第12話「閃治郎、酒場ニテ大イニ飲食ス」

 その男の名は、武蔵坊弁慶ムサシボウベンケイ

 身長七尺2m以上を超える、恰幅かっぷくのよい巨漢である。

 見た目の図体を裏切らぬ健啖家けんたんかで、閃治郎センジロウあきれるほどに、よく飲みよく食べる。

 彼に助けられた閃治郎たちは今、町の酒場で遅い昼食を取っていた。


「カカッ! 弁慶と申したか。天晴あっぱれなるぞ! ほれ、飲め飲めい!」

「おとと……今日はまた、一段と般若湯はんにゃとう美味おいしいのう! ガッハッハ。それに、こんなべっぴんさんに御酌おしゃくされるなど、これぞまさしく極楽浄土ごくらくじょうど

「ワシは男だがのう、おぬしのような益荒男ますらおは好みじゃぞ!」

「おっと、おなごと思うたがおのこであったか。なに、構わん構わん!」


 周囲の客の視線が、少し痛い。

 だが、弁慶は将門マサカドと二人で大盛り上がりだ。

 そして、ヴァルキリーのエルグリーズはすでに酔い潰れている。

 この店に入って一時間も経たないのに、大惨事である。


「しかし、武蔵坊弁慶殿とは」

「センジロウ様? ご存知なのですか?」

「……僕の国、日ノ本ひのもとでは知らない者などいませんよ」


 隣のリシアに、閃治郎は目の前の大男を語った。

 平家物語にうたわれし、天下分け目の大戦おおいくさ……源平合戦げんぺいがっせん。その動乱は数多あまたの英雄を生み出した。弁慶もまた、その一人である。悲運の武将とされる源義経みなもとのよしつねつかえ、最後はあるじを守って大往生だいおうじょうを遂げた。

 だが、目の前にいるのは自堕落じだらく破戒僧はかいそうである。

 とても、忠節に生きた男には見えなかった。

 驚き呆れていると、マイペースで酒を飲んでいる足利アシカガも笑う。


「私にとっても、弁慶殿は伝説の偉人。まさかかような……ぐうする? ねえ、遇しちゃいます? 我らサムライの仲間として」

「いや、足利殿……それは」

「だってほら、弁慶殿は逸話通り、仁王立ちの大往生した末に――」


 その時、顔の真っ赤なエルグリーズがこちらを見た。

 将門と弁慶のペースに付き合って飲んだからか、目がすわわっている。いな、目が死んでいる。明らかに飲み過ぎだが、彼女はどこかあどけない童顔で「むー」とうなった。


「そーです! エルが発見して、連れてきたのです! そしたら、なんですかぁー? 皆さん、すっごいピンチが危ない感じだったです!」

「あ、いや、今日の仕事は……でも、エル殿のおかげで助かり申した。ですよね、リシア殿?」

「は、はいっ! やはり、エルグリーズ様は素晴らしいヴァルキリーです」


 二人の言葉に、エルグリーズはにんまりとほおゆるめる。

 そして、そのままヘナヘナとテーブルに突っ伏してしまった。そのまま、乙女がしてはいけない顔をさらして寝入ってしまう。どうやら既に、彼女は酒気に負けて限界のようだ。

 だが、いよいよ本番とばかりに、弁慶と将門は盛り上がってゆく。

 そんな二人の間に挟まれて、甲斐甲斐かいがいしく料理を取り分けている少女が一人。

 真琴が皿に盛り付ければ、弁慶は僧兵そうへいにして僧侶そうりょであるにもかかわらず、肉も魚もバリバリ食べていた。


「美味いっ! いやあ、死んだと思うたが、涅槃ねはんとは違う場所にきたか。俺もまた、随分と面倒な因果いんがに導かれたものよ」


 しみじみ話してははいをあおり、どこか遠い目で視線を彷徨さまよわせる。

 その目元は、どこか寂しげに細められていた。

 閃治郎には、弁慶が抱える気持ちが少しわかる気がした。この異世界ヴァルハランドは、死後の世界である。そして、招かれた者たちは皆、生前の勇気ある戦いを認められた人間なのだ。

