第4話 偽りの味方
コツが飲み込めてきた、と思いながら、僕は社の石段に腰掛けて、狙撃銃の上のスコープを覗いていた。
視力が何倍にも強化され、木立の隙間からはるか彼方を遠望できる。
距離はどれくらいだろう。六百、いや、七百か。
誰もそこを通りかからないので、草むらの上を舞う蝶や、時折、低い位置を飛び去る鳥を照準する。
もちろん、撃ったりはしない。
ここまででわかってきたことは、どんな対象であれ、見えているだけでは狙撃はできないということ。
相手が見えても、幾つかの要因が作用して、失中することがある。
まず相手が移動している時。こればっかりは、まだ克服できない。相手がスコープの覗ける範囲を外れてしまうと、もちろん、当てられない。
もう一つは、弾丸がまっすぐ飛ぶ、というイメージのムラだ。
ダーカーが指導してくれたおかげで、僕の撃つ弾丸は、おおよそ一直線に飛ぶ。
これは現実世界の銃とはまるで違う作用だ。
現実世界では、弾丸はいずれ推力を失い、弾道が下へ落ちる。遠くの的に当てようと思えば、軌道を山なりにさせるわけで、つまり、スコープで直接、相手を覗くわけではなくなる。
他にも様々な要素で、現実世界の弾丸は、その軌道を乱される。
一流の狙撃手は、そういう全てを勘案し、最適な照準で標的を狙い撃つのだ。
それが、オール・イン・ガンでは、弾道が少しもブレないわけで、つまり弾丸はまっすぐに進む。
進むが、どうやらそれは僕の意思、つまりプレイヤーの精神力に左右されるらしい。
僕は五百メートルあたりまでなら、当てる確信が持てる。実際、弾丸はそれくらいまでは光が差すように、まっすぐだ。
しかしそれを超えると、どうも不安になるらしい。弾丸がわずかに下に逸れる。
その辺りが、この仮想遊戯の特徴でもある。
まだ教えてもらっていないけど、ダーカーが言うには、オール・イン・ガンで必要とされるのは、射撃、狙撃のセンスよりも、精神力だという。
どういうことかは、まだよくわからない。
わからないなりに、照準をつける訓練をしているわけだ。
何はともあれ、標的を捕捉し、即座に狙い、撃つ。
これが基礎だろう。
基礎的な訓練として、スコープを覗いている僕の視界を、何かが遮った。
慌てて、顔を上げると、見知らぬ青年が立っていた。
「君が噂の狙撃手かな?」
軽い調子で話しかけられても、僕はどう応じていいか、わからない。
青年はニコニコと笑いながら、僕の全身を確認している。
「本当に仮面をつけているんだな。顔を隠したいの?」
「いや……」
どう答えればいいんだろう?
そもそも、初対面のはずだけど……。
「俺はファルー。君は?」
「リーン」
すっとこちらに手が差し出される。
ダーカーも同じことをした、そういえば。なら、これは儀式のようなものかもしれない。
僕は彼の手を握り返した。
「ひとりかい? ここで何をしている?」
石段の、僕の横に腰掛けつつ、ファルーが訊ねてきた。
やけに馴れ馴れしいが、嫌な感じはしない。
「人を待っている。そろそろ来るはず」
「人を待っている? 珍しいな。この仮想遊戯は九割九分、単独で遊ぶものだけど」
そういうファルーだって、僕を見て噂がどうこうと言っていたのに、と思ったけど、僕はそれは指摘しなかった。
表情は人懐っこい一方、どうにも、胡散臭い相手だ。
「いつ来るの?」
「そのうち」
適当な返事で気を悪くするかと思ったが、ファルーは特に気にした様子もない。
「恋人? 友達?」
次の質問がすぐに浴びせられる。それも、かなり答えづらい質問だ。
「そもそも、男? 女?」
「女です」
「楽しそうだな。俺も混ぜてほしいよ」
ぶらぶらと足を振りつつ、ファルーは僕の手元を見ている。
「彼女が良いって言ったら」なんとなく僕は言っていた。「混ざれると思いますけど」
「そうか。なら、その彼女の登場を待つとしよう」
そう言ったきり、ファルーは黙った。僕は何をして良いかわからないので、狙撃銃を抱えたまま、ぼんやりと周囲を確認していた。
ダーカーがやってくる方向は、毎回違う。
そもそも、オール・イン・ガン自体が、プレイヤーを出現させる位置をランダムにしている。どうやら少しは、前回の撃墜地点を反映させているようだけど、はっきりしないのだ。
僕はいつも草原のどこかから参加して、この木立の中の社へ、どうにかこうにか、たどり着く。三回ほど、たどり着く前に撃墜されたりしたけど。
そんな僕に対して、ダーカーは大抵、社で待っているか、僕がここで少し待てばやってくる。
今回は珍しいケースだった。
早く来ないかな、どうにも落ち着かない。
周囲を何度も確認するけど、彼女はやってこない。時間だけが過ぎていく。
「今日は空振りかな?」
からかうようにファルーが言うのに、僕は少し気恥ずかしくなった。理由はよくわからない。
ダーカーを信じているように言いながら、それを裏切られている、という自分が、ちょっと情けない。
僕は狙撃銃を構えて、周囲をスコープ越しに確認する。
もしかしたら、近づいてくるダーカーがいるかもしれない。
左側から、右側へ銃口を巡らせていく。
一番右に来た時、それが見えた。
ダーカーだ。
しかし、こちらに狙撃銃を構えている。銃口はまるで僕を狙っているような位置。
金属音。
こめかみにひんやりとした感触。
これも既視感。
「悪いな」
そんなファルーの声が聞こえた。
感情が抜け落ちた、冷酷で、嘲るような調子。
続いたのは湿った音。
「え……?」
横を見ると、一瞬だけファルーが社にもたれかかっているのが見え、しかしすぐに消えた。
どうなったんだ?
