第5話「閃治郎、異界ノ魔物ト刃ヲ交エル」

 ――異世界ヴァルハランド。

 異教の神々が、来るべき災厄さいやくに備えておこした国だ。ここには、現世で戦死した勇者が招かれる。来るべき最終戦争、神々の黄昏ラグナロクを戦い抜くための戦力として。

 閃治郎センジロウもその一人なのだが、今持って驚きを禁じ得ない。

 死後の国であることを差し引いても、彼にとっては初めての異国の地だった。


「なるほど……戦乙女いくさおとめに招かれた戦士は、定められた職業ごとに集って暮らすのか」


 街道を歩く閃治郎は、腕組み何度もうなずいた。

 同行してくれてる、真琴マコトとリシアが大まかにここでの生き方を教えてくれたのだ。そう、死んでなおも剣士として求められ、再び閃治郎はここに生を受けたのだから。

 見慣れぬ木々が左右に並ぶ中、先程までいた王都おうとヴォータンハイムははるか後方だ。

 徒歩での移動でも、二人の少女はなかなかの健脚けんきゃくを見せてくれる。


「つまりね、セン! 今の所はヴァルハランドには、ウォーリアーやナイト、ウィザードやクレリックといった職業があって」

「マコト様、言葉が……センジロウ様には、馴染なじみのある故国の言葉の方がいいですよぉ」

「あ、そっか! つまり、戦士や騎士、魔導師に僧侶そうりょ! ゲームでお馴染なじみの……って、わかんないか」

「ふふ、マコト様は色々なことを知ってるのですね」


 閃治郎の左右で、真琴とリシアが笑う。

 つまり、招かれた勇者はその技量や能力によって、定められた職業に割り振られるらしい。そして、それぞれの職業には、座を守る巫女みこが存在する。

 巫女は、座に属する勇者たちの戦いを記憶し、加護を与えて祝福する。

 巫女の力で、勇者たちは互いの技を共有したり、さらなる力を開花させるのだ。

 新たな職業として設けられた、サムライ……その座を守護する巫女が、リシアである。


「大まかな話はわかった。つまり、この国に新たにサムライという生き方ができたということか。そして、それを根付かせ次なる者たちへと受け継いでゆく……それがリシア殿の使命」

「はい。すでにセンジロウ様で四名の勇者がこの地に招かれております」

「一人は足利アシカガ殿……他に二人か」


 ドスン! と突然、横から肘打ひじうちを食らった。

 見下ろせば、真琴がほおを膨らませている。


「わたしもサムライなのっ! ……そ、そりゃ、あんまし強くないけど」

「あ、ああ、すまない。そうだったのか……僕はてっきり、水兵すいへいかと」

「ああ、このセーラー服? これね、学校の制服なの。新選組でいう、その段だら模様の羽織はおりと一緒だよ?」

「ふむ、しかし何故なぜ……以前ちらりと見たが、西洋の水兵セーラー服だぞ」

「わたしは嫌いじゃないけどな? 結構需要、あるし。世のおじさんたちは、みーんなこの服が好きなの! ヴァルハランドでだって、そういう感じだけど」


 なんだか、さっぱりわからない。

 だが、閃治郎は生まれも育ちも京のみやこだ。他には大阪しか知らないし、一度だけ訪れた長崎には半日程しか滞在したことがない。見るもの全てに圧倒されたが、新選組零番隊しんせんぐみゼロばんたいとしての任務が最優先だったのだ。

 日ノ本ひのもとは広いと、閃治郎は感心してしまった。

 どこのはんかは知らないが、真琴は西洋文化が多く流入している土地の者だと思ったのである。そう、彼女は過去の人間ではないと思ったのだ。

 その真琴だが、相変わらずあの妙な刀を背に背負っている。

 一度触らせてもらったが、ふかふかの奇妙な素材でできた、ただのぼうきれだった。


「で、リシア。今日はどんなお仕事? 先にあっちゃんたちが行ってるんだよね」

「あ、はい。近くの村の害獣退治です。センジロウ様には、少し申し訳ないんですが……えっと、勇者様の中には、名誉や誇りをたっとぶ方もいて……そのぉ」


 リシアは相変わらず、羽衣はごろものような薄布をひらひらさせて歩く。

 彼女が不安げにうつむくので、閃治郎は構わないと伝えた。

 元より閃治郎の零番隊は、魑魅魍魎ちみもうりょうたぐいを処理する少数精鋭である。しかし『幽霊の正体見たり枯れ尾花おばな』ということも少なくなかった。もののけの正体が、ただの野生のくまいのししだったこともある。

