第2話「閃治郎、マドロム夢ニ鬼ト再会ス」

 閃治郎センジロウは夢を見ていた。

 つい先日の、惜別せきべつの光景だ。

 そして、その時は夢にも思わなかった……師とあおいで尊敬していた男から、突然の別れを突きつけられるとは。


『トシさんっ! まだ怪我が……駄目だ、トシさん。行っちゃ駄目だ!』


 あの日、閃治郎は目を見張った。

 眼の前には、脚を負傷し療養中の男などいなかった。

 洋装の軍服に外套がいとうを着ていても、土方歳三ヒジカタトシゾウは間違いなく武士もののふ……侍だった。

 会津の老舗旅館しにせりょかんに今、再び鬼の副長が帰ってきたのだ。


『おう、センか……なに、もう寝てられねえ。ちょいと仙台藩に行ってくるからよ』

『なら、僕が名代みょうだいとして』

『ああ? 手前てめぇなんかに俺の代わりが務まるかよ、ったく』


 会津あいずでの戦いはその時も、激化の一途を辿たどっていた。

 他ならぬ閃治郎自身、戦場から戻ってきたばかりである。

 兵の数が違う……彼我ひが戦力差はもはや、勝負にならないレベルだった。だからこそ、他藩への援軍の要請が必要になる。

 だが、歳三は病み上がりだ。

 先日の合戦で、足を負傷したのである。


『セン、手前ぇの抜刀術ばっとうじゅつは俺にも引けを取らねえ。けどな、もう剣の腕だけで戦う時代は終わってんだよ』

『でもっ』

『でもも案山子かかしもねぇ! ……聞き分けろや、セン。で、だ……手前ぇにはやってほしいことがある』


 詰め寄る閃治郎の頭を、長身の歳三はポンポンと撫でた。

 こういう時、野性味に溢れた美丈夫イケメン細面ほそおもてが、不思議と優しげに目を細めてくる。

 閃治郎は、誰もが恐れる歳三のこういう素顔が好きだった。


『俺が仙台藩へ動けば、官軍の連中も必ず感づく。薩摩さつま愚図ぐず共も、数が多くていけねぇ』

『う、うん……じゃあ、僕が護衛に!』

『話を最後まで聞けよ、セン。……俺が出やすいように、陽動を頼みてぇんだがよ』


 歳三はフンと鼻から溜息を零す。

 よく女に間違われる閃治郎とは違って、歳三は通りのよい鼻梁びりょうに切れ長の瞳と、京でも評判の二枚目ハンサムだった。洒落者オシャレでも通っていたし、花街はなまちではいつも女達の視線を集めていた。

 その歳三が、今日はやけに優しい。

 胸騒ぎに閃治郎は、ゴクリとのどを鳴らしたのを今も覚えていた。


『セン、一騎当千の手前ぇにしか頼めねえ。組長として頭を張れる、手前ぇにしかな』

『でも、僕の隊は』

『そんな顔すんじゃねえよ。いいか? 悪いが一人で突っ込んでもらうぜ? 派手に暴れて、時間を稼いでくれ。その隙に俺ぁ、夜陰に乗じて仙台へ向かう』

『じゃあ、僕は一暴れしてから仙台に向かいますよ!』

『駄目だ。手前ぇはそこまでだ……俺がガキを連れて歩けるかよ。京へ戻れ』


 閃治郎は今年、数えで十七になる。

 すでに一人前のつもりだが、いつも歳三は彼を子供扱いした。

 その歳三は、不意に葛籠つづらの中から一枚の羽織はおりを取り出す。

 浅葱色あさぎいろのそれは、閃治郎たち新選組にとって、特別な一着だった。


餞別せんべつだ、くれてやる』

『えっ……トシさん、これ! トシさんのやつじゃないですか』

『おう、まだそでだって通しちゃいねえよ。……正直よぉ、恥ずかしくて着れたもんじゃねえ。こんな格好で京の町を歩くなんざ、正気の沙汰さたじゃねえ。ハッ、正気じゃないのは俺もだったがな』


 不意に、さびしげに歳三が視線をそらした。

 その横顔を見詰めながら、羽織を握る手が震えたのをよく覚えている。

 僅か半日前の出来事なのに、遠い昔のことのように感じた。

 きっと、歳三も京での日々を振り返って、同じ気持ちを抱いたのかもしれない。


『近藤さんがなあ、えらく気に入っててよ……ま、セン! 生き残ったら、俺に代わって線香をあげてやってくれ。近藤さんや新選組の仲間たちによ』

『ぼっ、僕は嫌ですよ! トシさん、そういうことは自分で――』

『……まだだ。まだ、俺は終われねえ……皆で掲げたまことはたを、ここで下げる訳にはいかねえんだよ。そうだろ? セン』


 そう言って、歳三は不意に閃治郎を抱き寄せた。

 強く抱き締められ、自然と別れがきたのだと察した。そして、自分にはそれを止めることができない。

 既にもう、新選組は組織の体裁を失っていた。

 京都守護職きょうとしゅごしょくとして、無頼ぶらい浪士ろうしたちを取り締まった壬生狼みぶろも、わずかに数名が残るのみである。それでも、歳三は覇気が満ちていて、閃治郎は奇妙な安堵感を感じた。


