第32話「閃治郎、再会ノ中デ新選組トナル」

 閃治郎センジロウを絶望が襲った。

 そして、くっすまいと全身の力を奮い立たせる。

 だが、どこまでも冷たくなってゆく肉体は、上手く言うことをきいてくれない。

 そんな閃治郎に、苛立いらだちもあらわな声が浴びせられた。


「やってくれましたね……この私を! ここまで追い詰めるとは! 素晴らしい、素晴らしい力です! 強い、本当に強い! 貴方あなたこそが、私の求めた最高の戦! 愛すべき怨敵おんてき!」


 どうにか顔を上げれば、義経ヨシツネが笑っていた。

 それは、常に戦いを楽しむ愉悦の笑みではなかった。余裕も威圧感も感じない。ただ、彼は初めての興奮に身を震わせている。閃治郎にはそう見えた。

 恐らく、ここまで追い詰められたのは、義経には初めてなのだろう。

 急いで立とうとするが、閃治郎は無様ぶざまに血の海で藻掻もがくだけだった。


何故なぜ……秘奥義、が……完全に、決まった、はず……ッ!」

「恐るべき技、まさしく修羅しゅらの剣でしたね。しかし、私は修羅をも喰らう悪鬼羅刹あっきらせつ……お忘れですか? 私のソウウルアーツ『烈華外法れっかげほう益荒男ますらお』をお忘れですか?」

「ま、まさか、そんな……!」

「あらゆる法を捻じ曲げ、ことわりを歪める力……世界に例外を生み出し、それを自分だけの力にすることができるのです。ゆえに、こうして私は生きている」


 信じられないが、現実だ。

 こうして目の前に、義経は生きている。満身創痍まんしんそういで息も絶え絶えだが、生きているのだ。

 そして、なにが起こったかを閃治郎は突きつけられた。


「まさに秘奥義、必殺剣……そう、故に、私は生き長らえた」

「そ、そうか……ソウルアーツの力で」

「ええ。一撃必殺、必殺必中……そう定義され、逃れ得ぬ死が確定した法則ならば、ひっくり返せるんですよ。たった一つの答でしかないのなら、その逆もまた選びやすい」


 そう、今まで義経は『烈華外法の益荒男』によって、あらゆる条理を覆してきた。ソウルアーツがエインヘリアルの生き様、前世に根付いたものであるということ。それが一人に一つであるということ。死者となった那須与一ナスノヨイチでさえ、偽りの生を得て甦った。

 それは言うなれば、奇跡。

 だが、悪意と害意のために顕現けんげんする奇跡を、人は災厄さいやくと呼ぶのだ。


「必ず殺す剣を受けても、必ず死なない剣にできるんです。まあ……死ななかっただけで、だいぶ痛手をこうむりましたが。フ、フフ……フハハハハッ! 素晴らしい!」


 最後の力を振り絞って、閃治郎はどうにか立ち上がった。そのままよろけつつも、まだ右手に握っていた剣を義経へ向ける。

 しかし、得物えものを持たぬ義経は、難なく閃治郎の太刀たちを蹴り上げた。

 乾いた音を立てて、刃が床に突き立つ。

 次の瞬間には、酷く冷たい義経の半裸が密着してきた。あっという間に右腕を捻じ上げられ、そのまま逆関節に折り曲げられる。ミシリと骨がきしんで、閃治郎は絶叫を張り上げた。


「いい悲鳴ですね……これでもう、右腕は使い物になりません。左腕は……まあ、いいでしょう。その出血、骨まで達してけんもズタズタでしょうし」

「っ、ぐ! 義経、待て……僕は、まだ」

「終わりですよ、貴方は。いい戦でした……今までにない、最高の大一番でした。最後に私の勝利で終わるのですから、最高としか言いようがありません!」


 倒れる閃治郎に背を向け、義経は歩き出した。

 その先に、巫女みこたちが身構えている。

 裸のリシアを抱き寄せかばう、真琴の姿が見えた。

 血塗ちまみれの手を伸べ、閃治郎はかすれた声を振り絞る。


「待て、義経……僕と、戦え……まだ、僕は――」


 だが、無残にも目の前で惨劇が始まった。

 巫女たちの魔法も、外法げほうのエインヘリアルである義経には無力。そして、果敢に立ち向かう真琴が蹴り飛ばされた。

 短く悲鳴を叫んで、大広間のすみへと彼女が吹き飛ばされる。

 それでも真琴は、再びリシアを奪った義経へと叫んだ。


「わたしの知ってる義経は、お前なんかじゃないっ! もっと勇敢で、勇気があって、日本じゃ判官はんがんびいきって言って、みんな、みーんな非業の死を惜しんで偉業をたたえたもの!」

「おや、そうですか? ですが、私には関わりのないこと……死んでからの評判など、今この一瞬の快楽を前には、無意味」


 リシアの細い首を、義経は片手で握って軽々と吊るした。

 き込みながらも、気を失っていたリシアが目を覚ます。ゆっくりとまぶたを開いた彼女は、見上げてくる邪笑じゃしょうにビクリと身を震わせた。


「ひっ! あ、ああ……貴方、は」

「さあ、先程の続きをしましょう。その純潔を今度こそ、私にけがさせてください。今なら観客もいるので、盛り上がりますよ? フフ、フハハ! いい顔んです! 怯えてすくんだ、恐懼きょうく恐慌きょうこうの支配する美しさですよ!」


