤。短期講座は全てが終了し、帰省していた生徒たちも徐々に戻りつつある。
億劫な気持ちを振り払い、僕は制服に着替えて、部屋を出る。
寮の中のいくつかの階はちょっとした商店街のようになっている。日用雑貨であったり、食料品であったり、衣類であったり、様々なものが手に入る。ただ、食料品と衣料品がわずかなのは、そのどちらもが、制服という万能の衣服と、食堂という場所のせいだろう。
僕は途中の花屋で、切り花を買った。今の気持ちで青い花の小さな花束を作ってもらう。
会計を済ませて、一人で一階から地上へ踏み出す。
徒歩で首都を進み、首都立の病院へ。尋ねる患者の部屋番号は、すでに暗記していた。
階段を上る足がやけに重く感じたけど、気のせいだろうか。
人気のない通路を進み、目的地の四人部屋に。
中に入ると、三人の視線が僕の方を向くが、すぐに逸らされる。黙礼して、僕は寝台の一つに、歩み寄る。
「トニー……」
声をかけようとしたけど、僕は言葉を続けられなかった。
真っ白い寝台には、トニーが横になっている。少しの身じろぎもせずにいる。
眠っているのではない、目は開いている。でも、何も見ていない。
呼吸をしているのはわかる。
意識は、ない。
僕は寝台の横の椅子に腰を下ろした。花束は、椅子のすぐ横の小さな机に置いた。
「あら、ハクオウさん」
しばらくすると、看護師がやってきて、声をかけてくる。
「こんにちは」
こちらから挨拶すると穏やかな笑みが帰ってくる。
「どんな具合ですか?」
「そうですね」
看護師の顔が少し曇るけれど、すぐに気を取り直したのが見て取れた。
「二日に一度ほど、今のような様子ですね。一度、そうなってしまうと、三時間ほどは」
「そうですか……」
僕は時計を見た。ここに来て、一時間ほどが過ぎている。あと二時間なら、彼が目覚めた時にちょっと遅い昼食を一緒に取るような時間になるだろう。
「目が覚めるまで、待っていていいですか?」
「良いですよ。カールさんも話をしたいと思います」
それから僕はじっとトニーの横に座っていた。
どれくらい時間が過ぎたのか、わからないほど待ってから、パチリと、トニーが瞬きした。そして首をひねって、こちらを見る。
「ああ、レイル。待たせたみたいだね」
上体を起こしたトニーがそう言いながら、何回も首を振る。
「ちょっと話そう」
僕がそう言うと、彼は勢いよく頷き、寝台を降りた。痩せているようでもない。健康体に見える。
二人で病院の屋上へ行く。その途中で、僕は売店でサンドイッチを買う。
「これが何よりのご馳走だな」
僕と一緒に分厚い肉が挟まれたサンドイッチを分け合いながら、トニーが笑う。
「それで」
自然な口調で、僕は切り出す。
「オール・イン・ガンをやめるつもりは、ないの?」
「ないね」
即答だった。あまりに早くて、どうやら僕がその話を始めると予測されていたようだ。
僕の方が黙り込んでしまい、二人の間には沈黙が降りてきて、僕はもそもそと、トニーはガツガツとサンドイッチを食べた。
「君はやめられるかい?」
前触れもなく、トニーが質問してくる。
「オール・イン・ガンをやめられるか、ってこと? それは、どうかな」
「あの仮想遊戯の完成度は抜群だよ。まるでもう一つの現実だ」
もう一つの。
でも、現実ではない。
仮想の世界であり、遊びに過ぎない。
「それでも、体を壊しちゃ、意味がない」
怒り出すかと思った。でも、トニーの反応は別だった。
「意味がない、か」
そう呟くと、ニコニコと笑いだす。
「レイルには意味がないかもしれないけど、僕には意味がある。体を損なう代わりに、僕はかけがえのない経験をしたし、そして、まだ続けるつもりだよ」
「そんなの……」
どうやってもトニーを説得することはできない。突然に、そんな確信が浮かんで、僕は言葉を続けられなかった。
「大丈夫だよ、レイル」
ぽんぽん、とトニーが僕の肩を軽く叩いた。
「ちょっと深く眠ったな、くらいの感覚なんだ。一瞬さ」
「でも、二度と目覚めなかったら?」
「その不安は、僕の症状とは無関係さ。レイルだって、今日の夜、眠ったらもう目覚めることがないかもしれないじゃないか。レイルは、眠る時、目覚めないことを想像して、眠れなくなるの?」
ならない。僕は首を横に振った。
ひょい、と、トニーは僕の手元のサンドイッチを奪い取る。
「大丈夫さ、レイル。また会える。僕が意識を失っている間、待つのは退屈かもしれないけど」
「問題ないよ」
話を切り上げる決意をして僕は笑みを見せ、そう応じた。
我ながらよく言えたものだな、と考えながら。こんな言葉、気休め以外の何ものでもない。
それでも、トニーに負担をかけたくなかった。
僕と彼は友人同士で、気のおけない仲なんだ。なら、これくらいは許されるだろう?