ファルーは狙撃された。誰に?
誰も何もない。
はっきりしている。
当然、ダーカーだ。
僕は体を強張らせて、狙撃銃をいつでも構えられる姿勢で、ダーカーを待った。今は、彼女がこちらへ来るという確信があった。
実際、彼女は程なく姿を現し、僕に向けて肩をすくめた。
「いつまでも素人じゃないんだから」
そんなことを言われても、僕には訳がわからなかった。
「彼を、撃墜したんですか?」
「あなたが撃墜される寸前で」
あの銃口の冷たさは、ファルーの殺意の表れなんだろう。
でも、どうして僕を撃墜しようとする?
「この世界は」
言いながら、ダーカーが、先ほどまでファルーが腰掛けていた位置に、腰を下ろす。
「食うか食われるか、なのよ。あなたと私のような関係は、ほとんどない。あったとしても、いずれは決別する。戦いなのよ。味方はいない、周りは全て敵。そういう戦い」
「そんな……」
ダーカーが手を伸ばし、グイッと僕の頬を片手で掴み、強引に自分の方を向かせた。
「油断しないで」
訊ねたかった。
ダーカーは、僕の味方なのか。
なんで味方をしてくれるのか。
でも僕は、その疑問をぶつけなかった。無言で頷いただけだ。
彼女は僕を解放すると、即座に立ち上がった。
「そろそろ第二段階にいくわよ。こことはお別れ。どうも変な噂もあるようだし」
「噂? どこで、そんな話を?」
「この仮想遊戯には明確な味方というのは存在しないけど、情報を交換する連中もいるの。こんな、ど田舎にいればプレイヤーも少ないけど」
僕はハッとした。
「この世界は、もっと広いの? 草原と木立しかないと思っていた」
「移動すれば分かるわ。行きましょうか」
僕たちは草原を横切り、山手へ向かった。
まさか山を登るのか、と思ったけど、そうじゃなかった。
驚くべきことに、山の一部が削られており、切り通しが作られている。もちろん、狭い道だ。僕でもそこでプレイヤーを待ち伏せする連中がいるのは、わかる。
その狭い道筋を遠く見ながら、ダーカーが銃を構える。
僕もその横でスコープを覗くけど、誰もいない。
「誰もいないようだけど?」
「いるわよ。一応、見てて」
そう言うなり、続けざまにダーカーが引き金を絞った。
銃声はやはりない。けど、代わりに何かが激しく空気を割く、異様な音が響き渡る。
スコープの中には何も変化はない。彼女は何を撃ったのか。
すっと立ち上がると、ダーカーが僕の手を引く。走り出す。
「一気に抜けるわよ!」
「ちょ! 手を離して! 走るから!」
僕たちは誰からの攻撃も受けず、切り通しを抜けた。
しばらく山の中の森林地帯を駆ける。ダーカーの体の動きは水際立っている。地面がでこぼこで、木の根やら石やらがあるのに、少しも乱れず、かなりの速度で走っていく。
僕は無様な姿勢で、どうにかそれに続いた。
森林を抜けると、前方が開けた。
「嘘だ……」
森林の先は、田園地帯で、その向こうに都市が見える。都市は遠い。
まだ小さくしか見えないが、前時代的な、科学全盛の時代の都市のようだった。
そこにたどり着くまでの田園地帯をいかに抜けるかが、難しいな。僕はすぐにそれを考えた。
「オール・イン・ガンにはいくつかの舞台がある。撃墜された舞台に、次は出現することになるから、次回はこの舞台から始まるわよ」
そう言いつつ、ダーカーは狙撃銃を掲げる。その向けられた先を見ると、木造の家が見えた。しかし遠目に見ても、崩れかけているようだ。
「あそこが次の集合地点ね。どうにかして、たどり着いて」
ダーカーが狙撃銃を構え、身を低くすると、森林地帯の淵を沿うように移動を始める。僕が付いて行こうとすると、
「少しは自力で頑張ってね」
と、言われてしまった。
最初くらい、助けてくれてもいいじゃないか。
僕を置き去りに、ダーカーは森林地帯を進み、見えなくなった。
どうするべきか迷ったけど、結局、集合地点に指定された家に向かうことにした。
進路が難しい。ダーカーを見習って、森林沿いに近づこうとする。それで少しだけ距離を稼げた。あとは遮蔽がほとんどない。
ダーカーはどうするんだ?