 そして、誰にでも生前の世界、死ぬ間際まぎわまで続けた戦いがある。

 現実世界では、自分が死んだあとも歴史となって続いているのだ。

 そのことを、おずおずと真琴が口に出す。

 以前、閃治郎が困らせてしまったことから、彼女が気にしてるように思えた。


「あ、あのさ……弁慶さん」

「ん? どうしたむすめ。ああ、お主まで男だと言うのではあるまいな?」

「いやあ、わたしは女の子だけど。その……あのあと、どうなったか、知りたい?」

「あのあと、とな? おお、つまり! 拙僧せっそうが死んだあとの日ノ本のことかのう!」


 無精髭ぶしょうひげをボリボリとかきながら、弁慶は豪快に笑い飛ばした。

 閃治郎は、豪胆ごうたんな彼の態度に驚きを禁じ得ない。

 全く動揺した様子も見せず、酒を飲みながら弁慶は語る。


「まあ、若は……義経ヨシツネ様は討ち死にしたであろうな。俺一人が我武者羅がむしゃらになったとて、追い詰められては逃げることもかなわん。あとは鎌倉殿かまくらどのの天下だろうが……それも長くは続くまいよ」

「……誰かから、聞いてるんですか?」

「なに、拙僧は仏門にて修行をおさめた身ぞ? その程度の神通力じんつうりきはのう! ……というのは嘘だが、少し前から予感はあった。これはもうみだな、と」


 壇ノ浦だんのうらでの決戦を経て、源氏は平家を完全に失墜しっついせしめた。

 同じ武家でありながら、貴族化していった平家は滅んだのである。そして、坂東武者ばんどうむしゃたちの棟梁とうりょうたる源氏が、政治の実権を握ったのだ。

 だが、鎌倉殿こと源頼朝ミナモトノヨリトモは、新たな源氏の世で最初に……実の弟を粛清しゅくせいすることから始めたのである。


「若は派手にやりすぎたんだなあ。また、その生き様が苛烈かれつ鮮烈せんれつだった。だからこそ俺はかれたが、強過ぎる光はまぶしいし、時にその輝きは他者をく。しくも、実の兄の警戒心に火を付けてしまったのよ」


 そう言って弁慶は立ち上がる。

 どうやらかわや、お手洗いへと行くようだ。

 あれだけ飲んだにもかかわらず、その足取りはしっかりしたものである。


「源氏の正当なる後継者の血以外、鎌倉殿にはない全てが若にはあった。将のうつわも、もののふの気性も……だが、戦なき世に若のような人間も居場所はあるまいて。狡兎死こうとしして良狗烹りょうくにらる、よのう」


