第9話「閃治郎、男ト女トヲ知ッテシマウ」

 一日の終り、閃治郎センジロウ風呂ふろへと向かっていた。

 死せる勇者としてヴァルハランドに招かれたエインヘリアルは、基本的に職業ごとに集団生活を営んでいるらしい。サムライはまだ四人で、用意されたとうはまだまだ空き部屋ばかりである。

 だが、広々とした展望風呂があるので、密かに閃治郎は気に入っていた。

 和風な作りの屋内で、階段を何度も折り返して風呂場へと向かう。

 男と女の暖簾のれんがあるが、今入り口にかかっているものは男湯のものだ。


「ふう……しかし、銃とは恐ろしい武器だ。トシさんが熱心に研究していたのも、うなずける。……もはや剣の時代は終わるのだろうか」


 思えばいつからか、敬愛する土方歳三ヒジカタトシゾウの戦い方は変わっていった。京の都を震撼させた剣技は、より鋭さを増す中で……銃と一緒に使われ始めたのだ。

 転戦に次ぐ転戦で、歳三は剣と銃とを同時に使うすべを体得したのだ。

 しかし、他ならぬ彼自身が、銃によって足を負傷している。

 確実にあの時代は、合戦の形や姿が変わろうとしていた。


「トシさん……無事でいてくれ。僕もこの世界で生きて、生き抜く」


 ――戦う場所は違えど、同じまことはたの元に。

 そう誓って、閃治郎は暖簾をくぐる。

 脱衣場では、すぐに一人の背中が目に飛び込んできた。

 異様に白い肌、長い長い黒髪……ほっそりとせた長身の、見目麗しい女性が振り返る。

 それは、全裸の将門マサカドだった。


「おう、センかや? 一番風呂はワシがいただいた! うはははは!」

「なっ、ななな……」

「ん? どうしたんじゃ、セン。おぬし、ちとおかしいぞ?」

「まっ、ま……近付かないで! なにか着てください! 将門殿!」

「ちと待て、汗が引くまでこうして、ほれ。火照ほてる身体をましておるんじゃ」

「どうしてあなたがここに……男湯の時間ですよ!」


 どうどうと将門は、均整の取れた肉体をさらしている。

 そして、閃治郎の言葉に目を丸くして、次の瞬間には笑い声を響かせた。


「カカカッ! なにを言うとるんじゃ、よく見よ! 

「……へ?」

「お主もワシをおなごと思うたか。まあ、よく間違われるし、ワシもおなごの格好をするのは好きじゃがな。ほれ、この国の洋服とかいうのも、随分とかあいらしいからの!」


 よく見よと言われても、目を凝らすまでもなく裸がそこに立っている。

 そして、確かに閃治郎と同じ男だった。

 妖艶ようえんな美しさの正体が、なんとなくわかった気がする。女性よりも女性らしく、整い過ぎた目鼻立ち。ふくよかさが全く感じられなかったのは、筋肉だけでかたどられた痩身そうしんを鍛えあげていたから。

 性別を超越した美の結晶が、目の前にあった。

 だが、将門は気にした様子もなく、手ぬぐいを首にかけて堂々の仁王立におうだちだ。


「わ、わかりました、から……とにかく、その、ですね」

「セン、お主……なんじゃ、よく見るとお主もかわいい顔をしておるな」

「やっ、やめてください! その、そっちの趣味は僕には」

「うん? まあ、なんだ……お主には、忠義者ちゅうぎものが持つ特有の、なんじゃ? 優しさ、のようなものが人相にんそうに出ておる。いぬじゃと言うやからもおるが、ワシは好みじゃのう」


