第29話「閃治郎、誇リ高キ騎士ノ生キ様ヲ見届ケル」

 ロキ神殿は石造りで、天井が高く柱も太い。

 深い闇に沈む中を、閃治郎センジロウは息を荒げて駆け抜けた。内部はかなり広く、何度もモンスターの待ち伏せを受けた。

 先程の弁慶ベンケイとの戦いに続けて、波状攻撃はじょうこうげき幾度いくどとなく襲う。

 集中力を保つ閃治郎だったが、その残り少ない体力も疲労へと変わっていった。


「……もう、全力の一撃は一度か、二度か。体力には自信があったのだがな」


 次第に、走る先がぼんやりと明るくなってきた。

 ちょうど外から見た限りでは、そろそろ神殿の中央部の筈だ。

 すりばち状に中心へ向けて、なだらかな下りが続く。

 りなす階段や石壁は、まるで迷宮のようだ。

 そして、突然視界が開ける。

 だだっ広い場所へと飛び出た閃治郎は、聴き慣れた声に呼ばれた。


「センッ! よかった……無事、だよね? 本当に、よかった」


 声のする方へと首をめぐらせれば、広場の隅に真琴マコトがいた。彼女は今、巫女みこたちを縛る縄を次々とほどいている。

 どうやら皆、無事のようだ。

 だが、青ざめた顔を並べる巫女たちの中に、リシアの姿がない。

 心臓の鼓動が跳ね上がる中で、閃治郎はどうにか呼吸を整えようとした。


「真琴殿っ! 無事か……リシア殿は!」

「それが、いないの……さらわれた人の中に、リシアだけいないのっ!」

「……ならば、直接問いただすまで!」


 冷えた汗が身体を凍えさせる。

 消耗は激しく、こんなにも激しい戦いの連続は初めてかも知れない。

 だが、それでも閃治郎は奥の祭壇さいだんにらんだ。

 そこには、しどけなく身を崩して腰掛ける義経ヨシツネの姿があった。上半身はあらわで、細身ながら無駄な肉がまったくない。もろ肌を脱いだ彼は、細い目に嫌な笑みを浮かべていた。手にしたさかずきをあおると、薄いくちびるを真っ赤な下でめる。


「やあ、遅かったですね……君一人かな? だよねえ……与一ヨイチも結構使えるじゃないかあ。それに比べて弁慶ときたら」

「義経殿っ! リシア殿は……もう一人、若い巫女がいたはずだ! ……ハッ!」


 閃治郎は息を飲んだ。

 何故なぜ、気付かなかったのだろう。

 義経の眼の前に、真っ赤な血の海が広がっている。

 その中央には、一人の騎士が無残に倒れていた。

 桜蘭ロウランだ。


「桜蘭殿っ! 今、お助けします!」

「閃治郎、か……来る、な……クッ! 手出し、は……無用、だ」


 よろよろと桜蘭は立ち上がった。

 その怜悧れいり美貌びぼうは今、苦痛に歪んでいる。よろいもところどころひび割れ、深い傷がいくつも刻まれていた。時に、脇腹には致命傷とさえ言える大穴が黒い血を吹き出している。

 それでも、宝剣デュランダルを支えに立って、彼女は再び身構える。

 一瞥いちべつして鼻を鳴らす義経は、全く動く気配がなかった。


「おやおや、頑丈がんじょうですねえ。……もう飽きました、死んでください」

「ほざけっ、下郎げろう! 我が主君シャルルマーニュ殿下の名のもとに、貴様をちゅうす! ――ッ!」


 風が吹き抜け、景色が揺らいだ。

 陽炎かげろうが周囲を包んだかのような、錯覚。

 次の瞬間には、無数の斬閃ざんせんが桜蘭を包む。

 即座に閃治郎は理解した……未だ祭壇を玉座のようにして、義経は動かない。動かないように見えているが、それは残像だ。あまりに高速で動く義経を、鍛え抜かれた閃治郎の視覚が認識できないのだ。

