第3話「閃治郎、将軍ニ会イテ異世界ヲ知ル」

 室内にあられもない悲鳴が響いた。

 その場でぴょんぴょん跳ねながら、リシアはピンと立てた耳を真っ赤にしている。

 逆に真琴マコトは、顔を手で覆いながらも指の間で目を丸くしている。

 閃治郎センジロウはそんな二人に堂々と歩み寄った。


「いやーんっ! あっ、ああ、あの! センジロウ様、そ、そのっ!」

「おおー、って、ゴメンゴメン。リシアは耐性ないんだった。えっと、その、セン?」


 閃治郎をセンと呼ぶのは、親しい新選組の隊士だけだ。

 気を悪くした訳でもなく、どこかなつかしささえ感じる。

 だが、真琴は背のリシアをかばいつつ、さして動じた様子もなく手で制してきた。


「センって呼ぶね? ねね、セン」

「ああ、構わない。なんだ?」

「……服、着ない? その、とりあえず下着だけでも」


 真琴は先程話題にのぼった羽織はおりの他、ふんどしはかま、そして洋シャツを返してくれた。

 このシャツも、新しもの好きな土方歳三ヒジカタトシゾウが注文してくれたものだ。

 背を向け着替えを始めれば、真琴から疑問の声が投げかけられる。


「でさ、セン……零番隊ゼロばんたいって? わたし、聞いたことないんだけど。こう見えてもちょっとは詳しいんだ。幕末も歴女れきじょたしなみだから」

「レ、レキジョとは? あ、いや……質問されているのは僕の方だな」


 ――

 それは、決して歴史に名を残さぬ新選組の影だ。京都守護職きょうとしゅごしょくを拝命し、会津藩あいずはんの支援を得て閃治郎たちは戦っていた。敵は、倒幕の名の下に民を脅かす不逞浪士ふていろうしたちである。

 だが、京の町にはそれ以外にも敵がいたのである。


「詳しいならば話は早い。京の町はそれ自体が、陰陽道おんみょうどう密教みっきょうの秘術で作られた結界……その内側には、日ノ本ひのもとに古来より住まう魑魅魍魎ちみもうりょうあふれている」

「あー、そういう方向……ふむふむ!」

「僕が率いた零番隊は、そうした鬼や妖怪を極秘裏に処理する、いわば始末屋のようなものだ」


 そう、閃治郎は戦ってきた。

 鬼や妖怪、悪霊に化物、いわゆるもののけのたぐいと。

 だから、あの時も瞬時に動けたのだ。

 目の前の二人、真琴とリシアは鬼に襲われていた。普段見るものとはやや違ったが、人ならざる気配には閃治郎は敏感なのだ。

 それに、いたいけな乙女を襲う者は、人であろうと鬼にちた外道だ。

 閃治郎は、誰もが鬼と恐れた副長以外、あらゆる鬼を許しはしない。

 そのことを話したら、真琴は腕組み大きくうなずいていた。


「よし、着替えたが……これでいいか?」

「おおー、本当に新選組だ! 凄い……ねね、ちょっといい?」

「いい、とは?」

「写真! ほら、リシアもおいでよ! この人、怖くないから!」

「しゃ、写真……いや待て! 待ってくれ! 僕は困る!」


 写真に撮られると、魂を抜かれるという話がある。

 だが、日頃から怪奇現象の真っ只中に生きる閃治郎に取っては、眉唾まゆつばものだ。ただ、歳三に以前写真屋の話を聞いたことがある。

 長い時間ずっと、カメラとかいうからくりの前でじっとしてなければいけないのだ。

 率直に言って、そういうのは苦手だ。

 しかも、うら若き少女、それも美しい二人と一緒というのが耐えられない。

 乾閃治郎、まだまだな十七歳だった。


「はい、もっと寄って! くっついて! あ、やば……スマホの充電が。やっぱ精霊発電せいれいはつでんだとこんなもんかー」

「な、なあ、マコト殿。その、リシア殿も」

「え、えっと、じゃあ……し、失礼しますね、センジロウ様」


 浅葱色あさぎいろの羽織を着た閃治郎の左右に、二人は身を寄せてきた。

 真琴の水兵セーラー服も不思議だが、それよりも目のやり場に困るのはリシアだ。淡雪あわゆきのような肌もあらわで、酷く薄着なのである。そして、豊かな起伏を強調するかのようで、まるで天女てんにょ羽衣はごろもだ。

