第2話 運命の出会い、運命の始まり

 通算参加回数は二十を超えた。

 オール・イン・ガンを始めて、四日が過ぎていた。

 二日を経て、この仮想遊戯が本当に現実の時間の流れを超越しているのはわかった。

 一回に起動から撃墜までで、一秒ほどしか現実の時間が過ぎないのだ。

 どれだけ仮想遊戯の中にいても、一秒。

 信じられないけれど、事実を信じないわけにはいかない。

 だから、実際には二十回どころではなく、何回でも参加出来るはずだった。

 でもそれをしなかった理由は、はっきりしている。

 僕がまともなチュートリアルも受けていないことが理由だ。一秒を途方もない時間に変化させる魔法理論が、まともとは思えなかった。

 つまり、どこかで反動か代償か、そういうものが来るのではないか。

 そのことに考えが至る二日の間に、僕は一日に四回も遊んでいて、さすがに肝が冷えた。

 だから、念のため、一昨日は朝と夕方に一度ずつ、参加してみた。

 特に体に不調はない。まぁ、不調が出るのなら、一昨日になる以前にありそうなものだ。

 体調がやけに気になるのは、例の雷撃のこともある。

 オール・イン・ガンは現実の肉体に干渉できる仮想遊戯だ。他の仮想遊戯でもそういう仕様のものがあるけど、それで安心はできない。

 昨日は朝に二回、夕方に二回の四回の参加。

 それでも何の変化も起きなかった。

 起きなかったけど、安心するほど僕もお人好しではない。

 これから起こる可能性もあるのだ。

 この辺りの事情をどうやって解明するかは、相当に難しい。これからまた黒の悪魔が現れて、僕にレクチャーするとも思えないし。

 もし情報を伝える意志があるなら、最初にするだろう。

 きっと。たぶん。

 今はちょうど夕飯を済ませて、寮の部屋に戻ったところ。

 昨日から、寝台ではなく椅子で仮想世界に入っていくようにした。一秒しか時間が経過しないので、椅子に座っていても姿勢を崩して落ちる暇もない。

 右腕を左手でなぞりつつ、僕の考えは決まっていた。

 情報を手に入れる方法は、設計者に聞けないとなれば、他には一つだけだ。

 他のプレイヤーに質問する。

 ただ、オール・イン・ガンは、そういう馴れ合いを容認するのか、微妙なところだ。

 オール・イン・ガンが、というよりは、そのプレイヤーが、だけど。

 現実世界ではオール・イン・ガンのことは話せないとなれば、仮想遊戯の中で尋ねるのみだった。

 今まで僕と会話らしい会話をしたプレイヤーはいない。大抵は遠距離からこちらに弾丸を叩き込むか、至近距離でも会話の余地もなく、銃弾をばら撒いてくる。

 もしこの仮想遊戯が格闘を主眼とするのなら、他のプレイヤーを確保することもできそうだけど、生憎、そういう仕様ではないらしい。

 どうにか接近戦に持ち込んで、交渉する、しかないのかな。

 考えても答えは出そうにない。

 仕方ないので、とりあえず僕はオール・イン・ガンを起動した。

 一瞬で感覚が塗り替えられ、僕は草原の真ん中に立っている。即座にしゃがみ込み、銃を確認する。

 昨日から狙撃銃を持つようにしている。弾丸が五発までは自動装填される、銃に馴染みのない僕には輪をかけて馴染みのなさすぎる武器だ。

 膝立ちで、スコープを覗き込む。

 このスコープがあるがために、狙撃銃を選んだのだった。馴染みがなくとも、背に腹は変えられない。

 拡大された視界で、周囲を確認。ぐるっと眺め回すと、中腰で移動しているプレイヤーがいる。ラッキーじゃないか。距離は三百メートルほどか。スコープの中でも、小さい的だ。