僕は何かを振り払うように、即座に手を伸ばして彼が齧り付く寸前のサンドイッチを奪い返す。
「また来るよ。病室に帰れば、病院食が出るんだから、サンドイッチはあげない」
「ケチだなぁ。病院食はとにかく、塩気がないんだ。量も少ないし」
唇を尖らせるトニーの前で、僕はこれ見よがしにサンドイッチを食べる。むすっとしたトニーが強めに肩を叩いてくる。
病室に戻ると、トニーが僕が持ってきた花束を目にする。
「青い花は、僕も好きだよ」
そう言って、そっと花びらにトニーが手を伸ばす。
「次に目覚めた時、この花は……」
そう言いかけて、トニーは口を閉じると、しばらく花に手を触れていた。
静けさが、何よりも如実に語っていた。
言葉にならないがために、迫ってくるものがあっても、二人ともそのままだった。
彼の手がそっと花から離れ、こちらに笑みを見せた。僕も、笑って見せた。
その日が、僕がトニーと会った最後の日になった。
その三日後に、お見舞いに行く約束で、僕は病室へ行ったけれど、トニーが横になっていた寝台には別の患者が横になっていた。太った中年男性で、昼間なのにイビキをかいて横になっていた。その男性を前に、僕は立ち尽くしていた。
受け入れたくなかった。
頭の中には悪い想像しかない。せめて、その中の最悪ではないように、ということだけが頭の中にあった。
看護師がやってきて、僕に、トニーは転院になった、と教えてくれたのは、どれくらいの時間が経ってからのことだったか。
死んだわけじゃない。生きているんだ。
良かったと思った僕を、誰も責められないだろう。
「どこの病院ですか?」
訊ねる僕に看護師が申し訳さそうな顔になった。
「地方の、療養所です。ご両親が見つけた場所で、静かな、穏やかな場所だとか」
地方。質問を重ねると、地方も地方で、首都からだと電車でも片道に四日がかかる。
唖然とするどころか、それを通り越して、はっきりとした認識が心に浮かんだ。
トニーとはもう、会えない。
会いたいけど、会って、どうしたらいいか、分からなかった。
彼は今も、オール・イン・ガンを続けているだろう。そして眠っている時間が長くなり、ずっとずっと、眠っている。
もう僕は彼のそばに寄り添える自信はなかった。
ここからいなくなってくれて、安堵している自分に強い嫌悪感があった。
それは彼を否定しているのも、同じだ。
トニーは、仮想遊戯に全てを賭けた。それを、まずは認めよう。
それだけは、揺るぎないはずだ。
「どうされましたか? どこか、お具合でも?」
すっかり忘れていた看護師が、こちらの顔を覗き込んでくる。
「いえ、なんでもありません。ありがとうございます」
看護師に礼を言って、僕は病室を出て、病院も出た。首都の街路は、いつもと変わらない。平日の昼間で人通りは少ないけれど、商店は華やかで、どこからともなく響く生活音が止むことはない。
僕の足取りの重さは、その街の活気と対照的で、余計に僕の心を重苦しくさせた。
シュタイナ魔法学院の寮に戻ると、偶然、アンナと出くわした。
「うわ、レイル」
驚いた様子で、アンナが駆け寄ってくる。
ぼんやりと彼女を視界にとらえた僕はその場に立ち止まって、彼女を待ち構えた。
「何かあったの? なんか、すごい顔しているけど」
「いや」僕は笑みを見せようとしたけど、うまく行っただろうか。「なんでもないよ」
「そうとは思えないけどね」
疑わしげにしげしげと、こちらの顔を覗き込んでから、彼女が僕の手元を見た。
「その花束、どうしたの? もらったの?」
やっと、僕はトニーに渡すための、青い花の花束を持ち続けていたことに理解が及んだ。
それをアンナに押し付ける。
部屋にその花束があれば、僕はきっと、気持ちを割り切れないと思ったから。
「あげるよ。部屋にでも飾って」
目を丸くして、あんなはそっと花束を受け取った。
「え? 良いの? どうして? 何のお礼もできないよ?」
「なんでもないよ、気にしないで」
僕はアンナに質問を返される前に、「またね」と素早く言って、手も振ってみせ、その場を離れた。
立ち止まっているアンナの視線が、背中に刺さるようだった。でも僕には振り返る余裕はもうなかった。
廊下を足早に進み、自分の部屋に入る。
ドアを閉めたところで、限界だった。
背中をドアにもたれさせ、僕はしゃがみ込んでしまった。
色々なことが、頭に浮かんだ。
トニーが現実を投げ打った、仮想遊戯。
トニーは、その仮想遊戯を忘れることよりも、現実が破綻することを選んだ。
どうして? なんで、そんな決断ができる?
僕には、何ができるだろう。
何をするべきなんだ?
何もわからなかった。僕はただの中等科二年の男子生徒で、仮想遊戯の中でも、駆け出しだ。
何者でもなく、流されるだけ。
何も決断していない。
僕はしばらく、考えて、一つだけ決めた。
オール・イン・ガンを、もう少し真剣に遊ぶ。
トニーが全てを賭けるものが、あの仮想遊戯にはある。
なら、僕は、彼の分も、打ち込もう。
誰かが、ただの仮想遊戯じゃないか、と言ったら、僕はただ、笑ってやる。
そして、心の中で、トニーのことを思い浮かべる。
それで、そんな誰かの戯言は、僕の心には届かないだろう。
目元を拭って、僕は立ち上がった。
振り返る余裕は、まだない。
前進あるのみだ。
でも、と鎌首をもたげる思いもある。
またトニーのような人と出会ったら?
僕はその時、どうすればいい?
その考えを僕は無理矢理に、心の奥に追いやり、意識から消した。
前に進む枷になる。
今は忘れる。
忘れて、前に進むんだ。
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