第10話「閃治郎、迷イヲ今ハ封ジテ再起ス」

 閃治郎センジロウは、夢を見ていた。

 ああ、あの時と同じだ……会津あいずにて、仙台へ旅立つ土方歳三ヒジカタトシゾウを援護すべく、単身で官軍へと斬り込んだ。適当に暴れて逃げろと言われたが、徹底的にやった。

 結果、瀕死の重傷を負い……このヴァルハランドへと新たな生を受けた。

 その刹那せつな、閃治郎は尊敬する鬼の副長と再会したのを思い出した。


(でも、なんだ……? ここは、僕は……む、あれは!)


 ぼんやりと、闇に星が浮かび上がる。

 京のみやこでよく陰陽師おんみょうじたちが使っている、五芒星ごぼうせいだ。

 闇夜の中で光って、燃えている。

 まるで、死体から浮かぶりんに火が灯っているようだ。

 そして、その揺らいでいる明かりが、戦いの光だと気付く。


(これは……そういえば確か、蝦夷地えぞちに西洋造りの城塞を建設したという話が)


 その城の名は確か、五稜郭ごりょうかく

 忠義と狂気の果てに夢見た夢が、夢のままで燃え尽きる場所だ。

 自然とそれが、閃治郎には理解できた。

 頭ではなく、心で感じてしまったのだ。

 そして、彼のたましいは燃え盛る五稜郭を飛び越え……風が吹き荒ぶ荒野へと舞い降りた。

 彼の目の前に、洋装の軍服を着たサムライがいた。


(……トシさん。トシさんっ! 僕です、閃治郎です! そうか……トシさんは蝦夷まで)


 だが、馬に乗った歳三は、わずかな手勢と共に閃治郎をすり抜けた。

 あたかも、この場に閃治郎などいないかのように、去っていった。

 その背を追いかけようにも、脚が動かない。

 だが、閃治郎は見た。

 去ってゆく背中には、黒い外套コートの上にはっきりと『まこと』の文字があった。歳三の手書きで、達者たっしゃな文字が揺れていた。

 闇に包まれた幻影の中で、その一文字だけが赤く輝いている。

 血の色、誓いの色、そして決意の色だ。


(トシさん、出陣するんだ……なら、勝つっ! トシさんは、新選組は負けないっ! トシさん、僕も――)


 見送る者たちは、古くからの新選組隊士だ。

 顔見知りばかりだった。

 皆、羽織はおりほつれてくたびれ、満身創痍まんしんそういだった。

 だが、前を向いていた。

 彼等の心にはまだ、誠の旗が棚引たなびいているのだ。


(トシさん、僕も連れて行ってくださいよ! 僕は……「僕だって新選組だ!) トシさん……嗚呼ああ、待ってくれ――ハッ!?」


 不意に目が覚めた。

 ひどくリアルな夢を見ていたようだ。

 そして、何度もまばたきを繰り返す閃治郎を、うるんだ瞳が見下ろしていた。


「センジロウ様、気が付かれましたか? あの、ごめんなさい……お風呂、で」

「あ、ああ……あなたか、リシア殿」


 気付けば、閃治郎はリシアに膝枕ひざまくらをされていた。

 場所は塔の屋上で、ここは庭園になっている。長椅子ベンチに寝かされた閃治郎は、浴衣ゆかたを着せられリシアに付き添われていたのだ。

 ぼんやりとした視界が徐々に、鮮明になってゆく。

 リシアは部屋着も酷く薄着で、闇夜に白妙しろたえの肌が透き通るようだ。

 心地よい夜風の中で、閃治郎はゆっくりと上体を起こす。


「め、面倒をかけた、すまない。それと……決して、のぞいていた訳ではないのだ。その」


 思わず早口になってしまったが、きょとんとしたリシアが吹き出す。

 笑顔の彼女は、とてもまぶしい。

 ヴァルハランドの夜は冷えるが、不思議とこの庭園は温かな空気で常春とこはるのよう。魔法の力なのだろうが、閃治郎にはそれがリシアの人柄ゆえだと思えた。


「ふふ、大丈夫ですよ、センジロウ様。全て、マサカド様が教えてくださいました」

「あ……いや、そうなんだ! 酷いことをするな、将門マサカド殿は」

「でも……ドキドキしました。それとっ、センジロウ様っ!」


 不意に、グイとリシアが身を乗り出してきた。

 間近に整った顔立ちがあって、吐息を肌で感じる距離だった。

 思わず仰け反る閃治郎へと、リシアは人差し指を立てて語気を強める。


「マコト様に、謝っておいてくださいね? 女の子は、とても繊細なんです」

「あ、ああ……わかった。すぐにでも、いや……あ、明日にでも」

「なるべく早い内に、ですっ。少し、マコト様も気にされてましたから」

「いや、すまない! 本当に面目めんぼくない!」


 先程、思わず閃治郎は真琴に詰め寄ってしまった。

 彼女が、同じ日本人ながら『未来の日本』から来たと知ったからだ。その未来は、明治政府と名乗る薩長さっちょうの者たちによって築かれた国家だろうか?