『俺は死なねえよ、セン……必ずまた、新選組を復活させる。。だからよ、その日まで……いつかの日まで、俺が、俺自身が新選組だ』


 悲壮な決意と覚悟をつぶやき、歳三は閃治郎から離れた。

 そして、セピア色の光景が徐々に暗くなってゆく。

 狭くなる視界の中、見送る背中が小さくなっていった。

 それが閃治郎にとって、歳三の最後の姿となった。


『待って、トシさん……待っ……「待ってくれ!』 行かないでくれ! トシさん!」


 絶叫と共に、閃治郎は目が覚めた。

 周囲は静かで、洋風の小さな部屋に寝かされている。着物は脱がされ、全身に包帯が巻かれていた。一段高くなった寝台の上で、おずおずと閃治郎は身を起こす。

 すぐに目の前に、穏やかな寝息が流れていた。


「ここは……? 傷は……手当が、してある。そして、このは」


 少し朦朧もうろうとする意識を総動員して、記憶の糸を脳裏に手繰たぐる。

 閃治郎は夕刻、たった一人で官軍の中へと切り込んだ。歳三の仙台藩行きを援護し、陽動するために。

 命令では、そのまま一騒ぎ起こしたら京へ帰れと言われていた。

 だが、閃治郎はこの時初めて、鬼の副長の言葉に背いた。

 少しでも敵の戦力を削り、歳三が戻ってくるまで戦い抜く。

 気負いもあったし、捨てられたと思えば自棄やけになっていたのかもしれない。

 結果、真夜中の山中で戦い続け、気付けば手負いとなって彷徨さまよっていた。


「そうだ、僕は確か……この娘たちを助けて、そのあと……?」


 寝台の上に突っ伏して、金髪の少女が小さく肩を上下させていた。

 寝入った様子で、閃治郎が起きたことに気付いていないようだ。

 確か、もう一人……西洋の水兵セーラー服を着た女の子がいたはずだが、姿は見当たらない。まずは注意深く周囲を見渡し、愛用の刀が壁に立てかけてあるのを確認する。次に全身の傷と痛みを軽く調べて、最後に再び居眠りの少女を見た。

 そして、奇妙なことに気付く。


「ん? ……なんだ、この娘。耳が……もしや、流行病はやりやまいたぐいか? 細く長く、れてる。いや、違うな」


 あどけない寝顔の金髪からは、とがったがのぞいていた。

 異様と言えば異様だが、不思議と病魔の恐怖はない。


「福耳、みたいなもの……か? いや、耳飾りという可能性は」


 思わず手が伸び、そっと触れた。

 温かな感触に、久しく忘れていた少年の心が揺り動かされる。

 ずっと戦い続きで、京の町を出てから異性に、それもこんな美しい娘に触れるなんて初めてである。

 だが、長い耳が本物だと知ったその時……小さくうなって少女は目を覚ました。


「んっ……ふぁ、耳は……ダメ、耳……そこ、弱い、ですぅ」

「あっ! す、済まない! 他意はないんだ、その……君が助けてくれたのか?」

「ほえ? あ……はっ! おっ、おお、おはようございましたっ!」

「あ、ああ……おはよう、ございます」


 耳をつんざく、悲鳴のような絶叫。

 不意に少女は、はじかれたように飛び起きた。

 それから、天空のような蒼い瞳スカイブルーで閃治郎を見詰めてくる。


「あの、傷……痛みますか?」

「え? ああ、少し痛むが泣けてくるほどじゃない。それより礼を言わせてくれ。かたじけない……ありがとう」

「い、いえっ! ほとんどマコト様が。あ、私はリシア、ハイエルフが十二氏族ゾディアック・クランの一つ、リュミエール家のリシアです」

「はいえ、るふ? りみえーる家の、リシア」

「この耳でもう、お気付きですよね? でも、そのぉ……触られると私、困りますっ」


 リシアと名乗った少女は、ほおを赤らめうつむいた。

 例の長い耳は、まるで羽根のようにパタパタと動いている。

 閃治郎が改めて名乗ろうとした、その時だった。

 突然ドアが開かれ、例の水兵姿の女の子が飛び込んでくる。


「リシアッ、大丈夫? すっごい声が聴こえたけど」

「あっ、マコト様。は、はい……すみません。私、突然のことで。あ、こちらの方が意識を回復させましたぁ」

「あっ、ホントだ! ……ははーん、例の羽織にこの顔! わたし、知ってる人かも。ズバリ、沖田総司オキタソウジ君と見たっ!」


 美貌の天才剣士には、いつもよく間違えられる。

 だが、沖田総司の剣は菊一文字きくいちもんじ、実戦を想定されたあつらえの刀である。対して、閃治郎が持っているのは白木鞘しらきざやの飾り気がない一振りだった。

 霊験あらたかなそれは、神刀とさえ言われた業物わざものなのだ。

 ともあれ、誤解を解くために閃治郎は布団から出て立ち上がる。


「そちらがマコト殿か。マコト……いい名だ。僕は閃治郎。新選組零番隊組長しんせんぐみゼロばんたいたいちょう、乾閃治郎だ」

「あっ、ども。えっと、わたしマコト! 神凪真琴カンナギマコトです! 新選組とはマコト違いかな……って、? そんな隊は確か、なかったような――って、ちょ、ちょっと!」


 不意に真琴は、赤らめた顔を手で覆った。

 自分が全裸だと気付かずに、閃治郎は小首をかしげるだけなのだった。

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