●一九九七年(平成九年) 五月二十日 世良田美頼の日記

 この世で最も美しい存在はカナだと思う。

 日サロに行っていない、透明な白い肌の上で、バーガンディー色のピエヌ・ルージュスタイリッシュが乗せられた唇は、ベルベットローズの花びらのようだし、ルーズソックスから覗くほっそりと白い足は、すずらんの花のように、しなやかだ。

 少しだけ色を脱いた、サラブレットのたてがみみたいなブルネット色の長い髪はサラサラで、前髪はニキビ一つない雪のような額の上で、綺麗に切りそろえられている。

 アタシたちは、それぞれのオヤジとエッチしたあと、センター街のスペイン坂の下にあるカラオケボックスで落ち合うようになっていた。

「失礼します」

 と言って、店員が二人分のオレンジジュースを持って来て、ガラステーブルの上に置く。店員が立ち去って、ドアを閉めると、アタシはドアについた大きなガラスのはめられた窓から外を見る。

「行った?」

「うん」

 アタシがそう返すと、カナはイーストボーイのカバンから小瓶に入ったテキーラを取り出して二人分のオレンジジュースに混ぜた。

 最近は渋谷も厳しくなって、制服のままの高校生にお酒を出してくれるカラオケボックスはなくなってしまった。だから、アタシたちはジンやテキーラをこっそりカバンに忍ばせておいて、いつでもカクテルが作れるようにしておくのだ。

 カナはそのベルベットローズのような唇でストローを挟むと、即席のテキーラ・サンライズを飲んだ。

「ねえ、飲ませてあげる」

 カナはそう言って微笑むと、また一口、テキーラ・サンライズを口に含んでアタシの方に近づいてきた。カナの薔薇の唇とアタシの唇が触れて、カナの口の中からアタシの口の中に液体が入ってくる。

 胸の奥がじんじんと熱いのは、テキーラの強いアルコールのせいだけじゃない。

 ……誰よりも美しいカナ。

 唇を離すと、カナの方からふわりと、甘くて大人っぽい香りが漂ってきた。

「ねえ、カナ、香水変えた?」

「うん。さっきオヤジからもらった。ディオールのドルチェ・ヴィータ」

「すごい」

 雪だるまみたいな丸い形の瓶に、はちみつ色の香水が入っていてとても綺麗なやつだ。

「でもなんか、甘すぎない?」

「ううん、カナがつければなんだって合ってるよ」

 そう、カナに似合わないものなんてないんだ。どんなブランドの服もバッグも香水もカナが身にまとえば、カナのものになる。それは、ディオールやシャネルだって変わらない。

 むしろ、カナが身につけさせてあげてる、ぐらいのものなんだと思う。

「アタシが相手したオヤジなんか、最初は優しかったんだけど、なんか乱暴に『お前らみたいのがいるなんて、戦後教育は間違ってたんだ』とか言いながら、ブチ込んで来て超嫌だった」


 東急線の改札につながる、109の地下二階のエレベーターホール前には、援交目当てのオヤジがいつもたむろっている。

 その中で、

「たまごっちあるよ、たまごっち」

 とレアものの白いたまごっちを見せながら近づいてきたのが、今日のオヤジだった。たぶん、年齢は四十ぐらいだったろうか。ラルフローレンのダンガリーシャツをホワイトジーンズに挟んでいて、小脇にはセカンドバッグを抱えていた。よくある感じのやつだった。

 たまごっちに興味あるのなんて、もう、田舎の女子高生だけだ。(まあ、調布から来ているアタシたちも偉そうなこと言えないけど)

 そもそも、たまごっちなんて子供っぽいゲーム、アタシは最初っから興味なかった。

「それ、別にいらないから、二万値上げしてくれる?」

 とアタシが言ったら、それでもかまわないと言ったので、そのオヤジとアタシはホテルに行くことになった。オヤジと女子高生がべったりくっついて歩いていると、すぐに援交だと目立つので、それなりに距離を保ちながら、円山町のホテルに向かった。

 カナもアタシも本当は調布の都立高校に通っているんだけど、それだと値踏みされるんで、ブルセラで買ったS女子校の制服を着ている。

 S女は渋谷のちょっと先にある中高一貫の女子高で、制服はブレザーじゃなくて、今どきセーラー服なので、オヤジたちから人気があった。

 ラブホの個室にたどり着くと、そのオヤジは、

「ねえ、そんないい学校行ってるのに両親に悪いと思わないの」

 とか説教しはじめてきた。でも、やることはやりはじめた。ていうかそう言いながら、アソコはビンビンになってたし。

 で、だんだん怒りながら

「お前らみたいのがいるから、戦後教育は間違ってたんだ」

 とか言ってきて、乱暴にセックスされた。じゃあ、その間違ったのを、たまごっちで釣ろうとしてまで買おうとしてたお前はなんなんだっていう話なんだけど、もう前金でもらってたので、何も言い返さなかった。ただ、早くすませて帰りたかった。

 やっぱり、たまごっちなんかで釣ろうとするオヤジはろくなもんじゃなかった。


「それは怖かったね。ボクが清めてあげよう」

 そう言って、カナはアタシにもう一度キスをした。

 オヤジと援交したあと、アタシたちはこうやって清め合うことになっている。

 そうして、カナの白い指がアタシの服の中に入ってくる。

「んあっ」

 オヤジ相手には出すことのない、とても甘い声が漏れてしまう。アタシもカナのS女子校の制服の中に手を入れた。

 オヤジたちに汚されたところを、お互いの指と舌で清め合う。

 カナは完全な存在だ。

 完全な存在に触れられれば、オヤジになにをされようと、ぜんぶ清められてしまう。カナのような完全体をアタシが清められているのか疑問に思ったことがあるけど、カナはアタシという体を通して、自分自身の完全さで清めているんだと思っている。

 アタシたちがしていることを文章にすると、電車の中でオヤジが読んでいるスポーツ新聞のエロ小説みたいになってしまう。

 でも、そんなんじゃないんだ。

 これは、甘くとろけるような時間で、とても神聖な儀式なんだ。

 隣の部屋から、調子外れの安室奈美恵が聞こえてくる。


 ……祝福してくれる?

 ……祝福してくれるかな? 今夜?

 

 その中でアタシは何度もカナの名前を呼んで、カナとキスをした。

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