 それだけ言うと、ドスドスと足音を響かせ弁慶は行ってしまった。

 閃治郎は改めて、リシアに先程の言葉の意味を教える。

 狡兎死して良狗烹らる。

 つまり『獲物であるうさぎが狩り尽くされれば、狩りのための猟犬も不要となって煮られてしまう』という意味である。確か、中国大陸の古い言葉だったと記憶している。

 そう、狩りの必要がなくなれば、猟犬も不要になる。

 幕府の番犬として京の都を守った新選組も、最後は賊軍として追われる身だった。兎がいなくなったのではない……主人が兎に取って代わられたのである。


「なるほどぉ、わかりました。では、ベンケイ様もサムライのにお誘いしては」

勿論もちろん、僕もそのつもりです。武士ではありませんが、弁慶殿は勇猛果敢でその名をせた方」

「あとでお話してみましょう。それより」

「それより?」


 気付けば、不思議とリシアの顔が近い。

 隣に座った彼女は、いつになく熱っぽい視線で見上げてくるのだ。

 思わずドキリとしたが、彼女も少し酒を飲んでいるらしい。ほんのりと白い顔に赤みが差して、うるんだ瞳など水晶のようだ。

 だが、彼女はついと閃治郎の後ろを指差す。


「そのぉ、彼女と……マコト様と、よくお話して、くださいっ」

「……へ? あ、ああ、その、なんだ」

「あの時、迷わずセンジロウ様は飛び降りました。マコト様を守るために……その、そういう意味なのかな、って……とにかくっ、先日の件ですっ。ちゃんとお話を!」

「わ、わかった! すまない、そうだった!」


 ちらりと見やれば、ちょうどこちらを見ていた真琴と目が合った。

 不思議と、どちらからともなく視線を外してしまう。

 なんと声をかけていいか、わからない。

 だが、いつぞやの非礼もびねばならないし、先程からリシアが一生懸命身を乗り出してくるのだ。こんな時、我関せずで足利は傍観ぼうかんに徹している。その方が面白いからだ……ここ最近の付き合いで、彼の人となりは随分わかった気がする。

 そうこうしていると、おずおずと真琴はこちらのテーブルへとやってきた。


「あの、さ……セン」

「待て、真琴殿。僕から先に謝るのがすじだろう」

「あ、いや、それは」

「先日は済まなかった。乙女の柔肌を前に、取り乱してしまった! あ、いや、違うぞ? 真琴殿の裸に動揺した訳ではなく……その、トシさんや新選組の結末を、知ってるのではと、思うと」

「あっ、ちょっとそれムカツク! ……けど、うん」


 自分は、先程の弁慶のように達観たっかんしてはいられない。

 今も、仲間たちのことが気にならないと言えば嘘になる。

 だが、それを目の前の少女に強請ねだるのは、よそう。おのれいましめて、固く禁じるべきだと閃治郎は思っていた。

 もし、真実が最悪の結末だった時……閃治郎は耐える自信がない。

 それに、真琴に非がないとわかっていても、彼女を責めてしまいそうだ。


「そ、それよりさ、セン」

「ん、なんだ」

「さっきは、ありがと。わたしのこと、助けてくれたんだよね?」

「当然だ。同じサムライの仲間だからな……僕も、援護には感謝している。だが、危ないことはこれっきりにしてくれよ? 正直、寿命が縮む思いだった」

「う、うん」


 なんか、先程から足利とリシアの視線が生温なまあたたかい。

 ニマニマと二人は、目を細めては酒を飲んでいた。


「あのねっ、セン! ……わたし、本当は……サムライじゃ、ないんだ。その、んと……戦争に、負けたんだけどね。その、平成って世の中で」

「なに、僕だって武家の血筋ではない。元は商家の息子だ。……僕たちサムライは、新たなこの世界で、武士道を貫き民を守る、そういう仲間の集まりでいいんだ」

「そ、そうかな。まあ、詳しくわたしのことを話すと――」


 そこまで真琴が話しかけた、その時だった。

 将門の驚いた声が響き渡る。

 振り返れば、弁慶は既に自慢の薙刀なぎなたを手に身支度を整えていた。


「なんじゃ、つれないのぅ……ワシらとはこないのかや? 衣食住、不自由がない暮らしじゃぞ? それに、これから面白くなる。ワシが面白くするんじゃ」

「かの将門公に言われると、魅力的なんだがねえ。俺はまず、若様を探すとしよう。なに、えにしあらばまた出会うさ。俺と若様も、俺とお前たちともな!」

「そうか……まあよい、なにかあらばワシらを頼れ。ほれ、あそこの金髪碧眼きんぱつへきがんのエルフがおるじゃろ。やたら薄着の天女みたいな娘じゃ。あの娘、リシアがワシらの座をつかさど巫女みこぞ。なにかと力になってくれよう」


 弁慶は大きく頷くと、こちらに向けて頭を下げた。

 閃治郎もまた立ち上がると、礼を返して大きな背中を見送る。

 弁慶とは、また出会える予感があった。

 だが、以前から将門の言動が気になる……一人で酒を飲み直し始めた彼は、いつになく野心にギラついた瞳を輝かせているのだった。

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