 そうこうしていると、真琴は妙な板切れを出し、それを自分たちに向けた。

 カシャリ、と音がして、にんまりと真琴は笑う。


「にはは、レアな写真またまたゲット! と」

「……い、今ので終わり、か?」

「ん? そだよ? あ、それじゃあまず、えっと……どこから話そうかな」


 とりあえず、愛刀を腰にいて身支度を整える。

 このような場所で世話になれたこと、これは幸運だった。一夜で治るとは思えぬ深手をったが、痛みを感じるものの支障はなさそうだ。

 また、戦える……まだまだ戦えるのだと閃治郎は意気込む。


「マコト殿、リシア殿。改めて礼を言う。僕は副長を……トシさんを追うつもりだ。この恩は忘れない。後日、改めて礼をさせてくれ。では、御免ごめん!」


 ペコリと頭を下げるや、閃治郎は出口へと向かった。

 一瞬戸惑とまどったが、確かドアと呼ばれる洋風の戸だ。確かここをつかんで回せば……そう思った瞬間、外からドアは開かれた。

 思わず一歩飛び退いて、気付けば腰の刀に手が伸びていた。

 身体が勝手にそう反応したのだ。

 それだけの剣気けんき……達人の剣客けんかくを思わせる覇気を感じたのだ。静かだが、とても研ぎ澄まされた強い気迫である。

 だが、顔を出したのは優しげに微笑ほほえ優男やさおとこだった。


「マコトちゃん、リシアちゃん。どうかな? 彼、目を覚ましたかい?」

「うんっ! あれ、あっちゃん一人?」

「ええ。様子を見に来たんです」


 あっちゃんと呼ばれた男は、着物を着ていた。

 この朝に初めて見る、自分と同じ日ノ本の服装……どうやら、公家くげかそれに近い立場の人間なのだろう。狩衣かりぎぬを着て、腰には太刀たちを下げていた。

 思わず抜刀しかけた非礼に気付いて、あわてて閃治郎は身を正す。


「無礼を……僕は乾閃治郎イヌイセンジロウ。京都守護職新選組、零版隊組長、乾閃治郎です」

「ふむ、京都守護職。いやあ、大変な土地だろう? 私も昔は結構手を焼いたよ。なにせ、奇々怪々ききかいかいな日常で」

「は、はあ。それは、そうですが」

「昨夜は酷い怪我だったけど、若いっていいねぇ。リシアちゃんの魔法も大したものだ」

「ま、魔法? それは」


 ニコニコと笑う優男を、真琴が紹介してくれる。

 その名を聞いて、思わず閃治郎は驚きの声をあげてしまった。


「えっとね、セン。あっちゃんは、足利アシカガさん」

「いかにも。少し名が思い出せなくてね……でも、私は征夷大将軍せいいたいしょうぐんをやっていた者だよ」

「なんと!」


 足利氏といえば、閃治郎のような学のない者でも知っている。今の江戸幕府が開かれる前、室町時代むろまちじだいに日ノ本を治めてきた一族だ。

 つまり、目の前の優男は、十五人いる足利将軍の誰かということになる。

 あまりに突然のことで、閃治郎はひたすらに恐縮するほかなかった。

 だが、身を固くする彼へと足利は気さくに笑いかける。


「まあ、マコトちゃんのようにあっちゃんと呼んでくれたまえ」

「い、いや! そんな、恐れ多い」

「えー、そんなこと言うと……しょするよ? 処しちゃうよ? いろいろと」

「そ、それは」

「ふふ、冗談だよ。だがまあ、ここではお互い異邦人だからね。できれば協力し合って、面白おかしく暮らしていきたいな、と。いいかな?」


 足利はおうぎを手に、フフフと笑う。

 異邦人? 閃治郎と、目の前の男が? それはどういうことだろう。

 ただ、閃治郎も自分が異常な状況に放り込まれていることは自覚していた。

 足利将軍の室町幕府は、すでに二百年以上前に滅びているのだ。その後は織田家おだけ豊臣家とよとみけの時代を経て、徳川家が江戸幕府を開いた。閃治郎が守るべき天下泰平てんかたいへいの世が訪れたのである。

 そんな大昔の人間が、どうして目の前に?

 そして、彼が語る異邦人とは?

 自分を落ち着かせて律すれば、真琴がもったいぶったように教えてくれた。


「では、そろそろ説明するねっ! ふっふっふ、聞いて驚くなかれ」

「わ、わかった。頼む」

「うんうん、素直でよろしい。ここはね、セン。。死した勇者たちが招かれる、言ってみればあの世の世界かな」

「なるほど……なんとぉ!? つまりここは……地獄ということか」

「天国、極楽浄土ごくらくじょうどって発想ないかなあ? みんな地獄だって言うんだけどね」


 にわかには信じがたい。

 だが、冷静さを自分に念じれば、なるほど合点がてんがゆくことも多い。

 つまり、一度閃治郎は死んだのだ。

 死者の国ゆえに、足利将軍も当時の姿のままでいられる。そして、どこか天女のような雰囲気を持つリシアの存在も、ここがあの世だと言われれば説明がつく気がした。

 同時に、思う……人も鬼も魔性も皆、荒ぶる害意ならば斬り伏せてきた。

 罪深い自分がいるということは、ここは地獄だとすぐに思ったのだ。

 だが、リシアはそんな閃治郎の手を握ってくる。


「あ、えと、そのぉ……百聞ひゃくぶん一見いっけんにしかず……たしか、センジロウ様の国のお言葉ですね。こっ、ここ、こちらへ」


 リシアの柔らかな手は、まるで炭火のような温かさだ。

 彼女に手を引かれて、窓際へと立つ。

 カーテンが開かれると、閃治郎の目に見たこともない光景が飛び込んできた。


「こっ、こここ、これは!? いつのまに僕は、異国へ!?」


 閃治郎のいる部屋は、塔の上にあった。そして、周囲に並ぶ尖塔せんとうは全て、天空へと高く高くそびえている。空には奇妙な船が浮いており、せわしく行きっていた。見下ろす町並みも、長崎とは桁違いに広い。多種多様な文化圏がごった煮になったようで、見慣れぬ建築物も無数に合った。

 ここが、ヴァルハランド……死せる勇者たちの国だと、改めて閃治郎は思い知るのだった。

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