第28話「閃治郎、蘇リシ五条大橋デ羅漢ト相討ツ」

 闇夜の中を、疾走しっそう

 ひた走りに走る背にはもう、仲間の激闘が聴こえない。将門マサカドの戦いは、音も声も、気配さえも夜風の中に消えていった。

 だが、閃治郎センジロウは止まれない。

 ただ仲間の勝利を信じ、なすべきことをなす。

 先を進む桜蘭ロウランが立ち止まったのは、そんな時だった。


「クッ、見ろ閃治郎! あれが恐らく、ロキ神殿だ。なんと禍々まがまがしい……まさに悪の巣窟そうくつ相応ふさわしい光景だな」


 いちいち芝居じみた声音だが、桜蘭にも焦燥感が見えた。普段から毅然きぜんとして、これぞ騎士の中の騎士という風格だが、今は違う。以前からやや短気で短慮だが、今回に限っては閃治郎にもその焦りが理解できた。

 すでにもう、夜更よふけだ。

 巫女みこたちがさらわれて、かなりの時間が経過している。

 眼の前の小高い丘にある廃墟に、恐らく捕らえられているのだ。

 しかし、閃治郎たちは脚を止めた。

 迂闊うかつに近寄れぬ状況を察知したからだ。


「セン、あれって」

真琴マコト殿、下がってくれ。……戦いは避けられない、のか?」


 丘へと続く道は、上り坂となって真っ直ぐ伸びている。

 その先で、渓谷を超えるための吊橋つりばしに人影があった。

 見るもたくましい巨躯は、背に無数の武具を背負っている。

 腕組み立ち塞がるは、武蔵坊弁慶ムサシボウベンケイだ。


「クッ、斬るか……閃治郎、お前たちは先に……閃治郎?」


 振り向く桜蘭の横を、閃治郎はすり抜け歩み出る。

 そっと真琴の手を振りほどき、吊橋の前で弁慶をにらんだ。弁慶もまた、閃治郎を見てニヤリと笑う。馬車も通れそうな道幅のある吊橋だが、全体を支えるなわは古びて、ところどころ擦り切れている。

 まさに、ここが異世界に甦った五条大橋ごじょうおおはしという訳だ。

 閃治郎は一度大きく息を吸い込み、そしてゆっくり吐き出す。


「桜蘭殿、真琴殿をお頼み申す。真琴殿は義経ヨシツネ殿のいくさに詳しく、豊富な知識を持つ娘だ。きっと力になる。そして、桜蘭殿……貴女あなたの剣に、彼女をたくした」

「ま、待て閃治郎」

「この場は僕が引き受ける。一気に走り抜けてくれ……必ず僕もあとを追う」

「……フン、殺し文句だな。いいだろう、真琴とやら! 行くぞ!」


 ギシリ、と木の板が鳴る。

 橋の上へとゆっくり、閃治郎は歩みを進めた。

 構えもなく、腰の剣に手をえるでもない。

 仁王立におうだちの弁慶を前に、わずか十歩ほどの距離まで無防備に進んだ。

 その横を、全速力で桜蘭が駆け抜けてゆく。その背を追う真琴は、一度だけ閃治郎を振り返った。渓谷けいこくから吹き上げる風に総髪ポニーテイルをなびかせ、彼女は声を張り上げる。


「センッ! 先に行ってるから……待ってるから! わたしも、リシアも! センを待ってるから!」


 静かにうなずき、身構える。

 二人の少女は、弁慶の横をすり抜け、対岸の坂を登り始めた。

 やはり、弁慶は妨害してこなかった。

 この巨漢きょかんとはえにしもあって、その気心は互いに知れている。不思議と閃治郎は、全てをさえぎる城塞のような厳しさを感じなかったのだ。

 だが、最強の門番であることには間違いない。

 閃治郎だけは通さぬ、そういう覇気が弁慶にはみなぎっていた。


「……桜蘭殿を行かせてよいのか、弁慶殿」

義経ヨシツネ様の望みは、いくさ。本来であれば、お主も通してやりたいくらいよ。あのお方は……強き者と戦い、ただ蹴散らし壊してゆく。そういうお方だ」

「では、何故なぜ

「知れたことよ! ……拙僧せっそうも一度は仏門にくだった身、慈悲はあるつもりだが?」

「……弁慶殿の手にかかるほうが幸せと言われるか」

「同じ死ぬならば、人として供養くようの望める姿がよかろう。浅はかと思うだろうが、なに、もともと俺は破戒僧はかいそう……気ままに生きて、生きるだけ生きたら死ぬだけよ」


 それが、死してなおも生を得た、このヴァルハランドでの弁慶の答えなのか。

 だが、閃治郎にはせないことがもう一つある。


「なにゆえ、義経殿の非道に手を貸す! サムライならずとも、人の道に背いた所業だ!」

「……まあ、そうだなあ。俺とて無法者の無頼漢ぶらいかん、だが……強いて言うなら、恩義、とも違う。ふむ、忠義、でもない……ハッハッハ! 何故だろうなあ! だが、知りたくばこれよ!」


 弁慶は背の薙刀なぎなたを抜いた。

 閃治郎もまた、激突は不可避と見て腰の剣を左手に引き寄せる。


「義経様は人の道など、狭過ぎる。それがあの方の強さ。だが……共に歩める者などおらぬのだ。それは、とても寂しいことだと思わんか」

「ならば、仏の教えで人の道に戻してやるのが道理とは思わないのか」

けものに人の道は歩めんよ。だが、獣の道を俺ならば、人のままで追いかけてはやれる。そう思ったのさ。どれ!」


 ドン! と弁慶が、足元を踏み締めた。

 激しい振動で、吊橋が揺れる。

 どっしりと構えた弁慶は、まるで山だ。難攻不落なんこうふらくの要塞のように、その姿が普段の何倍も大きく見える。錯覚ではない……先ほどとは違い、一歩も通さぬつもりだ。

