第31話「閃治郎、死中ニ活ヲ求メテ命ヲ燃ヤス」

 僅かに見えた一縷いちるの望みが、再び小さく消えてゆく。

 閃治郎センジロウは平静を装って身構えたが、内心では動揺を隠せずにいた。神速の抜刀術ばっとうじゅつ、居合の剣が閃治郎の持ち味だ。無論、普通の剣術も学んだが、人よりは達者な程度である。

 全ては京のみやこを守り、魑魅魍魎ちみもうりょうを斬り伏せるために。

 だが、天然理心流てんねんりしんりゅう零式ゼロしきの技は、剣と対になるさやがなければ放てないのだ。

 それを見透みすかすように、義経の笑いが響きわたる。


「勝負ありましたねえ? 簡単なことでした……なるほど見事な剣技でしたが、鞘がなくては抜刀できないでしょう。対して、私はずらりならんだこれで」


 一人、また一人と周囲に義経が増えてゆく。

 疲れを見せていたのは、閃治郎を誘う罠だったのだ。恐るべき俊足は、次々と分身を生んでゆく。まるで天狗てんぐに化かされているようだった。

 そして、無数に生える剣を大勢の義経が手に取り、引っこ抜く。

 向けられる切っ先をにらんで、閃治郎は身動き一つできずに固まってしまった。


「仕損じた……だが、まだだ! 僕はまだ、負けてはいないっ!」

「おや、そうですか? では、行きますよ……これだけの数、さばき切れますか?」


 周囲にうごめく義経の群れが、一斉に襲ってきた。

 やむを得ず、剣を両手に握って迎え撃つ。

 一合、二合と斬り結ぶ、その都度つど義経の影を切り裂いてゆく。だが、六合、七合と立ち合えばすぐに窮地きゅうちに追い込まれた。得意とするかたが使えず、普段のように立ち回れない。

 居合いあいの極意は、静と動……鞘に力を溜めては待ち、最小限の動きで避けていなす。一度攻撃に動けば、必殺の一撃に全てを乗せて抜き放つのだ。

 鞘のない閃治郎の剣など、田舎道場いなかどうじょう手習てならいにも等しい。

 それでも彼は、あきらめずに義経を斬り続ける。


「くっ、鞘さえあれば……今は好機を待って耐える! 僕はまだ、死ねない!」

「どれ、少し調子を上げましょうか? 倍の速さで動きますので……血飛沫ちしぶきに踊りなさい!」


 周囲を囲む義経の全てが、次々と剣を手に増えてゆく。そして、先程よりも早く鋭く、たった一人の閃治郎に殺到した。

 受けきれぬ刃が、何度も体を擦過さっかする。

 たちまち浅葱色あさぎいろ羽織はおりが切り裂かれ、全身から血が吹き出した。

 どれもかすり傷、派手に出血しているが致命傷ではない。

 だが、必殺の一撃を繰り出すことなく、義経はなぶるように剣を繰り出してくる。ギリギリで避けようとして避けきれず、それでも動けるから閃治郎は血塗ちまみれで戦った。


「はぁ、はぁ……どうした、義経っ! 掠るばかりで皆目かいもく当たらぬぞ」

あきれた鈍感ぶりですね……痛くはありませんか? すでにその流血、意識も朦朧もうろうとしているはず

「新選組をめるなよ? この程度の傷、リシア殿がすぐに治してくれる! そしてこの痛みこそが、まだ僕が生きているあかし。流れる血が絶えても、僕の戦いは……新選組の戦いは終わらない!」

「リシア……? ああ、あの小娘ですか。おびえる巫女の中に、震えながら私をにらんできた乙女。ええ、ええ、覚えていますよ。とろけるような法悦ほうえつの一時、たまらぬ愉悦ゆえつでした」


 義経の一人が、指で作った輪をくちびるに当てる。

 口笛が吹かれて、神殿の暗がりの億からひづめの音が聞こえてきた。

 それは、見るも勇壮な軍馬である。将門マサカドから盗んだソウルアーツ『日ノ本一ひのもといちつわもの』が生み出した覇者の騎馬である。

 そして、閃治郎は見た。

 その背に今、ぐったりと脱力した裸体が乗せられている。

 それは、間違いなくサムライの座を守る巫女、リシアだった。


「リシア殿っ! ……貴様っ!」

「いやいや、なかなかに耽美たんびでしたよ……ただ、残念ながら最後までは味わっていませんが。その方がいいでしょう? 閃治郎、貴方が死ねば次は彼女、そして他の巫女……最後に、私をよく知るあの生意気な小娘です」