 ゾクリとする。

 同じ男性から浴びる言葉とは思えない。

 そして、不快ではなく、むしろ甘やかな予感が胸の奥に広がった。

 だが、将門の言葉はどこか物悲しげに湿り気を帯びてゆく。


「ワシにはついぞ、えんのないものだったわ。お主のようなもののふが、一人でも腹心にいれば……まあよい。国盗くにとりの続きはこの地でじゃ! 期待しておるぞ、セン!」


 股間を手ぬぐいでスパン! スパン! とはたいて、将門はようやく服を着始めた。その背中はやはり、あまりに華奢きゃしゃで頼りない。

 関東一円をまとめあげた、最強のもののふ……平将門の後ろ姿は寂しいものだった。

 将門が出てゆくと、ようやく閃治郎は安堵の溜息をこぼす。

 胸の鼓動は早鐘はやがねのようで、男の裸を見て高鳴ってるかと思えば、複雑な気分だ。


「ま、まあ、いい。将門殿が男でも女でも、僕にとっては大切な仲間……だと、思う」


 竹で編まれたかごの中へと、大事な羽織はおりたたんで置く。

 シャツとはかまも脱いで、生まれたままの姿で閃治郎は風呂場へと入った。

 広がる絶景は今、夕焼けに燃えている。

 斜陽しゃようの光が、王都ヴォータンハイムを茜色カーマインに染めていた。

 この風呂場は、奥の壁がすべて硝子ガラスでできている。閃治郎の時代の建築技術を思い出せば、途方もなく高い文明水準だ。それも全て、魔法と呼ばれる力の産物らしい。


「この国には、魔法がある。にもかかわらず、死者の手を借りてまで挑まねば勝てぬ戦い……それが、神々の黄昏ラグナロク、か」


 閃治郎は洗い場で椅子に腰掛け、目の前の鉄管パイプにある蛇口じゃぐちをひねる。驚くべきことに、水道と呼ばれるものが国中に普及しているのだ。いつでも熱い湯が出るし、安全な飲み水も簡単に手に入る。

 これもまた、魔法文明の産物だとリシアから聞かされていた。

 湯船に入る前に身体を洗い、ふと脇腹わきばらに手を当てる。


「傷がもう、ほとんど跡さえない。リシア殿の魔法がなければ、僕は本当に死んでいたのだな。昼間の腕の傷も、完治しているし」


 大小様々な刀傷かたなきずが、閃治郎の肉体にはきざまれている。

 死闘と呼べる戦いの数々を勝ち抜いてきた、忘れ得ぬ痛みの産物である。だが、この世界では魔法があるので、傷跡は残らない。それは確かに便利だし、致命傷も魔法次第では助かる。だが、奇妙な寂しさがあるのもまた、事実だった。

 死を恐れるからこそ、死線をくぐる力が試される。

 容易に治るからとたかをくくれば、剣の腕がにぶってしまいそうだ。


「明日より、一層引き締めてかからねば。……ま、まあ、また物売りや大道芸のような仕事かもしれんがな。だが、言い換えればそれだけ平和ということ……悪くはない」


 岩風呂になっている湯船へと進んで、足をひたす。

 浴室は広々としており、一度に二十人程の入浴ができそうだ。それを今、閃治郎は独り占めしているのだ。とても贅沢だし、湯加減もちょうどいい。

 絶景のパノラマをみやりながら、肩まで湯に沈めば思わず溜息が出た。

 仕事での疲労が、湯水に溶けてゆく。

 至福の時を満喫し、閃治郎は手ぬぐいを頭に載せて岩に寄りかかった。


「極楽……ふう。会津あいずでの温泉宿を思い出すな」


 だが、安息のひとときは長くは続かなかった。

 不意に、脱衣所のほうが賑やかになる。

 その声に聞き覚えがあって、慌てて閃治郎は立ち上がった。

 くぐもって聴こえるが、それは真琴マコトとリシアの声だった。


「いやー、ホントびっくりしたもん。まーくんが助けてくれなかった危なかったかも」

「ガンナーの巫女みことは、少し顔見知りなんですが……あちらも苦労してるみたいです」

「ヴァルハランドはまだ、弓の方がメジャーだもんね。そういえば、まーくんの弓の腕は凄かった。んとね、かくかくしかじかで――」

「まあ、昼間にそんなことが。夕方確認したんですが、弓のスキルがいくつか習得可能になっていました。マサカド様のおかげですね」


 何故なぜだ。

 どうして?

