第四章 櫻井美月《さくらいみづき》の覚醒
① 異変
今年の猛暑は本気だった。七月初旬にしてこの暑さ。アスファルトだけでなくグラウンドの土からも陽炎が立ち昇っている。このままの勢いで八月に突入したら、一体この国はどうなってしまうのだろうか。
教室では早くもエアコンが全力で稼働している。熱中症になるよりはマシ、ということで温度は低めに設定され、寒がりな生徒はカーディガンを羽織って授業を受けていた。暑いのにカーディガンが手放せない。どこかのオフィスレディのような事情がここ白鷲高校でも発生していた。
そんな夏。
白鷲高校ゲーム部はその発足から二ヶ月が過ぎようとしていた。生徒の顔ぶれは変わらない。相変わらず彼らはモニターに向かって青春の汗を流している。
部員達はメキメキと上達していた。休日以外は毎日同じゲームに触れ、徹底的にトレーニングを積み、なおかつ競い合っていただけあって、その上達速度たるや。こと『SoC』において、もはや並の高校生プレイヤーでは太刀打ちできないだろう。それほどまでに彼らのコントロール技能は高く、あとはそれに戦術・経験値がいかに追いついていくかが試される時期となっていた。
そんな七月。
櫻井美月の異変に気がついた。
異変、というよりも、本来持ち合わせていたものが浮き彫りになった、と言った方がきっと正しい。それはプレイが洗練されればされるほど、顕著に現れた。
その日、「接近戦での立ち回り」の練習のために全員に散弾銃を持たせていた。
散弾銃は一撃で敵を葬り去る凶悪な威力を持つ一方、連射が利かず、弾が拡散していくために近距離でしかその威力を発揮できないという特徴がある。そのためこの武器で勝利するには、自ら前進して接近戦を挑むしか道はない。
そんな試合が長引くと、自ずと皆姿を隠し、油断した相手の隙を狙う戦法を取りがちになる。突然現れた敵に咄嗟に対応する、瞬発力の勝負だ。
そんな一コマだ。美月は果敢に接近戦を挑み相手を撃ち負かしていくが、どうしても撃ち勝てないパターンがあった。
それは「急に画面内に敵が現れた場合」だ。彼女はこのパターンにおいて、ほぼ何もできずに負けるのである。
誰しも、油断しているときに目前に敵が現れれば驚く。それが至近距離となればなおさらだ。最初は驚きのあまり操作がおぼつかなくなってしまっているのだろうと思った。経験を積んでそんなシーンに慣れてくれば、自然と対応できるようになる。そのとき俺はそう考えていた。
ところが彼女のそれは改善するどころか、深刻化していった。薄々、他の部員も「美月には奇襲をかければ勝てる」とわかってきた雰囲気だ。
その瞬間、彼女の動きは停止する。彼女の操作するキャラクターだけではない。彼女自身が、凍りついたように止まってしまうのだ。
彼女の体は強張っていた。ビクッと肩が震え、そのまま停止。それは秒に満たないこともあれば、数秒に及ぶこともある。尋常ではない汗。何かを振りほどくように再びマウスを動かし始める姿を見て、それが「異常」であると俺の中で結論づけたのが、この時期だった。
他の部員は美月のそんな状態を気に留めている様子はない。プレイ中はモニターに集中しているから、気づかないのだろう。かくいう俺も、彼女の後ろからプレイを眺めたりしない限り、気づけなかったと思う。
―このままでは美月は勝てない。
―ゲーム甲子園に出場できなければ、留年。
引っ掛かっていた校長の言葉が、頭の中でリフレインする。
最悪の結果だけは避けなくてはならない。今ここで彼女を挫けさせるわけにはいかない。なんとしても、克服してもらわなければ。
だが、一体どうやって?
俺は気づかされたのだ。顧問でありながら、生徒のことを何も知らない。
俺は一年生の名簿を開いた。美月の所属するクラスは確か一年E組だ。
そしてそこに書かれている名前を見て、すぐに席を立った。
名簿の最後には、こう書かれていた。
―クラス担任
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