 このヴァルハランドでは新参者しんざんものでもあるし、気にしてもいられない。

 まだまだ仲間や副長のことが気がかりだったが、自分が死んだと言われれば今は忘れるしかなかった。


「僕は汚れ仕事の始末屋だから、気にしなくていい。民を守ることこそが、武士の本懐ほんかい

「だってさ、リシア。ふふ、センってさ……結構いい奴?」

「当然のことだ。僕たちはサムライだからな」


 リシアも、閃治郎の言葉にようやく笑顔を見せてくれた。

 だが、和気あいあいとした郊外の散策が、突然中断させられる。

 女の悲鳴が響いて、即座に閃治郎は地を蹴った。

 一瞬で全身の神経が、緊張感を張り巡らせた。

 常に心は常在戦場じょうざいせんじょう……鍛え抜かれた心身は、あらゆる状況で少年を剣士へと変える。閃治郎はあっという間に、背後に真琴とリシアを置き去りにした。

 やがて、左右の森が開ける。

 ひっくり返った荷馬車が目に入るや、閃治郎はさらに加速した。


「むっ、あれが害獣……なんと、初めて見るもののけだな!」


 腰の愛刀へと手をえる。

 白木しらきさやを握れば、必殺の刃がリンと鳴った。

 荷馬車から放り出された老夫婦の前に、見るも巨大な獣がすさんでいた。

 真っ赤な体毛が文字通り、炎をまとって燃えている。

 すかさず閃治郎は間に割って入り、背に老人たちをかばった。


乾閃治郎イヌイセンジロウ推参すいさんっ! ここは僕に任せて逃げられよ! ……いざっ!」


 草履履ぞうりばきの両足が、ズシャリと大地をつかむように踏み締める。

 わずかに腰を落として、必殺の抜刀術を引き絞った。

 害獣は、見た目はおおかみのようだ。だが、紅蓮ぐれんに燃え盛る姿は、牛馬ぎゅうばよりも何倍も大きい。京に巣食う邪気を、閃治郎はことごとく斬り伏せてきた。だが、今まで見たどんなバケモノよりも、好戦的な殺気を放っている。


「まずは小手調べだ……こいつが避けられるかっ!」


 ヒュン、と風が歌った。

 閃治郎の右手が、高速で剣を抜き放つ。

 抜き放たれた白刃はくじんは、狙い違わず猛獣をとらえる。

 だが、閃治郎は利き手に鈍い感触を感じて、剣を鞘へと戻す。

 ここまでわずか一瞬、まばたきを挟む余地もない早業はやわざだ。


「……硬いな。この手応え、生き物とは思えない。まるで鎧武者よろいむしゃじゃないか」


 初手から全力の居合いあいをお見舞いした訳ではない。

 だが、並の魔物ならば一刀両断いっとうりょうだんという鋭さを込めたつもりだ。

 目の前の炎獣は、生まれ持った天然の装甲でそれを弾いたのだ。

 追いついてきた真琴とリシアが、背後で老夫婦を保護してくれている。後顧こうこうれいは断たれたが、さてどうするかと閃治郎は身構え直した。

 手がない訳でもないが、あまりにも相手を知らなすぎる。

 しばし眼光のみで敵を抑えていると、りんとした声が響いた。


「センジロウ様っ! あの魔物はガルム……見た目通り、強力な炎を操ります! 今、私が……センジロウ様に、サムライの座の加護を!」


 ガルムを牽制しつつ、ちらりと肩越しに閃治郎は振り向いた。

 両手を広げるリシアが、豊かな胸の実りを揺らして天を仰ぐ。ぼんやりと光る彼女から、透き通るような歌声が響き出した。とても優雅な、聴いたこともない調べだ。

 リシアの歌は、閃治郎にはわからない言葉を連ねて周囲にたゆたう。


「これは……力が、みなぎるっ!」


 腹の底から、不思議と力が湧き上がってきた。

 張り詰めた精神が、不思議とやわらぐ。無駄な力が抜けてゆく中で、自然と思考が研ぎ澄まされる感覚……これが巫女の加護なのかと、閃治郎は驚く他ない。

 だが、今までの常識を凌駕りょうがする敵を前にしての、先程までの逡巡しゅんじゅんは消えた。

 既にもう、迷いも躊躇とまどいもない……ここは奥義おうぎを持って一刀の元に斬り捨てる、すぐに自分の決断が信じられた。


「ならば、ガルムとやら……その炎、我が奥義を持って調伏ちょうぶくする!」


 居合に構えて身を沈め、精神力を集中する閃治郎。

 すると、飾り気のない鞘に無数のあおい文字が浮き上がった。

 百鬼夜行ひゃっきやこうを斬り倒すため、閃治郎が体得たいとくした秘剣……その力は、このヴァルハランドに流れ着いた今も健在だった。


えろっ! 青龍烈破断せいりゅうれっぱだんっ!」


 抜き放たれた剣閃けんせんの間合いから、ガルムは瞬時に飛び退いた。野生の勘とでも言うべき、本能的な動きだ。閃治郎の放つ闘気を感じ取って、命の危機を察したのだ。

 だが、それは遅かった。

 閃治郎の切っ先は、その射程から逃れたガルムを追って膨れ上がる。

 四神青龍の姿をかたどる、水の刃が鋭く伸びたのだ。

 ガルムはそのまま、着地した衝撃で真っ二つになった。

 閃治郎はくるくると剣を回して、何事もなかったように鞘へと戻す。


「これにて、りょう……リシア殿、ご加勢かせいかたじけない」

「い、いえ……それより、今のは」

「これぞ、天然理心流てんねんりしんりゅう零式ゼロしき。人ならぬ魔を斬る、人を超えた剣」


 振り向けば、真琴が老夫婦に寄り添っている。どうやら怪我はないようだ。それでようやく、閃治郎も張り詰めた緊迫感をほどいた。

 いつだって、彼の剣は民のために振るわれてきた。

 それが、それこそがサムライだと信じて戦ってきたのだ。

 なにより、リシアの笑顔がなによりもねぎらいとなった。

 だが、不意に白けたような拍手が鳴り響く。


「やるもんだのう! 見たかや、足利! 見事なもんじゃ」

「この地に来たばかりで、すぐにガルムを倒してしまう。うーん、やはりなかなかの使い手のようですね」

「うんうん、至極結構! しからば始めるかのう。サムライの国造くにづくり……いなっ、国盗くにとりをのう!」


 閃治郎は、見た。

 気付けば、いまだくすぶるガルムの近くに人影が二つ。その気配は、閃治郎には全く感じ取ることができなかった。そんな馬鹿なと、軽い衝撃に驚く。ねずみ一匹とて存在を感知する、鍛えられた鋭敏な感覚でも捉えられなかったのだ。

 突然その場に現れたのは、足利ともう一人。

 大鎧おおよろいに身を包んだ、見るも流麗りゅうれいな美女が不敵ふてきに笑っているのだった。

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