 まるでへびのような視線が、無数に絡まり合って真琴マコトを刺し貫く。

 ぞっとするような悪寒おかんに支配され、あわてて閃治郎は走った。真琴だけでも逃さなければ……そう思ったが、

 不意に、意外な声が張り上げられた。


「センッ! わたしは大丈夫! このやろーっ、あったまきた! 女の敵っ! リシアになにかあったら、怒るからね! もう怒ってるけど、もっとすっごく怒るんだから!」


 真琴は背の剣を抜いた。スポチャンとかいう競技で使う、試合用の柔らかい剣だ。がれた刃のないそれを握って、周囲に群がる義経を大振りに振り払う。

 真琴は諦めずに戦っていた。

 そして、閃治郎に望んでいる……自分を守ることよりも、義経を倒すことを。

 それだけの覚悟があって、彼女は戦力にもならない自分を承知でついてきたのだ。

 その決意を察した時、閃治郎は最後の一線を超える。

 躊躇とまどいも迷いも捨てた今だからこそ、最後に捨てるものが見つかったのだ。


「……フッ、ハハ……そうか。なに、簡単なことじゃないか」

「おや? 気でも触れましたか? 絶望と恐怖で自分を見失う兵など、見慣れています。そういう戦場を生きてきましたからね。では、そろそろトドメを――」

「命を燃やす時が来た……今こそ僕の命を、剣士生命を使う時っ!」


 居並ぶ義経たちが、そろって目を見開く。

 その驚きは、ブンブンと剣を振り回していたまことにも伝染した。

 

 鞘はない……ないが、構えることができた。

 


「……やれやれ、そんなことをすれば貴方の手は」

「貴様を倒して皆を救う、それをなすならば……その後のことなど、今は不要!」

「やぶれかぶれの捨て身ですか? 命知らずな」

「決して死なない。僕は、死ねない。例えサムライとしての剣を失っても、この世界で生きていく。新選組の隊士にとっては、日々の全てが挑戦で、戦いで、守るべきものだ」


 ピクリ、と義経が片眉かたまゆを跳ね上げた。

 それを閃治郎は見逃さなかった。

 高速移動が生み出す空気の対流が、無数の残像を周囲に広げている。

 その中で、唯一人不快そうに表情を歪めた義経を見定めた。


「馬鹿なっ! 剣の振るえぬ、いくさのできぬサムライになんの意味がある?」

「それで平和が買えるなら、安いものだ。そうさな……この後はせいぜい、仲間のためにめしを炊き、風呂を掃除して下男げなんのように暮らすもいいさ。平穏な日々ならば、悔いはない」

「ありえないっ! ありえないんですよ、そんなことは! ……平和がほしいと? 呆れた男だ、馬鹿だ……大馬鹿者だ!」


 初めて義経が感情を激発させた。

 だが、閃治郎は左手を血で濡らしながら、失われゆく握力を総動員する。

 まだ痛みは感じるが、徐々に遠くなってきた気がする。

 もう長くは持たない……そして次が、生涯最後の剣技になるだろう。

 さすればもう、残された技は秘奥義しかなかった。


「いいですか、サムライとは暴力の権化ごんげ! 戦そのもの! それが、太平の世になればどうです? 捨てられるんですよ! 貴方も私も、平和な世の中にはいらないんです。だから……だからっ! 常に争いといさかい、戦いがなければいけない」

「それは違う。……そうか、義経。貴様は実の兄に」

「戦はいい……とても素晴らしいんです! 私には敵が必要だ、倒すべき敵が。奪い、犯して、殺して、そして次の戦いへ。戦の火を絶やしてはいけない、それだけは!」

「僕は、嫌だ……もし僕が、平和な世界に必要のない剣ならば……捨てられるのならば」


 閃治郎はかすむ視界の中央に義経をとらえる。

 他の義経は、半狂乱で切りかかってきた。

 当たれば致命打となる太刀筋だけを、避ける。そうでないものは身に受けて、斬らせるままに血に濡れる。擦り切れた羽織の背にはまだ、まことの一文字が燃えていた。熱く重いその言葉を、まだ閃治郎は背負っていたのだ。