 いや、それよりも逃げ場がない。

 あわてて湯船から出ようとしたが、このままでは鉢合はちあわせである。

 やむを得ず閃治郎は、一番奥の岩陰に身をひそめた。気配を殺して、周囲の景色に同化する。もとより隠密行動を求められるのが、新選組零番隊しんせんぐみゼロばんたいだ。この手の技は熟知しているが、先程から動悸どうきがやまない。

 そうこうしていると、ガラガラと戸が開かれた。

 池田屋でも寺田屋でも、閃治郎はこんな緊張を強いられはしなかっただろうと思う。


「いやー! いつ見ても絶景! リシア、こんな物件がタダって凄いよね」

「全て、勇者庁ゆうしゃちょうの方で……それより、よかったんでしょうか」

「ん? ああ、まーくんが腕を振るうってんだから、お言葉に甘えようよ」

「エインヘリアルであるマサカド様に、夕餉ゆうげ支度したくをお願いするなんて」


 話は読めた。

 将門の仕業しわざと見て、間違いがない。

 どうやら、なにかしらの意図いとがあって、男と女の暖簾を入れ替えたのだ。

 つまり、真琴とリシアは女湯の時間だと思って来てしまったのである。


「……まずい。まずいぞ。機を見て脱出せねば、のぼせてしまう。だが」


 ちらりと岩陰から、二人の様子を伺う。

 白くぼやけた視界の中、湯けむりに美しい乙女たちの裸があった。

 先程の将門よりも、ドキドキする……そのことに内心、ホッとする。うら若き娘の方が、健全さがあるような気がしたからだ。

 リシアは肉付きがよく、胸などは豊かにみのってこぼれそうである。

 起伏のつつましい真琴も、将来性を思えば決して悪くない。

 気付けば閃治郎は、見惚みとれている自分に気付いて焦った。


「僕はなにを……破廉恥はれんちな! だが」


 二人は互いに並んで座り、身体の汗を流し始めた。

 その声が、ぼんやりと響いてくる。


「でも、やっぱセンは凄いね。新選組かあ……」

「どうかされましたか? マコト様、うかない顔を」

「ん、いや、あのね……わたし、平成って時代から来たんだけどさ。平成は、明治、大正、昭和の次の元号ね。だからほら……知ってるんだ」

「あ……新選組というのは確か、センジロウ様の」

「うん。大きな戦争があってね、明治になる時に。その時、新選組は」


 閃治郎は耳を疑った。

 どこのはんの人間かと思ったが、真琴は未来の日本……平成という耳慣れない時代から来たらしい。足利アシカガや将門といった、過去の名将たちがいるのだから、当然未来の人間がいてもおかしくない。

 それを知ったからには、閃治郎は黙ってはいられなかった。


「教えてくれ! マコト殿!」


 ザバザバと湯をかき分け、裸なのも忘れて閃治郎は湯船を出た。

 振り向いた二人が、息を飲む気配が伝わってくる。

 真琴が立ち上がって、背後にリシアを隠すように手を広げた。その小さな肩に両手を置いて、閃治郎は迫る。もう、いてもたってもいられないとはこのことだ。


「教えてくれ……新選組は、トシさんは! 僕の仲間たちは、どうなったんだ!」

「あ、あわわ……え、あ、お、なんで……なんで、センが」

「知っているんだろう、マコト殿! 僕がこっちの世界に来たあと、トシさんは――」


 瞬間、あられもない声が響いた。

 リシアの悲鳴に閃治郎は我に返る。

 だが、はたと気付いた時には……真琴は握った拳を振り上げた。


「センのぉぉぉぉ、ぶぁかあああああっ!」


 強烈な鉄拳が顔面にめり込んだ。

 閃治郎はそのまま風呂桶ふろおけの山に倒れて、後頭部を強打し意識を失ってしまうのだった。

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