武士道とは異世界と見つけたり!?

ながやん

第1話「閃治郎、山中ニ死シテ転移ス」

 夜霧の森を、乾閃治郎イヌイセンジロウ彷徨さまよっていた。

 ふらつく歩調が、闇に血の足跡を残してゆく。

 羽織はおりはかまも赤く濡れて重く、腰の刀などまるでなまりのようだ。

 かすむ視界が揺れてぼやける中、少年は周囲へ気配を放つ。

 それは、敵を求める殺気だ。


「追手は、片付けたか……? 副長は……トシさんは、脱出できただろうか」


 その問いに答える者など、いない。

 闇の中、草木も月も白くけむってゆく。

 敵を求めてあてもなく、閃治郎は歩く。


「トシさんが、生き延びて、くれれば……新選組、は……必ず」


 不鮮明な意識が、不快な激震の中で途切れ途切れになる。思わずひざを屈しそうになり、閃治郎はかろうじて踏み止まった。揺れていたのは大地ではない、ふらつく自分自身だ。

 自然と手が、脇腹の痛みを抑える。

 ドス黒い血は乾くことなく、深手の傷から溢れ出ていた。。

 浅葱色あさぎいろの羽織が酷く重い。

 だが、それは背負ったまことの一文字、それを貫く重責だと己に言い聞かせる。

 閃治郎は永遠にも思える一瞬、そうして脚を止め、再び歩き出した。

 前へ、先へと進む。

 その耳が悲鳴を聴いた瞬間、不意に混濁する思惟しいが澄み渡った。


「ん……? 悲鳴? それも……女の声だって!?」


 その場に不釣合いな声が、二度目の絶叫を響かせた。

 若い娘の、まさにきぬを裂くような悲鳴だった。

 次の瞬間、閃治郎に最期さいごの力が湧き上がる。すでに死にゆく肉体が、流れ出る血をたぎらせていた。瀕死の少年は地を蹴るや、風切る速さで疾駆しっくする。

 助けを求める声へと、吸い込まれるように閃治郎は走った。

 徐々にだが、夜風が運ぶ声が言葉をかたどり始める。

 どうやら、若い娘の二人組のようだ。


「ヒッ! あ、ああ……マコト様っ!」

「だいじょーぶっ! リシアはわたしの影に! ホブゴブリンくらい、わたしだって」


 閃治郎は、駆ける脚に力を込める。

 踏み締める一歩ごとに、命がれ出てゆくのがわかった。

 だが、その言葉を聴いては捨て置けない。

 そう、確かに聴いた……マコトと。

 誇り高きサムライたちが背負った、生き様を貫くためのしるべがその言葉だ。

 やがて視界が開けて、閃治郎は腰の剣に手をえる。


「そこの娘! ここは僕に任せて! 逃げ……ほう、もののけのたぐいか!」


 眼の前に今、金髪の異人を背にかばった少女が剣を構えている。

 奇妙な剣で、刃がない。

 木刀とも少し違うが、はがねの刀ではなかった。

 そして、敵意にあらがう乙女は何故なぜか、大阪の町で時折見かける異国の水兵セーラー姿だった。

 彼女は閃治郎を見て、目を丸くする。


「えっ……あ、あの! わたしは大丈夫です! この子を、リシアを!」

「マコトさんっ! 嫌です……私一人じゃ、逃げられません! 貴女あなたを置いてなんて」


 みょうな二人組だ。

 金髪の娘は、あどけない表情とはうらはらに、豊満な起伏も顕な薄布をまとっている。そんな彼女を守る水兵も、恐らく異人だろうか? だが、長い長い黒髪を総髪ポニーテイルに結った姿は、青眼せいがんに構えた剣が素人しろうととは思えない。

 思わず、剣術小町けんじゅつこまちなどという言葉が脳裏をよぎる。

 なにより、彼女たちを囲む敵意に驚きを禁じ得なかった。


「鬼、か……バケモノ退治は京都以来だな。だが、本懐ほんかいでもある! ――いざっ!」


 耳をつんざく絶叫と共に、無数の鬼が振り返る。

 そう、鬼だ。

 赤錆あかさびた肌にボロを纏って、手斧ておのを持っている。そして、眼光を血走らせる顔には、左右一対の小さな角が生えていた。

 異形の怪物を前に、閃治郎はわずかに身を沈める。

 瞬間、神速の抜刀術ばっとうじゅつが闇夜に光を走らせた。


「ゴブッ! ホブゴブ!」

「ガブブ、ホホブブ!」

「ゴブブ、ゴブブ!」


 居合一閃いあいいっせん、まとめて数匹を薙ぎ払う。

 次の瞬間には、閃治郎の手は鍔鳴つばなりと共にさやへ愛刀を戻していた。

 少女たちがなにかを叫んだが、もはや聞き取れない。

 二度目の斬撃がより多くの鬼を両断すると……次第に周囲の気配が怯み出す。

 閃治郎は常日頃から、こうした異形の魑魅魍魎ちみもうりょうに慣れていた。

 だが、今は死にゆく肉体がどんどん感覚を失ってゆく。

 ついに閃治郎は、その場に倒れてしまった。


「お前、たち……逃げろ。ここは、僕が……ッ! ハァ、ハァ……」


 そのまま、閃治郎の世界は暗転した。

 酷く冷たい身体から、体温が地面へと奪われてゆく。

 幸い、鬼たちは逃げ散ってゆくのだけは感じ取れた。

 駆け寄る少女たちの声ももう、なにも聞き取れない。


 ――慶応けいおう三年、八月。

 新選組の影と呼ばれた少年は、力尽きた。

 会津あいずより庄内藩しょうないはんへ向かった土方歳三ひじかたとしぞうのため、一人での陽動作戦を完遂かんすいさせたのだ。

 彼の命は終わるはずだったが、本人は消えゆく意識の中で思いもしなかっただろう。侍の世が終わろうとする中、新しい世界が始まろうとしているなどと、夢にも思わないのだった。

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