 この幸運を、さて、どう取るか。

 決断は即座にできた。

 慎重に狙いを定める。スコープの中で、相手の頭部が真ん中にくる。

 無意識に呼吸を止める。

 引き金を引くのと同時に、轟音。

 スコープがわずかにぶれ、視界の像が揺れるが、その中でも狙ったプレイヤーがつんのめって倒れたのがわかった。

 一秒ほど、そこを確認。動きはない。

 狙撃銃を下げて、草の中に身を潜めつつ、右腕を確認。

 撃墜しました。

 そう魔法文字が表示された。

 やれやれ。情報収集するとか言っているのに、結局は撃墜とは。

 我がことながら、呆れるけど、しかし、まさか三百メートルも離れている相手に向かって、声をかけるわけにもいかない。

 草の中をジリジリと移動する。

 先ほど一撃の銃声は、かなり遠くまで届いただろう。

 そうこうしていると、二発、三発と銃声が鳴り始める。少し離れているようだ。きっと、僕を探っていた誰かが、他の誰かを見つけたか、逆に見つけられたかして、僕を無視して撃ち合っているんだろう。

 この事態に対する僕の選択は決まっている。

 可能な限り、逃げる。

 不意打ち以外、僕が勝てる見込みはないのだった。

 草原をひたすら這って進み、時々、体を上げて周囲をスコープで確認した。人影はない。草に隠れるように走って、近くにあった茂みに飛び込む。

 もう銃声も聞こえなくなっていた。

 無音に近い。耳を澄ませる。風が梢を揺らす。足音、なし。

「あなた」

 突然の声に、僕は事態が飲み込めなかった。

 後頭部に硬い感触。

 信じられなかった。

 音だけに頼ったわけではない。当たり前だけど、視線は周囲を油断なく確認していた。見逃すわけがないのだ。

 しかし何の気配も発さずに、誰かが僕のすぐ横にいた。

「撃たないでね。銃を捨てて」

 事態が飲み込めないまま、僕はそっと地面に狙撃銃を置いた。

 相手の声は少女のそれに思える。けど、頭に当てられたままの冷ややかな銃口の温度を感じている現状では、相手が男だろうと女だろうと、年寄りだろうと幼児だろうと、意味がない。

 結局、これで撃墜されて、現実に戻されるのか。

「伏せていて」

 半ば自暴自棄で、言われるがままに僕は地面に伏せた。これ見よがしに、べったりと。頭の後ろに手をまわすべきだろうか、と思ったほどだ。

 そんな姿勢になって、やっと銃が僕から離れる。いや、手は回さなかったけど。

 首をそれとなく捻って、ギリギリの横目でちらりと相手を確認する。

 長い黒髪。服装は、場違いなスカートと、ノースリーブ。ただしどちらも真っ黒だ。

 顔は、仮面で隠されていた。

 その彼女が、銃をどこかへ向けている。

 僕の見ている前で、引き金が引かれる。

 無音。

 ……無音?

 疑問をさらに煽るように、彼女はスコープを覗き込んだまま、何度も引き金を引く。やっぱり音がしない。

 何かが銃から発射されているのは気配でわかる。その何か、おそらく弾丸も、気配を消してどこかへ飛翔していく。

 もちろん、僕にその弾丸が何に向けられているかは、確認できない。

 どうなっている? 弾丸を感じ取れても、音がないのはものすごい違和感だ。撃っているだろうけど、ポーズに見えないこともない。

 彼女はふっと気配を緩めると、僕の狙撃銃をすくい上げる。

「荷物は持ってあげる。ついてきて」

 言うなり、彼女が中腰で走り始める。こうなっては、ついていくしかない。起き上がり、後を追う。中腰で、形だけとはいえ草からあまり出ないようにした。

 っていうか、武器を奪われるシチュエーションって、この仮想遊戯で事前に想定されているのかな……?