 大きく揺れる橋桁の上で、閃治郎はわずかに身を屈める。

 居合いあいの技を引き絞り、瞬発力を凝縮してゆく。


「さあ、いざいざ! かかってこい、閃治郎!」

「……では、してまいる! この場は僕の剣で、押し通る!」


 まるで荒波の上の船板だ。

 だが、さながら海面を舞う水鳥のように、軽やかに閃治郎は飛び出した。縮地しゅくちの極意で、あっという間に弁慶との距離を殺す。

 肉薄の距離ならば、薙刀のような小長物こながものは不利なはずだ。

 新選組の本隊などは、室内戦闘に特化し脇差わきざしを多用する時もあったくらいだ。

 道幅は広いが、左右に逃げ場のない橋の上である……ふところに飛び込む恐怖を、閃治郎は気合で捻じ伏せ加速した。


「ガッハッハ! そうきたか!」


 ごう! と突風が頭上を通り抜けた。

 地をう影のように身を沈めていなければ、閃治郎の首は渓谷の闇に吸い込まれていただろう。だが、嵐のような一撃を避けて、必殺の刃を解き放つ。

 一撃必殺――の筈、だった。

 吊橋がより激しく、傾くほどの揺れにきしまなければ。


「しまった! 態勢が」

「仕損じたなあ、仕損じた! そんなナマクラでは、俺は倒せんぞ! まして、義経様に挑むなど笑止!」


 弁慶の一撃は、あっさりと足元を吊るす縄を引き千切った。

 大きくバランスを崩した吊橋が、閃治郎の一撃を大きく歪めたのだ。

 そして、さらなる驚きの一撃が襲い来る。


「なっ……なんとぉっ!」


 閃治郎は咄嗟とっさに身をよじって、弁慶の攻撃を避けた。

 弁慶は迷わず、今しがた振り抜いた薙刀を投げつけてきたのだ。

 態勢を崩しつつ踏ん張る閃治郎は、無理な姿勢を強いられた。

 そこへ、今度は巨大なつちが振り下ろされる。


「かすっただけでもただではすまんぞ! だが、避ければ!」


 居合の一撃を放ったあとで、閃治郎の剣に空白の一瞬が生まれていた。

 神速の抜刀術ばっとうじゅつを誇る彼でも、斬撃を放った直後は隙が生じる。

 だが、瞬時に閃治郎は剣を逆手にくるりと持ち替えた。

 京都でもののけと戦い、無数の不逞浪士ふていろうしを斬ってきた……圧倒的に不利な状況には慣れている。そればかりか、このような不安定な場所での戦闘さえ、場数を踏んだ閃治郎には問題にならなかった。

 鉄槌てっついが足場を割り、木片が無数に舞う。

 いよいよ崩壊してゆく吊橋の上で、死闘は続いていた。


「落ちればただではすまない……それは弁慶殿も一緒!」

「おうよ! いわば、俺とお前とは一蓮托生いちれんたくしょう。だが、お前は己の命を惜しんで生を望んだ。願ったな! そうだ!」


 閃治郎は、揺れる足元へと剣を突き立てた。

 それを支えに身を安定させる。

 そう、なによりも自分を守ることを優先したのだ。

 そんな彼を嘲笑あざわらうように、弁慶の一撃が落ちてくる。

 だが、大きく傾き足場はまるで絶壁のよう……その上に自分を固定したのは、生き残るため。そして、その先の戦いへ向かうための勝利が見えていた。


さやに戻さずば、抜刀術も使えまい! まして今、剣はお主の命綱……勝負あったなあ!」

「……僕は、死にたくない」

「その保身の心こそが弱さよ! 死中に活を求めたくば、捨て身の気迫が――」

「僕はっ! 死ねない! 生きて仲間を救うため……死んではいけないんだ!」


 そう、命を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ……その先に生を望む者こそが、恐れを知らぬサムライとなれるのだ。

 だが、閃治郎は怖い。

 死ぬのが怖いのではない。

 

 だからこそ、死よりも厳しい戦いへと飛び込むために、勝機に全てを賭ける。

 命は捨てるものではなく、燃やすもの。

 見開く目に光を走らせ、閃治郎は片手で鞘を握った。


「奥義っ、活殺伏龍衝かっさつふくりゅうしょうっ!」

「――ガハァ! ば、馬鹿な……鞘を」


 居合の使い手に取って、鞘こそが剣と対となる武器。それは、単に刃を収める以上の使い方があるのだ。神木しんぼくより削り出された白木しらきの鞘で、閃治郎は痛打を打ち込む。

 鈍い音と共に、骨が砕かれる感触が伝わってきた。

 だが、弁慶は倒れない……脳震盪のうしんとうでよろめきつつも、割れたひたいから血を吹き出し叫んだ。


「鞘をも第二の剣としたか。見事! さあ、ゆけ……もう橋が持たぬ。義経様には、お主のような者との戦いこそが必要なのだ」

「弁慶殿っ、なにを!」

「だが、忘れるな小僧! 剣と鞘は表裏一体、。その鞘さえ武器にするお主をもう、義経様は見切っておる。ガハハッ! さあ、ゆけい!」


 最後のつなも千切れて宙を舞った。その時にはもう、いかつい弁慶の手が閃治郎の襟元えりもとつかんでいる。そのまま閃治郎は、対岸へと放り投げられた。


「むっ、弁慶殿っ!」


 振り返るともう、そこに吊橋はなかった。

 渓谷を吹き抜ける冷たい風だけが、鬼哭きこくのようにうなりをあげて闇をくゆらしているのだった。

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