第23話「閃治郎、祭ノ夜ニ少女ト歩ク」

 広場の方から、夜風に乗って音楽と歌が流れてくる。

 王都おうとヴォーダンハイムは、祭の熱狂に包まれていた。勇者庁ゆうしゃちょうとしても、先日のモンスター襲来で動揺する民を落ち着かせたかった。そこで、足利アシカガが画策した天覧武芸祭てんらんぶげいさいに飛びついた。

 このヴァルハランドに招かれた英雄たち、エインヘリアルによる武術大会。

 大いに歌って騒ぎ、食べて飲んで、勇者と勇者の真剣勝負に酔いしれる。

 忙しく屋台やたいで働く閃治郎センジロウは、気付けば時間を忘れて汗を流していた。


「これ、セン! 小僧、ワシじゃ! ……なんじゃ、随分と気張っておるのう?」


 聞き慣れた声は、将門マサカドだ。

 はたと気付いて、閃治郎は焼きそばを作る手を止める。

 眼の前に今、浴衣ゆかたを着込んだ将門の姿があった。浴衣といっても、男物ではない。彼は長い髪を結ってかんざしを刺し、女物の浴衣を着込んでいた。

 絶世の美女としか形容できぬ美貌が、目の前でにんまりと笑っている。


「あっ、ああ……将門殿。あ、そうだ、将門殿も焼きそばを、いや、おでんを!」

「いらん! というか、セン……おぬしも皆も、こんな楽しい祭からワシを締め出しおって」


 よく見れば将門は、巾着袋きんちゃくぶくろと一緒に大きな荷物を持っている。そして、まるで幼子おさなごのようにほおを膨らませ、くちびるとがらせている。むくれっつらを前に、閃治郎はようやく我にかえった。

 どれくらいの時間、こうして屋台の仕事に手を動かしていたのだろう。

 無我夢中むがむちゅうでやるうちに、だいぶコツが掴めてきたような気がする。焼きそばだって一人で焼けるし、おでんは先程新しい具材を煮始めたばかりだ。

 絶え間なく客が押し寄せる、祭はまさに宴も酣、大盛況だいせいきょうだ。

 だが、将門は面白くなさそうに言葉を続ける。


「ワシはなあ、セン……お祭りは大好きじゃ! それを、この程度の怪我で」

「でっ、でもですね、将門殿。あまりにも酷い傷、今は一刻も早く」

「じゃかしい! ま、まあ、気持ちは嬉しいがの。じゃが、祭というからには寝てもいられまいて。見よっ!」


 将門は荷物の紙袋から、食材を取り出した。

 小麦粉と、肉、そして野菜や海産物が並ぶ。


「セン、場所を代われぃ! ワシが焼こう……フッフッフ、祭と聞いてから考えておったわ! 売るぞ、ワシは……ワシが考案した、を!」

「まっ、将門焼まさかどやき!? そ、それは」

「うむっ! まずは小麦を水にいてタネを作る。つなぎは山芋やまいもじゃ。それを焼き、中には肉や海老えびを入れる! 最後に刻んだ海苔のりをふりかけ、生姜しょうが赤漬あかづけなどを薬味やくみにの」

「えっ……それは確か、こう……どこかで見たことがあるような」

「これぞ将門焼きっ! このヴァルハランドで、ソースなるものを得たゆえ、考えてみたのじゃ! それと、うむ、このマヨネーズなる玉子と油の調味料も使うぞ!」


 それは、とかいう庶民の料理では?

 そう思ったが、閃治郎は黙っていた。

 さあさあ、と将門は浴衣姿にたすきをかけて、閃治郎を屋台から追い出す。確かに、すでに焼きそばのめんが切れており、鉄板で焼くものがもうない。

 上機嫌の将門は、早速将門焼きなるものを作り始めた。


「えっと、じゃあ、リシア殿。ここは将門殿に任せて……リシア殿?」

「なんじゃ、センは聞いておらんおか? リシアは広場でこれから、他のの巫女と共に祭事さいじの舞いを踊る予定じゃ」

「あれっ、そういえば……いつからいなかったんだ? そうか、僕は夢中で」

「ふむ、結構な売り上げではないか、セン! でかした! うむ、でかしておる!」


 売上の入ったザルの中を見やって、将門はにんまりと笑った。

 まるで子供、それも無邪気な幼子おさなごのようだ。


「そ、そういえば……」

「既に広場の方に向かったであろう。ほれ、セン! お主も行かぬか」

「いや、でも」

「いいから、そこでモジモジしとる小娘を連れてゆけい。まったく、見てられぬわい!」


 将門は、まるで普段の猛将ぶりが嘘のように器用に料理を焼いてゆく。将門焼きなるものの香ばしさが、再び往来から客を呼び込み始めた。

 そして、閃治郎は見る。

 そこには、この国の晴れ着を身にまとった、真琴マコトの姿があった。


「あ、セン……そ、その、変じゃない、かな? ちょっと、恥ずかしいっていうか」

「真琴殿……綺麗、だ」

「や、やだっ、もぉ! からかうの、ナーシッ! めっ! だからね?」

「いや、本当に! その、驚いた……見違えてしまった」


 そこには、先程のリシア同様にめかしこんだ真琴が立っていた。普段のセーラー服に総髪ポニーテイルではない。黒髪は降ろされ静かに揺れている。身につけたドレスは、薄く透けて星明りにきらめいていた。その光が、白い柔肌やわはだをすべやかに照らしている。