「もし、捨てられるのならば……捨てられるままに、野にさらされよう。風雨に濡れてびてゆけばいい。剣の必要がなくなったのなら、僕はそうなってもいい」

何故なぜだっ! 守ってやったのに、捨てられるんですよ! むくいを、因果いんが応報おうほうをせねばならない! 恩をあだで返す、肉親をも私欲で手にかける……野のけだものとて選ばぬ、非道ですよ!」

「笑止……貴様が道を語るとは。守ってやったなどと、新選組の男たちは誰も思わない。ただ、守りたかったから……サムライとなりて、世のために戦いたかっただけだから」


 次の瞬間、閃治郎は肉体の重さが消え入るのを感じた。

 自分でも意識せぬ程に、心が澄んで虚空こくうに溶け消える……そんな中で、振り抜く剣がくれないの刃をほとばしらせた。

 膨れ上がる闘気は今、目に見える形をかたどり血を彩る。

 同時に、閃治郎は自らの手を鞘として、最強の秘奥義を義経へと叩きつけた。


「天然理心流・零式……秘奥義っ! 黄龍天翔剣こうりゅうてんしょうけんッッッッッッ!」


 膨れ上がる気が、周囲を揺るがす龍となる。

 群れなす分身の義経を次々と蹴散らし、閃治郎の放った龍は真っ直ぐにんだ。

 そして、義経本人をその牙で捉える。


 ――黄龍天翔剣。


 それは、破邪はじゃの剣技たる天然理心流・零式の禁じ手。禁忌きんき故に秘奥義として封じられてきた一撃である。何故なら……東西南北の四聖獣をべると言われる、黄龍の名を冠した技を放てるは一度のみだから。

 音の速さを超えた抜刀術に、己の剣士生命を乗せて龍を出す。

 荒ぶる龍神の化身は、それは剣士の最後の輝きだった。

 霊魂を乗せて放出すれば、この世に斬れぬものなどない。

 そして、その技を放つことは、剣を捨てること……まして今、閃治郎は己の手を鞘に代えて秘奥義を撃ち放ったのである。


「グッ、あ、ああああっ! 閃、治、郎ぉぉっぉぉ! 貴方は、貴方はあああああ!」

「……消え失せろ、外道。その顔はもう、見飽きた……ッグ!」


 龍よ天へかえれ……義経を飲み込み、巨大な気のかたまりは神殿の天井をブチ破る。

 閃治郎は一瞬だけ、穿うがたれた大穴の向こうに月を見た。

 満月を背に、龍は一声咆哮ほうこうすると消えてゆく。

 しばらくして、ドサリと義経が落ちてきた。


「やった、か……っ、ハァ! グ、グッ!」


 その場に閃治郎は倒れた。

 もう、指一本動かせなかった。

 だが、霞む目を凝らせば、すでに義経の分身は消えている。そして、リシアを軍馬から下ろした真琴が、巫女たちになにかを叫んでいた。

 センを助けて、と聴こえた。

 その声が泣いていたので、己のことも忘れて閃治郎は心配になってきた。あの気丈で気が強い真琴を、泣かせてしまった。昔、副長にも言われたことがある。女を泣かせる奴は、法度はっとの有無にかかわらず俺が斬る、と。


「ああ、でも……真琴殿、泣かなくても……そう、泣き止んで、くれ……」


 真琴の声が遠くなってゆく。

 それでいいんだと、閃治郎は頷く。もとより死ぬ気などないが、命をす意味が最後の最後でわかった気がした。そう思ったら、なんとか手を突き上体を持ち上げる。

 剣士とし死して尚も、人生は続く……人生最後の勝負にも、必ず次は来るのだ。

 死ななければ、生きていれば、常にその連続が待っているだろう。

 どうにか全身に鞭打むちうって、立ち上がろうと閃治郎はもがく。

 そんな彼の前に……ゆらりと人影が浮かび上がるのだった。

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