 そして、まるで無数の人間に同時に斬りかかられたように、桜蘭が大きくよろける。

 彼女は再び片膝かたひざを付いて、手にした剣を石畳いしだたみの上に突き立てた。

 ヒステリックな女たちの声が叫ばれたのは、その瞬間だった。


「おのれ、義経とやら! エインヘリアルにあるまじき蛮行ばんこう!」

「我ら巫女をあなどるな! ルーンの秘術を修めし魔力、その身で味わえ!」

「巫女は座の守護者であるゆえに、強き魔力の術者でもあるのだ!」


 巫女たちの何人かが、手を振りかざした。

 爆炎が、雷光が、周囲をまばゆく照らす。

 リシアも以前見せてくれたが、これは異世界ヴァルハランドに伝わるルーンの魔法だ。ウィザードの座に招かれし魔術師たちとは違い、神々の神秘を習得した巫女たちだけの力……紅蓮ぐれんの炎とあおい稲光が炸裂する。

 だが、信じられない光景に閃治郎は驚いた。


「なっ、なんと! そこな騎士、なにをしているか!」

「我らも援護する、共にあやつを!」


 聖剣一閃、光が走る。

 桜蘭はふらつきながらも、飛来する魔法をことごとく断ち切った。

 鋭く光るデュランダルの切っ先は、まるで紙くずを斬り裂くように魔法をかき消してしまったのだ。あれが先日言っていた、大いなる聖人たちの加護なのかもしれない。

 桜蘭は肩越しに一同を振り返ると、苦しげに声を張り上げた。


「無礼はひらにご容赦を! これは私の戦い……そして、戦いには貴賤きせんがある。! それは、我がきみの栄光に泥を塗るようなものだ!」


 あまりにも気高く、清廉せいれんなるたましいだった。

 間違いなく、桜蘭は騎士……それも、偉大なる大帝の第一の騎士だったのだ。

 絶句し歯噛みする巫女たちを他所よそに、閃治郎はその場に膝を折る。身を正して正座し、腰から剣を下ろした。

 真っ直ぐ見詰める桜蘭の背中には今、背負った誇りが見えるかのようだ。

 擦り切れたマントを血に染めて、騎士は再度デュランダルを構える。

 その意図いと、もう一つの隠された意思にも、閃治郎は気付いた。


「桜蘭殿! ……かたじけない。もしや、貴女あなたは」

「そこで見ていろ、閃治郎。我が騎士の誇りにかけて、奴めは私が討つ!」

「では、僕がその全てを見届けよう。ご武運を」

「おうっ! くぞ、義経とやら!」


 今の閃治郎を一目見て、桜蘭ならば瞬時に理解したはずだ。

 連戦に次ぐ連戦で、閃治郎は疲弊ひへいしている……義経に対峙たいじして、長く戦える体力ではないと知ったのだ。だから、桜蘭はこの状況で最も勝算の高い選択をした。

 そして、その決断は彼女の騎士道に合致がっちするものだ。

 恐らく、追いついてきた閃治郎を少しでも休ませ、心身をわずかでも回復させようというのだ。そんな桜蘭を見て、つまらなそうに義経は立ち上がった。


「ねえ、全員でかかってきたらどうですか? 私もその方が楽しめます。先程の妖術のようなもの、ええと、魔法? いいですねえ、とても便利そうだ。ガンナーとかいうやからの銃とやらにも興味があるし、ああ! 世界はなんて凄い力に満ちているんでしょう!」