 あまりにも際どく、裸も同然の姿だった。

 そして、全裸である以上に美しく、閃治郎の視線を釘付けにする。

 将門は集まり始めた客の相手をしながら、少しいやらしい笑みを浮かべていた。


「ニッシッシ! セン、いいから真琴を連れて少し祭を楽しめい!」

「もっ、もお! まーくんっ! ……セン、迷惑、だよね?」

「い、いや……そんなことは! しかし、驚いた」


 屋台から追い出される形で、閃治郎は真琴の手を取った。

 柔らかく小さい手は、熱く震えていた。

 だが、静かに引けば、握り返してくる。

 人々でごった返す祭の夜に、閃治郎は真琴と共に歩き出す。


「す、凄い人混みだね、セン」

「ああ……っと、真琴殿! もっとこっちへ」

「う、うん……じゃあ、こ、こう、しても……いい?」


 おずおずと真琴は、閃治郎に腕に腕を絡めてきた。

 柔らかな胸の膨らみが、二の腕に当たる感触が熱い。羽織はおりの布地越しにも、はっきりと感じられるぬくもりがそこにはあった。

 自然と互いに身を寄せるようにして、行き交う民の中にまぎれる。

 共に違う時代、異なる世界からこのヴァルハランドにやってきた。

 だが、今は同じこの場所に暮らす仲間……同じサムライである。

 そんなことを考えていると、クスリと真琴が笑った。


「ふふ、おかしいの……セン、緊張してるの?」

勿論もちろんだ! そ、その……トシさんとは、夜の街に何度も繰り出し。だが、その、なんだ……僕には、どうにも女というやつは。それにっ! 真琴殿は、今夜はとても」

「へー、うぶなんだ? トシさん……土方歳三ヒジカタトシゾウ?」

「そうだ。新選組の鬼の副長、僕にとって一番尊敬できるサムライだ」

「……そっか」


 そぞろに広場へと歩く中で、珍しく真琴は話してくれた。

 閃治郎たちが生きた幕末から、150年以上も未来……日ノ本ひのもとは日本という名の近代国家として、非常に豊かな暮らしを民に与えているらしい。大きな戦争もあったが、その悲劇は全ての民に平和のとうとさを教えてくれた。

 侍が戦う時代は終わり、無辜むこの民が銃を持つ時代があったのだ。

 誰もが明日は戦場で死ぬかも知れない……それを愚行とおのれいましめた。

 真琴は、戦争を知らず、経験もせずに育った少女なのだった。


「前にも言ったよね……戦争。わたしたちには、わたしたちにだけは、戦争があった」

「そ、それは」

「……。みんなね、勉強するんだ。でも、わたしは失敗しちゃった。わたしの生きる平成って時代はね、セン……学問の優劣が、将来に大きく関わってくるの」

「なんと! しかし、受験戦争とは」

「わたしね……受験に失敗しちゃって。それで、信じられなくて……合格発表の時、自分の番号がなくて。そのままぼんやり家に帰ろうとしてたら、車にかれちゃって」


 そして、真琴は死にゆく中で出会った……ヴァルキリーのエルグリーズに。彼女は真琴を、戦死した勇者として認めてくれた。

 そう、真琴は戦ったのだ……寝る間も惜しんで、勉強に取り組んだ。

 必死で受験という魔物と戦い抜いたのだ。


「でも、おかしいんだ。わたし、受験に失敗してなにが残るんだろうって、あの時は思ってた。でも、今は……センたちと一緒に暮らしてると、残ったものが沢山あるって思える」

「真琴殿……僕は、君が同じサムライでよかったと思っている」

「もぉ、なーに? それ、どういう意味かな?」

「立派だと思ったのだ。剣よりも銃という時代が来て、それでもやはり銃よりも学問と思える僕がいる。その学問を文字通り真剣に、真琴殿は突き詰めたのだ」


 花火が上がって、ドン! ドドン! と夜空が震える。

 周囲から歓声があがり、次第にその声が広場へと向けられていった。

 そして、広場にはやぐらを中心に大きなステージが作られていた。

 よく見れば、櫓の上で女たちに囲まれ太鼓たいこを叩いているのは、足利だ。


「足利殿! なにを呑気に」

「あっ、見てセン! 巫女の舞いが始まるみたい」


 群衆の視線を集めるステージの中央に、美女たちが並んでいた。その何割かはエルフで、閃治郎と同じ人間もいる。酷く小柄な女の子は、確かホビットとかいう種族だ。

 間違いない、このヴァルハランドに招かれたエインヘリアルの守護者……それぞれの職業の座を守る巫女たちだ。

 音楽が始まって、巫女たちは広がり舞いを踊り始めた。

 熱情をあおるように響く楽曲は、打楽器だがっきが叫び弦楽器げんがっきが歌う。

 熱狂と興奮の視線を集めて受け止め、巫女たちは肌もあらわ装束しょうぞくで踊る。


「あっ、セン……リシアが」

「あ、ああ」


 巫女たちの中に、リシアがいた。先程のあの、綺羅きらびやかな衣服を風に遊ばせ舞い踊る。その情熱的なステップが、閃治郎と真琴の前に近付いてきた。

 揺らめく篝火かがりびの光に照らされ、光と影とで肢体したいが躍動する。

 思わず閃治郎も、異国の舞いに見惚みとれてしまった。

 リシアはまるで、ここに閃治郎がいるのを知っているかのように踊る。そのれた視線がしっとりと注がれてきて、自然と閃治郎は胸が熱くなった。

 だが、突然の轟音……けたたましく銅鑼ドラが打ち鳴らされる。

 その音で閃治郎は、我に返った。


「……始まるか、天覧武芸祭。最初の組み合わせは」


 周囲からの大喝采だいかっさいを浴びて、踊り終えた巫女たちが手を振り深々とお辞儀する。リシアも頭を垂れてから、あげた笑顔を閃治郎へと向けてきた。

 そうして巫女たちが下がると……エインヘリアル同士の戦いが始まろうとしていた。

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