第4話「閃治郎、新タナ地ニテ武士道ヲ誓ウ」

 ――異世界ヴァルハランド。

 閃治郎センジロウにとっては、見るもの全てが驚きに満ちていた。

 広がる青空を渡る風は、少し肌寒い。しかし、不思議と行き交う者たちの衣服は多種多様だ。酷く薄着な女もいれば、戦装束いくさしょうぞく鎧姿よろいすがたで歩く者もいる。

 時折、西洋を思わせる紳士や少年少女が通り過ぎた。

 だが、そんな見知った雰囲気も、周囲の雑多な町並みに吸い込まれてゆく。


「ここは……これが、ヴァルハランド? 異国、なのか?」


 不安が込み上げるほどに、なにもかもが新しくて、未知なる景色だ。

 同時に、不思議と眠っていた好奇心や探究心が胸中に芽を出す。

 人を斬りながら、魔をち邪をめっしてきた。

 ただそれだけの暴力装置として、京の町を闇から闇へ、影の中を生きてきたのだ。

 今、閃治郎は、自分が年相応にひとみを輝かせていることにすら気付かなかった。

 隣の真琴マコトが、ガッシ! と腕に抱き着いてくる。


「異国じゃないよ、セン!」

「お、おいっ! ひっつかないでくれ! 近い! はしたない!」

「異国じゃなくて、異世界! ヴァルハランド! えっとー」

「先程リシア殿からも聞いた。ええい、離れるんだ!」

「まーまー、いいからいいから」


 真琴は笑顔を咲かせて、グイグイと閃治郎を引っ張って歩く。

 その先には、リシアが肩越しに振り向いていた。

 彼女もクスリと柔らかな笑みを残して、先へと進む。

 やがて、三人の前に巨大な建造物が現れた。

 荘厳そうごんな石造りに、自然と閃治郎は身を正す。京の町にも、仏閣ぶっかくや神社、ほこらなどは無数にある。そうした場所が持つ、神聖な空気がここには満ちていた。

 出入りする者たちも皆、静かな緊張感をたたえている。


「ここは?」

「センジロウ様、マコト様も。ここが、ヴァルハランドに招かれたを統括する、勇者庁ゆうしゃちょうです」

「センで構わない、そう読んでくれ。様もできれば……それより、エインヘリアル?」


 振り向くリシアに代わって、隣の真琴が教えてくれた。

 聴き慣れぬ単語だが、勇者庁というのは気になる。勇者……確か、先程目覚めた部屋でも、センが説明してくれた。

 ここは涅槃ねはん、死した勇者の国……異世界ヴァルハランドだと。

 一度別れた足利アシカガも、閃治郎と同様に死して招かれた勇者という訳だ。


「エインヘリアルっていうのは、きたるべき戦い……神々の黄昏ラグナロクに備えて集められた、神々の軍勢に参戦する勇者のたましい。だったよね、リシア!」

「ええ、マコト様の言う通りですぅ……そ、それで、ですね。今日はその、登録を」

「うんうん。それじゃ、張り切って行こうっ!」


 馴れ馴れしいとさえ思えるほどに、真琴は大胆に密着してくる。

 気後れしながらも、閃治郎は二人の少女と共に勇者庁へと進んだ。

 天井の高い建造物は、それ自体が神殿のようだ。多くの者たちが行き来し、あちこちでなにかの手続きが行われている。人が集中しているのは、奥に並んだ番台のような場所である。

 商家しょうけで言えば番頭に当たるであろう、女官が何人かで対応に追われている。

 その混雑にリシアが向かおうとした時、不意に黄色い声が弾んで響いた。


「あっ、リシアちゃーんっ! リシアちゃん、リシアちゃんっ!」


 振り向けば、ブンブンと手をふる童女どうじょが笑顔を咲かせていた。

 幼い女児だと閃治郎が思ったのは、あどけない表情と言動……だが、その少女は鎧を着込んで、羽飾はねかざりのついたかぶとを被っている。そして、駆けてくる姿はすぐにリシアに抱き着いた。

 すらりと長身で、その上にむちぷりと発育のいい少女だった。

 だが、どうにも幼い印象が払拭ふっしょくできない。


「あっ、エルグリーズ様。今ちょうど、登録の申請をと思いまして」

「うんっ! うんうん! じゃあ、いよいよなんですねっ」

「はい。私も決心がつきました……今こそ、十二支族ゾディアック・クランの血に連なる者として、義務を――」

「うーん、リシアちゃん偉いっ! エルは応援してるです! ギューってしちゃう!」


 エルグリーズと呼ばれた少女は、リシアを抱き締めぐるぐるとその場で回った。本当に、見た目を裏切る無邪気さである。

 だが、彼女はようやくリシアを解放して、閃治郎と真琴にも気付いてくれた。

 特に、閃治郎を見て「おおー!」と目を丸くした。

 より一層、キラキラとエルグリーズの笑顔が輝き出す。


「この間の! エルがお招きした、エインヘリアルさん!」

「ぼ、僕が? その、え、えいんへり……エインナンタラなのか」

「はいっ! その様子だと、傷は大丈夫みたいですね。よかったあ」


 豊かな胸に手を当て、エルグリーズは安堵の溜息ためいきこぼす。

 そして、改めて真琴が彼女を紹介してくれた。


「この人は、エルグリーズさん。ヴァルキリーです。ヴァルキリーっていうのは、あらゆる時代からエインヘリアル……勇者の魂を集める、戦乙女いくさおとめなんだよっ」

「ふむ……では、もしや僕は」

「そ! わたしとリシアを助けたあと、倒れちゃって。エルグリーズさんがわたしたちごと保護してくれたんだ」


 なるほどと閃治郎は大きく頷く。

 おぼろげながら、このヴァルハランドという場所がわかってきた。ここには、現世で死んだ勇者が集められている。八百万やおよろずの神々とは違うようだが、来るべき最終戦争に備えているのだ。

