第3話 レクチャー
「来たね、リーン」
社のところにどうにかこうにか辿り着くと、すでにダーカーは待ち構えていた。
「待たせてすみません」
謝る僕にひらひらと手を振ると、彼女は移動を始めるので、後を追う。
「一週間で二回に制限しているよね?」
歩きながら、訊ねて来る背中。
「もちろんです。この前は、事情を聞く余裕もなかったですけど」
「最も重要なところだよ。今から話す」
社を囲む木立と、草原の境界あたりで、木の幹に身を隠すようにダーカーが姿勢を取る。
「オール・イン・ガンが現実の時間を大幅に拡大させているのには気づいている?」
「どれだけ遊んでも、現実では一秒ほどですよね?」
「ちゃんとそこを把握するあたり、悪くないな。正確に、きっちり一秒だけしか、時間は進まないよ。すごい魔法だね、時間の感覚を強烈に改変している。その関係でいくつかの弊害があるけど、最も重要なのは、連続してこの世界に入ることで、現実世界における感覚や意識の混乱が発生することさ」
感覚や意識の混乱……?
「最初は寝呆けるような感覚だな。すぐに覚醒するし、問題ないと勘違いする。徐々に、ぼうっとする時間が増え、最終的には、植物人間のようになる」
「そんなに? 仮想遊戯なのに?」
「それくらい強い反動を伴うのが、この魔法理論なんだよ」
想像していたよりも、悪い話だ。
今までの自分の状況を確認する。特に体調に変化はない。ダーカーともっと遅く出会ったり、もし出会えなかったら、あっという間に破滅したかもしれない。
正直、ぞっとする。
ひどい遊びだ。
「一週間に一度はほぼ安全だよ。一週間に二回は人を選ぶけど、おおよそ安全。ただし、三回になると、危ないかな。もちろん、三回でも四回でも、毎日でも、遊んでいいわけだけど」
「命がけでですか?」
「実は、反動を完全に無効化する方法があるんだ」
なんだ、あるんじゃないか。そういう便利なものが。
「それを先に教えてくださいよ。じゃあ。毎日にやってもいいじゃないですか。撃墜数の数か何かでもらえる特典ですか?」
小さく、ダーカーが笑う。
「そんな生易しいものじゃないな」
仮面が肩越しにちらりとこちらを向く。
「オール・イン・ガンの副作用を消す方法は、オール・イン・ガンに関する全ての記憶と、その魔法理論の消去が引き換えだ」
……え? ……えっと?
「……それは、つまり」
狼狽する自分を意識しつつ、僕は考えをまとめる。
「二度と、オール・イン・ガンを遊べなくなる、ということですか? その上、記憶まで改変される?」
「そういうこと」
「魔法による記憶の操作や改変は法律で禁じられているよ」
「法律なんて関係ないさ。この仮想遊戯は、元々、常識はずれで、鬼畜も鬼畜、ひどいものさ。我らが国教からすれば、異端だろうな」
国教。
僕たちが生活する国家における、何よりも優先される信仰の対象。
国主を頂点とする、神官たちのヒエラルキーの礎。
彼らが定める、絶対に正しく、そして犯すべきではない法律。
仮想遊戯は推奨されるものではなく、むしろ規制されるべきものである。それは僕も知っている。
オール・イン・ガンを遊んでいる中で、国教に反していることを考えた時もあったし、しかし続けて遊んでいるのは、現実世界での例の朝食の時の電撃が理由だった。
この仮想遊戯は、決して他言できない。
それなら誰かに知られることもない。
秘密裏に遊べば良いけど、中にはおしゃべりな参加者もいる。
いるけれど、そもそも誰かに話せないなら、露見することもないから、秘密裏以外になりようがない。
絶対に露見することがないのなら、どこからも追及されない。
「良いかい、リーン。私の知り合いには何人も、記憶の改変を代償に、心身を取り戻した奴はいる。彼らは何もかもを忘れて、普通に生きている。でも、私はどうしてもそんなことはしたくない。遊べなくなるのが嫌なんじゃない、この世界での自分が、自分自身と切り離されるのが嫌なんだ」
「この世界だって、遊びですよ」
「遊びだが、リアルだ。恐ろしいほどに。そして私はこの世界で、必死に戦っている。努力、困難の打破、自信、そういうものを、失いたくない。それらは仮想遊戯の中の結果に過ぎないが、私にとっては現実そのものの結果だ」
何かに気づいたダーカーが狙撃銃を構える。僕もその銃口が向く先に、自分の狙撃銃を向ける。スコープを覗き込んで、精査。
草原が広がっている。その中を敵影を求めて探る。
「君にどうするのか、尋ねる気は無い。君には才能があると私は思っている。だから、無駄に体を損なうな」
僕に才能がある?