 銃口を向けられて強要されたわけじゃないけど、こうなっては、何となくでもついていくしかない、と決めつけている自分は、ちょっと情けない。

 僕と彼女はそのまま草原を走り抜け、木立の中に入った。

 何度もこの世界で遊んでいるけど、未だに全貌は見えない。その木立の真ん中には、小さな社のようなものがあった。いつか、学校の授業で見た、旧文明の遺跡に近いけど、きわめて小規模だ。

 その社に背中を預けた彼女が、極めて短いけど素人にとっては必死、というか、決死の行軍で疲れ切っている、純度百パーセントの素人の僕に、僕自身の狙撃銃を投げて返してくれた。

 受け取ってみると、やけに重く感じる。狙撃銃を抱えて走るのは、難しかったかもしれない。

 そこを、考えてくれたのかな。

「あなた、まだルーキーね」

 彼女が自分の狙撃銃を手の中で弄びつつ、言う。

「馬鹿正直に銃声をそのままにするとは、自信家なの?」

 銃声をそのままにする、の意味がわからないので、どう答えていいか、判断がつかなかった。迷っているうちに無言の時間が流れていく。

「何か、変なことを言った? 私」

 彼女の方から、聞き返してくる始末だ。

「いえ、その」どうにか言葉を発するしかない。「よく知らなくて」

「知らない? チュートリアルで説明されるでしょ?」

「そのチュートリアルを、知らないんですよ」

 へぇ、と彼女が首を傾げる。仮面で見えないけど、不思議そうな表情をしているかもしれない。彼女がこちらに身を乗り出す。

「チュートリアルを省略する方法があるの?」

「知りません」

「はぐらかしている? 何か事情があるの?」

 事情といえば、一つしかない。口にするのはためらわれたけど、言うよりない、か。

「黒の悪魔が、僕をここに連れてきたんですよ」

 仮面のせいで表情はなくても彼女の気持ちが感じられた。

 驚き、それも心底からの驚きだ。

「……三人の神官の?」

 彼女が疑問を向けてくる。それも当然だな。

「そうです。助かりました、やっと話が通じ始めて、一安心です」

 ふむ、と彼女は頷くと、

「そういう人を、知らないこともない。なるほどね」

 そういう人? 僕と同じような立場の人だろうか。

 それに何が、なるほど、なんだろう?

「どうして」

 こちらからやり返す気になった。まだ僕は自棄を起こしていたんだろう。

 僕は密かに狙撃銃の位置を調整し、彼女を狙おうと努力つつ、訊ねてみる。

「僕を助けたんですか?」

「理由は二つ」

 彼女が指を一本立てる。

「私と同じように、仮面で顔を隠している」

 それは確かに、その通り。でも、大きな理由とも思えない。

 指がもう一本、立った。

「もう一つは、あなたの銃声で阿呆が群がっていて、こちらとしては撃墜数を稼げたから、そのお礼」

 ……馬鹿にされているのかな?

「今、新しい理由もできた。あなた、まだこの仮想遊戯を続けるんでしょ?」

「それは、もちろんです」

「なら、私があなたを指導するわ」

 とんでもない展開になってきたのを、僕は理解した。

 今回、オール・イン・ガンを起動するとき、思い悩んでいた情報提供者を探す計画が、なんと提供者自身からやってきて、指導すると言いだしている。

 これに乗らない手はない。

 願ったり叶ったりだ。

「僕は何もお返しできませんよ?」

「気にしないで。私には私の事情がある。あなたに興味があるわ」

 もし別の場面、別の誰かから言われれば、僕の心もまた違った感想を浮かべたかもしれない。

 例えば、シャーリー先輩と二人きりで、先輩が「あなたに興味があるの」とか言ってくれたら、さすがに僕も緊張と混乱、歓喜のごちゃ混ぜに飲まれたかも。

 でも今は、仮想遊戯とはいえな戦場のような場所で、初対面の、仮面で顔を隠している少女に、言われているわけだ。

 しかも彼女の手元には狙撃銃があり、彼女がそれを完璧に使いこなすことには疑問の余地がない。

 はっきり言って、不気味というか、不審というか、あまり好印象ではない。

 ただ、わかっていることもある。それを確認してみよう。

「さっき、どれくらい、撃墜したんですか?」

 そんなことを知りたいの? という気配を滲ませてから、彼女がこちらに手のひらを向けた。

「言えないんですか? 秘密ですか?」

「違う。五人。五人、撃墜したの」

 ……これは、とんでもないのでは?

「周りに、誰もいなかったと思いますが?」

「近い奴で、五百くらいだったな。まぁ、見えたしね」

 五百? メートルか? それが見えた?

