鉱石竜
「パパの人生は、こんなんじゃなーい!!」
咆哮と共に、竜の罵声がリアンノンに浴びせられる。幸いなことといったら、彼が大理石の檻に入れられ、鎖で両足を拘束されていることだろう。お陰で彼は自分のもとへは来られないし、自分の隣で得意げな笑みを浮かべる男にかぶりつくこともできない。
聖堂教会の中心に当たる中央聖堂にやってきたリアンノンを待っていたのは、檻に入れられた鉱石竜と、そんな竜を得意げに見つめる聖王だった。
乳白色の鱗で全身を覆われた竜は、リアンノンを見るやいなや先ほどの罵声を浴びせてきたのだ。そんなリアンノンの前で、彼は大きな翡翠の眼から涙を流し始めた。
「聖王様に頼んでパパの回顧録を読ませてもらったけど、なにこれひどいよ! パパの生涯を時系列別に並べただけじゃないか。こんなの精霊王様が読んでも、パパがどんな人間だったのかわかりっこないっ! 書き直してっ!!」
初めて鉱石竜をみたリアンノンだが、竜が泣くなんて話は聞いたことがない。立て続けに起こる信じられない現象に、頭が混乱する。
人語を解さない竜が言葉を話しているのも驚きだが、人である鉱夫を父と呼び彼を慕っていることにも驚いた。そのうえ彼は、リアンノンが書いた言葉まで理解しているのだ。
「あなたは、本当に竜なの?」
問に思ったことをリアンノンは口にする。すると竜は、涙にぬれた眼でリアンノンを睨みつけた。
「こいつの名前はパーシヴァルだ。パパにつけてもらったそうだ」
隣にいる聖王が得意げに言葉を発する。思わずリアンノンは、自分の上司にあたるその人物を見つめていた。
長い金髪を三つ編みにした彼は、豪奢な法衣に身を包んでいる。この世を創造した精霊たちを崇める精霊教会の頂点に立つ人物は、楽しげにリアンノンを見つめていた。
「不愉快なんですが……」
その視線にリアンノンは思わず本音を口にしてしまう。彼は困ったように眼を細めて、リアンノンに言葉を返した。
「それが教会の頂点に立つ私に放つ言葉かい? リアンノン」
「あなたに押し付けられた司祭の回顧録づくりに手間取って、他の仕事が溜まってるんです。それに、書き直せと言われても」
自分は、その鉱夫のことをほとんど知らない。彼は友人もなく、怪我で鉱夫を辞めた後は教会の貧窮院で人知れず息を引き取ったという。その貧窮院に残されたわずかな記録を頼りに、リアンノンは回顧録を書くしかなかったのだ。
裁きの場に使われる回顧録は、あくまでその人物を知っている人々の証言をもとに書かれなければならない。それが嘘かどうかは置いておいて、その人物が他者にどう評価されているのかが重要なのだ。
だからこそ回顧録の文章は、人との結びつきがより重要になる上流階級の者たちの方が分量も多く読み物としても圧倒的に面白い。
それに比べ、身寄りのない身分の低い者たちの回顧録は生前の証言が得られないことがほとんどであり、年代別に生涯を書き連ねただけのものが多くなるのだ。
「リアンノンでなければ羊飼いであらず。そういわれる君がそれ言うのか?」
瑠璃の眼に嘲りの笑みを湛えながら聖王は言い放つ。その言葉にリアンノンは唇を噛み締めていた。
リアンノンは孤児だ。気がついたら教会の孤児院にいた。孤児院では精霊に仕える真摯な信徒へと子供たちを育てるべく、読み書きの教育も行われる。その出来が少しばかりよかったリアンノンは、いつの間にか羊飼いになることを周囲の司祭たちに決められていた。
食べるために、リアンノンは先輩の羊飼いたちと共に遺族たちのもとを訪れ、彼らの記録をもとに回顧録を作る日々を送るようになる。
その中でリアンノンが作った回顧録はひときわ評判が良かった。リアンノンの文章は生き生きとしていて、不思議な臨場感がある。彼女の作った回顧録を読んでいると、不思議と読者はその場に亡くなった回顧録の主たちがいるような心持ちになるというのだ。
「そんなこと、言われても困ります……」
けれど、リアンノンはこの仕事が好きではない。自分の回顧録を喜んでくれる遺族たちの姿を見られるのがせめてもの救いだ。けれど、それは豊かな財力を持つ家庭の人々か、人望に熱い上流階級の人々に限られる。
回顧録を作るにはそれなりに資金がいる。その資金がなければ、高価な羊毛紙を節約するために、書かれる文章も簡潔なものにならざるを得ない。
それでも、遺族がいる人は短いながらも生前の善き行いを回顧録に記すことができる。問題なのは、身寄りすらなく死んでいく人々の回顧録だ。
「パパのことは、書いてくれないの?」
寂しげな鳴き声がリアンノンにかけられる。リアンノンは大理石の檻へと顔を向けていた。鉱石竜が弱々しく長い首を垂れてこちらを見つめている。玻璃のように美しい眼は、まだ涙で潤んでいた。
「ごめんなさい。書きたくても、あなたのパパのことを私は知らないの……。本当にごめんなさい」
事情は分からないが、鉱石竜にとって鉱夫が大切な人であることは理解できる。リアンノンはなんだか申し訳なくなって、竜に頭を下げていた。
「僕こそ、怒鳴ったりしてごめんなさい……。普通に考えて、パパのことを知らない人がパパのことを書けるはずがないんだ」
竜の言葉に耳が痛くなる。
その言葉を何度、リアンノンは遺族たちから聞かされただろうか。どうせ金持ちしか相手にしないんだろうと罵声を浴びさせられたこともあった。
嫌なことを思い出して、悔しさにリアンノンは唇を噛みしめていた。
「うん! 僕がパパのことを教えてあげる! そしたら、パパの回顧録書けるよね!」
竜の意外な言葉にリアンノンは勢いよく顔をあげる。欄干からにゅっと鼻を突き出して、竜はリアンノンに思いっきり顔を近づけてきた。荒い鼻息が体中に襲いかかって、リアンノンは思わず顔を顰めてしまう。
「じゃあさっそく、パパと僕の出会った場所に行こうっ! そうした方がパパのことがよりわかるはずだっ!」
嬉しそうに口を開け、竜は喜々と言葉を発してみせる。リアンノンはぎょっと眼を見開いて、彼に言葉を返していた。
「あなたと一緒に旅をしろっていうのっ!?」
「僕とパパが暮らした鉱山まで飛んでいくだけだよっ。すぐに着くから大丈夫っ!」
「鍵守っ! パーシヴァルを放してやれっ!」
鉱石竜の言葉を受けて聖王が部下に命令を発する。側に控えていた彼らは大理石の檻を閉ざしていた巨大な鍵を開け、中へと入っていく。鉱石竜は暴れることなく静かに立ちあがり、彼らによって鎖が解かれるのを静かに待っていた。鎖が外れ部下たちが外へと引き下がると、鉱石竜は長い首を下げながら檻から出てくる。
唖然とするリアンノンに背を向け、彼は喜々とした声で言った。
「さぁ乗って。一緒に、僕たちの故郷へいこう」
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