第6話 意識障害

 夏休みに入っても帰省する生徒はほんのわずかだ。

 シュタイナ魔法学院では、夏休みの最中に無数の短期講座が開かれている。大抵の生徒はそれをいくつか受講して、夏休みを過ごす。

 僕は魔法理論基礎の講座、そして文明史の講座を取った。

 短期講座でも、一日にある講義は一マスだけ、六十分だ。なので僕は午前と午後に一マスずつ時間を割いて、他の時間は自由に過ごせる。

 午前中の講座の後には講義棟の一つの階層にある、体育施設で過ごす。トレーニング機器で筋トレをしたり、昔ながらのランニングマシンで走ったりする。

 汗を流してから、お昼ご飯を食べて、午後の講座へ。講座が終わったら今度は図書階へ向かう。短期講座の復習をしつつ、気になった部分を調べたりする。

 体育施設も図書階も、普段と変わらない生徒の姿が多い。

「先輩、ちょっとは遊びに行きましょうよ」

 別の短期講座を受けているドルーガが、僕の寮の部屋で空いている方の寝台の上で跳ねながら言う。

 その日は夏休みの半ばで、時間は夕食の前。前と言っても、食堂ではすでに夕食を食べることもできる時間だ。僕は短期講座の復習を部屋でしていて、夕食に行こうかという時に、ドルーガが遊びに来たところである。