 その現実を飲み込むしかない。

 ここはもう、閃治郎が新選組として戦った日ノ本ひのもとではないのだ。


「じゃあ、僕はもう……あ、いや! まずは礼が先だな。エルグリーズ殿、感謝を。命を救われた恩、僕は忘れない」

「いーえっ! どういたしました! まあ、死んでますし! 助けてはいないです。強いていうなら、リシアちゃんの魔法が凄かったんです!」


 確かに、あれだけの致命傷が今は嘘のようだ。

 まだまだ傷は痛むが、出血はすでに止まっている。今すぐにでも戦えるくらいに、回復しているのだ。まさに、魔法としか言いようがない奇跡である。

 そして、リシアはいつになく表情を引き締めて口を開いた。

 りんとした声には、彼女の決意と覚悟がひしひしと感じられた。


「エルグリーズ様。私はここに、新たな勇者たちのもうけて……それを守護する巫女としての使命を果たします」

「おーっ! そっかあ、そだね。えっと、ニッポン? から来る人も増えたもんねー」

「はい。来るべき戦いに備えて、勇者が集う新たな座……その名を、とします」


 ――サムライ。

 その言葉は、閃治郎にとっても特別な言葉だ。

 閃治郎は武家の出ではない。むしろ、新選組では先祖代々の武士は少ないのだ。多くの者は、農家や商人の家に生まれている。

 だが、その魂は高潔なもののふとして鍛え上げられていた。

 必要以上に厳しい法度はっとが、壬生狼みぶろの男たちを誰よりもさむらいにしていたのだ。

 時にその苛烈なありかたは、多くの仲間を失う結果を招いた。

 それでも京の町を守るため、牙なき者の牙となって戦ったのである。


「センジロウ様……セン様。そして、マコト様。これよりお二人の勇者としての日々を、私が支えます。どうか、サムライとしての力をお貸しください」


 深々とリシアは、頭を下げた。

 なんだか仰々ぎょうぎょうしくて、閃治郎は隣を見下ろす。

 真琴もまた、自分と同じ顔で見上げてきた。

 そして、互いに頷く。


「リシア、大丈夫だよっ! わたし、サムライかっていうと微妙だけど……頑張る!」

「僕も異論はない。一度は死んで救われた身と知れば、今後も民のために剣を抜くのみ」


 だが、最後に一度だけ。

 もう一度だけ、確認したかった。

 自分の中で、絶対に捨ててはいけない希望がある。

 それを胸の内に沈めて封ずるためにも、確証が必要だった。


「最後に……もう一度だけ、最後に、すまない。リシア殿……僕はもう、元の日ノ本には帰れないんだな? トシさんにも……新選組の皆にも、もう会えない」

「……はい。ごめんなさい……人の世は、このヴァルハランドとときの流れが違うのです。ここは過去でもなければ、未来でもない……神々の領域」

「……あいわかった! 話はそれだけだ。この地にサムライを求められれば、応じるのはやぶさかではない。僕の剣はまだ、必要とされてるんだな?」


 うんうんと大きく頷いて、エルグリーズがパムッ! と手を叩いた。


「じゃあ、手続きはエルがしておきますっ! 今後はおおやけに、勇者庁からサムライという職業の募集が行われます。リシアちゃん、巫女としてのお務め、頑張ってくださいっ」

「は、はひっ! ……なんだか、緊張してきました。でも、やらなきゃ」


 リシアは不安を必死に押し殺して、一同を見渡した。

 漠然ばくぜんとだが、閃治郎も現状を知って落ち着いた心地だ。

 つまり、閃治郎は勇者と認められて、黄泉よみの国に招かれたのだ。そこでは、神々が来るべき戦いに備えている。今度は京の町や日ノ本ではなく、このヴァルハランドを守るサムライになるのだ。

 自然と望郷の念が脳裏を過るが、無意識に漏れ出たつぶやきでそれをぬぐう。


「帰れないなら、それもいい。いや、それでいいんだ。トシさんは僕なんかがいなくても……新選組は決して、消えはしない。僕はこの地で、まことはたのもとに戦うんだ」

「あっ、あのさ……セン」

「ん? どうした、マコト殿」

「その、さ……新選組はその、えっと……ううん! ごめん、なんでもないっ!」


 快活で闊達かったつな真琴が、珍しく言いよどんだ。

 尻尾のような長い総髪ポニーテイルを指でいじりながら、目をそらしてしまう。

 その間にも、リシアはエルグリーズと言葉を交わして、真剣な横顔を見せていた。そういえば、彼女は義務、使命という言葉を使った。新たな座を守護する巫女とは? 閃治郎たちにとって、リシアはどういった存在なのだろうか。

 だが、疑問を口にする前にエルグリーズが皆にニッコリ微笑ほほえんだ。


「早速、皆さんにお願いしたい案件がありますっ! あ、エルは引き続き、サムライの座の担当ヴァルキリーですので、よろしくですっ! えっと、あっちゃんともう一人、既に現場に行ってもらってるんですが」


 今、閃治郎の新たな士道しどうが開けようとしている。

 異世界の地で、サムライとしての戦いが静かに始まろうとしていた。

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