羊飼いの憂鬱

 美しい鉱石竜の鱗は、山のようにいる鉱夫たちの命よりも価値があるという。

 そんな世の風評を思い描きながら、リアンノン・プレデリは盛大なため息をついた。彼女の緑の眼は不穏な光を放つ。その眼はぴたりと机に置かれた一冊の本に向けられていた。

 小さな子供ほどの高さはある大型の本だ。その本の表紙を七色に煌めかせているものがある。

 竜の鱗だ。

 先日、この聖都アベルフラウの東にある鉱山で生け捕られた鉱石竜の鱗。きっちりと結い上げられた黒髪をそっとなでて、リアンノンは本を飾る鱗に触れる。鱗は一流の職人により研磨され、樫の葉よりも薄い。光沢を放つ表面は滑らかで、手に吸いつくようだ。

この鱗は、生きた鉱石竜からむしり取られたものだ。鱗を無理やりはがされ苦悶する竜の姿が脳裏を掠めて、リアンノンは眼を歪ませていた。

「生き物を痛めつけて、何が生前の善き行いを本に記すよ……」

 忌々しく吐き捨てる。

 リアンノンの眼の前にある本は、亡くなった司祭の生涯を綴った『回顧録』だ。人は死後、地下にある死者の国で生前の行いを裁かれる。その行いの善し悪しによって何に生まれ変わるのかを死者の王に決めてもらうのだ。

そのときに必要なのが、本人の周囲にいた人々の証言だ。裁きの場で本人の口から嘘でたらめが出たとしても、周囲の証言がそれを虚実と証明してくれる。

 そこで必要になるのが、亡くなったものの生涯を第三者の視点から客観的に描いた『回顧録』だ。リアンノンたち羊飼いと呼ばれる人間は、亡くなった者の周辺を調査しその回顧録を作ることが仕事だ。

 聖典作りから発展したそれは、今や精霊教会の神聖なる業務にして収入源の一つでもある。

 簡単に言ってしまえば、金と権力のある人間は自分の生前の回顧録を如何様にも華美なものにできるのだ。

 リアンノンは豪奢な聖者の回顧録から、隣に置かれた質素な本へと視線を移す。

 数週間前に亡くなった身寄りのない鉱夫の回顧録だ。

 使い古された羊毛紙がそのまま表紙になったそれは、彼がどこの聖堂で生まれて洗礼を受け、どこで働き、どの聖堂に葬られたのか年代に沿って書かれてしかいない。鉱石竜の鱗で飾られた司祭のそれとは、大きく異なる。

 同じ人間の生涯を綴った回顧録が、身分の違いでこうも違ってくることにリアンノンは辟易としていた。孤児であり、この職に就しかなかったリアンノンの回顧録は、彼らの中間をいくものになるだろう。

それでも表紙は少しばかり手の込んだ革張りの装丁で、聖堂の発展のために回顧録づくりに邁進した敬虔な信徒としか書かれないだろう。懸命に働いたのにもかかわらず、身寄りと金がないために年代別に生涯を割り振られただけの鉱夫よりかはましかもしれないが。

 そうして、リアンノンの憂いはもう一つある。

 精霊教会の頂点にして最高権力者である聖王から、直々に手紙が来たのだ。

 曰く、数週間前に鉱山で捕らえられた鉱石竜が、リアンノンが記した回顧録に文句を言っている。その責任をとれとのことだった。

 鉱石竜が喋ったということにも驚きだが、その竜の文句がまた驚くべきものだった。

 竜曰く、目の前にある鉱夫の回顧録を書き直せ。

 だそうだ。


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