 普段から寮の部屋を行き来するのは禁止されてもいないけれど、ドルーガがやってくるのは珍しい。遠慮深いというか、公私混同をしないというか。

「別に」僕はノートにペンを走らせる。「退屈でもないよ」

「僕が退屈しているんです。一緒にどこかに繰り出しましょうよ」

「うーん……」

 どうにか誤魔化そうかと思案したのも短い時間で、結局、僕はドルーガの誘いに応じることにした。

 その三日後、短期講座の休みの日に、僕とドルーガは寮の一階まで降りて、外へ出ようとすると、二人の女子が待ち構えていた。

「なんで?」

 視線をドルーガに向けると、不敵な笑み。

「花があった方がいいでしょう?」

「古風だね」

 どうにか、そう答えるしかない。二人の女子、アンナとシャーリー先輩に僕たちは合流する。

「今日はどこへ行く予定かしら?」

 あいさつもそこそこにシャーリー先輩が訊ねてくるのに、ドルーガがペラペラと話し始める。一日を目一杯、遊び倒す計画のようだ。

 作戦の立案者を先頭に、僕たちは街へ繰り出した。

 でも計画はすぐに破綻した。

「私、ちょっと書店に用がありまして」

 昼食を食べ終わる頃、軽食屋の一角のテーブルで、シャーリー先輩がそんなことを言った。

「じゃあ、予定を変えましょうか」

 慣れたものでドルーガはすぐに考えを変えたようだった。やれやれ。

 新刊を探しに行くのかと思ったけど、シャーリー先輩が向かったのは、古書店だった。

「ちょっとパスしたいかも」

 そんなドルーガのつぶやきがかすかに聞こえた。

 どんどん中に入ったシャーリー先輩の姿は店内を埋め尽くしている書棚の陰にすぐに消えた。商品管理を拒否するかのように、棚からあふれた書籍が床にも積まれている。

 僕も書棚を眺めて、初めての店なので、どういうジャンルがどこにあるのか、確認していく。

 二十分ほどしただろうか。

 フラッとドルーガがやってきた。アンナもいる。

「すぐそこの喫茶店にいるんで、用が済んだら来てください」

「了解。先輩には?」

「もう伝えました。二つ上の階にいますよ」

 精神がやつれているような気配をにじませて、手を振って二人は店を出て行った。

 こういう店、面白いと思うけどなぁ。

 僕が眺めている書棚は、科学戦争当時の銃器に関する本で、古書も古書で、ボロボロだ。それなのに良い値段が付いている。

 オール・イン・ガンの世界は、現実世界とはかけ離れた法則が実現するけど、銃に関しては、現実世界を基礎にしているのは明らかだ、と僕は思っている。

 全くの知識なしの妄想よりは、現実を知っていて、それを改変するように集中する方が、いいのではないか。

 もちろん、見当はずれの可能性もある。

 そんな気持ちで、僕は古書のページを繰っていた。

 ふと、隣に誰かが立っているのに気づいた。

 少年で、年齢は僕と同じくらいだろう。今、僕が立っている書棚は、科学戦争に関する本で、彼もどうやら僕と似たような本を見ているらしい。

 僕の視線に気づいて、彼がこちらを見る。僕の方が少しだけ背が高い。見上げてくる視線に、何かを探る気配。ちょっと居心地が悪いな。

 棚を離れようか、と思った時、彼がこちらに囁いた。

「仮想遊戯の関係者ですか?」

 そう言ってから、彼は握った手の親指と人差し指を伸ばし、銃を撃つそぶりをする。

 さすがに僕でも気づけた。

「オール・イン・ガンの……」

 そこまで口にして、しまった、電撃が走る、と思ったが、その電撃は走らなかった。

 にっこりと少年が笑う。

「度胸がありますね。僕の名前はトニー・カールです。あなたは?」

「レイル・ハクオウです」

 いきなりの自己紹介に困惑したまま、僕は応じていた。

 彼は持っていた本を棚に戻すと、小さな声で言った。

「現実世界でプレイヤーに会うのは久しぶりです。ちょっとお話できますか?」

「ああ、うん」

 ドルーガたちには申し訳ないけど、僕もトニーとこのまますれ違う理由はない。

 僕が初めて現実世界で会った、オール・イン・ガンのプレイヤーなのだから。

「連れに伝えてくるよ。外で待ってて」

 頷いたトニーを確認して、僕はまずシャーリー先輩に、別行動をとることを伝えた。彼女は不思議そうにしながらも、あっさりと承知してくれる。

 古書店の外でトニーと合流し、今度は二人でドルーガとアンナの元へ向かう。二人は喫茶店の外に設けられたパラソルの下のテーブルで何か、雑談をしていた。

 こちらに気づいて、二人ともやっぱり不思議そうにしている。

「ちょっとした知り合いに会ってね、別行動を取っていい?」

 頷くアンナと、疑うようなドルーガの視線は対照的だ。

「どういう知り合いですか? 同郷とか?」

「共通の趣味を持っていてね。悪いね、ドルーガ。あとはよろしく」

 あまり色々と質問されても困るし、さっさと離脱しよう。

 並んで歩き出したコニーが質問した。

「その制服、シュタイナ魔法学院ですよね?」

「そう」

 僕たち四人は全員が、制服で外出していた。それが校則なのだ。

 一方のコニーは着古しているように見える、カジュアルな服装。

「エリートですね。そんな人が仮想遊戯をするとは思わなかった」

「エリートでもないよ。それに多くの生徒が、いろいろな仮想遊戯で遊んでいるし」

 そんな会話をしつつ、トニーは僕を裏通りにある玉突き場へ連れて行った。玉突きは何度かやったことがあるけど、それは学校の中の施設でで、外でやったことはない。

「結構、落ち着いて話せるんですよ。今は大人はいないですし」

 玉突き場の中では、かすかに音楽が流れている他に、散発的に球を突いたり、球同士がぶつかる音がするだけだ。

 遊んでいるのは高校生くらいの少年が二人と、大学生風の女子が非常にサマになる姿勢で一人で遊んでいる。トニーが言う通り、大人はいない。それもそうか。学生は夏休みでも、大人は働いている。