どんな才能があるというんだろう?
どこをどう見て、そう思えるのか、不思議だった。
ダーカーが引き金を引く。かすかに空気が漏れるような音。
高速で飛翔した銃弾はどこかへ走り、何の音も立てずに、どこかに着弾。
僕が覗くスコープでは、彼女のスコープと同じものは見えていない。
「撃墜した?」
「したよ。五百メートルくらいだ。君にもこれができるようになる」
「ダーカーは、元はどこかの猟師か何か?」
何を言っているだ、とダーカーが銃を下げる。
「私はこれでも都会人だ。実際の銃を握った経験はない」
「どうやって練習した?」
「ひたすらこの世界で、努力した」
ダーカーがもう一度、銃を構える。
「私の稼働時間は、五分を超えている」
五分?
遅れて気づいた。オール・イン・ガンは一回の起動で、現実の一秒が過ぎるわけだ。
五分なら?
一分は六十秒、五分なら、三百秒だ。
つまり、三百回、オール・イン・ガンを遊んでいる。
「三百回は、毎日やれば一年……」
さっき、彼女が言ったじゃないか、連続して遊べば、副作用が出る。
「稼働時間が五分を超えているプレイヤーを、私たちはエース・オブ・ファイブミニッツと呼ぶ。一部のプレイヤーだけだ」
「何年かかったの?」
「三年だな」
それだけあれば、確かに、技術も高まるだろう。
計算すると、三年なら、一年に百回、おおよそ三日に一度の起動だから、週に二回の起動になる。
ダーカーもギリギリのところまで攻めているようだ。
「エース・オブ・エースと呼ばれる連中もいる」
「あまり知りたくないかな」
「連中は化け物だ。通算撃墜数が六千を超える連中だよ」
六千だって? 僕の撃墜回数なんて、六千を前にすれば雀の涙だ。
「ダーカーは今、いくつ?」
「三千二百ほどだね」
それはそれで、化け物なのでは……?
そんなことを思う僕をよそに、もう一度、ダーカーが引き金を絞る。
「試しに撃ってみなよ、リーン。基礎を教えるから」
彼女にそう言われて、僕はスコープを覗き込む。
「やっぱり構えは堂々としている。良いかい、この世界のスコープは倍率をおおよそ自由にコントロールできる。近場から遠くまで、効率的に眺めるのが重要だよ、敵を発見するのがまずは第一だ」
「倍率をコントロール?」
「見たいと思えば、スコープがそれに従う」
信じられなかった。僕は念じるように遠くを見たいと考えつつ、スコープを眺める。
ギュンと視界が歪む。
「うわっ!」
全く何もない、草むらが視界を占める。どうやら意識しすぎたらしい。
長い時間、ひたすらスコープを確認していた。ダーカーは自分の獲物を仕留めているようで、僕は半ば放置されている。
やっと相手を見つけた。
「いましたよ」
声をかけると、ダーカーの声が返ってくる。
「次にやることは、銃弾がまっすぐ飛ぶことを意識するんだ。くれぐれも、遠すぎて届かない、と思っちゃいけない。スコープの照準の十字、その中心に弾丸が飛び込むのを、強く思い描いて引き金を引く」
スコープの中にいるのは、少年のようなプレイヤーだ。
「どこを狙えばいい?」
「胴体か頭。狙いが不安なら、胴体だ」
照準を調整。相手は周囲を探っていて、走り回っているわけではない。すぐに中心に捉えた。念には念を入れて、胴体を狙った。
引き金を引くとき、特に不安はなかった。
自信というか確信というか、狙い通りに弾丸が届く気がした。
轟音とともに、弾丸が駆け抜けた。
スコープの中で、相手が倒れ、消える。
「当たったようね」
そう言うなり、ダーカーが僕の肩を掴んで、木立の中に戻る。
「今の相手の距離がどれくらいか、気づいている?」
「三百くらいですか?」
「六百よ」
六百?