「……黙れ。力などは所詮しょせん、力でしかない」

「おや? 負け惜しみですか? 決して屈せぬその表情……はは、壊し甲斐がある。気が変わりましたよ、犯して殺すだけでなく、死んでからもはずかしめてあげましょう」

「黙れと言っている! 貴様の力は、ただ力でしかない……私の、私たちの強さとは別物! それではなにも守れない……もとより、守るものなど持てぬ!」


 桜蘭は気迫を叫んで地を蹴った。

 その鋭い踏み込みが、デュランダルを歌わせる。恐るべき斬撃の速度に、空気が割れ響いたのだ。だが、真っ二つに斬られた義経の姿が、輪郭をにじませる。

 今度は、閃治郎にもはっきりと見えた。

 残した残像を斬らせて、義経は桜蘭の死角に回り込む。

 勝負はついた、義経の太刀は桜蘭を刺し貫いた。

 血を吐く少女を、何度も何度もえぐってゆく。

 見るにたえない、一方的な鏖殺おうさつ……だが、閃治郎は目をらさない。桜蘭もまた、ヴァルハランドを守るために招かれたエインヘリアル、座は違えど仲間だ。その仲間が、命をして戦っているのだ。

 貴重な時間を与えられた閃治郎は、見届けるべきだった。


「こんな感じでいいかな? ……おや? 刀が、抜け――!?」

「ガハァ! ガッ、ァ……この桜蘭、ただでは死なぬ。腕の一本も頂いていく!」

「なるほど、トドメの一撃を受け止めれば、私の動きを捉えられると。ふむふむ」

「宝剣デュランダルよ! 私の命を強さに変えろ! ――あ、ああ……こら、どうした……身体が。は、はは、駄目だぞ、私……こんなところで、死んで、は……ま、まだ」


 桜蘭の頬を、あかい涙が伝った。

 すでに彼女は、血を流しすぎていた。おびただしい流血が、床を濡らしている。むしろ、これだけの出血で動けることが驚愕きょうがくなのだ。これぞ、限界を超えた烈帛れっぱくの意思、だが……限りなく潔い、その高潔こうけつさが閃治郎にはかなしい。

 そのままずるりと、桜蘭は崩れ落ちた。

 真琴の悲鳴が響く中で、閃治郎は立ち上がる。


「嫌……嫌だよっ! 桜蘭さんっ! そ、そうだ……巫女さん、桜蘭を助けて! ええと、たしかあなた、ナイトの座の」

「……あれは、もう……い、いや、そうだな。皆も手伝ってくれ! 我らは忘れていたな……座を守ることは、招かれし勇者の魂に寄り添うこと! 巫女などと祭り上げられ、慢心していたか」


 すぐに巫女たちが、駆け出した。

 勿論もちろん、桜蘭を足蹴あしげに剣を抜いた義経が、その薄ら寒い眼光を走らせる。

 無防備な巫女たちへと、血に濡れた刃がひるがえった。

 その時既に、閃治郎は僅かに体力が回復し、心の乱れを落ち着かせていた。せんで太刀筋を読んで、鯉口三寸で義経の一撃を受け止める。


「おやあ? 次は貴方あなたですか。確か先日、将門マサカドとかいう平家の女と一緒に……あ、いや、男でしたか」

「お前の相手は僕だ。立ち合え、源九郎判官義経ミナモトノクロウハンガンヨシツネ! 新選組零番隊組長しんせんぐみゼロばんたいくみちょう乾閃治郎いぬいせんじろうがお相手いたす!」

「おお、怖い……貴方もあれですか、誇りとか挟持きょうじとか、そういうものを信じるたちですか?」

「それがなくば、僕はただの人斬りだ。否……今やっとわかった。外道にしたお前はもう、人ではない! 外道、そこになおれ! ――斬るっ!」

「あはっ、いいですねえ! やりましょう! 殺し合い、死合しあいを! たかぶる、たぎる……私の劣情がいきり立つ! この興奮……格別ですよ、閃治郎! さあ!」


 ふっ、と義経の姿が消えた。

 同時に、距離を取る閃治郎の一秒前が殺される。

 今まで立っていた場所を、何人もの義経が払い抜けた。

 その全てを回避し、腰の剣を握って構える。

 巫女たちが桜蘭を助け始めるのを横目に見て……閃治郎は呼吸を整え、倒すべき敵を見据みすえた。そして、決意する。禁じられた秘奥義をもって、非道の悪を断つと。

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