「それで、私についてくる? こない?」

 すぐ答えろと言外に言っているわけだけど、もう心は決まっていた。

「指導を受けさせてください」

「よろしい」

 くるっと手の中で狙撃銃を回転させると、彼女が僕に空いた手を差し出した。

「私はダーカー。あなたは?」

 僕は彼女、ダーカーの手を握り返した。

「リーンです」

「よろしく、リーン」

「こちらこそ」

 手を離した瞬間、ダーカーが手の中の狙撃銃を刹那で構えている。

 銃口が僕をまっすぐに捉えている。

「私に銃を向けようとするのは、無しだから」

 さすがに何も言えなかった。

 言えなかったけど、こういう時、反射的に言い訳してしまうのは、どんな人間でもあることだと思う。

 僕も例に漏れず、反論しようとした。

 しかし、引き金が引かれる微かな音で、飲み込まざるをえなかった。

 目を閉じなかったのは、勇気があるからでもなんでもない。

 やはり銃声はしなかったのだ。その代わり、短い悲鳴と物音が背後で起こった。

 慌てて振り返ると、知らない仮想体が溶けるように消えた。

「これで六人目。悪くないな」

 ダーカーがそう言って、狙撃銃から薬莢を排出する。地面に落ちるそれからはかすかに煙が立ち上る。薬莢はすぐに煙に全部が変化するように消えてしまった。

「撃墜されたくなければ、私に銃口を向けないでね」

 改めて言われ、僕は何度も頷くしかない。

 なんていうか、おっかない。

 そんな僕の真理を知ってか知らずか、ダーカーは飄々としている。

「この社で合流することにしましょう。それと、これは絶対に守って欲しいんだけど」

 ダーカーがこちらを向く。仮面のせいもあって、感情がない。

「この世界に来るのは、一週間に二回ほどにして」

「え? なんでですか?」

「あ」

 突然、彼女に感情が戻った。

 呆気と、動揺。

 彼女が驚きの気配で声を漏らした瞬間、彼女の手元の狙撃銃が翻っている。

 狙っているのはまたも僕の背後。

 今度は僕は振り向けなかった。背中に銃弾が無数に食い込み、軽減された銃声も残響のように、遠くで聞こえた。

 撃墜された、と思った時には、僕は自分の寮の部屋にいた。

 呆気にとられて、自分が椅子に座っていることも忘れていて、その椅子から転げ落ちそうになりつつ、どうにか耐えた。

 時計を確認する。やはりほとんど時間は流れていない。

 僕は椅子の上で、先ほどの展開を思い返した。

 どうやら僕は背後から奇襲され、撃墜された。ダーカーがどうなったのかは、僕にはわからない。

 はっきりしているのは、オール・イン・ガンを、一週間に二回に制限するように、忠告されたことだった。

 守らざるをえないような、真剣な、深刻とも言っていい口調だったな。

 あの言葉を聞いてしまうと、僕の用心も、杞憂ではないようだ。

 やっぱりこの仮想遊戯には、何かしらの反動があるのではないだろうか。

 でも、どんな形で?

 彼女が何より先に伝えてくるのだ、重要でないわけがない。

 とりあえず、今週はもう遊ばないほうが良い。一週間後、また遊んでみよう。

 今、一番の疑問は、仮想遊戯を始める時間は、問題にならないのか、ということだ。

 例えば、僕とダーカーが時間を合わせて仮想空間に入る、というような手順は、僕が知っている他の様々な仮想遊戯では、絶対に必要になる。

 もっとも、オール・イン・ガンは、一秒ほどしか現実世界の時間が経過しないのだから、タイミングを合わせるのは無理だ。

 きっと何か、そこにも僕の知らない仕組みがあるのだろう。そのあたりも今度、ダーカーに質問してみよう。

 ますます、オール・イン・ガンが興味深く思えてきた。

 その日は、気持ちを学校の勉強の予習復習に切り替えるのに苦労した。

 全てが終わって寝台で眠るのも、じりじりとして、なかなか寝付けなかった。

 早く、一週間が過ぎて欲しかった。

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