 万策尽きたかに思われた。

 だが、骨を折られた右腕をぶら下げながら、閃治郎は這うように身を起こす。

 もう、両手は使い物にならないだろう。

 それでも、命ある限り戦わなければならない。

 剣の技を手放し、剣士としての死を受け入れてまで生にしがみついた……今も残された命は、まだ仲間を守るために使われるべきなのだから。

 朦朧もうろうとする意識の中で、閃治郎は死力を振り絞る。

 ――その時、なつかしい声が鼓膜をでた。


『よぉ、セン……派手にやってるじゃねえか。ええ?』


 思わず顔をあげた。

 そこには、師とあおいだ男の背中があった。

 それを現実ではなく、幻覚だと思った。

 まことの一文字を背負った、浅葱色あさぎいろ羽織はおり……鬼の副長、土方歳三ヒジカタトシゾウは一度たりともその羽織にそでを通すことはなかった。そして、自分のものを餞別せんべつとして閃治郎にくれたのである。

 閃治郎が今着ている、血に汚れて擦り切れた羽織がそれだ。


「トシさん……トシさんっ! 僕は」

『俺だけじゃねぇ、見ろ……へっ、死んだ連中が雁首がんくび並べやがって』

「ああ、あっ……!」


 見慣れた顔が並んでいた。

 そこかしこに、新選組の隊士が立っている。

 そして、それが死の間際に見る幻ではないと、義経の声が教えてくれた。


「な、なにが……貴方たちはどこから! 気配など感じなかった! 何者ですっ!」


 放り出されたリシアが「キャッ!」と声をあげた。

 慌てて駆け寄る真琴も目に止めず、うろたえた視線で義経は周囲を見渡す。

 すでに彼は、並み居る新選組の隊士に包囲されていた。

 そして、閃治郎は悟った……これは幻でも夢でもない、現実。

 その正体に、自分でも信じられないと目を見張った。


『セン、あのガキか? 手前てめぇをここまでやってくれた奴は』

「ま、待ってくれ、トシさんっ! ……これは、僕の戦いだ」

『当たり前だ、セン。露払つゆばらいはしてやる、さっさとケリをつけろ』

「は、はい……でも、何故。どうして、トシさんは」


 ヴァルキリーに招かれたエインヘリアルではなさそうだ。

 歳三は周囲を見渡し、最後に局長である近藤勇コンドウイサミうなずきを拾った。

 そして、いかにもバカバカしいと言わんばかりに言い放つ。


『言わなかったか? 俺ぁ、皆と新選組に必ず帰るってな』

「それじゃあ」

。お前のいるこの場所が、誠のはたを打ち立てるべき戦場なんだよ。いいから走れぇ! 乾閃治郎イヌイセンジロウっ!』


 義経がなにかをわめいている。

 だが、閃治郎の耳には言葉として入ってこない。

 神殿の奥からモンスターの手勢が現れたが、それも目に入らない。

 ただ歳三を見上げて、必死に立ち上がる。

 同時に、仲間たちは次々と抜刀して戦い始めた。周囲が乱戦に巻き込まれる中で、義経が一歩、また一歩と後ずさる。彼が遠ざけようと退いた距離を、ゆっくりと閃治郎の歩みが埋め始めた。


「ば、馬鹿な……こ、これはまさか、ソウルアーツ!? ならば、私のものとなれっ! 私は源九郎判官義経ミナモトノクロウハンガンヨシツネ、日ノ本一のサムライです!」

『ああ? 寝ぼけんなよ、クソガキが。うざってえ……さっさと斬れ、センッ!』

「……な、何故だ! 私の力が効かない……そのソウルアーツは、なんです! 何故、法則を上書きできない! 理を塗り替えられない!」

『アホくせえ……法だ理だと、眠いこと抜かしやがるぜ、ハッ!』


 閃治郎は走り出した。

 よたよたとだが、もつれる脚を必死に動かした。

 その背後を狙ったコボルトの一団が、まとめて歳三の一撃に斬り伏せられる。

 義経へと続く道を、仲間たちが切り開いてゆく。

 新選組の隊士たちだけではない、真琴とリシアの声も確かに届いていた。


「センッ! これを!」


 真琴が自分の剣を投げてきた。

 真綿まわたのような不思議な刀身の、玩具おもちゃのような剣だ。

 動かぬ右手に代わって、左手で受け取る。

 自ら切り裂き破壊した左手の握力でも、軽い剣を握ることができた。その刃を握り締めれば、ほとばしる血が赤く赤く染み込んでゆく。

 そして、歳三の声が後押ししてくれる。


『俺たちは、新選組! 局中法度きょくちゅうはっとも今や、死んだ俺たちを縛れねぇ……よく聞け、クソガキィ! ! 俺たちにあるのは、誠の士道しどうを貫く! 意思だけだぁ!』


 そう、全ての事象は法則性があり、理によって縛られているのかもしれない。そして、義経はそのありかたを反転させることができる。

 だが、今の新選組にはもう……ただ、サムライでありたいという想いしかない。

 国と民のために戦い、平和を求めて戦い抜く……


「おおおおっ! 義経っ、覚悟っ!」

「ひっ、く、来るな……無法とは、ありえません! 外法といえど、私ですら持ち得る理を……それを持たぬ者など!」

「これが僕の、僕たちのソウルアーツ……ッ! 僕は戦う、闘い続ける! 『誠の旗の下に』っ!」


 折れた右腕を動かせば、激痛が走る。身を焼くような痛みの中で、閃治郎は真琴の剣を……誠の強さを握り締める。つかを握って振り抜けば、リシアの声が響いた。


「センジロウ様っ! その想いを、力に! 力を導く強さに変えて!」


 リシアの手が魔法に輝き、周囲に雪が六花りっかと舞う。

 閃治郎が放った居合の一撃は、狙い違わず義経を両断した。

 そして、そのまま力尽きたように閃治郎は倒れ込む。

 彼の手には今、鋭く凍った真っ赤な剣が、誠の剣が握られていたのだった。

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