 それより、知りたかった……仲間の、副長の安否を。

 だが、先程の夢を見て確信した。

 否、信じ続けた気持ちを取り戻した。

 戦えば、勝つ……それが土方歳三が率いる新選組なのだ。

 閃治郎が神妙しんみょうに顔を引き締めると、リシアはすぐに笑顔になる。


「でも、よかった……マコト様はグーで殴るんですもの。びっくりしちゃいました。でも……ああいう気の強い女性の方が、その……殿方とのがたの好み、なのでしょうか」


 ほおを赤らめ、リシアが死線を外した。

 その横顔が、えもいわれぬ美しさで風に吹かれている。サラサラと金髪が揺れて、長くとがった耳も先まで真っ赤になっていた。

 妖魔や悪霊のたぐいならば、閃治郎は何度も見てきた。

 時折、ぞっとする美しさにまどわされそうになったこともある。

 そうした妖しげな魅力にも思えて、そうしたおぞましさとは無縁な温かさをも感じる。本当にリシアは、不思議な少女だった。

 そうこうしていると、階段を誰かが登ってくる音が聴こえた。


「やあ、センちゃん。目が覚めたかい? 若い君のことだから、リシアちゃんとなにかあったかな?」


 食器の並んだおぼんを手に、足利アシカガがやってきた。

 いつもの狩衣かりぎぬ姿ではなく、恐らく寝間着ねまきだろう……正直に言って、悪趣味だと閃治郎は思ったが、口には出さなかった。いわゆる洋装、シャツとパンツのスタイルなのだが……何故なぜなのだろう。服装にうるさい鬼の副長が見たら、卒倒そっとうしそうないでたちだった。

 だが、彼は気にした様子が全くない。


「なっ……足利殿! なにもありません、してなど決して!」

「なーんだ、そうなの? ふーん、ガッカリだよねえ。なにかありなさいよ、しなさいよ。若いのにしょうがない子だ、ははは」


 どうやら足利は、夕食を運んできてくれたらしい。

 大きな深皿には、具沢山ぐだくさん汁物しるものが盛られている。確か、シチューとかいう煮込み料理だ。自然と食欲が励起れいきして、申し合わせたように閃治郎の腹が鳴る。


「ささ、食べなさいよ。少年、サムライは身体が資本だからねえ。リシアちゃんはお茶ね、はいこれ。私は……ふふ、寝酒に少しこれを」


 リシアにも湯呑ゆのみのような器を渡し、足利は庭園を縁取る鉄柵にもたれかかった。そのまましどけなく、びんから直接麦酒ビールを飲み出す。

 とても、室町幕府むろまちばくふの頂点に君臨した征夷大将軍せいいたいしょうぐんとは思えない。

 そのことを思えば、すぐに閃治郎は先程のことに繋げて考えてしまった。


「……足利殿」

「ほいほい。あ、口に合わない? まーくんが聞いたらへこんじゃうからね、秘密にね、そこんとこよろしく」

「いえ、美味おいしいのですが……その、込み入ったことをお聞きしてよろしいでしょうか」

「オッケーだよん?」


 ノリが軽い。

 どこか飄々ひょうひょうとして、全く気負いがないのが足利という男だった。

 それでも、聞く側の閃治郎にとっては死活問題だ。


「マコト殿は、未来の日ノ本ひのもとから来たと聞きました。ご存知でしたでしょうか」

「モチのロン、さ! ……まあ、最初は驚いたがね」

「僕も、足利殿から見れば未来の人間にあたります……その、自分や室町幕府の行くすえを、知りたいとは思わないでしょうか?」

「んー、まあ……普通は知りたいと思うんだよねえ、それって」


 グビリ、と麦酒を飲んで、足利は天を仰いだ。

 満天の星空が、ゆるゆるなのにどこか憎めない美丈夫イケメンを照らす。


「私、記憶喪失なんだよねえ。アシカガのナニガシなんだろうけど、それがわからない」

「それは……ッ! し、失礼を!」

「いいよいいよー、そういうのさあ、なしにしよーよ。ねえ? でね、センちゃん。私もヴァルハランドに来た時は、結構あれこれ調べたんだよねえ。マコトちゃんも、銀閣寺とか金閣寺とか、色々教えてくれたし……でも、なにも思い出せなかったヨ」


 足利の表情は、どこか寂しそうにも見える。

 それなのに、形ばかりは笑顔の仮面を被っていた。


「ねえ、センちゃん。私たちが死んだあとのこと、気になるかい?」

「ええ、とても。大事な仲間が……大切な人が、今も戦っているんです」

「あ、コレ? ひょっとしてコレ系?」


 足利が小指を立てるが、閃治郎は彼が意図いとするところがわからんず、首をかしげる。真顔になった閃治郎を見て、足利は残念な人間を見る目になった。

 一方で、何故かリシアがパッと笑顔でガッツポーズをしている。

 せぬ……だが、足利の言葉は優しかった。


「センちゃん、いいこと教えてあげようか……昔の偉い人は言ったさ。『想う人あらば、何食わぬ顔で普通に暮らせ。それこそが最大の敬意なり』ってね」

「……して、その心は」

「いやいや、トンチじゃないから。君が誰か、遠く離れて手の届かない者を想うなら……その人のために、今という現実を普通に、至極しごく真っ当に暮らしなさいよ、という話。君がこの異世界で落ち着かずに、助けられぬその人ばかり心配してたら……その人自身が辛いとは思わないかい?」

「なんと! た、確かに……して、誰の言葉でしょうか、足利殿」

「フッフッフ……! ……あ、あれ? ここ、笑うとこだけど」


 呆然ぼうぜんとしてしまったが、閃治郎は納得できた気がする。確かに、あの歳三が今の閃治郎を見れば「うだうだうるせえ、シャキッとしろや!」と怒鳴どなるだろう。

 遠く離れた人を想うからこそ、普通に今を生きる……素晴らしい言葉だと素直に思った。

 そして、何故かリシアはその間ずっと、お腹を抑えてコロコロと愛らしい笑い声を響かせている。どうやらリシアは、笑いの沸点が物凄く低いらしかった。

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