信じれなかった。からかっているのかもしれない。
でもダーカーは真剣な口調だ。
「素人でもその狙撃を成功させるのが、この仮想遊戯の面白いところね。今さっき、スコープや射程を調整できたように、銃声や反動、その他いろいろを自在に変えることができるの」
僕を引きずりつつ、ダーカーが言う。
「近いうちにそれも教えるわ。でも今はダメだろうね。さっきの銃声は、ちょっと大きすぎた」
「他のプレイヤーが群がってくる?」
「そういうこと。今日の指導はこれくらいにしましょう。この社と木立はちょっと都合がいいから、しばらくは注意を引きたくない。だから、適当に草原に進出して、さっき教えたことを練習してみて。じゃ、バイバイ」
言うなり木立の端にたどり着いていた僕は、ダーカーに放り出される。彼女はすぐに草むらに分け入り、完全に姿も気配も消してしまった。
突然の展開に少しぼうっとしたけど、まさか、立ち尽くしているのでは、良い的だ。
僕も草むらに飛び込み、周囲を探る。
二発、三発と銃声が響き始めた。
結局、周囲を索敵しているうちにどこかの誰かに発見されたらしく、遠距離からの一撃を頭部に受けて、僕は撃墜された。
寮の部屋に意識が戻り、椅子の上で姿勢を取り戻す。
まったく、とんでもない遊びもあったものだ。
部屋の明かりは煌々と灯り、時間は既に夜。これから予習と復習をする必要がある。
仮想遊戯の雑念に取り巻かれつつも、どうにか勉強をこなして、ほぼいつも通りの時間に寝台に移動しようとすると、意識に呼び出し音が響く。
右腕を確認すると、ドルーガからだった。意識を彼からの通信に接続。音声のみ。
「先輩、起きていましたか?」
明瞭な声は、実際に空気を震わせているわけではない。応じる僕も、意識で応じるので、声を発する必要はない。
「起きていたよ。遅い時間だけどね」チラッと時計を確認。「何かあった?」
「今週末、アンナ先輩と映画に行こうって話していたんですけど、思わぬ飛び入りがありまして」
「誰?」
「シャーリー先輩です。というわけで、先輩も参加しませんか?」
いろいろと聞きたいことはあるけど、まずはこれを訊ねよう。
「それって、元はドルーガとアンナのデートだったんじゃないの?」
「違いますって。ただ、趣味が一致しただけです。本当に、深い意味はないんです」
少しも動じていない言葉の調子からすると確かに、ただ映画に行くつもりだけのようだ。
しかしシャーリー先輩は、何を考えているんだろう?
「行かないんですか? もしかして、何か予定がありましたか?」
「ないよ。心遣いに感謝する、という感じ」
「シャーリー先輩と休日を過ごすのは、我らがユニットの男性陣の悲願ですからね」
そんなこともないだろうけど。
しかし、あの人と行動を共にできるとなると、やっぱりドキドキするし、楽しみでもある。
「じゃあ、土曜日の朝、九時に寮の玄関に集合ですから。遅刻しないでくださいね。朝食は食べてくるんですよ」
「わかったよ。ちゃんと食べていく」
「映画の最中にお腹が鳴ることほど、みっともないことはないですからね」
なかなかな言われようだな、我がことながら。
「大丈夫、大丈夫」
「本当ですか? 朝、起こしに行きますよ。それとも、先輩の部屋に一晩だけ、泊まりましょうか?」
「ドルーガは、僕を何だと思っているのかな。起きれるし、食事も取れる」
意識の通信に、からかうような意思が乗ってくる。
何とも無礼な後輩だけど、冗談として受け流そう。
「女性陣を驚かすような計画を立てたいですけど、何か、案はありますか?」
そんなことを言われても、何もないなぁ。
「ところで、なんていう映画を見るの?」
「二十年前の映画なんですけど、「我は純粋なる狙撃手なり」という作品です」
嫌な予感しかしない。
「科学戦争で活躍した、魔法化軍の狙撃手がモデルです。魔法化軍の一員でありながら、魔法を最低限にしか使わずに、敵兵を狙撃しまくるんです」
「見たことがあるような口調だけど?」
「何回見てもいい作品ですから。先輩も一度見たら、また見たくなること、必定です」
どうかなぁ。
僕の頭の中ではオール・イン・ガンの光景が浮かんでいた。
結局、女性陣へのサプライズは後で相談する頃にして、通信は切れた。
寝台に移動して、布団にくるまる。
希望的観測だけど、映画も、意外に勉強になるかもしれない。
自分の意思で全部をコントロールできるにしても、銃撃のイメージは重要だ。
これはどうもドルーガの誘いは、渡りに船になりそうだな。
そんなことを思っているうちに、眠りがやってきた。
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