水田の間の畦道を進むか、そうでなければ、地面がならされている道を進むか。
道沿いには木があるのがわかった。
こうなっては、他に選択肢はない。
気合を入れて、僕は駆け出した。道を走り抜け、そのまま木にたどり着くと、その幹に張り付くように立ち止まる。
背中を幹に押し付けつつ、周囲をスコープで確認。敵影、なし。
落ち着いている余裕はない。ダーカーに言われた通り、いつまでも素人ではいられない。
呼吸を整え、すぐに次の木まで疾走する。
再度、背中を預け、周囲を索敵。
何かが頭の横を走り抜ける。撃たれた!
掠めただけだけど、冷静さの全てが消し飛んだ。銃撃は背後からだったとぼんやり意識した。
選択肢の一つとして、相手を逆に狙い、撃つ、という方法もある。
だけど僕が相手だったら、いつまでも同じ場所にはいないだろう。それを考えれば、この木の幹に隠れているまま動かないのも、失策だとわかる。
謎の相手は、今頃、密かに僕を狙える位置に移動しているはず。
しかし、僕がそう想定することを考えた上で、裏をかくかもしれない。
隠れているうちに回り込まれて撃墜される。
回り込まれるのを回避するために移動しても、撃墜される。
この先の展開はひとつだが、その展開がわかった時には、僕は撃墜されている公算が高い。
どうにかして、少しでも現状を打破しないと。
周囲に視線を向ける。
不意に、水田のために水を引く水路が見えた。
迷っている暇はない。僕は木から思い切って離れると、水路に飛び込んだ。
頭上を銃弾が突き抜ける。しかし僕には当たっていない。
そして僕は水路に半ばはまるようにして、伏せていた。水が全身を濡らし、顔にもびしゃびしゃと水がかかる。呼吸に苦労しつつ、そのまま水路を這って前進する。
水音が強すぎて、周囲の状況がわからない。
でもとりあえず、姿の見えない敵から隠れられたはずだ。
しばらく水路を進み、苦心惨憺としか言えない経験の末、水路の端にたどり着いた。
今、潜んでいる水路に水を引く、やや太めの水路にぶつかったわけだけど、その二本の水路の間には仕切りがある。一度、体を起こす必要がある。
失敗した、とやっと気づいた。
僕を狙っている誰かは、僕が水路から這い出すのを狙っているのは絶対だ。
つまりもう、詰んでいる。
ままよ、としか言えないな。言ったところで、何も変わらないけど。
僕は勢いよく水路から飛び出し、中腰で先ほど、僕を狙っていた敵のいる辺りをスコープで精査。
誰もいない。どこだ? どこにいる?
見つからない。
ちらりと目指している家を確認。距離は百メートルほどまで近づいていた。
走るべきだ。
身を翻して、脱兎の如く、地を蹴る。
不意に、衝撃が襲ってくる。
背中の真ん中を強烈な、殴れたような感触があった。何かに打ち据えられて、転んだ気がした。いや、転んだだろう。
瞬間、意識は現実世界に戻っていた。
くそ。撃墜された。
椅子の上で首を振って、背筋を伸ばす。少しだけ身体が凝っているような錯覚がある。しかし一秒で、身体が凝るわけもないんだけど。
腕を下ろして、深呼吸。少しだけ気持ちが穏やかになる。
やれやれ。
いつも通り、学校の授業の予習復習をする前なので、これから勉強をしないといけない。
でも今日はやけに疲れている気がする。オール・イン・ガンの中で時間を過ごしすぎたかもな。一秒の中で濃密に集中しているせいか、目の奥がやや痛む。なんだろう? そんなことがあるのか?
勉強に入る前に、と、ドルーガ、アンナ、シャーリー先輩と見に行った映画のパンフレットを確認する。電子版ではなく、実際の紙を使った冊子だ。
パラパラと、眺める。
ドルーガは映画を見た後、かなり興奮していた。アンナも楽しそうだった。
アンナはともかく、ドルーガは、オール・イン・ガンを知ることになったら、その世界に狂喜乱舞すること請け合いだな。
まぁ、存在を伝えることさえもできないんだけど。
パンフレットを書棚に戻し、やっと勉強をする気になった。
ダーカーは今頃、何をしているんだろう?
まだ現実世界の生活について、話をしたことはない。話すのは仮想遊戯での戦い方ばかりだから。
近いうちに、機会があるといいな、と思いつつ、僕はペンを手に取った。
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