 二人で部屋の隅のソファに腰を下ろす。

 部屋の片隅で立体映像が報道番組をやっている

「同盟軍の一部が、小国家軍との国境地帯に進出しており、これに対し、連合は非難する声明を発表し、経済制裁も辞さない構えです」

「物騒ですね」

 トニーの言葉に、僕は曖昧に頷く。彼もそれほど真剣ではない。

 彼が秘密の話をするように、声を潜めて、こちらにわずかに身を屈めた。

「それで、レイルさんはどれくらいの実力ですか? 稼働時間は? 撃墜数は?」

 すぐに話題を切り出してくるトニー。僕は右腕を確認する。

「稼働時間は三十五秒。撃墜数は十九」

「結構、やりますね。三十秒台で二十近い撃墜は、優秀です」

「君は?」

 トニーも自分の右手を確認する。

「稼働時間は百三十九秒。撃墜数は九百と少しです」

「君の方がすごいじゃないか!」

 シーっとトニーが唇の前で人差し指を立てた。

「これにはからくりがいろいろあるんです」

 真剣な顔でトニーが言う。

「オール・イン・ガンは長時間、遊んだプレイヤーの方が、圧倒的に有利なんです。初心者はチュートリアルを受けても、すぐに適応できません。そんな初心者が、僕たち上級者、じゃなくて、中級者のカモってことです」

 僕は彼の横顔を見る。愉悦、と言っては言い過ぎかもしれないけど、そんな匂いのある表情がそこにあった。

「素人を狙うってこと?」

「それもありますけど、技術といくつかの条件なら、上級者も倒せます」

 トニーが何かを考えるように視線を宙に向ける。

「僕もレイルさんくらいの時期は、なかなか撃墜数が伸びなくて、悩みましたね。でも稼働時間が六十秒を超える頃には、どんどん撃墜を量産できるようになったんです。最初から面白い仮想遊戯だと思っていましたけど、今はもっと楽しいかな」

 撃墜の量産、というのは、興味深い話だった。

 この少年は見た目と違って、強かな意志を持っているんだ。それも絶対的な自信を伴って。

 まじまじと彼を見ていると、彼がこちらを見て今度は爽やかに笑う。

「僕くらいの使い手は結構、多いと思いますよ。それに熟練者の技術は、銃の使い方もそうですし、他にもいろいろな種類の力が使えるものです」

「熱源を探索するとか?」

「もっと色々ですよ。発砲の音を消すとか、弾丸をデタラメに曲げるとか、そういう無茶はまだ初級です」

 ……どちらもまだ、出来ないな、僕は。

「例えばですね……」

 それからトニーはいくつかの技を教えてくれた。正確には、オール・イン・ガンの世界でどんな動きが可能なのか、どんな改変が可能なのか、ということだけど。

 どうやらオール・イン・ガンは現実に極めて忠実な仮想空間でありながら、その中で繰り広げられる戦いは、よくある仮想遊戯に近い、超能力的なものの競争だと、理解できてきた。

 まぁ、別に落胆もしない。

 トニーが、銃撃で決着をつけるしかない、と言ったので、その時、安心した。

 なんで安心したかは、自分でもわからない。

 ただ、最後は現実に限りなく近い位置に戻るんだな、と思ったのかも知れない。

 話し終わったトニーが、こちらにさっきも見せた指鉄砲を向ける。

「仮想世界で会ったら、容赦なく撃墜しますから」

「反撃できるように努力するよ」

「あの……」

 ちょっとだけ、トニーの表情が変わり、何かを言い淀む。僕は無言で、表情だけで先を促した。決意を固めたらしいトニーがこちらを見る。

「シュタイナ魔法学院の生徒ってことは、スカウト組ですか?」

 予想外の質問だった。

「魔法学院とスカウト組って、関係あるの?」

 思わず、逆に質問してしまった。これには質問し返されたトニーも呆れたという表情を見せる。

「いえ、ただ、そう思っただけです。でも、レイルさんが言っている通りなら、シュタイナ魔法学院の生徒も、仮想遊戯で時間をつぶすわけで、スカウト組とは無関係かもしれないですね。すみません、変なことを言って」

 僕は首を振った。

「別に、気にして……」

 いない、と言おうとした。

 したけど、言えなかったのは、トニーが焦点の合わない目でどこかを見て、ぼんやりと、惚けたように動かなかったからだ。

 ぼんやりしている、という素振りではない。

 ついさっきまで話をしていた、その時の様子が、一気に消えていた。

 糸が切れた人形、と言ってしまうと語弊がありそうだけど、今の彼の意識は、まさに糸が切れているように見えた。

 肩を揺さぶろうかと思った。

 でもそれさえもできないほど、トニーからは意識というものの気配が、消えている。

 揺さぶれば、そのままくにゃくにゃと倒れそうで、その時には意識が本当に崩れてしまいそうな、そんな気がした。

 動けない僕の前で、トニーは突然に意識を覚醒させた。

「えっと、何の話でしたっけ?」

「いや、何でもないよ……」

 周囲を確認するように視線を走らせたトニーが、手のひらで口元を拭うような仕草をした。

「最近、ちょっと変な感じで……いえ、何でもありません、忘れてください」

 僕はほとんど確信に近いものを持って、質問をした。

 しないわけにはいかなかった。

「トニーは、オール・イン・ガンを始めて、どれくらい?」

「え? 五ヶ月です」

 ……すぐに計算できなかった。

 五ヶ月で、おおよそ百四十回。

 五ヶ月って、二十週?

 二十週で、百四十回。

 信じられない。

 ほとんど毎日、遊んでいることになる。

 僕はもう何も言えずに、トニーから視線を逸らした。

「また話をしましょう。これ、僕の連絡先です」

 別れ際に、トニーが手帳のページに住所を書いて、そのページを破り取って、渡してくれた。僕はシュタイナ魔法学院の寮の部屋番号を伝える。

 その交換がやけに印象深く、それ以後のことはよく覚えていない有様だった。

 寮に戻って、オール・イン・ガンを起動したのも、朧げにしか覚えていない。

 何度も繰り返して慣れてきたので、僕はここのところ、失敗なく例のボロ屋にたどり着ける。そしていつもそこで、ダーカーは待っていてくれる。

「あの、聞きたいんですけど」

 僕は彼女を見るなり、質問をぶつけていた。

「毎日、この仮想遊戯を遊ぶと、どうなりますか?」

「毎日?」

 仮面の向こうで、ダーカーがはっきりと驚いたのがわかる。

「そんなプレイヤーもいないではないが、すぐに脱落するだろうな」

「そう、ですか……」

 頭の中で、トニーの顔が浮かぶ。

 僕とそう年齢の変わらない少年が、極めて危険な立場に置かれている。

「脱落って、身体を壊すということですよね。それって、仮想遊戯をやめれば、治りますか?」

「前にも言ったが」

 苦い口調で、返事が来る。

「オール・イン・ガンの過剰な稼働による障害は、稼働しないようにすれば治るという類の問題ではない。治そうとするのなら、根本的な処置しかない」

「例の、オール・イン・ガンに関する記憶の消去と引き換え、っていう奴ですよね」

「そうだ。一か、〇か。それしか選べない。どうして、そんな話をする?」

 僕は何も答えられず、じっと、足元を見た。

 トニーは楽しそうに、話していた。オール・イン・ガンを心底から楽しんで、それが彼に自信を与えているのではないか。

 もちろん、たかが仮想遊戯、と言われてしまえば、反論する余地はほとんどない。

 でも僕もトニーも、まだ十代だ。

 世界や周囲に対して、何が誇れるだろう。

 勉強とスポーツ、友人関係、家族関係、あるいは恋人関係。

 そんなものしかない。

 大人に比べれば、微々たるものだ。狭い範囲の、弱い力しか作用していない場所。

 そんな場所にいて、何が、これが自分の実力だ、と示せるだろう。

 トニーにとって、オール・イン・ガンの撃墜数こそが、自分が打ち立てた結果であり、最大の後ろ盾なんだろう。

 それが悪いなんて、誰に言える?

 僕は、トニーに、オール・イン・ガンの事を忘れるように、伝えられそうもなかった。

 彼から、あの遊びを、取り上げることなんて、できない。

「何かあったのか?」

 僕は首を振った。

 まだ答えは出せない。

 でも、時間の余裕はないのだと、僕はわかっている。

 わかっているけど、動けなかった。

 何がトニーにとって大事なことなのか、漠然と、考えていた。

 命と、心。

 極めて難しいものが、天秤にかけられている。

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